* 九江4月の花木 ……2007/04/01…
宝桐は大樹、樹高30メートルぐらいになる。したがって、花が咲き誇るこの時期、遠方からでもよく見える。枝ぶりが桜に似ており、あたかも、日本の桜のように見える。九江の田舎にゆくと、まず、この花が目に止まる。それほど目立つ樹木である。近くで観察すると、花形は百合に似ている。香りもほんのりと百合を嗅ぐようだ。
桜は九江にもあちこちで見られる。歴史が古いものでは、第一七一解放軍病院の敷地内。これは樹齢65年を経ている。樹木もかなり大木となっている。実は、この桜、日本人が植えたものである。第一七一解放軍病院の前身は、旧日本陸軍病院であった。このとき、日本人の誰かが植えたもの。この桜、時代の移りをじっと眺めてきた桜である。
その他、人が集まる甘棠湖の周辺に多く見られる。これは、中国人が植えたものだろう。樹齢2、30年のものである。
九江学院にも昨年ごろから、キャンパス内にいろいろの桜を植樹し、今年は早くも、小ぶりながらも花を咲かせた。白の一重、ピンクの八重など。
日本語科学生たちの多くは、桜が日本の国を代表する花だと知っているが、実際に見たことがないので桜を知らない学生が多い。つとめて「これが桜です」と実物教育をしているこのごろである。
写真左:遠方から見た宝桐。
写真中:学院内に咲いた桜。樹齢は若いがはや立派な花をつけた。
写真右:宝桐花の接写。百合に似ており、香りも百合そっくり。木は家具材・建材となる。
* 九江4月の樹木 ……2007/04/01…
楡の木、クスの木が一斉に若葉を吹く。いずれも、黄緑の若葉が美しい。温かみのあるほのかな香りも癒し系。
楡は11月に葉を全部落とし、この時期若葉を出す。冬太陽光を道路に当て、夏は濃い緑となって街路に木陰を作る。
クスは常緑だが、この時期、若葉が出るだけ古葉が落ちる。公害に強く、空気清浄に役立つ。江西省は植樹達成率が中国で一番高いそうである。そのためか、九江市も樹木が多い。
写真左:若芽を噴く楡
写真中:新緑のクス
写真右:道路に散れるクスの落ち葉。清掃員は日に何回も箒で掃き、落ち葉を処分している。この落ち葉、私にとっては絶好の堆肥の原料。
* 九江の四月の花ー追加 ……2007/04/06…
四月の花―追加
藤:中国でも藤棚に藤を這わせて楽しむ。今が見ごろ。日本より少し早いのかなと思う。
アジサイもどき花:白の額アジサイに似ている花木を見つけたのでカメラに収める。花の名前は現在のところ不明。図鑑でもないと分からない。葉もアジサイに似ているので、きっとアジサイの仲間には違いない。
* 次男基宣来九 ……2007/04/13…
基宣来九
次男池田基宣日ごろ、一度親父の働き振りを見てみたいと、1007年4月9日、関空―上海経由で南昌に着く。あいにく、到着時間帯は夜間授業があったので、迎えに出ることができなくて、国際交流課のオスカー氏に車を出してもらった。キャンパスに到着したのは深夜11時すぎ。
10日は九江学院のキャンパスを案内し、午後と夜間授業に出てもらい、生徒たちに挨拶してもらう。日本語を学ぶ学生なので、日本語で挨拶しても大丈夫。皆は拍手で歓迎してくれた。
11日は、市内を案内し、67年前の住居跡とか、父が勤務していた旧同仁会病院、幼少時に通った日本人学校跡、市街、揚子江などを見てまわった。経験のため、昼食はあえて中国人が日ごろ食するレベルの食にした。一食3.5元の牛面(日本の牛丼みたいなもの)。スープに歯が立たないような硬い牛肉と韮が浮いているもの。麺の量は多くて、二人とも食べ残した。お世辞にも美味しいとはいえないが、腹を満たすには何とかなる。中国の学生、労働者、一般階級の人はこの程度の食事であることを体験する。九江にきて廬山を観ないともぐりといわれるほどだが、今回は時間の都合でできなかった。九江教会を見学し、20時発、夜行寝台バスで上海に向かった。
12日は、一日上海見物をし、13日正午過ぎの便で関空へ帰った。
写真左:基宣を迎える
写真中:市内中学校の教師呂栄嬢の招待で食事をする
右端は呂さん。基宣はシャッター押しでここには入っていない。
* 九江日常生活 ……2007/04/24…
買い物など
入浴。宿舎にシャワー施設がある。夏場はいいが、冬は満足しない。電熱でお湯を出す仕掛けだが、60度ほどになるので、冷水と混ぜて適温にし、シャワーを浴びるのだが、湯船にどっぷりつかる習慣の自分にはどうも、物足りない。からだごと、十分温まり、冷えた空気に触れても湯冷めしない程度でないと、湯に入ったという感じがしない。そこで、何とか 日本式の浴槽風呂はないものかと探した挙句、見つかったのが、サウナ付の温泉。この温泉、電熱か石炭で沸かした湯を浴槽に張っている。でも、11月から翌年3月までで、後は休業。利用者がいないのだろう。入浴料はサウナ込みで15元。あかすりも別料金で常連の三助が威勢よく流してくれる。これは、別に10元。そのほか、望めばマッサージも別料金でやってくれる。こんな銭湯もあるので、まあまあ満足している。
散髪。何回か通ううちに、行きやすい店が見つかる。学内にも理髪店はあるが、あまりにも、事務的で面白くない。つい、親切にしてくれる店に足が運ぶ。中国は、散髪いくら、ほか洗髪、髭剃、洗顔と細かく料金が分かれており、料金によってかける手間も違う。ちなみに、散髪と洗髪込みで5元(日本円75円)。こんなに安くて商売になるのかな~。
生鮮食料品。いたるところに、野菜市場やスーパーがあり、品も豊富である。なかでも、1年中途切れなくある野菜が、トマト、ナス、大根、ジャガイモ、セロリなど。肉は豚が主流で、尻尾の先からつま先まで、耳や鼻まで捨てるところなく、店頭に並ぶ。ほか、牛、羊、ウサギ肉がある。日本人が好まないものに犬、かえる、蛇。魚類では鯉やフナを主として、川鱒、淡水貝、また、新鮮度の落ちた海洋物。イカ、たちうを、海藻類。とにかく何でもある。日本にないキノコ類がまた楽しい。市場のオバサンも顔見知りになり、今日はキノコが安いよ、とかナスはどうね。と聞き取れないが、ジェスチャーとあわせて判解?する。
米。中国の米は長くて白っぽく、炊いたご飯はポロポロで硬いと思っていたかが、さにあらず。日本米とまったく同じものがある。歯ごたえも、日本でいただく白米ご飯と変わらず、粘り気、風味とも同じ。聞けば、中国北東部の産だという。中国に来てタイ米風の米を覚悟していただけに、日本風の白米を探し出したときはとてもうれしかった。この米は、間違いなく、ジャポニカ種で、60数年前、中国北東部の旧満州と呼ばれていた場所で、日本人が栽培していたものがそのまま継承されたものである。いやはや、この白米が手に入るということは予定外の喜びである。
スーパーでの買い物。日本と変わらず、すべてパック詰めになっており、レジで計算して持ち帰るシステム。だが、手提げなどは持ち込めない。持っていると、ロッカーに入れるようにガードマンに指示される。ロッカーは日本のそれと同じであるが、収納したあと、戸を閉めるとそのままロックされる。出すときは1元投入すると開くようになっている。だが、1元はまた手元にもどってくるしくみ。
燃料。ここ九江では、台所用はボンベガス。10キロ詰めが約90元。燃料は他の物価に対して割高である。部屋の照明器具、暖房は電力。中国の規格は22ボルト。
金融機関。銀行は通常日は勿論、土曜、日曜日も営業している。送金や預貯金の出し入れも便利である。それにしても、行員の勤務体制はどうなっているのだろう。交代制かな?
写真左:生鮮品を扱う大衆市場
写真中:横断歩道。昨年までは、信号機もなく、車、人が押し合いへいし合いの状態だったが、今は信号機がついて、だいぶ安全に渡れるようになった。でも、たまに歩行者が信号無視をしてドライバを困らせてることもある。
写真右:道端で孫の守をする老人。
* 時にはインターナショナル交流 ……2007/04/28…
時にはインターナショナル交流も
外国人教師が住む棟では時々誕生祝などの招待がある。そんなときは、手作りの一品を携え遠慮なく招待に応じるようにしている。招いてくれた人も、そんなに大仰にではなく、手作りパーテイである。集まる人は中国人、アメリカ、カナダ、オーストラリア、オランダ、インドとそれに日本。言語は英語。それぞれの作法で、立食形式。ちょっとしたしぐさにも、それぞれのお国柄がでて、楽しい。たとえば、大皿から、自分の小皿に食べ物を移すとき、日本人は箸を裏返して、口をつけた部分を避けるようにする。中国人他は直接口に運んだ部分で盛るなどである。
写真左中:各国出身の教師たちがカナダ系中国人宅の誕生会に集まり立食談話している。
写真右:昨年植えたバラが勢いを増し開花した。バラは1年に4回咲いてくれるのでとても楽しめる。落ち葉をうんと敷きこんで土作りをしたので、バラもそれに応えてくれた。
* 中国のゴールデンウィーク ……2007/04/28…
中国のゴールデンウィーク
明日5月1日から7日まで1週間の労働節(メーデー)休暇が始まる。とは言っても、5月4日(金)分を4月28日(土)に、5月7日(月)分を29日(日)に振り替え授業することによる連休である。正式には5月1日(火)から3日(木)までが公休ということ。くどいようだが、4日は28日にメイクアップ。5日、6日は土日で通常の休み、7日は4月30日のメイクアップで休み。ということで、1日から7日まで連休ということになる。メイクアップすることにより、1週間の連休を人為的に作るという仕組み。日本もまねたらいいと思う。
この間、交通機関、ホテルなど観光事業関連施設は人だかりとなる。こんな人の洪水を避けるためには、宿舎でゴロゴロ過ごすのが一番いい。
遠方からの学生で、故郷へ帰らず学校に残る生徒の相手をすることにしよう。なにせ、内モンゴルとか、ハルピンとか、海南島とか気の遠くなるような地域からの学生もいるので、たとえ1週間の連休でも、往復の汽車の旅が70時間もかかる。旅費と時間を考えるととても帰る気になれないらしい。
この時期、中国人のゴールデンウィークの過ごし方も、日本のそれと変わらない。経済的に余裕がある人は家族旅行を試みる。海外組みもだんだん多くなってきたらしい。13億の人口である。交通機関もホテルも大忙し。
このように何処へ行っても人の洪水に悩むよりは自宅で日ごろ出来なかったこおとをするのにちょうどいい。感謝して、宿舎で過ごすことにする。
写真:悠久中国の落日。九江学園の宿舎より撮影。九江の空はいつもどんより霞んでいて、こんな風景はそうめったに見られない。
写真右:つつじ。日本ほど品種は多くない。色もいまいちかな。
* 5月の樹木と花:九江その2 ……2007/05/01…
5月の樹木と花と鶯の写真集
鶯は山野のあまり人がいない場所で鳴いている。
写真左:楡.九江の通りにはほぼこの木が植えられている。
写真中と右:樹齢約2800年の東林寺の大楠
* 5月の樹木と花:九江その1 ……2007/05/01…
5月の樹木と花と鶯
九江の街路樹は楡が主体。ニレはほのかな香りを放つ。葉は黄緑から緑に変わり、木陰は太陽の光をさえぎり、人々の憩いの場となる。机を持ち出してマージャンやトランプに興ずる人が見られる。
学院キャンパスの樟(クス)の若葉も濃い緑に変わる。街路に植えられたクスは形よく成長し、祭りで売られる綿菓子をひっくり返したような形をしている。公害木としても有用な樹木である。わが鹿児島県にはあちこちにの神社の境内に大樹となってその歴史を語るあの樟である。
栴檀。センダンは若芽が成長し梢の先端に薄紫の花をつけている。九江では畑の一角に生えている。きっと、夏、農作業のとき、その木陰で一服するために植えられたのだろう。実は秋になると小鳥の貴重な餌と成る。この栴檀、わが鹿児島では、学校の校庭に植えられて、なじみの樹木となっている。成長が早く、冬は日を通し、夏は木陰を作るので重宝がられている。
花はバラの季節。野に行けば野バラがあり、楽しい。わが宿舎の一角にも、昨年植えたバラがきれいな花を咲かせた。落ち葉を敷き込み、丹精こめた労作へのご褒美と思う。
野いちご。授業のない日によく、郊外へ散歩する。道端に、野いちごが何種類もある。小鳥たちも喜んで食べることだろう。我輩もつまみ食いを楽しむ。甘酸っぱくて野性味のある味がなんともいえない。童心に返った想い。
蕨とり。ワラビは貴重な山菜である。九江学院のすぐ近くの原にたくさんある。雨上がりには、かわいい帽子を被った子供のように、あちこちに芽をだして、おいでおいでをしている。しかし、九江の人は蕨が美味しい食べ物であることを知らないらしい。学生たちに見せても、「これ、何ですか?」である。まして、食べたことなどない。味噌汁の具にして食べてもらうと「おいしい」(ハウチー)と言葉が返ってくる。竹の子と蕨の混ぜご飯など昔懐かしい食べ物である。
鶯。蕨とりにいったとき、鶯の鳴き声を聞いてとても懐かしかった。鹿児島では毎年この時期鶯の声はおなじみであるが、九江でも聞けるとは感慨ひとしお。鶯はホーホケキョ、ケキョ・ケキョ・ケキョと鳴くのだとばかり思っていたら、九江の鶯はホーチェツキョ・・・・・時間をおいて、またホーチッェキョと聞こえる。思わず、「もう少し景気よく歌ってよ」と言った。鶯の鳴き声は日本のほうが威勢がいいと思う。
写真左:道端に咲いた野いちごの花
写真中:学園キャンパスのノバラ。このようなバラは山野を歩くといたるところに見られる。
写真右:木陰で遊ぶ九江の老人たち
* 連休は汗流し ……2007/05/04…
九江のゴールデンウィークはもっぱら畑の手入れで汗を流す。鍬もたたないほどの赤土の粘土の硬い塊。昨年から落ち葉の堆肥をうんと鋤き込んでおいた。赤土、堆肥、砂を三分の一の割合で混ぜておくと、理想的な土になる。昨年から準備していた堆肥は程よく腐食していた。砂は、川砂が一番だが、運ぶのが大変なので、工事あとの残った砂をもらうことに。でも、砂は圧倒的に足りない。朝晩の散歩や授業の帰りにコンクリート道の端に吹き寄せられた砂を集めては菜園に運ぶことにしている。これもいい運動である。
この土だと1年目はほとんど肥料要らず。病気にも罹りにくく、野菜や花がとてもよくできる。いつも、取に立ての野菜が美味しい。ねぎなども、植えてある。必要なだけづつ採って味噌汁に入れると、香りが引き立って食欲をます。
作業をしていると、階下のインド人の子供が手伝いにくる。「グランパ アイ ウィル ワーク」といって棒切れで土をほぐす。ほとんど邪魔になるぐらいなんだけど、本人のやる気を尊重し「サンキュウ」ということにする。大人の作業をまねるなんて、この子、末はどえらい女史になるぞ。
写真左:畑の改良作業に精出す筆者
写真中:「手伝う」といって畑で精出すインドの少女
写真右:一見パンジーに見えるけど、実はパンジーではありません。散歩のとき道端で撮ったもの。名前が分かりません。
* 苦学生物語 ……2007/05/07…
日本語夜間学生で、現在九江第3中学校で教鞭をとっている呂栄という名の女性教師がいる。この教師、江西師範大学を卒業し、昨年9月から同中学に奉職したのだが、見るからに明るく、語り口もはきはきして、いかにも教師の風格がにじみ出ている。学校では「女王」というあだ名がついているとのこと。アネゴ気分の彼女にはうってつけのあだ名かもしれない。
彼女と知り合ったのは昨年(2006年)10月。彼女は九江学院が募集した夜間の日本語コースに応募し、ともに学ぶようになった。その成長はすさまじく、正課の日本語科の生徒が舌をまくほどである。彼女は大の日本びいきで、いつか日本へ行きたい夢をもっている。最近では、週に3日は住まいに尋ねては、われわれが知らない中国の食べ物を届けたりしてくれる繊細な心の持ち主でもある。
私用で、日本に帰らなければならなくなったときも、交通機関に勤める友人を介して安い飛行機のチケットを手配してくれるなど、有益な援助を惜しまない貴重な存在となった。
彼女と付き合うなかで、彼女の身の上を知るにつけ、ほとほと感心することがあったので特に紹介したい。
彼女は当年23歳。江西省西北部の萍郷市(ピンシャン)の出身で、家族は母子3人である。父は現地の炭鉱事故で、彼女が3歳に満たないときに死亡し、写真以外に父親の面影がないという。以後、母親の力で二人の子供を養育し、進学させたそうである。彼女は高校・大学の時にはアルバイトをしながら、自分の学費を稼ぎ出したそうである。「感心だね」と褒めると、「母親の苦労を見るにつけ、すこしでも苦労を和らげてやりたかったので。」とさらりと言う。なんとも、親思いというか、奥ゆかしいというか、彼女の顔がいま大学に行っている私の孫の顔に似ていることもあり、かわいくて仕方がない。
彼女は大学時代に観光ガイドの資格も取り、夏、冬、労働節、国慶節の連休にいはガイドのしごともしており、この方が結構いい収入になるそうだ。今回のメーデー連休も5日間で3000元を稼ぎ出したといっていた。彼女の本職の3ケ月分の給料に匹敵する。中国では、教師もアルバイトしていいのかなあ?彼女は、瀋陽大学で学んでいる弟に毎月600元の生活費の仕送りをしていると聞けば、家内ともども、ますます感心するほかはない。
こんな彼女に巡り会えたのも、なにかの縁であろう。彼女のために、なにかしてあげたいと思う今日この頃である。
写真左:ロエイ(呂栄)教師
写真中:彼女が勤める九江第3中学校
写真右:沙河教会へ行ったとき(呂栄)右端
* 春の叙勲に与る(2) ……2007/05/17…
と き:平成19年5月10日
授与場所:東京国立劇場
拝謁場所:皇居豊明殿
写真説明
左:国立劇場受付所付近
中:伝達式を待つ
右:文部副大臣より代表者に伝達のあと、受付番号順に賞状と勲章を受ける
* 春の叙勲に与る(1) ……2007/05/17…
このたび、身に余る叙勲の栄に与り、5月10日九江から東京へ出向いた。
とき:平成19年5月10日
場所:国立劇場
拝謁:皇居
写真左:勲章(瑞宝章双光章)
写真中:伝達状文面
日本国天皇は池田公榮に瑞宝双光章を授与する
皇居において璽をおさせる
平成19年4月29日
内閣総理大臣 安倍晋三
第11936646号
とある。
写真右:皇居豊明殿の拝謁の様子。(この写真は宮内省からいただいた皇室写真集から転写したもの
* 蘇州を旅する ……2007/05/17…
5月12日、卒業生、呉越さんの招きに応じ、蘇州へ立ち寄る。ここは上海から列車で約40分西へ位置するところ。交通の便もよく、列車、バスいずれも15分おきに出ている。
