村上久幸くんのシンタイ市での日本語教師体験記

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

村上久幸くんのシンタイ市での日本語教師体験記

ニーハオ!! 我是日文老師。  ウォシィリィベンラオシィなにしろ、写メールの経験がないまま、出発直前にデジカメを買って一夜漬けで教わりやっと、メールの環境を日本語でも出来るよう整えてもらいました。コンピューターとインターネットの環境を、2年前に整えた、学校なので、担当の技師も日本のパソコンは初めてらしく、 香港と画面送付のやりとりして、小生の、パソコンを理解してもらいました。

初めての写メールです。中一の生徒が、訪ねて来た時のです。

6階建ての4階に小生の部屋があり、イギリスからの女教師(22才)は3階、
アメリカからの男教師(24才)は2階です。幸いにして、小生の階は、女生徒で2段ベッドの8人部屋が20数部屋ですので、若返った気分になります。

80人の生徒が20人減りましたが、毎日楽しくやってます。さすが、大陸
いいかげんで、今回の契約書に昨日サインさせられました。

では、また。  お元気で! 村上

4月12日

添付の写真は、校庭に新しく設置されたものです。
「世界へシンタイ市を知らしめよう!」「世界へ目を開こう!」
「未来へ目を向けよう!」「教育の現代化へ!」などのキャチフレーズが書いてあります。

校内のあちこちにも、「文明開化」への目標がはりつけられました、

「WTO加盟」後、全国的に世界への仲間入りに向けて活動始めたみたいです。

ここは、田舎町(といっても、鹿児島市なみの町です)ですが、文明開化へ向けて始動始めた感じです。

平教員の3倍の給料をもらい、空調完備の部屋を準備され、こちらの物差しでいうと「破格の待遇」だそうです。

数日前には、校長と同伴で、共産党の副書記(シンタイ市の)に会い交流の輪を広げてゆくために、今後ともよろしく、ということになりました。

雨が非常に少ない、梅雨もない所なので、「ほこりっぽい」町です。

「のどがすぐ渇き」日本にいる時の、4倍お茶を飲んでます。

自転車を買い、毎日30分先の公園へ行き、地元の人たちと、一緒に太極拳をして8時に学校へ帰るのが、日課です。

何しろ、この町には、日本人は、私一人だけ、ですので、珍しがられています、言葉は、ほとんどわかりませんが、かたことの中国語で何とか、楽しく暮らしています。

夜は、中一の女子学生が部屋に押しかけて来て、発音の先生になり、 教えてもらってはいるのですが、なにしろ不器用で・・・なかなか、うまくなりません!

お元気で!            村上

4月24日

今日から学校が五日間休み、宿舎の隣で校舎の新築工事のせいか太極拳からもどってきたら、「断水」、いつなおるか・・・?なので

「外人専用室」を開け、メイルを開きました。

なにしろ機械音痴で、まだデジカメの理屈がわからず困ってます。

一緒にまとめて送れるのですか・・・知りませんでした、泰山から帰ったら
挑戦して見ます。

「大石さんのホームページ」いつも、なつかしく、のぞいてます。同級生が元気で「老中」を生きてるのを見て、はげみになります!研究熱心な大石さん! 頭が下がります。

9月ちょうど同じ時期に、私が添乗で、ダイレン・シンヨウ・ハルピンなど7日間の旅が決定してますので、残念ながら私は参加出来ません。

古市さんとは、7月に日光の白根山に登る約束をしてますので、彼と会うのが楽しみです。

西安に長期滞在の予定ですか、行きたい所の一つですが、いい所だそうですね!
鹿児島県庁の国際交流課などで問い合わせれば、わかると思いますが「日中友好協会」の会員の肩書きがあると長期滞在にいろいろ便宜をはかってくれるかもしれません。新婚ほやほやの英語教師の家に招待され、アメリカ人、イギリス人と一緒に行ったのですが、彼女の旦那が西安大学を卒業してますので、何か聞きたいことがあれば、聞けると思います。

大石さんや、古市さんたちと60才を過ぎてから、親しくなれてとてもうれしく思ってます、「老中」が楽しく過ごせます。今後ともよろしく!

明日から五日間、世界遺産の「泰山」や「孔子の里」など見て来ます。

村上

5月1日

右のビルの4階が僕の 部屋階です。 左が新築工事中の校舎 です。
右、文の先生たちと、ボケてしまいました。左端が僕です。

四月15日~27日まの村上・中文日記です。彼の進歩についていけず、訳に間違いもあると思います。悪しからず。尚、固有名詞については匿名としました。

4月15日

Jサンから電話があった。足の治療についての手配を彼女ははとてもよくしてくれた。僕は18日かあ26日まで足治療をまなぶことになった。全部で20時間、学費は300元です。

明日、彼女とくわしいことは打ち合わそう、ということになった。

ところで,僕の生徒立ちはいつも忙しそうだ。殆どの生徒達がまだ、復習や予習をしてこない。1ページを終えるのにいつも苦労している。

4月16日

Jさんが僕に会うため学校に来てくれた。打ち合わせを済ませ、町へ写真を撮りに行った。

18日朝、8時半、学校で彼女二所と会う約束をした。当日、彼女は僕と一緒に「足ツボ治療協会」へ連れて行ってくれることになった。

ところで,今日、授業に出ている生徒がとても少ないので生徒に、「どうして今日はこんなに少ないの?」と尋ねてみた。すると、「僕たち、4月29日に、国語、数学、英語それに歴史の試験があるんです。」と言うではないか。

