野村アサコの長沙日記2006秋

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

プロフィール

2006年9月から長沙市の科技日語学院にて日本語教師をすることになりました。

女性では新原さんから4代目になります。

1970年生まれの?歳。東京の桜美林大学文学部中国文学科を卒業しました。 現在は生まれ故郷の鹿児島で働いています(生協コープ) 中国語検定4級取得。書道2級。

・学生時代に東北・「長春」にしばらく滞在したことがあります。

短い教師体験ですが中国・湖南に興味があります。体験談をみてください。


2006/09/01
あした出発。

9月から派遣になる野村朝子です。明日、1時の飛行機で上海に、夜には長沙に着く予定です。楽しみですが、上海での乗換えがちょっと不安だ。
実は、さっきキャリーバッグ買って、荷造りしました。


2006・9.02
神様、ありがとう。

昨日、荷造りした、というのは、それまで全然、準備をしてなかった、という意味ではなく、一旦、大きなスポーツバッグに入れてはみたものの、重たくて持ち上がらず、慌ててキャリーバッグを買ってきて詰めなおした、という意味なのよ
・・・。
上海空港に3時前に現地時間で2時前にたどり着きました。で、ここからバスで虹橋空港に移動しないといけません。旅行会社で渡された資料に、「チケット売り場で切符を買ってから、乗る。」とあったので、早速、「虹橋航空に行きたいんですけど・・・」(←思いっきり日本語)と言ったら、「バス? 6番」と言われた・・・あれ?ここで切符買うんじゃないの? 

と思いつつ、6番のゲートを出ると、確かに虹橋空港行きのバスが待ってる。おそるおそる乗ってみたら、車掌に「はい、座って、はい、30元」さっさと私から50元札を取って、20元お釣りをくれました・・
・大変仕事の速い、有能な女車掌だ・・・

で、虹橋空港から、長沙行きに乗った訳ですが、何か・・・着くまでは安心できなかった。どうも、乗換えを間違えたのではないかと、嫌な考えが頭から離れなくて・・・着いてから「長沙」の文字を見たときは、神様有難うと思いました(^^;)
で、範先生ご夫妻と感動の初対面となるわけですが、その話はまた次に。


2006/09/03
日曜日

写真が無いのは、私がデジカメを持ってないからです。昨日、やっとの思いで長沙にたどり着いて、劉先生に、「野村先生ですか?」と声をかけられた時は、本当にほっとしました。それから範先生の車に乗って、範先生、劉先生ご夫妻のお家へ。晩御飯は機内食を食べたので、果物をご馳走になりました。私は飛行機に乗ったいる内からずっと、頭痛が止まらなかったので(頭痛持ちなのです)、この日はシャワーを浴びてすぐ、休ませていただきました。

で、3日は日曜日で当然、学校はお休み。劉先生から、教科書をわたされました。「みんなの日本語」と、「ビジネスマナー」の本です。そう、今回、私はビジネスマナーを12月に卒業する生徒さん達に教えるのです...専門家でもないのに。一日中、本とにらめっこしてました。


2006/09/04
最初の日

学校は、朝8時から。家を出るのは7時15分。だから起きるのは6時過ぎ。寝るのが早いので、そんなに大変ではありません。日本ではもう7時だし。

行く途中でパン屋さんに寄ってパンを買い、着いてから教務室で食べる習慣のようです。それにしても...交通マナーの...言っちゃあ何だが、わーるいことと言ったらもう、住民全員でカーチェイスしてるみたいな。どうして...どうして事故らないんだろう...後ろにも目が4つ位付いてるとしか思えません。

で、今日は、3,4コマ目(10時~11時40分)に、会話の授業でした。とは言っても、私は教師の経験が無いので、その前に、もう一人のボランティアの、大竹先生の授業を見学しました。やっぱり、上手いです。いよいよ、0602というクラスに行って、授業を始めましたが、すっかり舞い上がってしまって、自分が何を言ってるのかもよく分かりませんでした。とにかく、生徒達に文を読ませたり、問題をやらせたりするばかりで、さぞ、つまらない授業だったと思います。今年の春に入学したばかり、ということですが、皆で一斉に読む時は非常にすらすらと奇麗に読んでいるように聞こえますが、一人ずつ聞いてみるとそうでもなかったり...どの位の理解力なのか、どういう風に、どのくらい説明すれば良いのか、全く掴めませんでした。