今日の蘇州は外国企業が多く入り、活況を呈している。人口も爆発的に増えている地区である。
また、蘇州は水の都といわれ、いたるところに運河を擁し、昔の面影を残している。中国観光のメッカのひとつ。すれ違う観光団体からは日本語、韓国語、英語、フランス語、スペイン語が聞かれ、にぎやかなものである。
蘇州観光地は工業団地や高層住宅地とは完全に隔離されており、そのスポットに入ってしまえば、悠久の中国へタイムスリップしてしまう。
写真左:緑豊かな虎丘公園
写真中:ふるい工芸品も目を楽しませてくれる
写真右:呉越さんが友人の車を借り上げ、蘇州市内を回ってくれた。エンジ色の男性は運転手。
* 6月の花 ……2007/06/01…
九江の6月
九江の6月は、花木の種類は少ないが、玉蘭とキョウチクトウ 、ザクロ、ネムの木の季節である。玉蘭は香りよく、純白の清楚な花である。キョウチクトウは白とピンクがあり、湖畔や街路を華やかにする。日本の田舎ではキョウチクトウの葉っぱが家畜に有害なので好まれないが、花木の少ない夏の花としては貴重。ざくろは日本でもおなじみの果樹であるが、中国ではよく庭先や街路に植えている。そして、最後はネムの木。昼間は葉っぱが開いているが夕方になると葉が合わさって眠っているように見えることからネムの木と呼ばれる。ある通りは、このメムの木が植えられ、薄紫の花が咲いている。
九江には、花は咲かないが、葉っぱそのものが芳香性のある楡の木がいっぱい。あちこちにこの楡が植えられており、初夏の道路を緑のトンネルにしてくれるばかりか、ほんのりとした香りがとても気分をよくしてくれる。
日本は沖縄と奄美大島がすでに入梅宣言をしているが、九江はまだ。あと1週間か2週間後には降り出すであろう。江南の気候は九州南部の気候と重なるみたい。ときに、外国にいる気がしなくて、ふるさとの九州にいる気分いなるのはきっと気候が似ているからであろうと思う。
鉢物は店頭に多く売られており、金盞花、マリーゴールド、サルビアの類が花好きな家に鉢ごと置かれているのは心和む。中国も折々の花を飾る心の余裕が出来たためだろう。
写真左から玉蘭、キョウチクトウ、ざくろの花
九江高田友好会会長來九 ……2007/06/03…
九江高田友好会の樫根会長が派遣講師の件で來九された。中講師が健康を害され、急遽日本へ帰国のやむなきに至った。同師を派遣した側の大和高田友好会の会長としては責任を感じてわざわざ九江大学を訪れられた。学院側にはその誠意が十分伝わったものと思量される。樫根会長さん。ご苦労様でした。
写真、樫根会長さんを挟んで、国際交流課の黄主任、学園経営者の王会長、九江高田会の初代交流に関与された先生と熟年留学の木村さんの皆さんと日本語コーナー「静」の部屋で。
写真右:この時期花壇を彩る紫陽花
* 九江よりラブコール ……2007/06/05…
九江市からの企業誘致情報
今回は九江市が日本向けに企画している企業誘致の情報をお届けします。
Ⅰ、九江市の地理および社会資源紹介
(1)位置・気候 東経113.35‘~118.29‘ 北緯24。29度~30.05度。江西省北部の長江港湾を包む港街。南部2時間のところに省都南昌市、東北部に湖北省都武漢市、北に安徽省、東に浙江省・福建省の一部、西に湖南省長沙市などと高速道路で結ばれています。気候温暖で年間平均気温16℃~20℃。年間降雨量1300~1900ミリ。
(2)交通 九江市は江西省北部の長江港湾を持つ華南地方の交通の要衝であります。港湾は5千トン級の船舶が使用可能。そのまま上海へ出られ、ここより世界各地へ航行できます。また鉄道輸送は北京―広州・上海~九江・武漢~九江などあります。高速道路もよく整備され、南京・上海・武漢・長沙・北京までもいともたやすく往来できます。九江市は、船・鉄道・高速道の通過地点です。人口は現在63万人だが近年中に100万都市に生まれ変わるべく、社会的インフラが級ピッチで進んでいます。
(3)産業 九江市には世界自然遺産の廬山があります。また、中国一大きなポーヤンフーはん(番+こざと)陽湖があり、淡水を利用した稲作や漁業、真珠養殖などが盛んです 。農産物は1年をとおして豊富であり、種類も多い。また、日本のスズキ自動車やタングステン鋼などの生産工場があります。地下資源として、ここにしかない希土類に含まれる高価な金属があり、これらの精錬は魅力的なものになるでしょう。また、九江市は石材生産で有名です。建築外壁材、道路財敷材、公園等据置ベンチの一次加工、注文彫刻など多様な技術を提供できます。
(4)必要エネルギー・水資源の確保 工業用エネルギーと水資源は豊富に確保されており、需要に対して十分に応じられます。
Ⅱ、日本の企業来九大歓迎
(1)、土地 企業立ち上げに必要な十分な土地の提供を保障します。
(2)、許認可手続きの簡便化とスピードアップ 九江市は、日本企業が九江市を拠点に生産活動を始める際、許認可の諸手続きの簡素化を応援し、速やかに企業立ち上げが出来るよう便宜を図ります。
Ⅲ、問い合わせ先
ご不明な点は下記へご遠慮なくお問い合わせください。
九江市外事僑務弁公室 于紅(うこう)
江西省九江市十里大道225号
Tel: (86)792-822-7911
Fax:(86)792-822-7100
Mail:fao-jj@hotmail.com
skype account: smile_uko
写真左:九江市長虹通り
写真中:長江大橋。上部は高速道下部は鉄道。
写真右:11月の廬山遠景
日之韻祭 ……2007/06/13…
日之韻祭
九江学院外国語科日本語学科では毎年この時期「日之韻祭」と称して、日本の歌曲や舞踊、料理などの実演や展示をする行事がある。
今年は料理を主とした企画になったらしく、係りの代表者が相談に来た。材料は自分たちで準備するから何か料理を作ってくれいないかとの家内への相談。家内も友好のためならと気持ちよく引き受けてくれる。
そこで、メニューの相談から始まる、巻寿司、散らし寿司、稲荷寿司と寿司類に焦点が絞られた。巻き寿司の海苔は日本から持参したものを提供。寿司の具や稲荷の三角揚げはすべて現地調達することに。
そのほか、振りかけおにぎり、コロッケ、和風サラダ、豆腐の味噌汁を添えることになった。味噌も日本からの持参品提供。
以上で計画がまとまり、いよいよ実施。展示会場は屋外でテントを張ってすることになるので、あとは好天を願うばかりだ。
さて、いよいよ展示会開催の日となる。
期日:2007年5月15日午前9時から正午まで。
場所:学園内第3食堂前広場。
当日は降らず照らずの絶好の行事日和であった。朝早く、係りの学生が上記に必要な食材を調達し持参する。小生も授業のない日だったので、手伝うことにした。開会の9時までに間に合わせないといけない。前日準備できるものは前日にし、手際よく作業する。9時、ピッタシに間に合う。学生たちが出来上がった料理をテントに運び、料理名をパネルに書いて展示する。宣伝が行き届いていて授業の合間に、他学科の学生たちがどっと詰めかける。
チラシ寿司を少しずつ試食するコーナーも設け、大人気だ。教官たちも来る。教官たちには、稲荷、コロッケ、味噌汁の試食を振舞う。
正午となり、あわただしい、行事も終わり、係りの学生たちは追加のチラシと、味噌汁で昼食をとる。かくて、料理展示コーナーは盛会のうちにおわった。
後日、「先生、私たちは見るだけで、食べられなかった。」という日本語科の学生たちのために、毎週定例の日本語コーナーの時間に一緒に食べましょうということでチラシを準備した。これ後日談。
以上、食文化の交流は一番印象に残ることのひとつではないだろうか。
写真左:展示コーナーの係りの学生たちと
写真中:展示された料理の一部
写真右:試食の振るまいを手伝う池田公榮
* 起業者向け九江情報 ……2007/06/13…
本文は九江市の許可を受けて私池田公榮が本ブログに掲載するものです。中国の簡体字が日本のパソコンで処理できないところもあり、読みづらいと思いますが、要点のみは日本語で書いていますのでご判読ください。
九江市 池田公榮 2007・6・13
江西省日系企業投資誘致説明会における挨拶
九江経済技術開発区、輸出加工区管理委員会主任 李光栄
春が訪れ、万物がよみがえる季節に、本日、たくさんのご臨席の日本の友人をお迎えすることができて大変光栄に思います。この機会をお借りして、皆様方に九江経済開発区と九江輸出加工区についてご紹介させていただきます。
本市は江西省(略称:贛)の北部に位置し、長江、京九鉄道、鄱ハン陽湖(中国一の淡水湖)の合流点にあります。2200年余りの歴史を持った有名な都市です。九江は、昔からも商業繁栄の町として知られ、「三大米市」、「四大茶市」、「五口通商」の1つと呼ばれています。市域総面積は1.88万k㎡、総人口は450万人です。一類対外開放の港湾都市で、長江沿岸の開放都市です。
九江と日本との友好往来は悠久な歴史を持っています。唐、宋の時代にも、日本の高僧が盧山の東林寺へ仏教文化の研修に訪れました。近代にも、九江で投資、商売をした日本の商人が少なくありません。中国の改革開放政策以来、戦略的な眼識のある多くの実業家も九江の恵まれた独特な地理的位置と資源に関心をよせ、九江へ視察、投資に訪れました。
九江で投資発展する最も良い場所は九江経済開発区です。九江開発区は、1992年に設立され、九江の市街地にあります。江西省で初めての重点開発区のひとつです。面積は120 k㎡です。九江開発区は設立して14年以来、大開放による大工業発展促進の戦略を実施し、「輸出加工区」、「自動車工業団地」、「ハイテク工業団地」、「長江沿線産業地帯」などの八つの専門区域を建設しました。300社以上の企業が相次いで九江開発区に進出しました。スズキ株式会社と中国昌河集団が共同出資する九江昌河鈴木会社は、開発区に進出した企業の一つです。現在、年間10万台の「リアナ」という乗用車と15万台のスズキエンジンの生産能力に達し、江西省のナンバーワンの乗用車生産基地になり、九江昌河鈴は江西省が重点的に支持する自動車企業にもなっています。
重点として九江輸出加工区についてご紹介いたします。九江輸出加工区は、九江開発区内にあり、2005年6月中央政府の認可を得て新規増設された全国18の輸出加工区の一つで、今まで江西省の唯一の国家級輸出加工区です。面積は2.81 k㎡、初期の開発面積は、0.987 k㎡、区内のインフラが完備され、区外の生活、服務など付帯施設が機能しています。輸出加工区は、中国の多くの投資区の中でもっとも優遇政策に恵まれた区域です。中央政府の「輸出入免税」、「加工区進入税金還付」、「原料輸入保税」などの優遇政策があります。九江輸出加工区では、電子情報、精密機械製造及び新型材料産業を重点として発展させます。電子情報産業では、電子計算機、電子オーデオ、ソフトウエア、マイクロ・エレクトロニクスなど、精密機械製造産業では、製造技術の進んだ設備、自動車部品、機電一体化とする機械設備など、新型材料産業では、新型電子材料、有機高分子材料及び製品、複合材料を最優先に発展させます。ほかに地方特徴に合うような輸出向けの服装と食品工業を発展させます。九江輸出加工区は、2005年9月に設立して以来、もっとも早いスピードで建設を進めており、今月の末頃、国の検査を受けて運営に入ります。九江輸出加工区は中国中部地区に少ない輸出加工区として、中国輸出加工区の中で良好な優位を持っています。
港湾と交通位置の優位性。
九江輸出加工区に臨んでいる九江港は、中国の一類対外開放の港です。年中5,000トン級の船舶が入港できます、水路を通じて100以上の国につながります。年間貨物の取り扱い量は3,000万トンに達し、九江国際水運センターのコンテナー取り扱い量は50万TEUに達し、長江中流の中継物流センターになります。九江輸出加工区の近くに昌北国際空港があり、空路は40本以上の国際線、国内線が開通されています。陸路は、京九鉄道など5本、贛粤高速道路など4本が九江を経由します。京九鉄道沿線の一番大きいな貨物輸送の列車編成ステーションも九江にあります。
環境資源の優位性。
九江輸出加工区は、盧山の麓にあり、長江に臨んでおり、景色がすぐれています。ここは、居住環境が良く、人材居住地として、国内外の実業家の投資効果が見込まれる、理想的な場所です。また、九江輸出加工区は、豊富な電力資源と人材資源に恵まれています。昔から江西省の工業基地である九江にはたくさんの技術労働者がいますし、高等職業学院などの在学中の大学生が7万人余りいます。
コストの低い優位性。
一つ目は、労働力のコストが低ことです。九江の労働者の人件費は先進国の1/20、沿海地区の 1/2です。二つ目は、水道、電気のコストが低いことです。工業用水の価格は、トンあたり1.2元、発電機ユニット容量は200万KW、九江には、華中地区の最大の火力発電所と江西省の最大の水力発電所があります。工業用電力の価格は0.53~0.63元です。三つ目は、物流のコストが低いことです。水路で九江から上海まで2日間、40ftのコンテナーの運賃は300ドルぐらいです。
九江輸出加工区の優位性により、建設当初から、オランダ、ポーランドなど諸国の多くの実業家が視察に訪れました。現在、オランダのRDM会社が投資、建設するエンジン・プロジェクトについて初歩的な合意に達しています。ポーランドのヘリコプター生産プロジェクトは、必要な申請手続きを進めているところです。香港の偉博会社の服装生産プロジェクトと香港美盧国際集団の乳製品生産プロジェクトももうすぐ着工しようとしています。
ご来賓の皆様、友人の皆様、九江は無限のビジネスチャンスがあるところです。江西省の開放型経済の拠点とする九江経済開発区の主旨は、お客様方にとって、一番安いコストで、一番早く効果が見え、もっとも多くの利益を得られることにあります。皆様方が九江へ視察、投資、発展にお越しいただきますよう心から期待いたします。最後になりますが、皆様方のご健康とご発達を心から祈念申し上げます。
ご静聴、どうもありがとうございました。
投資九江 前途有望
江西(北京)日本企業家投資説明会
九江経済技術開発区、輸出加工区管理委員会主任 李光栄
中国・九江の地理位置
九江開発区は、1992年に設立され、江西省最初の重点開発区の一つです。面積は120 k㎡です。九江開発区は設立して14年来、大開放による大工業発展促進の戦略を実施し、「輸出加工区」、「自動車工業団地」、「ハイテク工業団地」、「総合工業団地」、「長江沿線産業地帯」などの八つの専門区域を建設しました。
江西九江輸出加工区交通案内
九江経済開発区総合計画
日本のスズキ株式会社と中国昌河集団が共同出資する九江昌河鈴木会社は、開発区に進出した企業の一つです。現在、年間10万台の「リアナ」という乗用車と15万台のスズキエンジンの生産能力に達し、江西省で初めての乗用車生産基地となり、九江昌河鈴会社も江西省が重点的に支持する自動車企業に成長しています。
中国九江出口加工区
中国九江輸出加工区
九江輸出加工区は、九江開発区内にあり、2005年6月中央政府の認可を得て新規増設された全国18の輸出加工区の一つで、江西省唯一の国家級輸出加工区です。計画面積は2.81 k㎡、初期開発面積は0.987 k㎡、区内インフラが完備され、区外の生活居住区など付帯施設が機能しています。
昌河鈴木(九江)有限会社
輸出加工区優遇政策
輸入免税:区内の生産に必要な機械、設備、金型、修理用部品;インフラ建設に必要な機械、設備、建設用物資、事務用品に対し、輸入関税と輸入環節税の免税をする。
加工区進入貨物の税金還付:加工区外にある中国国内の企業が区内に輸出する貨物は、中央政府の輸出における増殖税還付の優遇政策を享受する。区外から区内に進入する国産機械、設備、原材料、部品、包装資材、合理数量の建築材料等に対し、輸出扱いとして輸出税を還付する。
進入原料の保税:輸出製品生産に必要な原材料、部品、包装資材及び消耗材を海外から輸入する場合、すべて保税とする。
輸出免税:加工して再輸出する製品に対し免税する。
輸出加工区優遇政策
輸出加工区と輸出加工区への貨物に対する免税:加工区と加工区の間で進出・進入する製品、原材料、機械設備に対し免税する。
外貨管理:区内から海外に販売する貨物に対し、輸出収入審査・許可申請手続きがない;海外に支出する場合、輸入支出審査・許可申請手続きもない。
クオータ・ライセンス:貨物は加工区と海外の間に自由に進出する。中央政府の規定がない限り、クオータとライセンス管理を実行しない。
産業発展方向
自動車及び部品
電子技術及び情報産業
光学機械電子の一体化製造業
生物製薬及び精密化学工業
精密機械
新型材料
食品飲料
紡績服装
港及び交通優位性
水運:九江港は国家級一類対外開放の港です。歴史的にも水運は九江の交通優位を占め、長江を利用し上流の重慶、武漢、下流の南京、上海に到着し、世界各地にアクセスします。各種類の港と専用埠頭は合わせて144基、一年中5,000トン級の船舶が通航でき、年間取扱い能力は3,000万トンです。
航空:現代的な昌北国際空港は、北京、上海、広州、深せん、ホンコン、日本及びシンガポールまでの40数本の空路が開通されました。昌北国際空港は、九江市内まで100キロ、高速道路が利用できます、廬山空港は、九江市内までわずか30キロです。
航空案内図
道路:国道105(北京―珠海)、国道316(福州―蘭州)は、九江市を経由します。九江を中心にする高速道路は、上海、南京、杭州、武漢、長沙、南昌、広州、福州などの大都市と中等都市まで直行しています。
九江道路交通案内図
鉄道:鉄道は四方八方に連絡しています。京九線(北京―香港)、武九線(武漢―九江)、合九線(合肥―九江)、銅九線(銅陵―九江)及び景九線(景徳鎮―九江)が九江を通過しています。
九江鉄道交通中枢
人文環境及び資源優勢
九江経済技術開発区(九江輸出加工区)は、盧山の麓にあり、長江に臨んでいて景色の優れた、住みやすい環境に恵まれ、人材も多く、国内外の企業家の投資、発展に絶好の場所です。
世界文化景観―廬山
世界地質公園―廬山
世界文化景観―廬山
中国一の淡水湖―鄱陽湖の渡り鳥
中国魅力都市―九江
人材資源の豊かさ
普通大学7校があり、在学の大学生7万人がいます。
各種中等専門学校、職業学校32校があり、在学生が2.8万人がいます。
