海江田順三郎と日中友好協会

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

海江田順三郎と日中友好協会

講演・談話・スピーチ・インタビュー他

海江田順三郎氏と初めて会ったのは2002年春、天文館ぴらもーるの樋口カバンの角だった。

天文館地区アーケード街の共同イベントの最中、スタイルの社長に紹介されて鹿児島市日中友好協会に誘われた。

その年は中国と『国交正常化30年』の記念の年で海江田氏はあるイベントをもくろんでいて協力者が欲しかったらしい。ぼくはと言えば数年前から中国に興味を持ち始め自分と仲間でそんな組織を作りたいと思っていた。既に若い(と言っても5,60代の)仲間も10数名いた。

あるイベントとは、東京から偉い先生を招いて黎明館で講演会を企画していた。タイトルは『辛亥革命の志士黄興と西郷』中村義(東京学芸大学名誉教授)ぼくは仲間を誘って海江田氏の講演会の実行委員会を組織して全面協力した。

黄興が長沙市の生まれで、長沙市と鹿児島市がこの年、友好都市盟約20年記念の年と言うことも、黄興が西郷隆盛を尊敬し、周りの日本、中国の仲間たちからも「中国の西郷」と言われていたことも初めて知った。

海江田順三郎氏もその時70代初め、ぼくも還暦を過ぎたばかりの頃の話です。・・・・から20数年が過ぎ県日中、交易部、女性委員会、と組織を拡げ、大きな二つの碑も建立し。海江田順三郎の名前は鹿児島で日中問題に関してはマスコミ第一の存在になった。

この辺で氏と協会活動を振り返ってみたいと思いました。言うまでもなくそれは、ぼくにとっての20年のボランティア活動の軌跡でもあります。

大石