2006/09/04
ビジネスマナー

今日は、ビジネスマナーを教える日でした。...って...ビジネスマナー? どう見ても日本人が日本の新入社員向けに書いた本を持ってきて、これが教科書だという。「劉先生ー、日本でもこんなの専門家が教えるものですよー」「そうですねー、でも野村先生、日本人ですから」いや、まぁ、そうなんですが。で、教えたのですが、どうも、昨日よりぎこちない。生徒達はかなり日本語を聞き取れるようですが、さすがにこれは難しいらしく、ポカンとしている。第一、教える本人がビジネスマナーの何たるかをよく分かってない。う~ん。


2006/09/13
ビジネスマナー

今日の0601のビジネスマナーは、特に出席率が悪い。私が悪いのだろうが、ちょっと失礼じゃないかとも思う。自分ではゆっくり話したつもりだったが、終わってから生徒に「もっとゆっくり話してください」と言われた。劉先生から、今度2級を受ける生徒だから、日本語がかなり出来る様なことを言われていたので、つい、早くなっていたようだ。日本語が出来る、といっても、読み書きだけで、会話となるとさっぱりだ。ビジネスマナーは「読むだけじゃなくて、色々、例を出してください」と言われるのだが、どう見ても読むしかない所が多い。マナーの専門家なら出来るのかもしれないが、私にはどうして良いか思いつかない。


2006/09/14
ハイキング

0601の会話の授業で、「ハイキング」という言葉が出てきた時、生徒の一人が「先生、ハイキングに行った事がありますか?」と聞くので、霧島連山の話をしたら、これは面白そうに聞いてくれた。「皆さんはハイキングに行った事がありますか?」と聞いたら、近くにいい山があると言う。「行ってみたいですねー、山が好きなんです」と言うと、「先生、週末に一緒に行きましょう」ということになった。

どう考えても生徒が気を遣ってそういう方向に話を持っていってくれた、としか思えないが、嬉しいので、有難くお受けすることに。ホウさんという生徒に「どうして日本では長いこと天皇に権力が無くて、幕府が強かったんですか?」と聞かれ、慌てる。高校の時勉強しなかったツケがこんな所に^^; ネットで調べて説明したら、喜んでくれた。

午後も来てくれ、と言うので、行ったら質問攻めに遭う。「皇室に男の子が産まれて嬉しいですか?」「小泉首相のことどう思いますか?」「靖国神社と他の神社の違いは?」「日本人は皆、選挙権があるって本当ですか?」ってまあー次から次に。「先生は靖国神社に参拝したことがありますか?」と聞くので、無い、と答えたら、「どうしてですか?」と不思議そうな顔をされた。いや...日本人みんな参拝してると思ってんの?

「先生も選挙権がありますか?」ある、と答えたら、おぉ~と、なんか凄く偉い人を見るような目で見られてしまった。

午後も教室に来てくれ、というので行ったら質問攻めに遭う


2006/09/16
岳麓山

まるで近くの丘にハイキング、みたいな言い方だったので、気軽に行ったら、岳麓書院で有名な岳麓山でびっくり。大竹先生と、範先生の姪御さんの行さんも入れて、11人で出発。バスで登ることも出来ますが、我々は歩いて行く事にしました。

韓国人の観光客が次々とバスで登って行くのを見ながら、休み休み行きました。生徒たちが息を切らしながら歩く前を、颯爽と歩く大竹先生(60代)...ちょっと問題。頂上には『鳥語園』という、色々珍しい鳥を集めて、ショーなども見せる所がありました。岳麓寺にも行きました。南国風の美しい寺です。しかし、受付は無愛想。岳麓書院の前も通りましたが、ここはまた日を改めて...ということに。

行さんが通ったという、中南大学にも行く。門を入ると左右を生徒達の寮がずらり。とにかく広い。先生方の寮は綺麗だ。ここでジャスミンティーを買って、一休み。一口飲んで危うく噴出しそうになる。...なんと砂糖入りだったのよ。すごく不味い。生徒達がある年配の女性を指差して、「先生、あのお婆ちゃん、足が」と言うので、見たら、纏足でした。杖をついて、一生懸命歩いてました。