独立した科学研究機構19ヶ所の内、中央部門と江西省所属が2ヶ所づつあります。
九江市内の企業、事業機構では各種専門従業員が8万人余りいます。
エネルギー豊富
電力:九江市の総電力設備容量は200万Kw、華中、華東地区の重要な電力供給基地です。
給水:九江市の水資源の総量は142億㎥、市内の水道の浄水能力は40万トン、生産、生活の用水を十分に確保しています。
低コストのメリット
人件費
一般操作労働者 月給:600~1000元
技師と管理者 月給:1000~2000元
用水コスト
住民生活用水 1.00元/トン
低コストの優位性
電気使用コスト
大工業用電気:0.535元/1kwh
一般工業用電気:0.642元/1kwh
オフィスビル/工場/倉庫の賃貸料金
写字楼:20元左右/平方米
オフィスビル:20元/㎡
工場:8元位/㎡
倉庫:8元位/㎡
来賓の皆様、友人の皆様、九江は無限のビジネスチャンスがあるところです。江西省の開放型経済の拠点とする九江経済開発区の主旨は、お客様方にとっては、一番安いコストで、一番早く効果が見え、もっとも多く利益をもたらす絶好のチャンスです。皆様方が九江へ視察、投資、そして企業発展のためにお越しいただきますよう心から期待いたします。最後になりますが、皆様方のご健康とご発達を心から祈念申し上げます。
どうもありがとうございました。
「江西省日系企業投資説明会」にご臨席のお客様方と友人の皆様方を心から歓迎すると共に、九江輸出加工区で投資企業を設立されますよう心から期待しております。
九江出口加工区
写真左:九江市甘栄湖のほとり
写真右:中国地図による九江市の位置(九江は華南地方とも呼ばれる)
* 端午節について ……2007/06/20…
6月19日火曜日は旧暦5月5日。
中国では端午節という。日本にもこの習慣があるが、起源は中国にある。中国では菖蒲や蓬(よもぎ)を家に飾り魔除け厄除けの習慣がある。また粽を食べる。
以下。www.kougetsu.co.jp/tango-iware.htm – 11kより文章を貼り付けさせていただく。
◆中国の戦国時代というから、今から約2300年前のお話です。
・楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340頃~前278頃)という政治家がいました。
詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。
しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。
その時の想いを歌った長編叙事詩「離騒(りそう)」は中国文学史上、不朽の名作と言われています。
故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。
・楚 の国民達は、小舟で川に行き,太鼓を打ってその音で魚をおどし,さらにちまきを投げて,「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。
その日が中国の年中行事になり,へさきに竜の首飾りをつけた竜船が競争する行事が生まれたそうです。
・これは今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始 まりとも言われています。
・これがちまき(肉粽=ローツ ォン)の起源です。このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったのです。
国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。
・そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦五月五日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。
◆ところで、歴史の上ではどちらかと言えば些細なこの事件が、このように盛大な祭に発展していったのでしょうか?それは、次のような理由だと言われています。
・急に暑くなるこの時期は、昔から病気にかかりやすく、亡くなる人が多かったそうです。
その為、5月を『毒月』と呼び、厄除け・毒除けをする意味で菖蒲やヨモギ・ガジュマロの葉を門に刺し、 薬用酒や肉粽を飲食して健康増進を祈願します。
・人々の生きるための切実な思いによるものが、端午の節句が生まれた理由なのでしょう。
* 卒業生と会食 ……2007/07/14…
卒業生と会食 (2007年6月28日)
卒業生の鐘燕華さんの招待でレストランへ食事にいった。彼女は江西省瑞金の出身。瑞金は中国共産党軍が延安まで徒歩で行軍した町で有名。
彼女は現在広東省恵州にある住友電装の日中合弁会社に職が決まり、そこで頑張っている。彼女の仕事内容は、製品のチェックの中で、粗悪品を発見したら、時を逸せず上司(日本人)に報告する仕事。かなり神経を使う仕事だそうだ。
長征のこと
中国共産党軍が,1934年から1936年にかけて,中国南部の根拠地から華北まで移動したこと。▽中国国民党による包囲攻撃をうけて,江西省瑞金の根拠地を放棄した中国共産党の紅軍は,戦闘をしながら雪山や大湿原をこえ,1年がかりで陝西省延安に達した。◇大西遷ともいう。
写真:卒業生の鐘さんを挟んで、教師・友人らと会食
* 九江7月の花木 ……2007/07/14…
九江の7月はもう盛夏。九江大学も7月1日から夏休みになる。
この時期の花木は以下のとおり。
1、ハス(蓮とも書く)。九江の南湖(ナンフー)には自生した蓮が咲く。実は食用に。9月ごろは、庶民お蓮の実売りが市場に集まる。木の実、少し歯ごたえがあり、レンコンの煮物の味がする。
2、百日紅(サルスベリ)強い太陽を受けて、天に向かって叫ぶように咲く。色は白、ピンク、薄紫、薄紅などがあり、路を歩いて気持ちよい。
3、鶏頭の花 鶏頭にもいろいろある。オーソドックスなものは鶏のとさかそっくりのもの、最近は改良品が出回っている。
4、サルビア 赤のサルビアが主流。公園の花畑を飾る。
5、マリーゴールド。大輪の花が公園や通りを飾る。
写真左:蓮の花
写真中:百日紅(サルスベリ)
写真右:鶏頭
* 鹿児島へ ……2007/09/09…
2007年7月2日(月)
夏休みとなり、夕方8時九江発の長距離バスで、上海へ向かう。呂栄さんと宇紅さんがわざわざ駅まで送ってくれた。かくして、定時に出発し、バスの寝台でウトウトする。いつしか、眠り、夜が明けたときは、上海であった。
2007年7月3日(火)
ホテルに投宿し、一日上海見物をする。いつも上海は通るばかりでゆっくり見物することがない。今回は上海博物館に一日費やした。中国の貨幣制度の歴史や、民族衣装の展示など楽しい設営でためになった。
2007年7月4日(水)
リムジンバスで浦東国際空港へ。出国手続きを終え、上海時間午前9時50分機上の人となる。日本時間12時30分に鹿児島空港着。妻はその日のうちに種子島へ。私はわかくさ保育園で2,3日手伝うことになった。
2007年7月8日(日)種子島
西之表教会で礼拝講壇担当。
* 長沙市のハン校長先生を囲んで ……2007/09/09…
2007年7月11日水(雨のち曇り)在西之表―鹿児島市
長沙市の氾校長を迎え、鹿児島市日中友好協会の大石企画部長、竹下元教師、野村教師、大竹教師、池田公榮、県事務局長、氾先生、塩田氏、会長の9名が集まり食事会と情報交換。
うち、大石先生、竹下先生、野村先生、大竹先生は長沙市の氾先生の学校で日本語の教鞭をとられた方。思い出話に花が咲いた。
大竹先生とは以前長沙を訪れたとき、お会いできなかったのでここでお会いできてうれしかった。先生はわざわざ静岡県から鹿児島までこの回のために下ってきてくださったのだ。
帰国後はおうちの果樹園を継いで園芸に取り組まれるそうである。土との関わり、植物との関わり、ご苦労も多いと思うが、人間の生き方の中で最も尊敬できる仕事ではないだろうか。ご検討を祈る。
* 例年と違う台風 ……2007/09/09…
2007年7月14日土(台風)在鹿児島市
今年の台風は例年と違う。まず、7月なのにあき台風並みの強い風が吹いたこと。コースも7月にはめったになく種子島九州縦断、四国横断、中国地方横断、日本海抜け、再び北陸東北地方上陸となった。
おかげで種子島や宮崎の早期栽培の稲が全滅。例年なら日本一早い新米ともてはやされ、高値をつけていたものが、全部等外品となった。農家の人には気の毒だった。
7月15日の日曜礼拝。
私も礼拝は種子島の教会に出席できなくて鹿児島市の玉里カトリック教会へ出席した。
7月16日(月)熊本の弟急死
台風14号がもたらした豪雨で増水した川の岸辺で養殖場の復旧作業中に急逝したとの知らせがあり、とるものもとりあえず、熊本へ急行する。検死の結果では水を飲んでいないので急性心臓麻痺だろうとのこと。元気で、よく働き、家族を大切にするよい弟であったが、死を受け入れるしかない。
次の世で、また会えるので、それを信じてまとう。
彼は67年前九江市で誕生したので、その生家も残っているし、そこを見てもらえなかったのが気残りではある。
「千の風になって」の歌詞を記したい。
千の風になって 秋川政史
私のお墓の前で なかないでください
そこに私はいません 眠ってなっかいません
千の風に千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぎ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で なかないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています
* 学生や卒業生と交信 ……2007/09/09…
2007年7月20日金(晴れ)在鹿児島
九江学院3年生の林天史君とMSNメッセンジャーで話す。世界いたるところで交信ができる世の中である。まさに、情報の世紀である。
以下は、中国海南省に帰省している林天史君とのやり取り。
林天史の発言:こんばんは、池田先生
tadayoshi の発言:こんばんは。
林天史の発言:日本最近も物騒だな。中部は地震ですよね
tadayoshi の発言:私は7月16日、熊本の弟(67歳)を水害で失いました。彼は洪水の中で仕事をしていて水に流された。
林天史の発言:そう。。。ですか
tadayoshi の発言:そう、それに新潟地方が地震。2005年にも同じ場所であったんだよ。ま、日本は中国より風水害は多いね。それが日本の特徴で、天災はあるものとして、その前提でみんな暮らしているんです。
林天史の発言:そうですね、日本列島は環太平洋火山地震帯に存在するだがら
tadayoshi の発言:日本人は、一般的に天災に対する予防、天災にあったあとの解決の仕方などもみな心得ているよ。でも、被害にあった人は気の毒ですね。政府も補助金をだして、励ましています。被害には家の倒壊、流失、死者の排出。今回は死者は全国で4名ほどでしたが。
林天史の発言:自然災害に対して、各国政府も国情なりな対策を練り、そしでいろんな災後処置を施すだろ
tadayoshi の発言:そう、中国も災害があったたらその地方の人々を助けるよね。困っている人を助けることは政府の一番大きな責任ですね。
林天史の発言:そうです、大部の災難対策を実行するのは中国の軍隊は臨時救難部屋の建設、ダムの強化とパトロール、人命救助、失踪者の捜索などな応急処置をする
tadayoshi の発言:軍隊か。日本もそうです。自衛隊というけどね。日本も大体同じ対策をとる。
林天史の発言:その後、食糧と水は中国の大手企業が確保する
tadayoshi の発言:日本では食料はボランチア団体水は消防署だね。
林天史の発言:だいたい、軍や企業の源は民ですよね
tadayoshi の発言:そうね。もとを正せばそうなるね。
林天史の発言:危難時人民を見捨てることはできないでしょ
tadayoshi の発言:そうよ。こまった人を助けるのが人間のよい点だね。
林天史の発言:中国の立国根本をはなせば、古代から「民」一文字だけ日本にもそうですよね
tadayoshi の発言:それが人間の人間たる所以ですね。
林天史の発言:ちょっと用事があるのて、お先に失礼致します
tadayoshi の発言:メールありがとう。オヤスミ。じゃね。
といった具合。
次はヨウショウコウという卒業生とのやり取り
sunningshuai@hotmail.com の発言:池田先生、久しぶりですね。お元気ですか
tadayoshi の発言:こんにちは。元気ですよ。いま、どこから?
sunningshuai@hotmail.com の発言:広東にいるよ、今、会社に勤めているんです。
tadayoshi の発言:そう、仕事ご苦労様(辛苦了!)。
sunningshuai@hotmail.com の発言:へへ、ありがとうございます。先生、今日は授業がないでしょうか、
tadayoshi の発言:私はいま日本に帰っています。私の弟が事故で死亡しました。67歳。台風で増水していた河で仕事していて、流されて死にました。
sunningshuai@hotmail.com の発言:そうですか、深甚な哀悼の意を表します、先生の方もお大事に。
tadayoshi の発言:ありがとう。注意しますね。
sunningshuai@hotmail.com の発言:久子先生は、日本にご帰国なさいましたか
tadayoshi の発言:久子も日本へかえりました。元気ですよ。
sunningshuai@hotmail.com の発言:了解しました、お元気で嬉しかったです、何時中国に来ますか
tadayoshi の発言:来月8月28日、九江へ行きます。9月3日から授業が始まります。
sunningshuai@hotmail.com の発言:いつか、先生に会えるか、楽しみですよ
tadayoshi の発言:そうですね。会いたいですね。
sunningshuai@hotmail.com の発言:学校を出て一年を過ぎて皆さんの方、大体変わりましたよ、あるクラスメートは今年の8月ごろか、9月ごろか結婚する予定ですよ。私は、恋人がまだいないですよ、どうしようか、
tadayoshi の発言:そうらしいね。あなたもいい人がいるんじゃない?
sunningshuai@hotmail.com の発言:まだですよ、本当のことです、うそじゃないですよ
tadayoshi の発言:じゃ、きっといい人が見つかりますよ。そう祈っています。
sunningshuai@hotmail.com の発言:ありがとうございます。
tadayoshi の発言:暑いから、からだに気をつけてください。
sunningshuai@hotmail.com の発言:この前、内の会社の購買部のおじさんは「海外から恋人を輸入する、」と言いました、注文書を出しました。もともとの納期が7/6ですが、今、納期に延ばされましたよ。はい、ありがとうございます、先生の方も気をつけてください
tadayoshi の発言:はい。健康に気をつけます。今日はありがとう。
sunningshuai@hotmail.com の発言:はい、それじゃまた。
卒業生藤君のとやり取り
takashi の発言:KON NI TI HA
tadayoshi の発言:こんにちは。いま、上海ですか?
takashi の発言:福州でバイト、上海は二ヶ月後
tadayoshi の発言:あ、そうですか。アルバイト頑張って。
takashi の発言:今晩は。池田先生はいまお宅ですか。
tadayoshi の発言: こんばんは。いま上海ですか?僕は息子のところです。
takashi の発言: 今 上海にいません。9月、、まだ上海へいきます。先生は大阪のむすこですか
tadayoshi の発言:違う。鹿児島の長男です。鹿児島は連日暑くて36.6度です。外に出られない。
akashi の発言:そうですか/鹿児島か。熱いよ
tadayoshi の発言:蘇州は38度だったそうです。呉越さんからさっき連絡あった。
takashi の発言:あ、そう。そうですよ、、私は朝早く出かける。夜遅く帰るんだけど・・・
tadayoshi の発言:暑さで健康を害しないようにしなさい。私も、日中はあまり外に出ません。
takashi の発言:だから。太陽がでる前に、出かける、太陽がない時、、、帰る時間
tadayoshi の発言:ところで、日本は今度の7月29日参議議員選挙です。私は今日市役所に行って事前投票をしてきました。世論調査によると、現内閣の安倍さんの陣営が不利のようです。実際は開票してみないとわからないけどね。
takashi の発言:不利だって、、なんで
tadayoshi の発言:年金問題で、人気がない。野党のほうが少し優勢です。私は安倍政権を支持しますがね。
takashi の発言:支持する原因は ?年金はすこしずつ減ります
tadayoshi の発言:安定ですよ。いま、やっと日本の経済も上向きです。今政権が変わると、経済が危ない。
tadayoshi の発言:年金問題は準備金(年金の掛け金という)が少子化のためにだんだん減ってくるので年金も減額になるでしょうね。
takashi の発言:以前、年金をもらって、中国の都市で、楽な暮らしが出来ます、、これから、年金の低減及び中國の物価の増加によって、年金は足りへんや、
tadayoshi の発言:(笑い)そうなるかもね。中国の物価はだんだんあがっているからね
takashi の発言:少子化と原因があるの
tadayoshi の発言:少子化になると、掛け金を払う人は減り、年金を受ける人が増えるので、金のシステムがおかしくなるのよ。わかる?
takashi の発言:わかった
tadayoshi の発言:じゃ、これぐらいで失礼します。
takashi の発言:88
tadayoshi の発言:88何?
takashi の発言:サヨウナラの意味、、ネットで英語のbyebye の略語
tadayoshi の発言:そう。わかった。さようなら。
takashi の発言:中国語88の発音はbyebye と同じ。佐藤先生はよく使うよ
tadayoshi の発言:そうかじゃ88
蘇州で働いている卒業生の呉越さんとのやり取り
tadayoshi の発言:こんばんは。元気ですか?