僕は今日1ページも教科書を進めらっれなかった。のである。

4月17日

Jサンから電話があった。

「足治療の先生に急用が出来たので、明日の予定はキャンセルにしてほしい」とのことだった。後日また打ち合わせしましょう。ということになった。

M先生と語り合ったあと、ぼくは街へカメラと衣料品、食料などを買いに出た。

4月18日

今日、太極拳の118動作を学び終えた。年のせいか、記憶力が覚束なくてどうもシッカリ憶えられない。もっと練習に見をいれなけっれば。

4月19日

午前7時半、校長先生が僕を迎えに来て、専用車で、那台市見石に行きH副書記に面談した。彼は「あなたは5月の休みにどの地方に旅行するつもりですか?」「私が段取りしますので、どうぞ遠慮なくおっしゃって下さい。」と言ってくれた。そして、書記長は僕に最高級のお酒をプレゼントしてくれた。「近いうち、一緒に晩餐でも」と言った。

午後、H先生(ロシア語の先生で、外国人の接待などを担当する部門の責任者)かあ給料を戴いた.(1800元からインターネット使用分を差引いた1650元だった)それから彼女は僕に言った。「5月1日から7日迄、お休みですが、あなたが旅行したい場所があったら遠慮なく話してください」と。

彼女に、僕の旅行の段取りを手伝うよう、校長先生が気を遣ってくれたんだ。と思った。

午後3時、R先生(管理責任者)とJ先生が僕の部屋にやってきて「何か問題はありませんか?」と訊いた。僕は「2週間前、排水の具合が悪いと修理をお願いしてあるんですが未だでしょうか」と答え、「洗濯物を乾す場所がありますか?」と訊いた。

4月20日

午前中、修理の人がやってきて排水が直った。R先生がやって来て、洗濯物を乾す場所に付いて話してくれた。「来年、貴方が帰ってくる頃には窓の外側に新しい干し場を作りましょう」と言った。

4月21日
Z君、K君、R君が部屋に遊びに来た。この三人は日本語のレベルがとても高い生徒達だ。Z君はインフルエンザに罹っていて咳が激しく苦しそうなので、暫く話をしてから「君達、もう帰ったほうがいいよ」と僕は言った。

4月22日

Jさんが迎えに来て、二人で、専用の携帯電話とテレフォンカードを買いに、街へ出かけた。ついでに、足ツボ治療をして貰いに治療所へ行った

4月23日

日本語クラスについて、H先生と意見を交換した。

彼女が言うのは「昨日,授業を受けた生徒がとても少なかったことは知っています。生徒達は29,30日に試験があるんです。だから、試験勉強に集中できるよう、今週の日本語授業は出なくてもいいよう。取り計らうことは出来ないでしょうか?」ということで、僕の授業は5月8日から再開することになった。つまり、

「僕の長期休暇は今日から始まるんだ!!!」

Kさん(R先生の友人)は今の仕事を4月30日に終え、次学期からここの小学校の英語の先生になるそうだ。とても素晴らしいことだ。 

彼女は「5月の授業が始まるまで毎朝、柴金公園で身体を鍛えるつもりなの」
だから、「私にもどうか日本語を教えてくださいネ」と言った。「勿論オーケーだよ」と僕は答えた。

そして、僕たち二人は、これから毎日、7時半から8時半まで公園でお互い勉強をする約束をした。(注大石・とても美人で酒井法子に似ている。)

学校長の計らいで1日から3日にかけて、僕は高・中学の生徒達と山東省の泰山に出かけることになった。(ヤッター!)

4月24日

僕は日本語の教材について、第1課から第4課までをファイルにしてもらい生徒達に配ろうとM先生におねがいした。できれば、生徒達がこの休暇の間に、毎日10分でも、声に出してよむ練習をして欲しい。と思っている。

試験の準備で、とても忙しい中を彼女にはとても面倒をかけた思いだ。なにしろ、生徒40人分のテキストを製本にする仕事をしてくれたのだから、感謝!感謝!

ところで、今日血圧を測ったら、170-80だった。少し高いようだ。

S医生がクスリを飲むように、と言われた。最近、太極拳に毎朝打ち込んでいるので(Kさんと一緒に)疲れているのかもしれない。あまり無理をしないようにしょう。

4月25日

泰山行きについて、変更があった。

M先生のはからいで、M先生、K副校長、それにO工会主席の三人で話し合った結果。5月2日に専用車を使って、O主席とDさんそれに僕の三人で世界遺産・泰山と孔子廟を訪ねることになった。

4月26日

今日は僕ひとりで足ツボ治療所に行った。北京飯店でしてもらうと200元、
ここエンタイの治療所だと15元(250日本円)でしてもらえる。北京にくらべとても安い。そのうえ腕も最高、とても気持ちがいい。おまけに、按摩さんはJさんの親友なので、僕はわずか10元でしてもらった。最高だった。