2006/09/19
美容院

劉先生と美容院へ。近所の美容院に行くのかと思ったら、タクシーに乗ったのでびっくり。すぐに降りて大きな店に入る。入るとすぐ何人かの店員に笑顔で「いらっしゃませ」と挨拶されてまたびっくり。いや...ここに来て初めてにこやかな店員さんというものを見ました。私は洗髪だけ。力を入れてゆっくり洗ってくれました。

マッサージを兼ねていたようです。店員に何か言われるたびに劉先生に助けを求める私...ちょっと情けない。「中国の飴です」と「水をもっと要りますか?」だけ聞き取れた。そう、コーヒーとかではなく、水と飴が出たんです。


2006/09/23
典君はパフォーマー

私はテレビ画面を長く見ると、目が痛くなるため、あまりテレビは見ないのだが、『暗夜心慌慌』というドラマがちょっと気に入っている。オカルト探偵者...なのかな?時代設定がちょっと分からない。雰囲気は日本で言うと昭和初期みたいな。

典君とお菓子を食べながら少し話す。典君はしょっちゅう動いている。まだ十歳の男の子だから当たり前かもしれないが、典君の場合、動きのひとつひとつが全部パフォーマンスになっていて見ていて飽きない。お見せできないのが残念だ。典君は会うたびに日本語が上手くなる。やばい。追い抜かれる。典君は他に、韓国語や、英語も日常会話程度なら出来るそうだ。一体・・・どういう学校に通ってるの、君は。


2006/09/26
花火大会

花火大会に行きました。授業中に急に生徒達に誘われたので、カメラを用意できなかった。なんか各国の企業が集まって、展覧会をしているらしい。学校の周りを夜歩くのは初めて。古い町並みはライトアップされて、幻想的だ。湘江の岸辺も様々な色のライトで照らされている。・・・ちょっとけばい。

7時から始まると聞いていたが、実際に始まったのは8時半。みんな喜んで歓声をあげながら観ているが、日本人から見ればまあまあ。途中で合流した生徒も合わせて11人でビールを飲みに行った。中国人の飲み会はとても賑やか。なんか言い合い(?)が始まったかと思うと突然「かんぱ~い」何回も乾杯をする。「先生、騒がしいでしょう、中国人は酒を飲むと、いつもこうです」

遅くなったので、テイさんの寮に泊まることに。見た目より中はずっと広い。4人で使っているそうだ。パジャマを貸してもらい、新しい歯ブラシまでもらった・・・すみません。テイさんと一緒のベットで寝た。


2006/09/28
両替

「大きな古時計」の歌詞を調べて、ホウさんに教えたら、すごく喜んでくれた。私も嬉しい。テイさんが薔薇茶を分けてくれた。味は無いが、美容に良い、とのこと。それは是非飲まなければなりません。午後、ハンさんと、大竹先生と3人で中国銀行に両替に行った。このメンバーで旅行に行くためだ。中国の銀行は5時半まで開いてる上、土日も営業している。羨ましい。


2006/09/29
黄色のお守り

中国では10月1日が国慶節(建国記念日)だが、一週間ぐらい休みを取る会社が多いそう。日本のゴールデンウィークですね。生徒達に「日本は建国記念日は一日しか休みません」と言ったら驚いていた。明日から、4泊5日で、私と大竹先生とハンさんで同じ湖南省の張家界市に行きます。聞くと、「水墨画のようなところ」だそうで、とても楽しみ。

山なので、セーターを買おうと思ったら時間が無かった。困ったなーと思っていたら、劉先生がセーターを貸してくださった。それと、雲南省の民芸品だという、黒い石の飾りをプレゼントされた。黄色い房が付いていて、良い香りがする。黄色は好きな色なので嬉しい。これをお守りに旅行へ行こう。にしても、この間から借りたり、貰ってばかり・・・