ごえつ(SONY会社) の発言:先生、今晩は。元気です。でも蘇州はこの頃、すごく暑かったんですよ、とても大変でした。そちらは?先生はお元気ですか
tadayoshi の発言:鹿児島は連日猛暑。36.6度が何日も続いています。
ごえつ(SONY会社) の発言:あ、そうなんだ、蘇州と同じですね。今日は38度です
tadayoshi の発言:蘇州も暑かったですか。38度はすごいですね。
ごえつ(SONY会社) の発言:そうですよ。つらいです
tadayoshi の発言:私も家内もおかげさまで元気にしています。
ごえつ(SONY会社) の発言:暑い時は先生は体に気をつけてくださいね。。。あんまり出かけないでください
tadayoshi の発言:健康を壊さないよう、注意しましょうね。出来るだけ睡眠を多くとるとか。栄養食を摂取するとか。
ごえつ(SONY会社) の発言:うん、そうですね。お互いに注意しましょうね・・・先週、新潟に6.8強地震が起こりましたね。大被害を受けました。
tadayoshi の発言:
はい、暑いときは部屋にいますよ。部屋はエアコンがあるから大丈夫です。冷房にながくいると健康にはよくないので、2時間部屋、30分外で花に冠水するとかしています。
ごえつ(SONY会社) の発言:それはいいですね
tadayoshi の発言:そう、新潟の人は大変です。いまも、避難している人がいます。被災された人は、きのうごろからやっと仮設住宅に入れるようになりました。
ごえつ(SONY会社) の発言:いいですね。。。新潟人が早く安定するように願っていますね。自然災害は怖いですね
tadayoshi の発言:ありがとう。私もそう願っています。ところで、日本は今度の7月29日参議議員選挙です。私は今日市役所に行って事前投票をしてきました。世論調査によると、現内閣の安倍さんの陣営が不利のようです。実際は開票してみないとわからないけどね。
ごえつ(SONY会社) の発言:あ、そうですか。これは知らないですね。でも私は安倍さんが好きですよ。
tadayoshi の発言:日本人は地震・洪水・台風・火事・旱魃など災害が多いけど、我慢しています。災害にあったら復興のために努力します。国土が狭いし、そうしなければ生きられないのですね。その結果、勤勉になれたのかもしれませんよ。
ごえつ(SONY会社) の発言:なるほど。
tadayoshi の発言:中国も似ているところがあると思いますが、あなたはドウ思う?中国人は忍耐」強い、自然にあまり逆らわない。被害にあっても、復興に頑張る。などのすばらしい国民性がありますよ。さきの、中日戦争でありこちあちこち被害にあったと思うんだけど、立派に復興し、今は世界が驚くほどの経済成長をしています。中国人はとても努力家だと思いますよ。
ごえつ(SONY会社) の発言:そうですね、でも、日本人より中国人そんなに勤勉していないと思います。今の子供は努力しないで両親に頼っています。こういう習慣がよくないと思います、人が自分の力にがんばらなきゃ
tadayoshi の発言:一人っ子政策で,小帝王になった子供たちは我慢とか頑張るとかの気持ちが育たないと思う。それは日本も同じです。少子化で子供が少なくとても大事に育てられるのはいいだけど、訓練が少ない。親が子供を訓練しないです。中国も一緒かな?
ごえつ(SONY会社) の発言:うん、そうですよ
tadayoshi の発言:ごめん。タカシ君が入り込んだ。今夜はこれで終わりにしましょう・じゃね。
ごえつ(SONY会社) の発言:今は一人っ子政策で、子供を大切するのはいいですけど、よく甘んじて子供にとってはよくないんですよ。。
ごえつ(SONY会社) の発言:はい、いいですよ
ごえつ(SONY会社) の発言:じゃね
次はリュウ君との会話
kenhou の発言:こんにちは
tadayoshi の発言:こんにちは。元気ですか?僕は、九州種子島です。毎日暑い。
kenhou の発言:先生のおかけ様で、元気です。種子島は鹿児島のですか
tadayoshi の発言:そう。鹿児島の南にあります。
kenhou の発言:あついですね、でもすぐ台風があるそうだ
tadayoshi の発言:鹿児島県の中にある小さな島。海がとてもきれいなところ。
kenhou の発言:そうですか、行きたいだな
tadayoshi の発言:そう、台風5号が接近している。4号のときも被害が多かったです。日本は台風天国といわれています。
kenhou の発言:そうですけども、日本は台風何かについて、予報がいいですね
tadayoshi の発言:気象衛星がとても正確に台風の方向を追跡します。
kenhou の発言:そうね、先生はいつ学校へ帰るつもり?
tadayoshi の発言:8月29日です。また一緒に学習しようね。
kenhou の発言:先生と勉強することが幸せです
tadayoshi の発言:そちらも暑いだろうから健康に注意しましょう。
kenhou の発言:昨夜には急に大雨でした、すごい雨です
tadayoshi の発言:安徽省と四川省も洪水で多くの人が災害にあった。中国政府は世界赤十字社に援助を申し出ています。早く平常に戻るといいね。
kenhou の発言:そうですね。奥さんも元気ですか
tadayoshi の発言:元気です。花の手入れをしているよ。いい汗かいている。
kenhou の発言:それもいいですよ、私は毎日花束を箱に入れる仕事です
tadayoshi の発言:いいね。自分の家でアルバイトだね。日本にも輸出していますか?
kenhou の発言:はい、このごろたいへんですね、お盆おため
tadayoshi の発言:ま、頑張ってください。家族もあなたの手伝いとても喜ぶでしょう。
kenhou の発言:まあ、どんなことでも勉強したいです、栽培とか、花を選別とか、頑張ります
tadayoshi の発言:今から昼食をとります。日本は1時間早いから、いま12時11分です。じゃね。88!
kenhou の発言:はい、またね
kenhou の発言:88
在学生や卒業生の交流は日増しに多くなってくるようだ。
* 県私立幼稚園協会で ……2007/09/10…
2007年7月24日
鹿児島市民ホールで平成19年度鹿児島県幼稚園協会教師研修大会が開催され、全大会に私も特別に招待をうけた。
今は職員でもないのに、鹿児島県知事、鹿児島市長、県議会議長ほか多くの出席者の前で先にいただいた瑞光章のお披露目をしていただき、まことに光栄であった。
一事、言えることは、少し成長させられたのだとしたら、幼子こそが私の教師であり、喜びであったということである。
* 県日中友好協会総会 ……2007/09/10…
2007年8月10日
鹿児島市のニュウーカゴシマホテルで平成19年度の鹿児島県日中友好協会通常総会が開催され、出席した。中国人留学生がボランテイアで受付や会場設営等を手伝っていた。
総会は18年度の事業報告と会計報告。19年度の事業計画案と予算案の承認を求める内容だった。県海江田順三郎会長のご挨拶に続き、県からは国際交流課の橋口課長さんが挨拶され、鹿児島への外国人訪問者の増加を狙うことについて語られた。橋口課長さんには06年4月、九江学院の教授連6名をお連れしたとき、大変お世話になった方でもある。
総会終了後は、私に九江の様子を報告を兼ねて話すようにと依頼され、約1時間をいただいたので、写真を投影しながら九江学院の紹介や私の中国の生活をお話した。質疑の時間に、中国での物価のことやら、いくつかの質問が出たので、体験に基づき答えた。
* 私にとっての8月15日 ……2007/09/10…
私にとっての8月15日
1、聖フランシスコ・ザビエル師の日本宣教のため鹿児島祇園の洲に到着した日。西回りのキリスト教を日本に伝えた。これは神のご計画で、日本にキリストの種がまかれ、わたしも、発芽して木になった一部になっていると感謝に耐えない。
2、無元罪の聖母マリアの日。カトリック教会ではマリア様をとても大事にする。それは、神の母(神であるイエスの母)であり、万民のとりなし者であるという。私にとっては、イエス・キリストこそが万民のとりなし者であり、祈りの対象である。カトリック教会では神と仲保者キリストと人との間に、もう一人マリアさまを置く。これははたして神の御心だろうか。
3、太平洋戦争(大東亜戦争または第2次世界戦争)の敗戦日。日本が、米英中ソほか連合軍に対して無条件降伏をした日。戦争の悲惨さ言葉にあらわし難い。勝者も敗者も深い傷を負う。人は戦わなくて紛争を解決する方法を考えねばならない。たとえば国際軍による統治。裁判制度の権威と確立を望む。
* カトリック教会のマゾキ神父 ……2007/09/10…
2007年8月21日火(晴れ)在種子島―鹿児島
種子島カトリック教会を訪問中の元同教会司祭マゾキ・ルチアーノ神父様と再会。10年ぶりの再開。彼はいまイタリヤのミラノの近郊パルマで神父として活動しておられる。日本語が堪能で、人の心をつかむすべに秀でている。イタリヤでも日本人との交流があるとのこと。今後はメールで交流を続けようと思う。
* 中国で教えたの元教師たちと ……2007/09/10…
2007年8月28日火(晴れ)在種子島―鹿児島
西之表市長長野力氏表敬。
午後鹿児島市へのぼり、中国で日本語の教鞭をとられた先生方と交流する。
海江田鹿児島県日中友好協会会長、大石、竹下、加治佐、塩田、本村、田代の各氏、丁(内モンゴル)留学生、池田、久子の10名。天文館「味来」にて懇親会。会費4200円。塩田氏幹事役。
中国人学生の学習への熱心さ、中国各地の旅行談義、これからの夢などを語り合い、あっという間にひと時が過ぎる。
夜は天文館のグリーンリッチホテルに投宿。
* 吉井氏へ手紙 ……2007/09/10…
吉井先生は鹿屋の教会牧師兼信愛幼稚園理事長。神学校が一緒で私より2年先輩。信仰面でもよい先輩でよい指導をいただいており、鹿児島県の諸教会の連合協力伝道会の会長も長く勤め、鹿児島県幼稚園協会の役員をこれまた永年勤められ、13年前に藍綬褒章、昨年は叙勲にあづかられた。
その先生が、急に、上顎癌という病で鹿児島大学病院で手術を受けられることになった。手術は成功したが、当分だれにも会いたくないとのご本人お意向なので、以下の手紙でご回復を祈ることにした。
各 位
讃美主 お元気でお励みのことと存じます。祈りのリクエストとしてお送りしました。鹿私幼協会理事、元キリスト教保育連盟九州部会長・前鹿屋信愛幼稚園長 吉井秀夫先生が7月3日に手術を受けられます。ご加祷・支援下さいますようお願いいたします。
以下、ご子息との連絡の様子を添付します。 麦野賦
吉井秀夫先生
主のみ名を誉め称えます。
私と妻は夏季休暇で、いま種子島にいます。あと、半期(2008年1月)契約が残っていますので、四度目の九江へ行きます。1月以降は、教会の皆さんや、先生方とご一緒させていただきたいと思っています。
先生のこの度の入院加療につきましては、伝え聞いておりました。ご子息とお会いしたときも、状況をお伺いし、手術は成功し、個室から相部屋へ移られたと伺いました。大変驚きましたが、安堵の胸をなでおろしたしだいです。
いつも、お元気で活躍なさっておられた先生と入院されていらっしゃる先生とイメージが一致しないです。すべては、主もご了解の上での出来事と思います。まさしく、現代のヨブを彷彿させます。主は、ご栄光のために先生を用い、神の不思議を先生を通して顕されるのではないかとと思います。
奥様はじめ、お子さま、兄弟姉妹のお祈りと献身にあわせ、主にある兄姉の篤い祈りが続けられると思います。
先生、今度お会いするときは、栄光に輝く先生のお姿を拝顔したいものです。インマヌエルなる」主が、先生を守り、導き、深い慰めをおあたえくださることを信じます。私どもも、九江の地で、お祈りさせていただきます。
同封のものは、まことに査証ですが、薬代にお使いいただければ幸甚に存じます。 主に在って。 2007・8・27 種子島 池田公栄 久子
* 四度目の九江 ……2007/09/10…
2007年8月29日水(曇り)在鹿児島―空港―上海
午前10時GRホテルCO.リムジンバスにて空港国際線へ。午後1時30分発中国東方航空762便に搭乗。上海は摂氏25度で小雨日和だった。九江行き長距離バスのチケットが入手できたので、直ちにバスに乗り込み、夜行走行ときた。
2007年8月30日木(晴れ)在九江
早朝午前5時30分には長江大橋を渡り、見覚えのある町に差し掛かった。2ケ月振りの九江は曇天で、昼間は暑苦しかった。2ケ月間締め切っていたので、部屋はかび臭く、戸や窓を全開にして清掃する。午後は食料の買出しと散髪。九江学院正門前に日本料理店を構えた菅谷氏を尋ね、挨拶する。ちょうど夫婦ともおられたので、店の繁盛を祈念する。夜はエアコンなしでは寝付かれないので、夜半までクーラーをかける。
* 私たちを出迎えた人・もの ……2007/09/10…
まず、目に飛び込んだものは2ケ月前に植えた花だった。風船かずらと野生の朝顔が渾然として、荒野の状態。風船かずらは、根元を少し残してばっさり剪定。新芽を新たに育てようと思う。
ただヒマワリだけが、背高く伸びて、大きな花をつけていた。サンフラワーといわれるとおり、太陽に向かって堂々と咲いている。強いな!たくましいな!と思う。
次、新築の校舎がほぼ完成。9階建ての堂々とした校舎まばゆく輝いていた。九江学園は4万人の学生を擁する大規模校である。
次に迎えてくれたのは、学生たち。彼らもまたある人は故郷へ帰り、ある人は九江に残りアルバイトをしたという。学生は近くは江西省の近隣から、遠くは日本からより遠い、ハルピンや海南省、青海省、内蒙古あたりからもきている。
この学生と向き合い、彼らに日本語の力量を積ませることが私の使命。
* 教師の日 ……2007/09/10…
2007年9月9日日(曇り)在中国九江
教師の日 中国では9月10日は「教師節」と呼ばれる。教師をたたえる日だとか。九江学院でも外国人教師をホテルに招待し、晩餐会が開かれた。私と妻も参加した。総勢20名ほどのテーブル。学長じきじきの参加と謝辞があり、楽しく食事をする。新顔の教師も3名ほどあった。一同、顔見せと自己紹介のよい機会であった。学長からは、私にたいして、「君は学生に人気がある。すばらしい教師だ。謝謝!」といわれれば、お世辞としても悪い気はしない。
料理について。二つのテーブルに格20種類ぐらいの料理が出る。中華料理は、盛りは多くないが、出される皿数が多い。
日本のデパート食品売り場の試食よろしく、一口か二口食べるうちにおなかいっぱいになる。口に合うものと合わないものがあるが、これは食文化の違いと悟りきっている。栄養学的には20種の食材をいただくことになるので、栄養の偏りもなく、とてもよい食事のとり方とおもう。
料理の基本は、前菜があり、中が本食事となり、後は果物やケーキのデザートといった組み合わせ。中国料理は「味で食う」といわれるが、中国での料理の基本は、味・美・感・多なんだそうだ。味へのこだわりは全国共通だが、美は見た目のおいしさ、感は食感、つまり歯ざわりのおいしさ、多は多種ということ。どの国の食文化も、楽しむことがおいしくいただくコツかなと思う。
* 九江10月の花木 ……2007/10/27…
10月の花
10月の街路樹は酔芙蓉・金木犀・銀木犀など。鉢物は鶏頭花・石竹・マリーゴールド・菊の類。
今年も時期を忘れず酔芙蓉が咲く。故郷種子島に多い花で、これを見るとホットする。写真を挿入できないのが残念。学生に貸してあげたのはよかったが、落として修理不能になってしまった。去年撮影したものを貼り付けることにする。
金木犀・銀木犀は文字のとおり、花が金色・銀色で香りが強い。近くで嗅ぐより、遠方からそこはかとなく漂う香りがいい。ネパールから九江学院の医学部教授として赴任している教師は匂いの強さに咳き込んで大変だったと言っておられた。
写真が張れないのが残念。* 国慶節 ……2007/10/27…
10月1日は国慶節
1949年10月1日。毛沢東主席が天安門で中国共産党政権の樹立を宣言した記念日。学校は1週間の休み。近隣の学生は一斉に故郷の自宅へ帰省する。合わせて、連休を利用して、家族旅行もある。したがって、交通機関や、ホテルは予約なしではだめ。おまけに、物価も便乗値上げで高くなる。
小生はこんなときは動かないことにしている。普段まだ徒歩で行っていない九江市街を歩いて庶民の生活や珍しいもの探しをすることにした。
* 竜宮洞へ行く ……2007/10/27…
竜宮洞へ行く
連休期間中、九江市よりバスで2時間の場所に、竜宮洞という鍾乳洞がある。寮に残っていた学生と一緒にそこへいく。経費バス代入園料込みで、学生68元、一般98元(邦貨約150円)。
とても規模が大きく、洞内は涼しい風が吹きに抜けてとても気持ちがよい。外ははあいにく暑さの戻りで、汗ばむ気温だったが、洞内は快適そのもの。自然が創造するさまざまな岩の形にいろいろな想像を重ねて龍だの熊だの名前がついている。
洞の規模は日本の秋吉台や四国の龍河洞のそれよりはるかに大きく、洞内に船で渡るとところや、屈んですり抜ける細道や、バスケットボールのコートが敷設された広場、屋内体育館がすっぽり吸い込まれるほどの広さがあったりで、その規模がわかっていただけるだろう。
