2012KICS主催『国際交流探訪』下見ツアー

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

さる9月3日(月)、今年の12月2日(日)に開催する、恒例の国際交流1日バス旅行の下見をする為、ボランティア団体の皆さんと、長島町を巡ってまいりました。

晩夏というのか、秋晴れというか絶好の行楽陽気に恵まれ、東シナ海を遠望しながらの1日マイクロバスの研修ツアーでした。

はるか先で日中が小さな小島をめぐって争っているのがウソのような鏡のような東の海でした。

長島町の受入れ担当者の方々とのミーティングを終え、まず向かった先は古墳群です。

当日、皆を古墳に連れて行くか、どうかの下見と言うより、下見ツアーの面々の個人的な興味の方が強かったのかな、とそう思うことでした。

案内した方長島町の社会教育課長 山崎友喜さんがこの道{考古学)の研究家とかで説明が上手く、古墳が昔の人のお墓と言うことぐらいしか知らなかった自分なので、この際、いろいろ身近で学ぼうと、その気で聞きました。

デジカメで動画を撮りましたのでここにその一部を紹介します。

動画の中で説明しておられる方が山崎さんです。

その後、山崎さんにはたびたびメールを戴き、自分でも、ネットをあさりながら、ますます古墳の魅力のはまっています。

山崎さんとのメールのやりとりで少しは古墳{時代も含め)の事がわかりました。今年は古事記から1300年目とかで本屋さんに行くと関係書籍がズラリと並んでいてブームの感があります。

歴史問題も隣国との争いではなく、もっとロマンを追求するものであって欲しいものですね。

「鬼塚古墳と複式石室・羨道についての考証」

               説明者:山崎友喜様  受講者 :大石慶二

2012年12月2日(日)に行われるKICS主催の国際交流探訪の(コース設定の為の)下見に他のボランティアメンバーと一緒に『長島町周遊』をしてまいりました。

長島町はさる7月22日に留学生の諸君と「地引網体験ツアー」と「バーベキュー大会」に行って来たところです。

12月2日の国際交流探訪は市民と在鹿外国人が一緒に史跡巡りをしながら鹿児島への理解とお互いの交流を深める、という主旨がありますので下見ツアーも島田ソロプチミストさんを中心に熱が入ります。

予定としている主なプログラムは当日に予定している●ジャガイモ堀り体験 ●漁業体験 ●その他、黒の瀬戸海峡の観潮、針尾公園からの眺望●昼食{試食}・・・・・をチェックすることでした。

島田さんの方からミーティングの際、「古墳群を見てみたい」史跡巡りとしては長島の群集墳は見ごたえがあると思います。のひとことで全員まず,蚊に気をつけながら古墳見学になりました。

鬼塚古墳1号墳と2号墳を見学しました。

鬼塚古墳は小浜崎古墳群のひとつで長島の西北部、東シナ海に細く突きでた丘陵に点在する3つの古墳群の1つです。

6世紀の中頃から後半へかけて多く作られた横穴式石室をもつ高塚古墳です。

羨道を持つ複式石室の構造は、北九州、畿内タイプの要素が強く、本県唯一のものである。

鬼塚古墳2号墳は竪穴式で複式の箱型石棺を有します。

案内して下さったのは、歴史、とりわけ古墳(考古学)が専門という長島町教育委員会社会教育課の山崎友喜課長さんです。

得意分野と言うこともあって熱がこもっていました。短い時間でしたが話に引き込まされてしまいました。地元のしかも、専門の方の話は面白く、帰ってからネットで調べまくりました。

お陰で、日本の古墳時代の位置づけから前後の時代(弥生時代、ヤマト政権が中心の飛鳥時代)まで復習する羽目になりました。そして、当時の中国の歴史(北魏から隋の誕生時代)まで幅広く手をつけてしまいました。