2006/09/30
張家界1日目

7:15にハンさんが迎えに来た。タクシーで長沙駅へ。うどん屋で大竹先生を待つ。大竹先生が遅いので、ハンさんが様子を見に外へ出ると、遠くから大竹先生が歩いてきた。タクシーで来たら、別のうどん屋の前で降ろされたそう。バスに乗り、出発を待っていると、近くで花火が上がった。

ハンさんによると、中国では何にでも花火や爆竹をします、とのこと。そういえば、花火、爆竹の専門店が多い。朝の花火も綺麗だ。20人ぐらい乗り、8:35出発。川を渡り、高速道路に入る。料金所を過ぎたとたんに田舎の風景になった。眼鏡を掛けないで見ていると、日本の高速の風景に似ている。お菓子を食べながら楽しく話していたが、途中から大竹先生とハンさんは眠ってしまった。

私は車窓の景色を見るのが好きなので、ずっと起きていた。12時、あるレストランでお昼。私は美味しいと思ったが、ハンさんは「まあまあ」。外でみかんを売っていた。大竹先生はみかんを、私は八朔のようなものを1個買った。買ってる間に、他の人は皆、バスに乗ってしまったので焦ったが、ハンさんは「大丈夫よー」と平気だ。実際、誰も怒ってない。2時ごろ、小さいホテルに着いた。

私たち以外の人達はここに泊まるそうだ。我々のガイドさんとここで落ち合う。背の低い男の人だった。挨拶をしてから、ホテルに荷物を預けてから再びバスに乗り、黄龍洞という鍾乳洞へ。広くて立派な洞だが、悲しいことに照明が下手。変な赤だの青のライトで所々だけ照らして、全体がよく見えない。もったいない。ミャオ族の衣装を着た女の子が1時間半かけて案内してくれる。

夕食は素敵なレストラン。料理も素晴らしい。なるほど、ここに比べたら、昼のところは「まあまあ」以下だ。8:30から少数民族のショーがあるというので、行く。150元。歌や踊りや手品やアクロバットなど、完全にプロの手でショーアップされた内容。もっと素朴な、伝統的な踊りとかを見せるのかと思っていたのでびっくり。

ショーは11時に終わった。

我々の泊まるホテルは4つ星だが、パジャマが無い。今年4月にオープンしたばかりなのに、所々ひびが。網戸はぴったり閉まらない。見事な欠陥住宅だ。


2006/10/01
張家界2日目

7:00朝食(バイキング。美味しかった)。7:30出発。今日は山登り。何しろゴールデンウィークだから物凄い人出。チケットはカード式。2日間有効。入る時指紋を取られるのだが(!)、無言で人様の手を掴み、無造作に取る。

犯罪者気分が味わえる。バスでエレベーター乗り場へ。韓国人ツアー客がたくさん。なので、看板もハングル文字が書いてある。ハンさんが、「あれも韓国人、あの人も韓国人」と言い切るので、「なんで? 日本人かも知れないよ」と聞くと、「韓国人は化粧が濃いからすぐ分かります」って・・・言われてよく観察してみると・・・確かに。

こちらに来て思うのは中国人は男も女も肌が綺麗。そのせいかファンデーションを少ししかつけない。学生は日本の学生みたいな化粧はしない。何もしなくても肌がつるつるのぴかぴかだ。ハンさんも綺麗に化粧しているのかと思ったら、近くで見るとすっぴんである。羨ましい。br

話がそれた。室外のもので世界一高い、という(ギネスに載ってるらしい)エレベーターが4機。韓国人観光客のために作ったとか。これで頂上に行く。ぎゅうぎゅう詰めで乗る。外がよく見える上に早いので、目をつぶっている人が結構いた。頂上に着いたら・・・本当に水墨画の中にいた。いや、もう、素晴らしい。

いくら遠いからとはいえ、どうしてここに日本人が来ないのか不思議だ。展望台をまわる。どこも素晴らしいのだが、人で一杯で、思うように写真が撮れない。下りは1時間掛けて歩いた。膝が笑う。大竹先生は平気そうだ。私は筋肉痛になった。

夕食はホテルで。酢豚はあまり好きではないのだが、この日食べた酢豚はとても美味しかった。初めて羊の串焼きを食べた。これも、すごく美味しい。どうも、中国に来てから大食いになった。デザートは巨峰とミニトマト。日本ではありえない組み合わせ。ハンさんに、日本ではミニトマトは野菜扱いだと言ったら驚いていた。