ミスFから英語で僕に電話が来た。

「明日の晩、5:45に私とミスターDは晩御飯を食べにレストランに行く予定なの一緒にいきませんか?」勿論、僕は答えた「喜んで!」と

4月27日

小指がすこししびれているようだ。足ツボ治療所に行った。とても痛い。
夜6時、我々11人とMr.Davidは一緒にレストランへ向かった。K副校長もO主席もいた。こんなに沢山のメンバーだとは考えてもいなかった。「今日はミスMの誕生日だったのだ。」しかも、このことは、MRDavidと王英語教師だけが知ってたことだった。 つまり、学校側がミスMと僕たちを招待してくれたらしい。とても、申し訳ないし、とても嬉しい。食事が終わってから我々とT校長はダンス場へ出かけた。日本のダンス場にくらべとても暗くて周りがあまりよく見えない。

でも、とても愉しい時を過ごさしてもらった。

4月28日

H先生がぼくに告げた「5月2日午前7時、学校のイフビルの前で集まりましょう。帰りは6日の予定です。旅費についてはそれぞれ、自分で負担すること。帰ってきてからの精算にしましょう。」

M先生が僕に告げた「泰山へはO主席のはからいで副校長も一緒に行くことになった」僕はとてもすまない、と感じいった。(このへんの訳はあやしい)

Dさんが僕に頼みがあると言った。日産自動車の車の仕様説明を日本語から中国語に翻訳して欲しい、と。しかし、見てみると、なにやら専門的すぎて、とても翻訳する力がなかった。残念ながら、お手伝い出来ず澄まないことだった。

管理人室のSさん(若い女性)が僕に自分の母とTさんを紹介してくれたけど、この前、部屋にカギを忘れてしまい、Tさんには、そのことでお世話になっていた。既に彼とは面識があった。

4月29日

朝、また血圧が170-84だった。S医生が心配して、明日の朝8時40分、僕の部屋に測りに来てくれると言う。彼の好意に甘えることにした。こう言った。

「本当にお恥ずかしい次第です。」と。「イエ、イエ気にしないで下さい。これは私の仕事なんですから・・・・」と。感謝!感謝!

街から帰ってきたらO主席に会った。5月2日の出発時間をお互い確認しあって握手をして別れた。

こちらの公園で教わりながらやっているのは「揚式冠家太極拳118式」ですが、一通り終わったのですが、何しろ記憶力の減退はヒドイので、コーチの後ろで、くっついてやると出来ても、一人でやらされると、順番が狂ってしまい、笑って頭をたたきゼスチュアでごまかして、テゲテゲにやってます。

「孔子の故郷(曲阜)」と「泰山」へ行って来ましたが、人出は日本と同じでいずれも、肩をぶっつけ合いながらの、行動でした。

やはり旅行は平日に限りますね!泰山上りは何とか「休み休み」ガンバリましたが、帰りはもう下る元気はなく、ロープウェイで降りることにしましたが、行列が長く1時間半ならんで」乗り、やっと帰りました。

登山道は1600mの頂上まですべて石段でした。

校長は共産党から回ってきた人なので、山東省の曲阜市にも知人がいて建築総合会社の副社長の手配りで、昼と夜は2時間かけて、飲み食べ語らいガイドもつけて案内してもらい、同行の王組合長がお金を払うと行っても・・・ダメで結局2泊5食と全ての経費が先方の接待でした、払ったのは2回の食事と泰山中腹までのバス代、ロープウェイ代だけということになりました。

酒が弱いので、1回目で驚き、2回目から、年で高血圧なのでと言って勘弁してもらいました。

特別な作法が有り、変わりに「お茶け」で乾杯し合いながら、「感謝!感謝!ガンシエ!ガンシエ!」

「謝謝!シエシエ!謝謝!シエシエ!」の繰り返しでした

学校に帰って来たら、学生が大勢いるので、不思議に思い、部屋に遊びに来た生徒に聞いたら、4/30の午後から5/6まで休みにはなってますが、中3は5/2から始まり、中2は5/3から、中1は5/7からということになってました。先生の休みもいろいろらしいです。

5/1のTVは、「面向世界」「面向新時代」のキャッチフレーズのもとでいろいろな都市での催しが紹介されていました。
私の通ってる公園は(7:30から2元が早朝割引0.5元)、体力強化関連機器が完備されている外、卓球台6台、バトミントン2面、広場では「太極拳専用の場所が」確保されていて、2年前に再整備された公園ですが、トイレは男女の別は有りますが大小の仕切りがなく、日本人や欧米人にとっては、苦痛です。
テレビ講座では「健康」「語学「料理」など取り上げられ、足部反射区健康という講座もあり、私も勉強をはじめました。 

日記(中国語)はいつもの通り添付しました、適当にご覧下さい。

部屋に来た学生に、一応添削してもらっています。ではまた。

村上

4月30日

朝、8:35,辛医生が僕の部屋へ来ました。血圧を測ってくれ132~74でした。彼は「念のためにもう一度11時ごろ来ます」と言いました。「そのあと、午後2時半に又外人専用室で測りましょう。」僕にとても気を遣ってくれてとても感謝してる。とても嬉しいことです 弭さんが晩飯に誘ってくれた。公園の近くのレストランで食べた。最高に美味かった。足ツボについて二人で話し合った。足ツボの国家試験をとるためには1230元お金がかかります。5月20日ごろ弭さんが一緒に北京に試験をうけに連れて行ってくれる。ということになった。

5月1日

太極拳をしに行き、8時ごろ帰ってきた。なんと水道が壊れ、水が出ない。洗濯が出来ない!管理人さんが「直ぐ直すから、チョット待ってください。」「一体。何時に直るの?」「わかりません!」仕方が無いので、僕は外専門室にメールを打ちに出かけた。水道は2時間ぐらいで直ったようだ。 昼から自転車で街に出かけた。祝日のためか街はすごい混みようだった。いつもの公園にも人、人、人だった。 夜のテレビでは祝日特別番組が組まれていた。新中国の新しい時代への意気込みが感じられた。それに比べ我が日本はどうなんだろう?