ここで感動したひとつは、12歳ぐらいの男の子が、3歳、5歳ぐらいの幼児の世話をしながら(一子制度をはみ出ている)、露天で土産品を売っている風景だった。きっと弟たちだったのだろう。それにしても、この子達の両親はいるのだろうか、孤児だろうか、強制的に働かされているのだろうか、頭の中で思い巡らすが知る由もない。でも、12歳の男のこの振る舞いは、生きるたための、逞しさを感じて神々しくも思えた。きっと、この子は成人したらいっぱしの実業家になるんじゃないだろうか。そんな気がした。持っていた飴とサンドイッチを小さい子にあげて、あとでみんなで食べなさいと通訳してもらった。
* 料理の実習 ……2007/10/27…
共同で卵サンドウィッチを作る・食べる
授業の中に「卵サンドイッチを作る」という内容があった。レシピをそのまままねて作って食べようということになり、衆議一決。
係りを決めて、食材の買出係、会計係、搬出係と分担して取り掛かった。材料は校外の店ですべて調達。スライスパン・卵・キュウリ・マヨネーズ・塩・胡椒類などをそろえたところで、妻の協力を得て50人分のサンドイッチつくり。
こんな食べ物初めてという学生もいて、おいしい!おいしい!とみんな歓声。いい時間だった。材料費は各人2元内で納まった。
* 公私混同 ……2007/10/27…
公私混同まかり通る
九江には警察車がよく走っている。その中で、3分の1は公私混同利用のされ方である。家族を乗せて、買い物に行く。学校の登下校に使うといった具合である。
先日も九江学院のある女教師を乗せているところを目撃した。彼女は、悪びれもせず、ごく当然のように、パトカーに乗り込み退勤していた。
日本では厳しくとがめられる行為だが、中国では上記の状態。規則では、公私混同はいけないとしているのだろうが、そこは建前、実際には前述のことがまかり通っている。そのうち、住民の声が上がるだろう。
* 日本料理の店 ……2007/10/27…
カレーライス専門店(日系)
菅谷さんとおしゃる日本人が九江に寝ずいていろいろな事業をなさっている。建築現場の足場パイプのリースが当たり、1800万円ぐらい投資されて、毎月のリース料が30万円ぐらい入るという。九江で月30万円は大きい。
この菅谷さん、最近、学園の前でカレーライス店を開業された。奥さんの副業としてだそうで、日本のスーパーで売っている、ハウスカレーのルーを仕入れ、一食分6元で販売しておられる。私としても応援のつもりで、学生たちにできるだけ宣伝してあげた。
カレーが好きなのは主に学生で、一般の人はあまり好まないらしい。あの色とトロミ感があのトイレ時の「何とかに」似ている連想に駆られ、食べる気がしないそうである。
1杯6元では儲けがほとんどないそうであるが、他の食事と抱き合わせで、経営が続いている。客はまあまあ途切れなく入っているようだから、定着すれば仕事になるはずだ。エールを送りたい。
* 2007中国九江国際城市大会 ……2007/10/27…
2007中国九江国際城市大会
九江市は、2007年10月22日から26日まで友好都市交流記念大会を開催し、関係国市を招聘した。古くは1988年から2004年の間に、8ケ国9市と友好盟約を結び、国際交流を続けている。国名を挙げれば、①アメリカ・ケンタッキー州ルイスビル市(2004年9月)、②スロヴァキア国コペル市 (1995年4月)、③アルゼンチン国ブエノスアイレス市(2007年6月)、④日本奈良県大和高田市(1988年8月)、⑤オーストラリア国ビクトリア市(1993年12月)、⑥岡山県玉野市(1996年10月)、⑦フィンランド国カジャニ市(2006年11月)、⑧北アフリカ国エクール市(2007年8月)、⑨ポーランド国レギノウヴァ市2007年10月といった顔ぶれ。
九江市は発展を夢見て内に外に交流の手を差し伸べている。ここは早くから発達した交通の要衝であり、長江の良港、北京九江を貫く京九鉄道の終点、ここから発して広東へ延長している出発点。こんなことから、1900年代の初めから世界に目を向けた都市であり、その伝統が今日8各国と縁結びをしている由縁であろう。
市を挙げて歓迎・祝賀の行事が執り行われた。
写真:九江城市会に参加した各国の人々は談笑しなから水上映像会場へ
* 霧に映える映像 ……2007/10/27…
霧(水しぶき)に映える映像
2007中国九江国際城市大会の記念行事の一つとして、九江市南湖畔のはす園展望台で夜の噴水鑑賞と噴水をスクリーンに仕立て、友好都市の紹介映像を映す夕べが開催され、小生と妻も招待された。
九江市の夜景と色とりどりの噴水、各友好盟約都市の映像紹介が湖水に映し出された。地もとの大勢が詰め掛ける中、客として招かれたわれわれは特等席に案内され、ゆっくりと鑑賞させてもらった。水を利用したこの種の観覧は日本では経験したことがなかった。(あるいは、日本でもあるのかもしれないが)ひと時幻想の世界に入る。
* 友好団の皆さんと交流 ……2007/10/27…
大和高田市友好団・岡山玉野市友好団との交流
先の大和高田市(10名)および玉野市の一行(2名)が九江学院を訪問され、歓迎式典と、日本語学科の生徒との交流の時間が設定された。
高田九江会は上記友好団体では最も歴史が古く今年25周年記念に当たるそうで、さしずめ銀婚式である。日本の漫画が100冊贈呈され、早速友好の部屋(昨年設置された特別交流室)において多くの学生に利用させてもらうことになった。
日本から、熟年留学や、日本語教師としてもっともっと参加が多くなればいいと念じることであった。
写真左:岡山県玉野市副市長さん(池田の隣)、県議さん(副市長さんの隣)とともに。
写真右:交流団の皆さんを向かえて九江学院日本語科生徒の遊戯「もみじ」で歓迎。
* 月光下的九江の夕べ ……2007/10/27…
月光下的九江の夕べ(音楽会)
昨年落成した九江市音楽堂で表記の音楽会が開催され、招待されて鑑賞した。
この音楽堂、外観は長江に浮かぶ船をアレンジした形の音楽堂である。
今回友好団員として訪問されたアメリカ・ケンタッキー州・スイスビル市の楽員23名が演じる近代ジャズ音楽がメインだった。
舞台背景は、演奏会名のごとく、長江に映える満月をセットし、雰囲気をかもし出している。
最後、「なつかしのケンタッキーホーム」が合唱され、小生も高校時代盛んに歌った思い出と共に口ずさむ一夜だった。
* 九江で入院① ……2007/11/18…
突然の発症
2007年10月29日月(曇り)在中国九江
平常どおりの生活をし、午後の授業に備えていたとき、突然胸が張り裂けそうな痛さを覚え、冷や汗をかいて床に倒れてしまった。これはただ事ではないと、階下のネパールの外国人教授を呼び、国際交流センターのオスカーさんの運転で学院の病院へ運んでもらった。
血圧測定、心電図、レントゲンを撮ったあと、即座にここでの資料を持参し、学院付属病院心血管病棟(9階)へ運ばれる。付属病院でも血圧、心電図をとり、即、入院と相成った。
このときは、すでに痛みは治まっていたが、当分検査入院を余儀なくされることになる。家内は、着替えや入院に必要な最低限の身の回り品を持ち込んだ。
2007年10月30日火(曇り)在中国九江
検査のための手術を受ける
部分麻酔を受け、右手動脈に器具を挿入。造影剤を注入し、心臓および周辺の機能を映像で映してもらった。病名は冠心病。日本ではなんと言う病名がついているのだろうか。環状脈不全とでも言うのだろうか。
検査の結果、不全動脈の血流をスムーズにする治療をしなければならないということになった。九江で治療するか日本へ帰って治療するかを決めねばならなくなった。主治医は家族とも相談して決断するよう促した。とりあえず、家族に発作と入院のことを電話で知らせる。
また、検査手術を受けるにあたり、20項目以上の確認事項を読まされ、これに同意のサインをした。その内容は、ペニシリンショックはないか、他起こりうるあらゆるリスクが列記され、それを承知で手術に臨む段取り。
入院時の病院の一日のメニューは通常次のとおり。
AM6:00 血圧測定・体温測定(朝食はなし。各自自前で摂る)
AM8:00 回診(問診・聴診ほか)
AM8:00 血圧測定・ペニシリン剤皮下注射・投薬(飲み薬)・点滴
AM10:00 血圧測定・血液検査体温測定
AM12:00 血圧測定・錠剤服薬(昼食は給食なし。自前で摂る)体温測定、点滴(栄養剤ほか)
PM14:00 血圧測定
PM16:00 血圧測定(たまに血液検査用の採血)
PM18:00 血圧測定・錠剤服薬、皮下注射(ペニシリン系)
PM20:00 血圧測定・錠剤服薬・検温
以上が私の場合の入院生活の流れである。以下、通常入院生活と記した場合は上記の経過を繰り返すことと理解されたし。
以上をまとめると
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)、検温3回、皮下注射2回、血圧測定4~6回、服薬5回、点滴2~3瓶となる
* 九江で入院② ……2007/11/18…
2007年11月1日木(晴れ)在中国九江
同僚の先生方も授業の合間を見て、見舞いに来てくれる。魚のスープが体にいいからと手作りの料理を持参する先生も。いやはや恐縮の至り。生徒たちがあまり次々見舞いに来るので、病院側が調整するように学校側に申し入れたらしく、今日ごろから人数を減らしてきた。その代わり、2名ずる必ず付き添うってくれるようになった。昼は女学生、夜は男子学生である。特に男子学生は不眠で付き添ってくれるので、こちらのほうが恐縮した。
週18時間受け持っていた授業はWeeksさんと木村さんで肩代わりしてくださることになった。すみません。
病院生活はメニューどおり
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
2007年11月2日金(晴れ)在中国九江
樫根会長の見舞い。丁度九江を友好訪問しておられた奈良県大和高田市の九江高田友好会会長の樫根さんと木村さん、菅谷さんが見舞いにきてくださった。治療手術は日本でされることを盛んに薦めてくださった。感謝して、手術場所を決断するときの参考にさせていただくことにする。
病院生活はメニューどおり
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
2007年11月3日土(晴れ)在中国九江
特にお世話になった人。九江市外事弁公司の于紅さんには特別にお世話になる。彼女は私のために何日も職場を休んで食事を運んだり、病院との交渉ごとに取り組んでくださった。あとで分かったことだが、九江市で初めて外国人が入院したというので、万善を期すように上司に言われたそうで。その後は公務で来てくださった。その上司も花を持って見舞いに来てくださる。また、呂栄さんも毎日ベッドを訪れ、手作りの食事を運んでくれる。
病院生活はメニューどおり
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
2007年11月4日日(晴れ)在中国九江
樫根会長3回目のお見舞い。明日11月5日は早朝九江を離れ、高田市に帰られるということで、お見舞いをいただいた。菅谷さんも同行された。みなさんほんとにありがとう。毎日がほんとに感謝感謝の生活で「ありがとう」の連発である。
病院生活はメニューどおり
今日は主の日。いつもなら必ず教会へ行くのであるが、今回だけは動けなかった。ベッドの上で、み名をたたえ、祈る。主の加護を信じて心は平安である。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
2007年11月5日月(晴れ)在中国九江
学生や、于紅さん、呂栄さんの見舞いや、病院との手術の費用とうについて交渉してくださる。
* 九江での入院③九江で手術する事を決心 ……2007/11/18…
2007年11月6日火(晴れ)在中国九江
教会の兄弟姉妹の見舞。九江市キリスト教会・九江県キリスト教会ん・九江学院学生信徒集会・大樹の下家庭教会の皆さんが入れ替わり見舞いに来てくださる。信徒の見舞いは、祈りを伴うのでとても心強い。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
2007年11月7日水(晴れ)在中国九江
九江で手術を受けることを決断
入院していても日はどんどん過ぎていく。さて、日本へ帰って治療するか、九江でするか、決断しなければならない。日本で治療したほうがいいと薦める人はたくさんいた。
でも、11月29日緊急入院以来、朝6時ごろ、トイレにおきると決まって小さな発作が起きる。時には、冷や汗が出るほど抓めることもある。如何にして日本までたどり着くか、とても自信がない。妻と相談し、家族にもその旨連絡し、九江で治療を受けることに決断した。
すべてを神に委ね、九江の医師、医療技術を信じて委ねるのが一番と決心した。かくて、決心がつくと、その旨、主治医に伝えた。主治医は、病院関係者一丸となって、治療に当たること。南昌から、この種の手術に経験豊富な医師を要請してあげること、心配しないでわれわれに任せてほしいといった。
もとより、信頼しているので、心から「アイ トラスト ユウー(I trust you)」といった。心はとても平安で何の心配もない。
同室の患者やその家族と友達になる。
入院して一週間もすると、同室の人々との関わりが面白くなる。まして、日本人が入院しているという噂はそこら中に飛び交う。そんなわけで、はじめは「ニーハオ」だけの挨拶だが、だんだんと話が弾むようになる。病状を尋ねる人、心臓疾患によい食べもの、悪い食べ物などの講釈。いつの間にか、心が通うようになる。中国語は単発しか話せないが、気持ちは結構伝わるものである。食事をしていると、わざわざ食べているものを観察し、「これはいい、・・・いけない。」と注文が出る。どこにもお節介屋さんはいるものである。そんなひとは即実行の人でもあり、翌日は野菜やさかなのスープをもってきて食べなさいと差し出してくれる。こんなそんなで、九江人はとても親切だと思う。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
* 九江で入院④ ……2007/11/18…
2007年11月8日木(晴れ)在中国九江
学生たちの対応
日本語科の学生は合計で360人余である。そのうちの120名ぐらいが、見舞いに来たと思う。「先生。元気になりますよ」 ありがたい励ましである。
元気になるよ。勉強はしっかり続けようね」、「はい、しますよ」、とかわいいらしい。
あまりひっきりなしに来られると、患者のためにも、周りの同室患者のためにもよくないということで、主任教師が代表で行くように調整してくれた。昼間は女生徒2人、夜は男子生徒2人が交代で看病に付き添ってくれる。
ほんとに「ご苦労さん」と何度も何度もいった。女生徒たちの柔らかい手で手をさすってもらったり、頭をマッサージしてもらうととても気持ちよかった。孫に看病さている錯覚を覚える。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温3回
2007年11月8日木(晴れ)在中国九江
手術と平安
手術にあたり、担当医師から「不安はないか」「鎮静剤をあげましょうか」と提案があったが、自分としては何の不安もなかった。平安そのものである。神がともにいてくださるのに何の不安があろう。「鎮静剤はいりません」ということで手術台のあがることにした。
午後3時、迎えの車が来て、手術室に運ばる。てっきり、付属病院の施術室と思いきや、七一七解放軍病院の施術室に運ばれた。
この場所は1945年8月までは日本軍の陸軍病院であったところ。なにか不思議な縁を感じる。
3時10分、南昌から出張された、博士が執刀されることなる。この博士四十代の人で、経験、技術ともに豊富な方と聞く。そこまで、わたしのために配慮してくれた学院・病院・市政府スタッフの皆さんに感謝したい。
局部麻酔をうち、体のあちこちに心電図のアタッチメントをつけられた。ツッ・ツッ・ツッ・・・・という定期的な音と、目前にライトが強く感じられた。でも気分は安定している。
67年前、この地で他界した弟の姿が急に浮かんだ・「清ちゃん、兄ちゃんも手術だよ。見てナ」また、「主よ、あなたの十字架の苦しみは如何ばかりでしたでしょう。そのおかげで、世界中の人々が、死から解放されました。僕も平安です。もし、この世で命を落としても、あなたの国へ移されるなら、もっと幸いです。すべてをみ手に委ねます。生きるのも主のため、死ぬるもまたよし」と祈る。
右手首を切開し穴をあける。次に心臓まで挿入する器具が装着され、局部麻酔が打たれ、疾患部分の動脈を広げる作業に入る。何か異物が手首、腕、右骨下、心臓へと入っていくのが感じられる。
多少の痛みも感じる。「OK」「OK」という医師たちの掛け声がはっきり聞こえる。「ハーラ」(成功・終了)の声。
約40分間で手術は終わった。「ハーラ」。医師たちはマスクをはずし、自分もモニター室に運ばれ、術前の悪い血管の部分の動画と、器具挿入し、血管を広げる作業の動画、および、作業終了後に、血管が正常に働いている動画を見せてくれた。まったく、感謝!