2006/10/02
張家界3日目、そして鳳凰。

10:00出発。2時間ほど森林公園を歩く。中国で最初の国立公園。当たり前だが、空気がとても美味しい。長沙は空気が汚いので、この機会にたくさん吸っておく。途中の土産物屋で、ハンさんが民族衣装を着た女の子の人形を4体、買った。

1体28元を7元に値切って・・・最初にまけてくれと言ったとき、店員は「10元」と言ったが、ハンさんは「7元」と言って譲らない。一度店を離れてから、振り返って「7元!」又、店に戻ってやり取りした挙句、とうとう、7元にしてしまった。高笑いをしながら歩くハンさん。すごいなー・・・

ロープウェー乗り場に着いたら、物凄い人、人、人・・・1時間半、並んだ。後ろに並んだ女の子達が私たちの日本語を面白そうに聞いている。皆、アイスを食べながら待っているのだが、これが「とうもろこしアイス」とか「枝豆アイス」とか変なのばっかり。もっとも、小豆アイスを喜んで食べる日本人も他人のことは言えないが。水墨画の中をロープウェーで上るのは、面白いが、ちょっと怖い。

着いてすぐ、レストランに入った。バイキングだが、どれも見るからに不味そう。で、食べてみると、やっぱり、不味い。ゼリーは味が無い。他の二人は元気に歩いているが、私は筋肉痛がひどく、展望台を少し、周るだけにする。ロープウェーで戻る。待っていたワゴン車で駅へ。これから、鳳凰という街へ行く。ガイドさんと別れ、みかんとキウイを買い、駅に入る。入る時、空港と同じような手荷物検査がある。

入ったら入ったで、どこがどうなっているのか分からない。ハンさんがいなかったら、お手上げだ。指定席の車両だが、通路にも人が一杯。禁煙なのに、タバコを吸っている人がいる。車掌も注意しない。br

2時間かかって、7:40、吉首駅に到着。降りるとき、大竹先生がぶつかった男の子2人組が話しかけてきた。自分達も鳳凰に行くのだが、バスに乗せてくれないか、という。駅で会った新しいガイドさんに話すと、承知してくれた。

旅館も紹介しようか、というと、それは入らないと言う。2人は武漢大学の生徒で、インターネットカフェなどに泊まりながら、旅行をしていると言う。ワゴン車で2時間、農村部を走った。急に幻想的な雰囲気の街が目に入った。鳳凰だ。学生達と別れ、小さい、しかし小奇麗な旅館に着いた。川沿いに、こういうお洒落な旅館がずらりと並んでいる。綺麗だが、石鹸も何も置いてない。

石鹸は5元で買わなければならなかった。シャワーとトイレは当然、一緒。ベランダからの景色は本当に美しい。少し休んで、夕食に出かける。11時近かったので、少し食べよう、と野菜炒め2皿と、なまずの料理を1皿だけ。あと、ビール。大竹先生はビール無いと落ち着かないらしい。初めてなまずを食べたが、美味しいものだ。

中学か高校生ぐらいの男の子が入ってきて、店の片隅に座り、二胡を弾き始めた。初めて生で聴いたが、綺麗な音色だ。一曲弾き終えると、我々のテーブルに来て、3曲で10元だという。大竹先生が喜んですぐに10元渡した。この子は上手な上に、二胡を弾くのがとても好きな様子だった。1曲終えるごとに拍手をしたら、恥ずかしそうに笑っていた。拍手をされたのがよほど嬉しかったらしく、1曲おまけしてくれた。br

ここでは、紙で作った船を川に流し、願い事をするのだという。せっかくだから、ひとつ流すか、と川へ行ったら、そこらじゅうでその船を売っている。3,4歳くらいの子供までが船を持って、値段を言いながらまとわりついてくる。

3人で大きいのを一つ買って流すことにした。2元だ。買った後も子供がついてくる。「もう、買ったの」と追いやって、やっと静かなところで船を水の上に置いた・・・ら、流れない。その場で燃え続けている。さっきいたいけな女の子を邪険にした罰か。私たちは笑いながら、船をむりやり、押しやって、流した。