5月2日

待望の小旅行。

我々(王夫妻、田さんと僕)は山東省・曲阜~孔子廟を巡るツアーに出かけた山東省の建築関係の大きな会社を経営している会社の副社長?氏が昼、夜の食事を奢ってくれた。食事時間中、我々は大いに食べ大いに飲んだ。2時間は続いたと思う すべて、副校長の計らいだとわかり、大いに感謝している。

5月3日

午前中、われわれは馬車で市内観光をした。昼頃、? 副社長が又、我々を昼ご飯に呼んでくれ、ご馳走してくれた。我々はまた昨夜同様、大いに飲み食い、2時間余りを過ごした。そのあと,泰安市の八一ホテルへ戻った。二日間の全費用について、?氏が全部持ってくれたらしい。意思の疎通が上手くいかないので僕は知らなかったのだ。

5月4日

天気予報によれば、我々は泰山の日の出を見ることは出来ないらしい。 仕方が無いので、我々3人は泰山を後にした。午後からの天気は最高だった。眺めは最高!!人は沢山!!僕は大満足だ。太陽の光で、僕の肌は汗びっしょりだ。だけど、僕はいささか風邪ぎみで、我々もとても疲れている。そこで、王さんと田さんと相談して、泰安市から?台市へ我々は帰る事にした。夜十時半に到着した。

市内のレストランで我々三人、大いに食い且つ飲んだ。深夜、田さんがぼくを寮まで送ってくれた。僕は又、管理人さんにえらい迷惑をかけてしまったのだ。

今回の旅行の期間を通じて感じたことだが、僕のヒヤリング力、理解力すべてがとても未熟だと痛感した。この次までには自分の言いたいことを伝えられるよう頑張ろう!!

5月5日

昼過ぎ2年生の子たちが4人部屋に遊びに来た。彼等が言うには、3年生は2日より、2年生は3日より、1年生は7日より授業が始まるのだそうだ。ぼくは知らなかった。 こちらに来てから買ったばかりのリュックがもう壊れてしまった。そこで、李さんに針と糸と穴を開ける錐を買いに行ってもらった。買い物は李さんにお願いすることにしている。

5月6日

ナンタイ市で買ったカメラが動かなくなってしまった。カメラをカメラ販売店に修理に持っていった。もしかしたら、今回の旅行で写して来た写真が全部ダメになってるかも知れない。 カメラ屋のマスターが言った「300元以上の値段のカメラは壊れないんだけどな・・」「お客さんの幾らでした??」「僕のは130元で・し・た・・・。ア・ア・ア・・・」今度から、.僕は、写真を写し終わったら。いつも自分でフィルムをはずさず、ここで、フィルムの交換をしなければならない。

5月7日

足ツボ按摩について、何か教材はないか?と、按摩師に訊いてみた。「有了」アルヨ。中央テレビが発行している「足部反射区健康法学習手帳」僕は按摩師に「買ってくれないか」と頼んだ。

李さんが言うには「貴方の授業は今日はありません。明日アリマス 」とのことだ。

5月8日

足つぼの教材が入った。CCテレビの講座の「足部反射区健康法学習手帳」で定価12元だった。   5時過ぎに李さんが来て言った。「今日の貴方の授業は七時からです。知ってますよネ」「僕は知らなかった」と答えた。「貴方は暹 先生にしっかりと確かめてくださいネ」話によれば、5月から時間割が変わったらしい。だけど。そのことを誰が僕に教えてくれるのか?分らないことが多い。
暹(ビン)先生に訊いてみたら、彼女が言うには「貴方は何時からと思っていたの?」・・どうも、彼女の言ってることがよく理解できないのだ。僕の中国語が余りに未熟で、お互いの意思の疎通が図れないのだ。とにかく、もっともっと中国語の勉強をしなくちゃ。

6時ごろに彼女は生徒達に連絡してくれた。その結果、授業を受けにきた生徒は2人、それに先生は2人。 明日の晩から授業は7:00開始。しっかり確認しあった。

5月9日

朝、太極拳に行く。虐(ザイ)さんと二人で学習が始まった。僕は彼女に日本語を、彼女は僕にハンユィを・・・夕方、6時半、僕の日本語教室に行く、・・・いつも使っている教室に別な人達がいて授業をしているではないか!「僕は暹先生と確認しあってたのに・・・」 彼女が言うには「今夜は教室が空いてないの。ゴメンナサイ。」だって。お陰で、今日授業はお休み、「どうなってんの!!??」「結局、授業は来週の月曜日からってことか。」僕の心はいささか複雑です。」

5月10日

朝、紫金公園で弭(ミ)さんのお父さんと会っていろいろ話をした。彼のもっているビデオ機器で「僕たちのする太極拳を撮影します。」といって、郭(グオ)さんとあと二人のひとがわざわざ僕と一緒に太極拳をしてくれた。彼等の親切に感謝感謝!! しかしながら、僕ときたら、「118動作順序」をまだ しかと憶えていないのだ!!何てことだ。