北方謙三の『史記』シリーズを愛読中と言うこともあって、今回の下見ツアーはぼくにとって格好の日中の歴史探訪の機会でもありました。

●山崎様からのお返事

役場のインターネットでは,動画は見れません。

事前テェックはしなくて良いと思いますのでUPしてください。

ところで,考古学では遺跡などの名称は地名(多くは小字の名称) で命名します。

古墳があるところは「鬼塚」というところが多く,鬼塚古墳はたくさんあるようです。

私が先日ご案内したところは,「小浜崎古墳群」のうちのひとつで,「鬼塚古墳」です。

長島町には「獅子島鬼塚古墳」というのもあります。

グーグルで「鬼塚古墳」を見たら,県外も含めたくさん出てきてしまいました。

「長島町小浜崎古墳群」でいかがでしょうか。 ではよろしく。

●山崎様からの第2報

職員のスマートフォンでフェイスブックを拝見しました。

文章で,羨道をもつ,複式石室の構造は本県唯一というところ,本県唯一が間違いです。

本県唯一を削除していただければよろしいかと思います。唯一ではありません。

ありがとうございます。   よろしくお願いします。       

山崎様へ

了解しました。以下のURLに書いてありましたので、そこから引用しました。

http://www.pref.kagoshima.jp/ba08/kyoiku-bunka/bunkazai/bunka/documents/5898_20120229150211-1.pdf

fasebookを見て戴いて有難うございました。

留学生たちが結構見てくれます。本県唯一を削除します。

話は戻りますが、河口先生の娘さん(と言っても60代後半)のご主人が協会の会計監事でして、存命中は荒田の家にもお邪魔しました。

100歳まで独りで自炊しておられました。  大石

●山崎様からのお返事

大石様のご指摘のとおり,本当に,そのように書いてありますね。

この文章を書いた人は,発掘報告書を読んで書いています。

その証拠に,鬼塚古墳の発掘よりだいぶ遅れて発掘された「楽平古墳」を小浜崎古墳の

ひとつとして記載していません。

実は,私は皆様に,羨道の部分に後年再埋葬が行われたと考えられることを説明しました。

これを,発掘者は羨道というより前室を持つ複室の横穴式石室ととする考え方が妥当としました。

よって,羨道をもつ複式石室の構造はではなく,前室をもつ複式石室の構造は本県唯一としたのです。

これには,実は異論もあります。

この羨道を前室と見るか,たまたま羨道を死者を埋葬する場所として利用しただけであって,

築造者の企画は複室ではないと見るか。

これを複室と考えるか,複室とは見ないか,そこに研究者の意見の相違があると思います。

複室と見れば「本県唯一」は正しいことになります。

複室のような利用になってしまっているが,複室とはいえないと考えれば,言い過ぎになります。

「唯一」とかいう表現は,力強く,お国自慢的には言いたい表現ですが,

「唯一」とか「○○一番」とかの表現は,私としては,慎重にしたいところです。

細かな話にお付き合いいただき恐縮です。

山崎様:

なる程ですね。道を室と見るか、羨道(通路)と見なすかの違いですね。

確かに『唯一のもの』『第一号である』などの表現は、他と差別する効め言葉としてはとても有効な表現だと思います。

実はわたしもこの言葉に惹かれ引用してしまいました。

古墳も面白いですね。3%の世界と言われた言葉にも惹かれました。

その後、横穴式古墳と竪穴式古墳についても惹かれました。立てに代わるのなら分かりますが、同時期に横並びの存在するのは何故のなのか?   とても気になります。

わたしとしては竪穴式のあとに横穴式の時代が来るのが普通と思いますが。

以下、おもしろい説明文をネットから得て更に興味を持ちました。また何時か説明・解釈を聞きたいものです。

羨門の閉塞石を取り除いたり、扉をはずせば、外部より出入り可能な状態となり、実際、1つの横穴式石室で何度も埋葬がおこなわれる追葬の事例は数多く確認されている。なかには10体ちかい人骨が出土することもあり[5]、しばしば「家族墓」と称されるゆえんである[8]