2006/10/03
鳳凰2日目

筋肉痛の上に風邪を引いてしまって辛い。日本から持ってきた薬を飲むが治らない。旅館は3階建て。私とハンさんは一階のツイン。大竹先生は3階のダブル!
とても見晴らしがいい。br

朝、女の子の歌声で目が覚める。何事と外を見ると、歌を歌う女の子と、太鼓を叩く女の子が待機していて、お客を乗せた船が前を通るたび、歌と踊りを披露するのだ。なかなかサービスが良いが、まだ朝の6時だ。大竹先生の部屋のベランダに出た。

広い川、アヒルの群れ、水車、踊る女の子、川沿いに並ぶ風情のあるこじんまりした建物を見ながら飲むコーヒーは美味しくて気持ちが良い。荷物をお上の部屋で預かってもらい、うどん屋に行った。中国のうどんは油が浮いている。しばらく街の中を歩く。「鳳凰古城」の名のとおりの古い街並みで、異世界を歩いているようだ。

ミャオ族の衣装を着た人がいっぱいいるなーと思ったら、衣装を貸して、写真を撮る商売があるのだ。そこら中で観光客が写真を撮っている。私も少し心を動かされたが、勇気が出ない。もし、ハンさんが着たい、と言ったら、一緒に着たかもしれないが、ハンさんは興味がなさそうだった。ハンさんは鳳凰は2度目だそうだから、前に着たことがあるのかもしれない。

本物のミャオ族のおばあちゃん達がいたので、大竹先生が写真を撮ってもいいか聞いたら、「2元」と言われた。それを聞いてソッコーで止める大竹先生・・・
船に乗った。船頭さんがミャオ族の民謡を歌う。ハンさんも歌う(何故知ってる?)。いい気分でいたら、川の中で草冠(?)を売る小さい女の子2人組がいた。5,6歳くらいか。川の中をざぶざぶと歩いてきて(浅い川なのです)、か細い声で冠を買ってと船にまとわりついてくる。

船は結構な速さだが、負けずに付いて来る。せっかくいい気分だったのに、だいなしになった。ハンさんが言うには、この街は有名になる前はとても貧乏だった、これでも大分良くなった、とのこと。街に戻り、買い物。絵葉書と、巾着袋。ここの名物は「姜糖(生姜飴)」。あちらこちらで、飴をグニョ~と伸ばす実演販売をしている。

買おうとしたら、ガイドさんが、もっと「ちゃんとした店」に連れて行ってあげます、と言う。行ってみると、そこはガラス張りの部屋の中で飴を作る過程を見せていた(他の店は道端で作っていた)。試食したら美味しかったので、教務室の皆のお土産とする。昼食を取った店でも二胡弾きが現れたが、昨日とは別の今度は中年男性だ。この街には楽器を奏でて稼ぐ人が多いようだ。

しかし、今日の人はいきなりテーブルにやってきてちょっと図々しい感じがした。しかも要らないと言ってるのにとてもしつこい。昨日の子はちゃんと腕前を披露してから売り込みに来た。営業が下手だぞ。

荷物を取りに旅館へ戻る。大竹先生が「回家(ただいま)!」と言ったら、女将が笑顔で出迎えてくれた。その愛想のいい女将にトイレを貸してもらい(すみません)、落ち着いたところで鳳凰とお別れだ。吉首駅でガイドさんと別れる。列車の時間まではまだ時間があるから、コーヒーを飲もうと言うことになった。

「ガイドさんもコーヒーに誘えばよかったのに」と大竹先生が言うと、ハンさんは「いいの。あんまりいい子じゃない」と言った。・・・私たちは気づかなかったが、どうやら色々あったらしい。今回の旅ではハンさんに本当に世話になった。コインロッカーは無い。その辺の土産物屋にお金をだして預けるのだ。

善良そうな顔の店主を選び、しっかり荷物の数の確認をしてから「名典珈琲」という喫茶店へ。いかにも高級そうな店。中は広くて、椅子はソファーで、適度な照明で、ピアノを弾いて聴かせる。2階もある。落ち着きすぎて居座ってしまいそうだ。中国全土にチェーン店があるそうだ。トイレに行ったら、上海空港のトイレの次にきれいだった。