・外人専用室で僕は甑先生とコンピューター画面を見ながら話し合った。彼女は実にハッキリと説明してくれた。今度は僕もよーく間違いなく理解出来た。やっと、我が心は晴れ晴れとなった。「5月から9月までは、昼休み時間が0時~2時迄が、0時~3時までに」変わっていたのだ。サマータイム(夏季(ズオ4シ1)時間)ということだ。だから午後の時間割が全部遅れていくことになる。僕の時間も1時間、始まりが遅れる。昨日の事情については暹先生もよく分っていなかったのだ。つまり、午後からの授業開始時間の突然んの変更について、

5月11日

今日は寮の水道は0時~1時までは出るけど、後については不明。とのこと、貼紙を見たけどその意味がよく判らない。僕の部屋の水道は大丈夫らしい。

5月12日

僕の足ツボ先生は 暝(ウ)金英と言います。今日でアシツボ62動作順序を学習し終えました。 明日からは彼に倣って会いツボの実地修練に入ります。

5月13日

暝(ウ)先生と実地開始です。大汗をかくほど疲れました。累得我是 大汗淋漓今日僕は孟さんと約束しました。彼女は僕に漢語(ハンユィ)-中国語のこと、を一週間に一回教えてくれるそうです。5月19日からだそうです。僕は嬉しい!。

5月14日

昨晩から今朝にかけて大雨が降った。何だか外の空気(匂い)がとても新鮮に感じる。

生活ごみ(食べかす、など)は特別違った臭いがする。 この点については政府も少しばかりなんらかの対策を講じた方がいいのではと思う。大抵どの人もこの臭いは喜んでいない。

もし、この点で何らかの処置が講じられたら、エンタイい市はもっと良い町になると思う。

毎朝6時ごろは市内の街路はとても綺麗だけど、3~4時間あとはそれ程ではなくなる。

5月15日

中2の女学生・王栄超が遊びに来た。そして、僕にこう尋ねてきた「先生は日本の首相、小泉氏をどう思いますか?靖国神社の参拝についてはどうでしょうか?」と、

僕は日本政府の文章を彼女に見せてあげた。その後、彼女は僕の中国語の発音を直してくれた。僕は彼女に言ってやった。「人と付き合うときには(函海温玉)これはワカリマセン。僕の人生観です。」と彼女に言ってあげた。

来週の土曜日午後3時半に孟さんに事務室で中国語の勉強を始めることに決まりました。

5月16日

王栄超が僕に一冊の本をプレゼントしてくれた。英語についての翻訳の本である。

本の上にこう書いてあった「贈・村上先生 中国語の一層の進歩を祝って、「貴方様は中日友好に貢献してくれました。貴方は一条の鮮やかな紐です。貴方はさわやかな風です。貴方はいつも微笑みを絶やさず。いつも若々しいです。

・・・と書いてあった。うふふふふ・・・。

弭(ミ)さんから電話があった。足ツボと帰国計画について、明日、お話しませんか?という電話だった。

5月17日

会う約束だったのに弭(ミ)さんは来なかった。話し合いは出来なかった。

5月18日

あさ10:30、足ツボ療所で彼女に会って話し合った。「僕たちは5月24日に一緒に北京に足ツボの試験に行き、その時、北京発上海行きの航空券を買ってもらう。僕のこちらとの契約は6月27日で終わることになっている。

午後3時から4時半迄、孟家庭教師が事務室で中国語を教えてくれた。彼女は教え方がとても上手くて、とても楽しい時間を過ごせた。感謝!感謝!

5月19日

郭守敬(有名な天文学者)の彫像が活泉公園にある。

エンタイ市民は彼を崇拝している。二人の中2の生徒が「僕たちは貴方をとても立派だと思っている」「素晴らしい人だと思っている」と、言った。「イヤイヤ恐れ入ります。恐れ入ります。」彼等のお世辞(ごますり)はとても上手だ。彼らはそして、又訊いた。「日本の歴史教科書についてどう思うか」と、僕はまた彼らに過去に編集された日本政府の見解と歴史教科書の写しを見せてやった。
夜になってから南が中国語の発音を教えに来てくれた。そのあとで彼女は僕に一編の古い詩を教えてくれた。

李白の詩で、静夜思と言う題である。

床前明月光
疑是地上霜
挙頭望明月
低頭思故里

5月20日

時間が経つのは早いものだ。僕と暹先生は何時までで僕の日本語授業を終了するかについて話し合った。「6月27日はどうでしょう?」僕は6月28日の朝に発ちたいので、彼女が北京への行き返りの車の手配が上手くいくようにお願いした。彼女は「OK、OK 大丈夫。心配要りません。」と言った。6月3日太極拳の写真を送ります。

どうも勉強不足で、いじるたびに、おかしくなるので帰国してよく教わり、写真は送ります。これもどうだか・・・?

帰りの切符を手配して、6/30に帰国することになりました。

最近は、真夏日がつづき、ビールをのんで昼寝をする日がつづいてます。私の部屋は「空調完備」、先生の独身寮は「蒸し風呂」、校内は扇風機、格差があり恐縮してます。

切符を手配したら、とたんに「日本の味」「日本の温泉」「日本の新鮮な空気」がなつかしくなりました。

いつも、楽しいたより感謝!