「新しい命をもう一回いただいた」という実感。帰りは歩いて車のところまで行き、入院室に向かう。かくて、午後4時30分、付属病院入院病棟9階17号ベッドに落ち着く。あとは点滴と血圧測定が一時間毎に行われる。
この晩は、絶対安静ということで、小便も尿瓶でとった。とても、快適とはいえない。尿意はあるのに、尿がなかなか出て来ない。最初のひと吹きがでると、あとは気持ちよく出る。点滴6瓶も打ったので、6回ほど寝たままで放尿する。
かくて、手術第一日は過ぎた。1時間ごとの血圧測定で、結局眠れなかった。外は、白々と明けていった。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定10回、服薬5回、点滴6瓶、検温3回
2007年11月10日土(晴れ)在中国九江
安静と瞑想
術後の安静に心がける。発作らしきもの全然なく、気分も爽快。
健康になり、帰国したら今まで以上に日中友好の働きをしたいと思う。また、うとうとしている間に思いついたことを文書にしたためておこう。霊界の饗宴を書くこともそのひとつ。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、検温3回、点滴3瓶
2007年11月11日日(晴れ)在中国九江
家族との連絡
日本にいる子供たちに手術の成功と快方に向かいつつあることを連絡する。こどもたちもみなほっとしたことだろう。
2人部屋があいたので移るかと看護婦がいったので、移動した。しかし、もう一人の先客はタバコの喫煙者で、「しまった来るんじゃなかった」と思ったが、その患者は点滴が済めばさっさと帰宅するので助かる。1日3時間の辛抱だ。窓を開けてできるだけニコチン臭を外に出す。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶 検温3回、心電図測定
入院して2回目の聖なる日である。教会へいけないが、マタイによる福音を通読する。この福音書はユダヤ人向けのイエス伝といわれる。「なになにすべし」的表現が多い。イエスの民衆に接する姿、奇跡、祈り、悲しみ、怒りがつづられ、十字架への路が堂々と記されている。
十字架と葬りと復活。これはすべて聖書(旧約聖書)にある予言の成就として行われたとマタイはいう。メシアとして予言されていることがこのイエス・キリストによってすべて成就したことを強調する。したがって、イエス・キリストこそがメシア(約束の救い主)であると結論する。
* 九江で入院⑤記者会見 ……2007/11/18…
2007年11月12日月(晴れ)在中国九江
午前回診、点滴。
午後:新聞社やテレビ局のインタビュー
新聞社3社、テレビ局1社。于紅さん通訳。インタビュー内容おおよそ次のとおり。
1、 Qどんなきっかけで九江へ来たのか A:九江へ来ることは十数年来の希望であり、2004年9月その希望がかなえられたこと。九江出身の吉原さんに出会ったことで九江学院へのボランテアの路が開いたこと。幼少時、九江にいたことなど話す。
2、 Q幼少のとき中国人のこどもと遊んだことがあるか。A:よく遊んだ。
3、 Q:そのとき何か迫害などはなかったか。A:全然ない。自由に楽しく遊んだものだ。安全だった。両親も中国人と遊んではいけないとは一言もいわなかった。
4、 Q:幼少のときと今とで、九江が大きく変わった印象は。A:甘とう湖や南湖の風景は昔のまま。ただ、建築物が高層化した。67年前は、平屋のレンガ造り瓦葺の家ばかりであった。多きいい建物といえば、教会、寺院、病院、銀行、学校ぐらいだった。
5、 Q1945年ごろの日本の教育はどうだったか。A:鬼畜米英・大東亜共栄圏を叩き込まれた。中国には何も恨みはなかった。大東亜共栄圏といってもそれは建前で、実際は日本が中国へ侵攻し、中国人民に多大な迷惑をかけたことは心が痛む。
6、 Q:ここ2、3年の九江生活でどんなことを感じたか。A:中国の若者たちの学習熱心。老人をいたわる気持ちがとても優れていると思う。たとえば、公共バス内でどんなに混雑していても、席を譲ってくれるなど。徹底している。まず、100%だ。そのほか、物価が安いので助かる。とても暮らしやすい。経費が日本の10分の1ですむ。。
7、 Q:中国の医療についてどう思うか。A:とても進んでいる。私は今回自分の治療で先端技術による提供を受けた。それに、医師も看護士も職員もみな親切だ。誠心誠意で取り組む気持ちがよく伝わった。感謝している。それに、学院関係者、学生が日夜見舞いや看護の手伝いをしてくれた。泊り込みの看護には恐縮のほかはない。また、同室の入院患者とも親しくなり、かれらも病院生活の要領を親切に教ええくれた。
その他、学歴、日本での職業について訊ねられた。また、居合わせた学生にもインタビューしていた。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定6回、服薬5回、点滴3瓶、検温2回
夜、息子の基宣から竹川さんが52歳で逝去したこと。信一が就業中に落下して肋骨4本を折り、入院したこと。孫の翼がサッカー試合中に靭帯裂傷の事故にあい、入院したこと。等の連絡があった。
「すべてのこと合い働きて益となる」の御言葉を信じて、各人このことを通していっそう主に近づくことであろう。
2007年11月13日火(晴れ)在中国九江
午前8時于紅さん来る。退院の件について主治医と院長に聞いてくるとのこと。退院は16日金曜日となった。
午前11時過ぎ九江教会の役員牧師4名見舞いに来る。祈りをし、賛美を歌う。同室には、他の人が誰もいなかったので、大きな声で賛美することができた。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認・手術の傷口の状況確認)皮下注射2回、血圧測定4回、服薬5回、点滴2瓶、検温2回
2007年11月14日水(曇り)在中国九江
気分爽快。午後散髪の為外出する。バスを使い、往復したが、体には異常なし。すっかり、正常になったようだ。学院外国人交流センターの帥さんとオスカーさんが見舞いに来る。
家庭教会の蔡牧師夫妻が見舞いに来る。ベッドわきで祈ってくださる。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射2回、血圧測定4回、服薬5回、点滴1瓶、検温1回
病室の見舞い人が時々マッサージをしてくれる。ことの起こりは、頭痛がしたとき学生に頼んで頭部こめかみを指で押さえてもらったとき、隣の老人を看病に来ていた40歳過ぎの婦人が見ていて、いきなり学生に「そんなんじゃ駄目」とでもいいたかったのだろう。「どれ、交代」といって頭をさすり、もみ始めた。その気持ちよいこと。すっかり満足して「謝謝」の連発。このサービス4回ほど無料でいただいた。
神様はいろんな人を送ってくださるものだと感謝!
写真:現地新聞のスキャン
* 九江で入院⑥退院 ……2007/11/18…
2007年11月15日木(晴れ)在中国九江
体力も日々加わり、30分ぐらい屋外にでて歩くがなんの障害もでない。いよいよ退院の日も近い。皮下注射も1かいとなり、検温もなくなった。確実に正常になりつつある証拠だ。感謝!
呂栄のこと。彼女は毎日午後食事を運んだり、身辺の世話をしてくれる。「そんなにがんばると疲れるよ」といっても、「何もしないでいることのほうが疲れます。心配しているより、先生のそばにいたほうがいい。」といって聞かない。時々は私の好きな天津栗を買ってきて、剥いて食べさせてくれる。マッサージをしてくれる。いやはや身内のものように熱心である。孫の看病と理解して感謝して受ける。
昨日の新聞取材で、九江晩報に入院生活の記事が写真入でていた。散髪屋にいくと、「あ、今朝新聞に出ていた人だ」といって喜んでくれた。すっかり有名人になったものだ。
あすは退院となると、少し興奮気味でなかなか寝付かれない。バカヤローの公榮!主に頼るものは平常心平常心。しっかりせいと自分に言い聞かせる。
回診2回(問診・聴診・脈拍・排便確認)皮下注射1回、血圧測定4回、服薬5回、点滴1瓶、検温0回
2007年11月16日金(雨のち曇り)在中国九江
午前:点滴
退院
午後、入院加療費の清算をし、九江学院国際交流課の呉さんの迎えで車に乗り、無事宿舎についた。19日ぶりの宿舎の生活。あすは病院生活の総括をし、心の整理をしたい。
* 九江で入院(総括) ……2007/11/18…
2007年11月17日土(晴れ)在中国九江
入院加療の総括
今回、はからずも家族と離れる九江市で心臓発作を起こし、急遽入院加療することになった。私なりに総括し、他の参考に供したい。
声を大にして言いたいこと
1、 中国人の優しさ
2、 中国医療技術の進歩
3、 信仰による平安
である。その内容については拙文「九江で入院」①~⑥にまとめられているので興味のある方はお読み願いたい。
「人間どこへ行き、どこで住んでも是天国」というのが私の感想である。祈ってくださった方、心配してくださった方、親切にしてくださった方、医療従事者の方、九江学院の方、九江市政府の方ほんとにありがとう。
謝謝!謝謝! 2007・11・18池田公榮記
kenhou の発言:こんにちは
kenhou の発言:もう家に帰りましたか
池田公榮 の発言:こんにちは。お世話になりました。昨日退院しました。いまとても元気だよ。
kenhou の発言:そうですか、よかった
写真説明
九江学院付属病院 医学部キャンパスの一角に病院がある。
* 遅咲きのヒマワリ ……2007/11/27…
2007年11月27日火(快晴)在中国九江
11月も終わりともなれば、九江はコートなしでは外出できない季節である。朝夕はストーブも恋しくなる。日本も北陸では積雪のニュース。冬が駆け足でやってくる。
こんな季節に九江学院国際交流室の入り口にヒマワリが咲き誇っている。今年は4月に蒔いた種が7月に開花し、9月に蒔いた種が今開花した。この分だと12月10日ぐらいまでは綺麗な黄色を鑑賞できることだろう。
学院の生徒教師らも花を観て大変喜んでいる。ある青年は苗が欲しいといって、蕾の付いたものを土をつけて根ごとも持ち帰ったものもいる。ネパールからの先生は自分のパソコンの壁紙に貼り付けたりした。また、カメラに収める人も多い。
この時期にヒマワリが咲くことはすでに実験済みである。数年前に、鹿児島で12月に開花させたとき、NHK鹿児島が全国に放送したことがある。折しも寒波が全国に舞い込んだタイミングで、全国の皆さんの心に太陽の光ならぬ鮮やかな黄色の温かみをプレゼントができた。
遅咲きのヒマワリはまた、子供の成長や教育で悩んでいる親御さんたちに励ましを与えたりもした。「こんなに季節を外れて咲くヒマワリもあるんだということを知り、勇気付けられました。種を植え、水をやり、病気を予防しておれば、遅くなっても花は咲くんですね」と遅咲きのヒマワリとわが子の成長の遅れを重ねて勇気を持ってくれた人もいた。
九江学院でもよく出来る学生もいるが、半分ぐらいは勉強はしても、なかなか上達しない日本語科生徒がいる。「教え方が悪いのかな」など自分を責めたりもする。
こんな生徒に「遅咲きのヒマワリの実在」を示したい。「汝、憂うるなかれ」。「しいら豆の先走り」(実の入らぬ豆は早くはじける)という言葉あり。遅咲きでも人を感動させることができるのだ。
写真左:季節はずれのヒマワリ(人物の後ろにある黄色は中国の野菊。春移植したしたものがいっぱい咲いて人々を喜ばせた。
写真中:ヒマワリの近影。
写真右:九江学院国際交流センター入り口で
* 于紅さんのこと ……2007/12/06…
于紅さんと出会ったのは3年前の夏、教会であった。彼女は信徒ではないが、以後最もお世話になった中国人の一人である。彼女は以前日本に通算8年ぐらい過ごした方。
最初は茨城県宇都宮市で県庁国際交流課の交流員として勤務されたことがある。
以後、大和高田市と九江市の友好事業にも深く関わり、現在では九江市の九江市人民政府外事弁公室に勤務し、中国要人の外国訪問手続きを一手に引き受けておられる。
今回の入院については誰よりも心配してくださり、朝夕の食事のことから、病院との交渉、新聞社のインタビューのきっかけなどを作ってくださった。
于紅さんの日本語能力は抜群で、通訳としても優れており、九江学院の日本語科の生徒にとっては憧れの的。日本滞在中、鹿児島も訪問旅行されたと聞いた。
日本のことをよく理解しておられる于紅さんの存在は日中友好に欠かせない存在である。
九江市人民政府外事弁公室于紅
九江市十里大道225号海岸賓館5楼
TEL:(86)792-822-7911
FAX:(86)792-8227100
手机13979299004, 8187150
E-mail:yuhong_jj@163.com
SKYPE: smile_uko
写真左:右側于紅さん
写真中:左端于紅さん
写真右:九江市長江側
* 術後の検査 ……2007/12/09…
2007年12月7日金(晴れ)在中国九江
病院での検査
11月16日に退院して以来、10日に1回の割りで、術後の検査を受けるように指導され、実施した。
2回にわたり、問診と心電図検査を受けたが、いずれも順調に回復し、「教壇に立ってもよい」とのことであった。また、いつでも帰国しても大丈夫との太鼓判を押された。
担当医師や看護士の皆さんの愛と真心のこもった治療介護には心から感謝したい。その印となるようにと、「感謝旗」を作って贈呈した。快く受け取ってくださったのでうれしかった。
写真左:感謝旗を贈呈する
写真中:主任医師(手前)はじめ、看護士の皆さんとともに心電図の検討
写真右:病室で知り合った患者さんを慰問。
* 取材を受ける ……2007/12/09…
2007年12月7日金(晴れ)在中国九江
外事弁のう紅さんの肝いりで、テレビ局の取材を受けることになり、「日本人患者回復する」とでも言う番組の作成に付き合った。
病院での感謝旗の贈呈、学院での生徒たちのインタビューなどに付き合った。12月10日の地元テレビ局で放映されるそうである。
写真左:デレクターとカメラマンとともに
写真中:学生たちとキャンパス散策の風景
写真右:学院キャンパス散策場面
* 学生の料理 ……2007/12/09…
2007年12月8日土(曇り)在中国九江
学生のグループが手作り料理でお別れ会をしましょうと食材を買い込んで来た。家内も手伝わせず。「奥さんは休んでいて」と炊事場を占領されてしまう。
なんと、男子学生が料理を主導する。普段見ることのない場面である。手つき、包丁さばき、味付けなどが素人離れしている。実家が食堂なんだろうか。女子学生ももっぱら脇役だった。
途中で油が足りなくなって、ある女子学生は買い物に走る。中国料理はやはり油を沢山使うんだとつくづく思う。
さあ、出来上がり。みんなでいただきまーす。「うーん、おいしい。」(ハウチー)
中国人が味付けしたものは、家内の味付けとどこか違う。
写真左と中:台所は学生に占領されて
写真右:食事の後で、一同カメラに収まる
* 九江を離れる ……2007/12/17…
2007・12・11・月
九江学院の皆さんや、学生たちとお別れ。
3年半過ごした九江にお別れする。
出立の間際まで学生が入れ代わり、挨拶に来る。
また、この地に来たいという希望があるが、実現するかどうか分からない。そのときは旅行者の一人として、もう一度学生たちを訪ねたい。
写真左:駅まで見送りにきてくれた、うこうさんや、呂栄さん、教会の程さんたち
写真中:見送りに駆けつけた学生たちと
写真右:外国語教師の世話を担当してくださった帥さん
* 上海で ……2007/12/17…
2000・12・11(火曜日)
上海で卒業生の呉越さんと会う。南京路など散策し、昼食と夕食を共にする。
彼女は九江で最初に担当した生徒。九江市武宇の出身だが、両親が蘇州で事業を興している関係もあって蘇州での就職を願った。
幸い、SONY関係の企業に就職でき、上司からの信頼も篤いようである。
写真左:南京路での記念写真
写真中:廬山の明けがた
写真右:浦東国際空港を飛び立ち
* 新年のあいさつ ……2008/01/04…
九工学院及び九江市のみなさま
新年おめでとうございます。
新しい年が皆様にとって祝された年になりますように。日中の絆がますます強く大きくなることを念願します。
私にとって、3年半の期間、九工学院の学生と交流することを通してささやかながら友好の絆を果たすことができました。
迎えてくれた学院に感謝します。
また九江で知己を得た多くの九江人に感謝します。 九江のキリスト教会の皆様に感謝します。
これからの私の務めは、九江を日本の多くの方や方面に紹介し、あのすばらしい九江へ足を運んでいただく宣伝とお手伝いをすることと考えております。また、反対に、九江の人が鹿児島に足を運んでくれるように希望しております。
九江市は奈良、岡山との接点はありますが、鹿児島との接点はまだです。
実は九江と鹿児島には多くの共通点があります。
自然遺産で廬山と屋久島、温泉で星子と指宿・霧島、文化で鑑真和尚の東林寺と坊津、そのほか農業、園芸、魚貝類の養殖などで多くの共通点があります。
これらの自然や文化を相互に発信し、協力することが互恵につながると思います。
今までの私の書き込み「虹の架け橋」は、主に九江から発信しましたがしばらくは鹿児島からの発信になります。お読みいただければ幸いです。
2008年正月 鹿児島 池田公榮
写真左:新春の鹿児島 桜島は鹿児島のシンボル
写真中:種子島の新春 日の出
写真右:新春の種子島 鉄砲伝来記念ブロンズ(1543年ポルトガルから伝わった火縄銃を国産銃につくりあげた八板金兵衛像)
* 九江市の友へ ……2008/01/05…
日本へ帰ってみたら鹿児島市に辛亥革命(1909年)の勇士黄興記念碑が建立されていました。
鹿児島から九江市民、九工学院の皆さんへの発信として送ります。
黄興(1874~1916)略歴
1874年湖南省長沙に生る。岳麓書院に学び、日本に留学する。中国革命の夢に燃え、夢を果たすも、志半ばにして上海に病死す。
大の西郷隆盛好きで、1909年、西郷の眠る鹿児島の南州墓地を訪れ、以下の歌を残す。
八千師弟甘同塚
世事維争一局棋
悔鋳当年九州錯
勤皇師不撲王師
誰いうとなく、黄興のことを「中国の西郷」と呼ぶ。
黄興についての詳しい記事ご覧ください。
①辛亥革命と黄興
②西郷と黄興
③黄興の除幕式
以上の3ブログを是非お読みください。
私の願い
私は九江の図書館で黄興について調べようとしまたが、ほとんど参考になる図書がありませんでした。
黄興の墓は長沙岳麓山に誰より高い位地にに建立されています。中国を愛した志士たちの一人として、もっと中国の人に評価されてよいと思います。
黄興を知ることによって、中国が清朝から共和制へ移行する経緯や、日本人が国としてではなく、個人として関わり、エールを送った人がいたことが分かります。
従って、黄興を知ることは中日友好のルーツを知ることにもつながります。
写真左:九江の水辺
写真中:黄興が1909年西郷隆盛を慕い、墓参に来たことを記念する除幕された碑
写真右:除幕当時の新聞記事
* 四川大地震について ……2008/05/30…
九江市民と九江学院の皆様
このたびの、四川大地震につきましては、規模および被害の甚大さにおいて類をみないほどのものです。
被災されました皆様に心からお見舞い申し仕上げます。死亡なさいました方のご家族の悲しみを思いますと、一日も早く立ち直られますよう、祈念いたします。
また、衣食住の問題も大変だとおもいます。こんなときこそ、すべての人が一致協力して、被災者救援に関心をもち、助け合うことができますように希望します。私も、地域の人に呼びかけ、当分の間、義捐金募集活動を行う決心をしております。皆様の精神的、環境的回復の一日も早からんことを祈るばかりです。
私の町鹿児島市でも、一般市民の皆様の地震被災者に対する、同情は計り知れないものがあります。
中国各地から鹿児島市内の大学に留学している中国人学生を中心に早速募金活動を始めました。中国領事館を通じて送金されるそうです。
この募金活動には鹿児島市日中友好協会の方が多く参加され、街頭募金を行いました。
鹿児島市で行われた募金活動の写真および動画はができます。 平安!!!