珈琲のほかに、サンドイッチとフライドポテトを頼んだら、大皿にてんこ盛りのポテトが出てきて焦った。3人でも食べきれず。珈琲にミルクがついてないので頼もうとしたら、別料金だと言うので、やめてしまった。私も大分ケチになってきた。

時間一杯までねばり、駅へ。待合室で待つのだが、ホームへの扉が開くと、皆我先にとホームになだれ込む。指定席の我々は急ぐ必要は無いはずだが・・・大竹先生がそう言ってもハンさんは聞かない。人を押しのけていくのが当たり前になってるのか? 寝台車は3段ベッドの上に、3人別々の所だった。予約が遅かったからかもしれない。消灯時間ぎりぎりまで私のベッドでおしゃべりした。10時半消灯。


2006/10/04
お帰り。

列車は朝7時長沙駅到着。ハンさんがくれた薬が効いたらしく、風邪が治っていた。駅にはハンさんのお父さんが迎えに来てくださった。

範、劉先生の家に着いて、やっとホッとした。3段ベッドの狭い寝台車はなんだか落ち着けず、私は昨夜ほとんど眠れなかったのだ。お土産に吉首駅の近くで買ったキウイのお菓子を渡した。キウイのドライフルーツのようなものだ。私は美味しいと思ったが、どうだろうか。

あとは一日、旅行の後片付けをしたり、本を読んだりして、ゆっくり過ごした。


2006/10/05
今日もゆっくり・・・

しようと思ってたら、典君に鬼ごっこにつき合わされる。この辺には子供が遊びまわれるようなところは無く、家の中の鬼ごっこは結構危ない・・・。夕方、テイさんに「国慶節中、暇なとき電話してください」と言われていたのを思い出し、電話してみる。

テイさんのお姉さんは中学校の先生で、今、テイさんはお姉さんの家で国慶節を過ごしていると言う。先生、遊びに来ますか?と言うので、行きたい、と答えたのだが、そのあと、待ち合わせの相談が上手くいかない。仕方ないので、劉先生に電話を代わってもらった。で、明日、範先生も大竹先生と学校で待ち合わせているから、ついでに私も車に乗せてもらい、テイさんと9時に学校で会うことになった。


2006/10/06
ん?

範先生は、大竹先生と釣りに行く予定だったが、大竹先生は風邪を引いて行けなくなったとのこと。・・・移したかな・・・。範先生は一人で釣りに行くついでに私を学校まで送ってくださった。学校の正門前でテイさんと会い、9番のバスに乗る。途中で乗換えがあった。今度は小さくて汚いバスだ。

とにかく人が多い。そして皆、ギフト用の箱に入った月餅を持っている。聞くと今日は中秋の名月で、中国では家族で月餅を食べるのだと言う。ということは私は家族の団欒を邪魔しに行くという事? と気づいてももう遅い。

バスが着いた。やれやれ、と思ったら、今度はバイクに乗っていくのだと言う。バイクのタクシーだ。大竹先生から話は聞いていたが、使うのは初めてだ。というか、バイクに乗ること自体、初めてだ。運転手の後ろに私、私の後ろにテイさんが乗り、勢いよく走り出した。

すぐに田園風景のところに入り、あぜ道のようなところを走る。面白いが少し怖い。すぐ着くのかと思ったら、20分ぐらい走った。運転手に掴まる手がだるくなってもう駄目だ、と思ったころ、到着した。すごい田舎で周りに何も無い。後で分かったことだが、この運転手は道を良く知らなかったらしい。

テイさんのお姉さんの勤める学校は、こんな田舎にあるとは思えないほど立派。お姉さんの息子は4歳。「老師好(先生こんにちは)」と挨拶してくれた。可愛い子だ。今日は、この学校に投資をしている人がわざわざ台湾から来る、ということで、皆その準備をしていた。近所の人が、何が始まるのかと大勢集まって見ている。黒い車が到着すると、爆竹が鳴らされ、音楽と拍手で迎えた。

投資家のご夫妻を学校まで案内すると、見ていた近所の人までぞろぞろと付いて来た。この投資家のお父さんがこの学校を作り、息子もその後を引き継いで、お金を出し続けているそうだ。