村上

5月20日

李さんが今月末で今の職を辞めて9月からは 北関小学校の英語の先生になるそうだ

虐(ザイ)さんと同じ職になる。今年の夏は北京で一月間旅行社でバイトをするらしい。

5月21日

紫金公園で、虐(ザイ)さんと会話の勉強をしたあとで、李さんのことを訊いてみた。

5月22日

校内で学校表彰があった。僕の日本語生徒李さんが表彰された。話を聞くと1年生では始めての受賞とのことだ、さすがにかのじょの日本語は優れている。

5月23日

午後、デビッドとファジィと僕と写真を撮ることになった。教室で一枚、一枚は校庭で生徒達とお喋りをしているところである。今の校長先生は今回、退官する。56歳である。高副校長が校長になる。まずはオメデトウ。

李副校長、佻副校長、田副校長は夫々、初中校長、高中高長、小学校長になります。

5月24日

弭(ミ)さんと一緒に8時発の特急で北京に出かけた。彼女の友人である先生と北京西駅で待ち合わせて、それから車で「中国足ツボ研究所」へ着いた。僕は足ツボの試験を受けた。弭(ミ)さんと懇意の孟さんが僕の足つぼ試験の実地担当だった。それから、彼は僕に技術を指導してくれた。お陰さまで、僕は「卒業証書」をうることが出来た。

日本流にいうと、これはとても輝かしい出来事といえよう。

彼女(弭さん)は本当にこちらに知り合いが多い。彼女には感謝している。

私達は王府井大街付近の「松鶴大酒店」に宿をとった。

夜、彼女の友人の傳(fu)社長(38才の青年実業家)が僕達に夕飯をご馳走してくれた。

彼は鉄鋼関係の仕事を手広くやってるそうだ。

5月25日

特急列車で僕達は佻台市に戻った。往復料金は2等軟座・特快で100元、およそ1600日本円である。

いささかお疲れになりました。寮に帰ったらすぐ眠ってしまった。

5月26日

暝(ウ)先生に早速、報告しに行った。「貴女のお陰で「修了証書」をもらえました」と。

彼女もわが事のように喜んでくれた。

僕の腰・腎臓・膝・肩は余りよくない。そこで、彼女は特にその4ヶ所を按摩してくれた。

そして又、その方法を教えてくれた。毎日、3時間ほど、20元でしてくれるとのこと、これは「特別」である。彼女は弭(ミ)さんの親友なんだから・・・・

午後4時、乾さんが遊びにきた。彼女とは日漢~漢日の交換先生、つまり、お互い、教えっこをしている。

「今晩はワタシが晩御飯をおごるワ・・」と言う。 僕は言った「ダメダメ・・僕がおごるよ、日本では若い人は金は払わないことになってるんだ。よ」ところが彼女はこう言う。

「礼尚往来」受けた礼は必ず返さなければいけないと、だから、「私払います」と聞かない風だ、

僕は「日本でも、同じぐらいの年齢同士だったら、今度は僕が、ワタシがおごるは、なんてことよくあるけどね、だけど、あなたは若い、こう言ってはなんだけど、給料も少ない、ここは、僕に払わさせてもらう・・・」・・・ぼくと彼女は6時半に一緒に牛肉料理を食べに出かけた。

食事のとき、僕は彼女に訊いてみた。「金枝先生はメールをくれそうかどうか?」

彼女が言うには「彼のえE-mailは字が乱れていて、ワタシは意味がよく理解出来ないの、「じゃあ、僕が君に出す手紙は理解出来る?かい?」「ええ、とてもよく分るワ」

ぼくは何故だか、よく分らない。金枝先生が彼女にどんな方法で用件を伝えているのか

5月27日

日本語教室2班の生徒はやはりとても少ない。 今週から授業開始だけど。1班と2班を合同でして大体30名ぐらいだ。僕の授業は1週間に2回の予定だ。

夜、学校のパソコンがまたおかしくなったようだ。

6月10日

上海に住んでいる親戚が6月末で大阪に転勤だそうだ。

僕はファックスを使って部屋の予約を試みてみた。孟さんに下書きを書いてもらってだけど。

でも、暹(ビン)さんが今日は不在の為に結局はファックスは送れなかった。

6月11日

暹(ビン)さん.がファックスの手伝いをしてくれたついでに、5月分の僕の給料は出るのかどうかたづねてみた。

「14日(金)に出します。それでいいでしょうか?」「いいです、いいです」「ところで、6月はどうなんですか?」「勿論、出ますよ」「何時頃でしょう?」「20日だと思いますよ」

僕はいろいろと訊いて安心した。それ以降は日本円への両替の必要がないからだ。

給与規定など、とんと無頓着で、どのようになっているのかさっぱり分らずじまいだった。

4月に二回出て、6月に2回出る。日本と中国の給料の支払方法の違いが僕の中国語能力の不足の為よく理解出来なかったのだ。

コトバのよく通じない国で生活すると言うことは本当に苦労するものだ。  しかし、だからこそ、もっともっと、中国語の勉強をしなければと、思うのだ。

6月12日

学校の告示看板の文字が新しく変わった。

表題は”徳を持って世界の英才を育てよう” 他上手く出るかどうか、村上先生のメールをここに複写してみよう。以下・・・

六月十二日;学校里更換了新的告示牌,并且這有我和学生達一起拍的照片,表題是“以德為首,育世紀英才”。其它的新牌表題是“以人為本,創chuang4千秋qian1qiu1基楚ji1ye4?世界了解佻台,?佻台走向世界”“開放為学,創建特色”“河北佻台外国?学校(河北省佻台市第三中学)”等等。昨天発的?真回信(表題:会員予約房通知単)了,関于回国的事情都准備好了,ラン我放心了。六月十三日;我希望加印「我和英語老師達一起拍的照片(両針)」「我和学生達一起拍的照片」,?些照片対我成了很好的「佻台三中紀念」。怎??・・・?。
我経常去的超市里看到了一个告示牌,它?“如果?有什?意?或建?,?提出来。如果?有什?需求,?告?我?。我?将随???提供最周到的服?。”怪不得店?的服?很周到