* 鉄砲祭 ……2008/08/26…
1543年8月、ポルトガル商人が乗船していた帆船が種子島近海で台風に遭遇した。このとき、島民は、当主を筆頭に遭難した乗組員を手厚く保護した。島主種子島時尭は、商人が携えていた鉄砲(火縄銃)に興味を示し、2丁の銃を入手し、島内の刀鍛治八板金兵衛に命じて、国産化を図る。苦労の末、国産銃の製造に成功し、以後、堺商人の手で急速に製造拡販され、いち早く武器として取り入れた織田信長により、長く続いた戦国時代に終止符を打つ契機となった。
種子島では毎年鉄砲伝来を記念して鉄砲祭りを開催する。今年は市制50周年とあいまって、日本全土から22団体の火縄銃研究グループが集まり、それぞれの演技を疲労した。
写真1、種子島とポルトガル友好の印として、水夫の像が建っている。(大阪万博で使用した像を移設したもの)
写真2、3:鉄砲の実射演技
* 鉄砲祭(続き) ……2008/08/26…
写真集
① 鉄砲隊パレード:22団体の鉄砲隊は各々の出で立ちで市中を歩き、市民との交流を深めた。
②③ 鉄砲隊にあわせ、フラダンスの披露や婦人連の手踊りも披露される
* 鉄砲祭(続き2) ……2008/08/26…
写真説明
パレードは学生・職場団体・婦人会など各種団体が趣向をこらして、参加した。
写真1:小学生の鼓笛パレード
写真2:太鼓同好会により演技
写真3:おどけた人形
* 秋節の花 ……2008/09/25…
9月23日は秋節。秋の彼岸ともいう。この時期になると、彼岸花があちこちに見られる。中国ではこのはな見かけなかったような気がする。中国のみなさん、見てください。
写真説明:1,2,3赤が一般的だが、最近は赤のほかにも黄、橙色の彼岸花も見かける。
* 敬老の日 ……2008/09/25…
9月15日は」敬老の日(敬老節)
この日は国民の祝日となっており、学校も官庁も休日。各地域で敬老行事が執り行われる。わたしの、種子島でも、敬老会が開催され、参加した。
写真説明・敬老会に出席したときのスナップ
* ライオンズクラブの活動 ……2008/09/25…
九工学院日本語交流室へ図書を送る事業に種子島ライオンズクラブ(獅子会)が参加した。
地域の人が九工学院日本語科の生徒の教材にと寄贈してくれた図書を同学院に送付するわけだが、その送料を同クラブが引き受けてくださった。
こんな形でも日中友好の活動ができるのも、ありがたいことである。
種子島ライオンズ・クラブは月2回例会を開き、国歌斉唱、ライオンズの歌で開会し、奉仕活動について協議したり、他の姉妹クラブと交流したりする。
ライオンズはLIONSの頭文字でたまたま、百獣の王ライオンと綴りが同じことから、獅子会というようになった。
L:Livertyー自由
I:Interigenceー知性
O:Ourー自国
N:Nationー国
S:Saftyー安全
その頭文字はLIONS(Lions)となる。
ライオンズ・クラブのモットー
“Liverty、Interigence、Our Nation’s Safty”
「我々は自由と知性を重んじ、自国の安全を願う」
アメリカ・シカゴを発祥の地とし、世界のライオンたちが地域のニーズに応える奉仕活動、清掃や交通安全活動のほか、青少年育成、交換学生制度、緊急災害時の援助などを行っている。
南北アメリカ、豪州、ヨーロッパ、アジア、アフリカにそれぞれ展開している。日本の近隣では韓国、台湾、香港、シンガポール、インド、マレーシアなど。台湾、香港では「獅子会」と呼ばれている。近年は中国シンセンにも結成されている。
写真:例会風景とライオンズ旗
* 秋の花 ……2008/09/25…
1,ゲッカビジン(月下美人)写真中月下美人は9月の花。しかも、真夜中に咲くので、早寝の習慣があるひとはなかなか看ることができない。夜中の11時頃開花し、30分後はしぼんでしまい、翌朝はしぼんだ花痕しかみれない。短命なだけ、その美しさは一入。可憐、優雅、哀れを感じさせる。
2,サボテン(写真左)
サボテン花は、一年に3回ほど開花する。花は長持ちしないけど、集合して咲くので遠くからでもよく目につく。
3,オシャンブリュー(写真右)
とても勢力ある花で朝顔科の一種。初夏から晩秋にむけて咲く。碧の鮮やかさが見物。繁茂が早く、夏のグリーンカーテン用に最適。
* 春節おめでとう ……2009/01/27…
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九江のみなさん
九江学院のみなさん
九江学院医学院のみなさん
九江学院外国語学院日本語科のみなさん
九江市基督教会のみなさん
九江市九江県(沙河)基督教会のみなさん
春節おめでとう。春節快楽!!
Happy New Years to Jiujaing Friends
わが故郷種子島で撮影した「二重の虹」の写真です。こんな虹、日本ではめったにみられません。とても珍しい。
写真説明 2009年1月25日撮影、種子島の日本実用衛星発射場の虹
* 春節宴会 ……2009/02/23…
2009年2月21日
鹿児島県日中友好協会春節宴会
鹿児島県内の友好団体と鹿児島にいる中国人学生が春節を祝い、市内のホテルに集まった。主に鹿児島大学に在学する中国の学生たちと行政の交流員として派遣されていた人たちであったが、10名以上の参加を得て楽しかった。
二人の学生による、2008年度の日本語スピーチコンテストの受賞者によるスピーチ実演をきいた。
理路整然と、日本語を駆使して、自分の考えをまとめて話していた。感心するばかりであった。
ある学生は、3月には就業を終えて帰国する者もいる。ある学生は、日本語を活かすため、トヨタ関連の会社に就職が決まり、日本で働くことになった者もいる。彼女はきっと中国向けのビズネスで活躍することであろう。
写真左:西方ウイグル地区のおどりを披露する留学生
写真中:中国人留学生・交流員紹介
写真右:参加者集合写真
* 九江市訪問旅行 ……2009/08/29…
2009年4月15日から同25日まで九江市を訪問した。
1,旅程
今回は福岡を起点に交通機関を選択した。福岡の良さは航空会社が2社なので、料金が安い。競争原理で、割引率が高い。会社名はチャイナエアラインと中国東方航空。料金は福岡ー上海間が往復4.8万円。
2,旅の目的と報告
今回は四つの目的で旅をした。
①は九江学院大学を訪ね、日本のマンガを届けること。マンガは日本語専攻の学生にとってはとてもよい教材になる。
私が教えた生徒たちもたくさん集まってくれた。後任の日本語教師とも会うことが出来、授業について情報の交換ができた。
九江学院大は私が2007年12月、同校を去ってから、キャンパスが随分と拡張された。人工13億の中国はあらゆる面で規模も大きい。生徒4万を引き受けるための拡張工事である。
ちなみに、Goagle アースで閲覧すると、九江学院の写真がふんだんに搭載されている。
②は九江教会の会堂建築献金を届けること。同教会は私が九江にいたとき、日曜礼拝に出席したことが縁で些少の献金を届けるためであった。新会堂もほとんどできあがっていた。旧会堂は2005年の九江地震で、壁に亀裂がはいり、危険建築物となったため、どうしても新築しなければならない事業であった。教役者を始め多くの信徒と親交を深めた。感謝!
③は妻とともにボランテアした幼稚園に手作りの小さな「コマ」を届けるためだった。園児数700人ぐらいの幼稚園なので800個用意した。園児たちは器用に回すことができ、うれしかった。園児職員と一緒に記念撮影をする。
④九江で狭心症を患い、大学付属病院にお世話になって一命をとりとめたが、お世話になった医師、保健師のみなさんにお礼をかねて訪問した。主治医の先生も大変喜んでくださり、「どれどれ」といった具合で、聴診器をとり、血圧をはかってくださった。中国のカテーテル手術の技術にお世話になったことがありがたい。
写真右:九江学院の日本語教師(中国人)とともに
写真左:九江学院日本語交流センターで学生たちと
写真中:付属病院の医師たちと(右から2番目のドクタ ーが私の手術を執り行った先生
* 国際結婚者のスピーチコンテスト ……2009/08/29…
毎年8月に、種子島では「鉄砲祭り」なる地域イベントがある。1543年台風に遭遇し、種子島に漂着したポルトガル人が島に上陸し、鉄砲を伝えた故事にちなんだもの。
鉄砲伝来の陰にはもうひとつ、国際結婚第1号といえる人の存在がある。鉄砲鍛冶の娘、若狭(わかさ)がかのポルトガル人と結ばれたのである。
当時の種子島島主に鉄砲の模倣制作を命じられた刀鍛冶の八板金兵衛(きんべい)は外観はそっくりのものを作ったが、試射してみると、銃底に不具合があり、よくない。
実は、銃底は「ネジ」で止めなければならなかったのであるが、当時の日本には「ネジを切る」技術も発想もなかった。
そこで、ポルトガル商人が、娘若狭に好意を持っていることを知り、ネジ切り技法と引き替えに、彼に嫁がせ、ここに国際結婚第一号がうまれた。
今回はこの故事にならい、スピーチコンテストが開かれた。参加者は県下各地区より11名(うち7名は種子島在住)が応募し、熱弁をふるった。国籍はポルトガル、アメリカ、トルコ、マレーシア、台湾、中国、韓国などであった。生活習慣、言語、宗教も違う者たちが、ただ夫婦愛という絆で結ばれ、喜怒哀楽を共有し乗り越えていくさまをユウーモアを交えて、聴衆の心をひいた。
参考:この記事は12009年8月25日の南日本新聞に詳しく掲載してあります。
写真左:台湾出身の女性
写真中央:参加者
写真右:中国(瀋陽)出身女性
* 中国教会訪問 ……2009/09/07…
九江沙河教会を訪問し、新築間近い教会堂をみて感謝。中国の地でも福音は人々の救いとなって拡大している。
* 衛生打ち上げ成功 ……2009/09/11…
H2B打ち上げ成功 補給船、軌道に投入/種子島宇宙センター
(2009 09/11 02:40)
HTVを搭載し、発射台から上昇するH2Bロケット初号機=11日午前2時1分54秒、南種子町の種子島宇宙センター
宇宙航空研究開発機構(宇宙機構)と三菱重工業は11日午前2時1分、国際宇宙ステーション(ISS)に物資を補給する無人補給船「HTV」を搭載した新型ロケット「H2B」初号機を種子島宇宙センター(南種子町)から打ち上げた。順調に飛行し、約15分後にHTVを分離、所定の軌道に投入し、打ち上げは成功した。
宇宙ステーションと軌道を合わせるため、未明の打ち上げとなった。
HTVは、日本初の宇宙物資補給船で全長10メートル、直径4.4メートル、重量10.5トン。ISSに滞在する宇宙飛行士の飲食物や観測装置計約4.5トンを搭載した。宇宙機構の筑波宇宙センター(茨城県つくば市)の指令を受けながら、18日午前にもISSにドッキングする。
H2Bは、HTVを運ぶために基幹ロケット「H2A」のメーンエンジンを2基同時に燃焼させる「クラスタ化」を導入、打ち上げ能力を約1.4倍増強した。
以上南日本新聞転載
* 漂流木 ……2009/10/03…
さきの台風8号で、台湾が人災を含めおおきな被害にあった。心からお見舞い申し上げたい。
ところで、その後、流木が潮に乗って九州南岸を漂流し、鹿児島と種子島・屋久島を結ぶ高速船が欠航のやむなきに至った。衝突の危険を避けるためにはやむを得ない。
9月11日から約10日間。住民は海上の足を奪われて大変困った。
対策として、海上自衛隊・海上保安庁・地元の漁船が出動して、漂流木を回収し、陸揚げしている。
写真左・中 陸揚げされた漂流木
写真右 心なごませる秋の花
* 大型客船飛鳥Ⅱ寄港 ……2009/10/03…
2009年9月末、種子島西之表港に大型客船飛鳥Ⅱが寄港し、乗客は種子島・屋久島観光を楽しんだ。飛鳥Ⅱは約5万2千トンの豪華客船。
久しぶりに島がにぎわった。
* 呉越の日本旅行記1 ……2010/02/25…
「幸せな旅-日本訪問記」
平成22年2月14日
作者:呉 越
2009年の暮れから2010年1月末まで約一ヶ月の間、ありがたいことに大学時代、お世話になった日本人の先生-池田公栄・久子先生に招かれ、日本の文化、言語を学ぶ体験をさせて頂くことになりました。今回の訪問を通じて中日友好の架け橋となれるよう頑張っていきたいと強く実感しました。中日の絆がますます強く大きくなることを念願します。
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旅先1.九州福岡・・・2009年(平成21年)12月28日~31日
『12月28日午後、上海浦東から福岡へ』
初めての福岡への旅でしたが、ワクワクするとともに、素晴らしさやロマンを感じさせる都市です。
心暖かく迎えてくれた池田先生をはじめとして肥田おじさんのご家族皆様が、私の訪問に非常に感激してくれて、涙が出るほど嬉しかったです。肥田さんは定年前までJALのパイロットをしていた方で、とても優しいおじさんです。二日間のホームステイをさせて頂いただけでなく、色々な所を案内してくれました。また、肥田おばさんからは、手作りの美味しい料理をご馳走になり、大変感慨深かったです。肥田家の皆様には本当に色々お世話になり、心から感謝しております。
私が想像していた以上にきれいな博多を離れた時、「またチャンスがあれば、いつか来たいな」って頭の中に浮かんできました。
観光スポット:太宰府、福岡タワー、キャナルシティ、カラオケ、
海沿い福岡全景観光、岩田屋
料理:博多ラーメン、梅もち、お寿司、明太子、おでん
肥田ご一家
写真左:呉越歓迎のケーキ
写真中:大宰府天満宮でホストファミリーの肥田さん
写真右:肥田家のみなさんと
* 呉越の日本旅行記2 ……2010/02/25…
旅先2.九州鹿児島・・・2010年(平成22年)1月1日~3日
福岡から長距離バスを利用して鹿児島へ向かう途中に、高速道路の両側に見えた緑の美しさに目を引かれました。日本の自然景色は本当に素晴らしいですね。
鹿児島を旅する上で、魅力的なスポットがいっぱいありすぎて、どこへ行こうか迷いましたが、まず日本のお正月を体験しよう!と思いました。中国と違い、元日は日本の新年です。
朝一番に、池田先生が案内してくれて教会の新年礼拝に出席しました。それから照国神社の初詣に行きました。初めて日本語を勉強した時に、教科書の中でよく「初詣、初詣」と出てきたことを思い出し、今回日本で実際に体験することができて本当に良かったと思います。
次は桜島です、桜島は鹿児島のシンボルです。今も噴煙をあげる桜島は鹿児島県本土のいろいろな場所から見ることが出来ます。
盛んに火山活動を続けている桜島の影響を受けて鹿児島には多くの良質な温泉があります。お金をかけずに、もっと手軽に温泉気分を味わってみたい人にお勧めなのは「足湯」です。雄大な桜島や海を見ながら「ただ」の足湯を満喫するのは最高だと思います。私は半日で2回も体験しました。
鹿児島は、県内各地に魅力的な観光地がいっぱい!一度の滞在では回りきれないかもしれないから、何度も訪れて是非鹿児島を楽しんでほしいな!