テイさんとお茶を飲んだり話したりして、じゃ、そろそろお暇を・・・と腰を浮かしたら、テイさんが不思議そうな顔をする。「先生、帰るんですか?」「・・・? はい、帰ります」何故そんな顔をするのかと思っていたら「・・・先生はここに泊まります」などと言う。「・・・ちょっと待て、文法がおかしいよ」どうやら、昨日、劉先生に電話を代わってもらった時に、何か連絡の行き違いがあったようだ。

明日、テイさんは寮に戻るので、そのとき一緒に帰りましょう、と言う。そんな訳で、何の準備もして来ないまま、泊まることに。

夜、お姉さんの旦那が帰ってらした。旦那はまだ30代だが、この中学校の校長。「お世話になります」と挨拶したら、「中国人は賑やかなのが好きです、ゆっくりしていってください」とのお言葉。食事のとき、テイさんは汗をかきながら一生懸命、通訳してくれました・・・私が中国語ほとんど話せないから・・・ごめんねー


2006/10/07
ウルトラマン

テイさんの甥っ子(4歳)は朝から元気。友達と一緒に先ずは漢字のDVDを見ます。・・・いや、正確にはお母さんが見せるのですが。そうか、日本なら、ひらがなカタカナのDVDを見せるところだが、中国の場合は4歳でも漢字なのよね。

・・・当たり前なんですが、結構、難しい漢字も出てくるので、ちょっとビックリ。最初のうちは大人しく見ていた2人だが、途中で、ウルトラマンのDVDに代えてしまった。「かえってきたウルトラマン」・・・結構古い。「かええてきたぞ、かええてきたぞー、ウータアマーン!」と日本語で主題歌を一緒に歌う二人・・・さすが子供は覚えるのが早い。羨ましい。

朝から雨が降っている。「先生、雨だから、バイクで行けません。明日、帰りましょう」って・・・ちょっと待てー!

・・・と言うわけで、もう一晩お世話になることに。

夜は近所の人が集まって、麻雀が始まった。うるさいので、私とテイさんは、テイさんと仲がいい体育教師の部屋へ。中国では、家が近くとか、何か事情が無い限りは、学校敷地内にある寮に住む。だから学校の敷地が広い広い。既婚者も独身も同じ3LDK。体育教師は独身だが、やはり3LDKは広すぎるらしく、使ってない部屋もあった。スラムダンクのでっかいポスターが貼ってあって何だかほほえましい感じでしたよ・・・


2006/10/09
けんたっきー

昼、思い切って、一人で学校近くのスーパーに行ってみる。空いてる時間で、客より店員のほうが多い。ちょっと立ち止まって日焼け止めクリームを見てたら、すぐに店員が寄ってきて、何か話しかけてきた。どうも、落ち着いて買い物が出来ない。そんなに大きい店ではないのに・・・

夜は、たまには「快餐」(ファストフード)でも・・ということで、ハンさん、劉先生と一緒にケ○タッキーへ。北京ダックがありました! しかもこの間、歓迎会をしたレストランのより美味しい・・・皆さん、中国で北京ダック食べたくなったら、ケン○ッキーですよ。

店の前には、カー○ルおじさんではなく、お婆さんの乞食がいた。歩道橋では、赤ちゃんを抱いた女性の乞食を見た。日本では、まずありえない光景だ。


2006/10/10

張家界の写真が出来たので、0502の生徒に見せた。日本で撮った桜の写真が混ざっていて、そっちのほうがウケてしまった。このクラスは、今日から面接の練習。恥ずかしいからだろうが、お辞儀がぎこちない。
「最近、関心のあることは何ですか?」

「12月の1級試験です」

いや、「関心がある」って、そーゆー意味じゃなくって。

ハンさんが張家界で1体28元の人形を7元に値切った話をしたら、物凄く驚ろかれた。「私なら、10元て言われたら、喜んで買います」って。ハンさん、中国人の中でもしたたか者の部類に入ること


2006/10/15
クレヨン

○ちゃんのDVDを典君と見る。その後鬼ごっこをして、五目並べをした・・・子供は元気だね。