上の訳・・・

僕はこの町のはずれにある一枚の看板をいつも眺めていた。こんな文字が書かれていた”

「もし、あなたが町に提案したいことがあったら、どうぞ出して下さい。」「もし、あなたがサービスして欲しいことがあれば、どうぞ、私達役場に申し出てきてください。」私達は出来る限りの努力をあなたの為にさせてもらいます」確かに、役人の仕事はシッカリしていると思う。
 
6月14日

又、孟さんの手を煩わすことになった。”ゴメンナサイ、手伝ってください・・・”

僕は生徒たちと、職員さん達と一緒に「佻台三中紀念」の写真を撮りたいと思う。

午後に、暹(ビン)さんを捜したけど彼女はいなかった。孟さんに聞いたら、石家庄に出張だそうである。忙しい人だ。

実は僕は財布の中にお金が5元しかない。だから、 両替にいかなければならないのだ。そのついでに写真館によって写真の焼きまわしをたのむつもりなのだ。何せ、カメラの調子が悪く、途中で動かなくなった。実は焼きまわしがきくかどうか非常に不安なところだ。これぞまさに「安物買いの銭失い」といえよう。

6月15日

今日は「端午の節句」だ。  中国の大詩人”屈原”を記念して旧暦の5月5日に毎年行われる。

この日は国民みな「粽子ちまき」を食べる習しだ。僕は孟さんと二人で学校が終わってから、街に出て、冷たい粥を食べた、ついでに夕食をたべながらおしゃべりをした。

その晩部屋に粽を一個持ってきてくれた。あじは日本ののに比べ柔らかく感じた。どちらかと言うと僕は日本のちまきよりこのほうが美味しかった。

6月16日 

夜、僕の日本語班の生徒たちが4名、部屋に遊びにきた。

彼女達はお別れ記念に、僕に贈り物を届けにきたのだ。要さんが言う”あたし達は期末試験のために授業が受けられなかった。” 記念のために僕達は写真を撮った。

実は、僕の授業はあと4回ほど残っているけど、期末試験があるので、僕の授業に出る生徒はきっと少ないと思う。

6月17日

授業に出てきた生徒は15人だった。これは、僕が思っていたよりは多い数だ。

僕の写真機(カメラ)はついに壊れた。写真館の人が僕に中古のカメラを見せた。僕はそれを100元で手にいれた。生徒たちは僕に僕一人の写真が欲しいと言うので、僕は20枚ほど、焼き回しを頼んだ。

6月18日

僕は本当にどうかしている。

又、部屋にカギを置き忘れたまま出てきたのだ。

暹さんか李さんがカギを持ってるので探したけど、残念なことに2人とも留守だった。暹さんは石家庄に出張してて、李さんの方は今日はお休みだそうだ。又、孟さんのSOSを頼むことになった。その結果、昼過ぎにこの事件は解決した。彼女が李さんに連絡をつけてくれて、彼女が来てくれたのだ。

午後からはテレビでサッカーの世界大会を観戦した。日本は惜しくも0対1でトルコに敗れた。

6月19日

彼、村上老師(日文先生)は6月26日分の日記を最後に帰国します。

この日19日は彼の部屋に昼から一年生の生徒と英語の男女の先生(デビッドさんとミス・フェイさん)そのうえ、三人の職員に合わせて15人が部屋で壮行会を開いてくれました。

手作りの餃子などもちより賑やかだったそうです。

2人の外人は27日に帰国するそうです。

20日には可愛い女生徒たちが部屋に押しかけてきて、いろいろ、自分達の青春の悩みや自分の将来などなどを語っています。麗さんは**医生に片思いだ、とか・・・

それに対して、我が老・(経験豊という意味で)村上先生は、いろいろ、微笑みながら、ときどき神妙な顔をしてみせたり、又、ときどきは、抱擁するが如く、やさしく、しみじみ、人生を語って聞かせます。

6月21日

僕のパソコンが昨夜からまたおかしくなった。インターネットが出来なくなった。

6月22日

紫金公園で郭先生が僕たちに写真を取ってくれた。

朝5時50分にここの市長さんが特別にきてくださり僕と一緒に写真を撮った。

郭建設局委員はぼくを市長に紹介してくれた。聞けば、ここには市長が4人いるそうだ。

6月23日

アシツボ先生との話だけど、「僕は来年、又ぜひここ佻台市 に来たいけど、僕のカミさんの同意がなければダメかもしれない。何と言っても、彼女はうちの財政を握っているのだから

・・帰ったら毎日、カミさんに按摩のサービスを続けよう。彼女へのご機嫌取りが成功したら、毎年、こちらに来ることができるかもしれない。

あしつぼ先生が言うには「アタシハ未だあなたに「お腹の按摩」を教えていない。貴方が国に帰ってから奥様へよくよく気にいられるような按摩をして来年も是非 佻台に来てください。

6月24日

日本に帰るまであと4日しかない。僕は孟さんに日本に帰る飛行機の予約の確認をお願いした。

29日上海経由、30日福島着を5月末に予約済の件について、

6月25日

いつものメンバー7人で食事に出掛けた、よく行く牛肉屋へ・・・

今日、5,6月の給料が出た。今日はぼくの奢りだ。

6月26日

暹さんに僕が予約した上海発福島行き(6月30日・午前9時40分)切符の再確認をお願いした。

村上朋友の中国・中学校の日本語先生体験記はとりあえず

ここで、前編?の終わりとなりました。

後編があるかどうかは

朋友の老婆的同意(日本語に訳すと、愛妻の許可)が出るかどうか?にかかっていそうです。

彼の一生懸命の奥様への按摩が通じるかどうか?楽しみです。僕が思うに、「腹部按摩」も習ってきてたら、効果があったのでは、と・・・・思ったりしますがゼンモヤン!(如何)・(感想文)大石さん、いろいろありがとうございました。

おかげさまで4ケ月の滞在が終わります、孤独感をあじあう

ひまもなく、過ごせたことを感謝いたします。

中国からの便は、これを最後と致します。

帰ったら、又中国語で交信いたしましょう。

「老中」をお元気で!             村上

(6月26日着の村上君からのメール)日本に帰った村上くんから便りが届きました。

9月10日

大石さん、今晩は!

一応、書いて見ましたが・・・・適当に編集してください、ご面倒かけます。
大連から沈陽は快速列車、長春までは寝台車、ハルピンまでは快速列車・・・車内では中国人との会話体験・・・楽しんで来ました。

シンタイ市第三中学を去る時、来年も又来て下さいと外交辞令をいただきましたが・・・招待状が来たら・・・又行こうと思ってます。

中国足部反射区協会副理事長と知合い懇意になったので、テキスト本を翻訳し、独習の手引きも添えて販売しようと模索してます。そして日本から北京で足部反射区按摩講習を受けるツアーを契約しようと思ってます。

平成16年には実現したいという新たな「目標」を設定しました。

按摩台を作り、毎日カミさんをもみ、毎年の中国長期滞在はOKを取り付けました。 

村上 

“目の輝き”を持ち続ける“老中”でありたい!

大石さんの活き活きした老中を見て、そして刺激され小生も“老中”を努力中です。

又定年後、「日本百名山」登山に挑戦している古市さん(柔道部)と意気投合、去年は鬼怒沼、今年は日光白根山に登り、運良く遠く南アルプス連峰を眺められました。

小生は中国からの引揚者なので、定年後は“中国との関わり”の中から「生きがい」を見つけたい・・・という思いを50才頃より思い続け、60才が「第二の人生のスタート」と定年に近づくのを楽しみにして来ました。

思いより1年遅れ平成12年3月末(満61才)で定年退職しました。早速日中友好協会の支部会員になり、中国友好都市からの研修員や在留中国人大学生などとの友好活動に参加するようになりました。

去年、6才まで過ごした河北省張家口市出身の宇都宮大学生と知合い、その人の世話で、運良く「日本語の先生」をしながら、4ケ月滞在のチャンスを得ることができ今年3月より6月まで河北省のシンタイ市「第三中学」に行って来ました。

市街地人口60万人(田舎町)のシンタイ市でさえも、「文明開化」の波は押し寄せていて、特に教育改革に全土が力を入れていることが日々のTVから感じ取れます。市内にはインターネットカフェが20ケ所も有るのに驚きました。

第三中学では、毎年半年(1月~6月)米国人と英国人の先生を招へいして英語教育に力をいれています。中高合わせて30人の英語の先生(中国人)がいます。私も最低半年と頼まれたのですが、4ケ月ならOKという条件をだしたら、たまたま運良く話がまとまりました。

又パソコン教育にも熱心で、200台のPCを使い生徒は週一の授業を受けています。

日本語を独学で勉強している先生が15人前後いたのには驚きました。  私の授業は課外授業(18:00-20:30)で自由参加・・・昼間はひまなので、毎朝太極拳と足部反射区按摩で過ごし、足部按摩は北京で試験を受け修了書をもらいました。

中国は「共産党」一党支配の国なので、校長先生は共産党の支部幹部だそうです。大きな企業集団の社長も皆共産党員だそうです。もちろん、一党支配の長短はありますが、今は「一気果敢」に「文明開化」を推進し、文明世界の仲間入りをし、数年後の「オリンピック」を成功させたい!! 一党支配が良い方向に作用していると見受けられます。 

又歴史教育にも熱心で特に「満州事変」と「第三次世界大戦」を忘れるな!と言って、中学生に教えています。歴史認識は日本と同じで人それぞれですが・・・・。

日本人の中には「中国人は信用出来ない」「約束を守らない」「不潔だ」・・・・・・だから「中国はキライ!」などなど批判する人を見受けますが・・・又日本人は「戦争好き」「侵略者」だなどという中国人を見ましたが・・・いずれにせよ、お互いごく一部しか知らずに「好き嫌いを」論ずるのはいかがかと思います。良い人もいれば悪い人もいるのが「世の中」・・・微力ながらお互いの誤解を説明して行きたい・・・平和維持のためにも・・・・という思いです。

村上久幸