印象的な出会い:残留孤児の吉原さんを訪ねました。日本へ来て始めて半分中国人である方と交流しました。
観光スポット:桜島、城山展望所、南洲墓地(西郷隆盛・中国辛亥革命の勇士黄興)、神社、天文館、大久保利の銅像、照国神社、足湯の体験
写真左2010年の元旦は鹿児島市で迎える。門松と呉越
写真中:桜島を背景に足湯で満足
写真右:辛亥革命の指導者の一人、黄興が鹿児島の西郷さんを慕い訪問した記念碑の前で
* 呉越の日本旅行記3 ……2010/02/25…
旅先3.種子島・・・2010年(平成22年)1月3日~13日
『トッピーに乗ってブルーの海に囲まれている南海に浮かぶ島―種子島へ』
鉄砲伝来やロケットの島として有名ですが、美しい景観に恵まれ、人情豊かで温かさのある種子島は池田先生の故郷です。今回の旅では、ここが一番長く滞在した場所でもあり、大変貴重な異文化体験ができたところです。本当に池田先生、久子先生に言葉が出ないほど感謝しています。
栄子先生が毎日美味しい料理を作ってくれたり、成人式、お茶会、消防出初式などに参加させてもらったりしたことは中国では、決して得ることができない貴重な体験です。本当に感動し、また嬉しかった。
毎日幼稚園の子供たちと遊んだり、一緒にお菓子を飲んだりしましたが、子供の可愛さと純粋さに心を打たれました。みんなの可愛い笑顔は中国へ帰った今でも、いつも脳裏に浮かんできます。
初めて島に着いた夜に、風の音が大きく眠れなかったため、先生に「風がすごいですね、建物は大丈夫ですか?」って伝えたことも今では、それは本当に子供みたいだなって感じています。この透き通るような青い空、青い海、そして緑豊かな島は住みやすいけど、その反面、日本人は本当に自然災害と戦わなければならないよねってその時実感しました。
また、お葬式まで体験させてもらって、夜、帰りにお墓のところを通り、その怖かった気持ちがあったので、翌日の告別式に参加できなかったことは本当に面白かったです。
お茶会の時、日本式の座り方に慣れなかった私が最後に倒れた時もみんなが優しくしてくれて、大目に見てくれたことは本当に感動しました。
・・・・・・
種子島で、たくさんの日本の文化と人に触れ合い、たくさんの日本人の方々にお世話になったことを本当に心から感謝しております。このホームステイで学んだ一番大切なことは「異文化という壁があっても、お互いに友情や愛があればすべて乗り越えられる」ということです。異文化の違いに触れることは本当に一番の勉強になりました。
印象的な出来事:成人式、お茶会、ライオンズクラブ例会への参加
国際結婚の栗田さん、牛島さんの奥さんとの出会い
純日本風の田上さん、坂元さんを訪ね、木造建築物に触れたた事
ちひろ、悠子との出会い、小浜さんとの出会い
観光スポット:宇宙センター、河内温泉、門倉岬、種子島博物館、中種子町、南種子町、 池田先生ご夫婦
写真左:池田家の三女栄子さんと
写真中:ロケットセンターにて
写真右:お茶会に招かれて
* 呉越の日本旅行記4 ……2010/02/25…
旅先3.屋久島・・・2010年(平成22年)1月7日
『またトッピーに乗って世界自然遺産の屋久島へ』
実は毎回トッピーに乗った時に、海の向こうの中国を思っています。海を渡って別の国に来たのは簡単なようで実は難しいのです。
中国で私の故郷―世界遺産の廬山に誇りを持っている私は今回頭を下げなければなりません。屋久島には美しく貴重な自然がたくさんあります、他にも推定樹齢7200年といわれる縄文杉、白谷雲水峡など悠久の歴史を感じさせる自然など見所がたくさんあります。
屋久島へ来て日本人がどれぐらいこの貴重な森林を中心とした大自然を後世に伝えていく義務と責任を背負っているかが分かりました。
写真左:世界自然遺産の山屋久島で
写真中:屋久島の中腹
写真右:屋久島の中腹
* 呉越の日本旅行記5 ……2010/02/25…
旅先4.大阪・・・2010年(平成22年)1月14日~15日
「住めば都」田舎の生活はもう終わり、実に名残惜しいです。14日に種子島を離れて日本で一番可愛いJALに乗って大阪へ足を伸ばします。
大阪という町は上海と同じく、結構大都会です。いろんな忙しい人の勤勉さに支えてられていますが、そんな大阪の町並みの魅力に引かれ、私はこの町とすごく合うような気がします。特に、先生の息子さんのところに泊まって、日本人サラリーマンの生活というものをその時実感させられました。
大阪城周辺の緑豊かなゆったりとした景色や電車の中のサラリーマンの疲労感、心斎橋の若者のおしゃれから歴史的、文化的な遺産に至るまで、非常に印象深いものがありました。
いつかチャンスがあれば、この生き生きとした大阪で仕事と生活をしたいなって思いました。
印象的な出会い:栄先生、奥さんを訪ねる
池田先生の息子のご家族の皆様
観光スポット:大阪城、心斎橋
大阪城周辺
写真左:大阪城
写真右:秀吉と千姫
* 呉越の日本旅行記6 ……2010/02/25…
旅先5.奈良、京都・・・2010年(平成22年)1月15日~16日
『電車に乗って生駒山を越えて奈良へ』
ちょうど今年は平城遷都1300年を迎えるにあたり、日本の心の故郷の伝統と思いを伝え続けてきた奈良の地は、歴史の時を刻みながら、明日へと長い時間の旅を続ける文化であることを実感させられました。
この日は京子さんと久しぶり再会できたことがとても楽しかったです。たくさんのところを案内してくれてみんなで楽しいひと時を過ごしました。井村先生は用事があるので来られなかったことがちょっと残念ですが、先生から大切なお土産をもらい、嬉しくて感動しました。
夜、生駒聖書学院の女子寮に泊まったことはいい体験になりました。特に、栄先生と出会って、先生にいろいろ教えていただき、大変勉強になりました。またいろいろお世話になり、本当に感謝しております。
翌日、池田先生が用事があるので、先に鹿児島へ帰られました。奈良で先生と別れ、胸がいっぱいで感謝の言葉が出ずに一人で京都の旅へいきます。
まず、電車に乗った時、大損してしまいました。日本の電車は特急券、乗車券、指定券があります。
特急電車に乗る場合に乗車券以外に特急券が必要です。もし、指定車両に座ったら指定券も必要です。私は特急電車の指定車両に座りました。だから、他に特急券と指定券を払いました。このような異文化体験は本当に勉強になりました。中国へ帰ってもたくさんの友達に話しました。
京都の旅は私は一人でしたが、日本語が出来るから、挑戦する勇気と自信を持っています。
でも、いろいろあって、繁華街と駅周辺しか見れません。もし時間が許せば、いろんな観光スポットを訪問して見聞を広めるのも良いことだと思います。
歴史と文化そして景色と3拍子そろった奈良と京都の旅に大満足でした。
印象的な出会い:生駒聖書学院、栄先生
観光スポット :唐招提寺、東大寺、奈良公園、奈良歩行街、京都
京子さんと再会
写真左:京子さんと。鑑真の唐招提寺前
写真右:京都駅
* 呉越の日本旅行記7 ……2010/02/25…
旅先6.名古屋、豊田市・・・2010年(平成22年)1月16日~21日
『初めて日本の新幹線を体験して名古屋へ』
まず新幹線の費用に驚きました。京都から名古屋までの距離は上海から蘇州までと同じだけど、その10倍以上の差は本当に中国人の私にとってはびっくりです。
名古屋市は、400年の歴史と伝統の上に築かれた中部圏の中心都市です。金シャチが輝く名古屋城、徳川園などの歴史文化や産業技術記念館が多数あり、また、最近話題になっている「名古屋グルメ」は、きしめん、手羽先、味噌煮込みうどん等バラエティー豊富で様々な名古屋味も満喫しました。観光、工業都市として多彩な魅力を持っている名古屋で仕事がしたいなと再び思っていました。
名古屋で一番感動したことは糸賀さんの家を訪問したことです。糸賀おばさんは中国の旧満州で生まれて、戦争後日本へ戻ってから一度も中国へ行く機会がないということでしたが、家族みんなが中国のことに非常に興味を持っています。私が行く前に、みんなは中国語で「ニーハウ」を練習したことを聞いた時、私は感動しました。突然の訪問にもかかわらず、快くお相手していただき、また美味しい料理をご馳走になり、プレゼントまでたくさん頂いてしまい、言葉も出ないほど本当に感謝しております。糸賀おばさんとおじさんはこれからどんどん年をとっていきますが、この恩に対して、いつかみんなを中国へ招待できたらいいなと常にいつも思っています。
名古屋を観光して、買い物等をしてから、電車に乗って豊田市へ向かいました。
豊田市といえば、トヨタ自動車が本社を置く企業下町として知られています。今回のトヨタ記念館と本社の訪問を通じて、トヨタ自動車の発展の一旦を垣間見れたことは私にとって大変貴重な異文化体験でした。私は、以前、中国のソニーで勤めたときに生産革新の担当をしていました。生産革新というのはトヨタ生産方式を習っていて、社内でいろいろ改善をする部門です。より良い会社を作るために、現在ではトヨタ生産管理方式を勉強する会社が多くなってるそうです。トヨタ記念館へ行って、壁に貼ってある生産革新の言葉が再び脳裏に浮かんできました。私も改善リーダーとしてここへ来て本当に良かったですね。
印象的な出会い:糸賀さんのご家族様
観光スポット :名古屋城、大須商店街、東山スカイタワー、東山動植物園、トヨタ産業技術館、栄中心街、オアシス21、中日ビル、名古屋テレビ塔、名古屋大学
料理:味噌煮込みうどん、手羽先、きしめん
糸賀ご一家
写真左:お世話になった糸賀さん家族と共に
写真右:豊田自動車展示場で
* 呉越の日本旅行記8 ……2010/02/25…
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旅先7.東京、栃木県・・・2010年(平成22年)1月22日~26日
『富士山を見るために、新幹線の左側の席に座って東京へ』
せっかくの機会なので、中国でソニー勤務時代に、かつて大変お世話になった大好きな「オヤジ上司」と再会するため東京を訪れました。
様々な魅力を持っている東京は私が一番行きたい大都会です。ここの旅はとても楽しみでした。
まず、広く都民に親しまれている皇居前広場、桜名所-上野公園から、中国人もよく知る電気街-秋葉原、日本一とも言える洗練されたショッピング街「銀座」、それから昔ながらの風情が残っている町並みが魅力で、老舗も多く点在する浅草などまで。。。いたるところに国際都市の特色が溢れています。宮川さんのおかげで、東京で二日間の旅は足がちょっと疲れたけど、非常に楽しかったです。
『東京の旅を打ち切って、一時間ぐらいの電車に乗って栃木県へ』
豊かな植生を育み、豊かな自然のもとに古都やリゾート地などの観光資源を多数持っている栃木県は私の上司の故郷です。
最後、ここでホームステイをさせて頂き、大変楽しいひと時を過ごせました。宮川お父さんお母さんは私のことを自分の子供のように親しく扱ってくれて本当に感動しました。みんなとたくさん話が出来て、会えて本当に良かったと思います。できれば、後数日滞在してもっとゆっくり話が出来ればいいなって思いました。坂田おばあちゃんもそうです。あまり話ができなかったのはちょっと残念でしたが、このおばあちゃんと会えて心の底から良かったと思います。おばあちゃんの笑顔、親切さ、礼儀正しさはしっかり私の頭の中に刻まれています。本当に旅の最後の最後まで幸せでした。その幸せは中国へ帰った今でもいつも脳裏に浮かんできます。
印象的な出会い:坂田おばあちゃんとの出会い
観光スポット:皇居広場、秋葉原、上野公園、銀座、お台場、フジテレビ局
浅草、有楽町、アメ横、東京駅周辺
日光市、鹿沼市、宇都宮
宮川オヤジとお母さん
旅先8.東京ディズニーランド・・・2010年(平成22年)1月26日
『新幹線で宮川お母さんの手作り幸せな朝ごはんを食べながら東京ディズニーランドへ』
私は情厚く涙もろい人で、宮川お父さん、お母さんと駅で別れた時、一人で新幹線の中でこっそり泣いてしまいました。みんなにいろいろとお世話になり、言葉が出ないほど感謝しており、ついに涙が止まらなかったのです。
東京ディズニーランドは、この一ヶ月の旅で最後の場所です。最後の最後まで良い天気に恵まれ、お姫様の気分で楽しい一日を過ごしました。
みんなのおかげで、私の旅は順調で無事に終わりを向かえ、27日にたくさんの方々えの感謝の気持ちを持って成田より無事に中国へ帰りました。
皆様、色々とお世話になり本当に有難うございました!!
写真左:東京デズニーランドで
写真中:日光東照宮 徳川家康
写真右:浅草雷門の前で
* 流木のその後 ……2010/03/07…
2009年10月~11月、台湾・福建省あたりから台風被害で山から流出した流木は鹿児島県南部、種子島・屋久島で相当数となる。海上保安庁・海上自衛隊・地域の漁船などが協力して、危険浮遊物となった流木をいったんは陸揚げし、希望者には無料贈与となった。中には台湾檜で百万円を超える材もあったようであるが、大部分は見向きもされない中で、そこは色々な人のアイデアで、2月14日は流木をつかった流木スポ-ツ大会の開催や、動物に見立ててのオブゼクションになり、地域の人々が喜ばれた。「災い転じて福となる」。
写真左:オブゼクション(入場案内)
写真中:流木から造ったスポーツ大会のメダル
写真右:オブゼクション(ペンギン)
* 食の分かち合い ……2010/03/08…
世界の食糧事情
世界の人口68億人。穀物の生産量19億トン。
以上の数字で、世界中の人が十分に食べれる。ところが、実際は地球上の約80%は食が十分でない。20%の人が前穀物の半分を独占しているいかだ。 その結果、1分間に17人の人が栄養失調状態で命をおとしている。うち12人は幼児である。1年間には1000万人ちかい人が命を落としていることになる。 このような食料分配のアンバランスは何としても正さなければならない。
池田公榮は食の分配について幼稚園・保育園・学校・老人会などで出前の授業をさせてもらっている。
自分たちだけが食えればよいという考えではなく。困っている人がいることを思い、募金に応じるなどの実践行動が起こるよう運動している。
キーワードシェアリング Foods Sharing
写真左:食(茶碗に盛られたごはん)
写真右:出前授業での筆者
* 長沙市友好訪問団歓送会 ……2010/03/17…
2010年3月15日
来鹿した長沙市友好訪問団のみなさんを迎え、歓送会が開催された。
雷楚珠長沙市友好協会副会長をはじめ9名の訪問団を迎えた。
鹿児島市からは国際交流課、日中友好協会メンバーなど約50名が参加した。
写真は交流会のひとこま
* 端午の節句 ……2010/05/01…
日本のこどもの日は5月5日、国民の祝日となりゴールデンウィーク一部。
参考までに、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
陰暦では午の月は5月にあたり(十二支を参照のこと)、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったという。「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことだった。後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいう。
風習とその由来
こいのぼりは鯉が急流をも泳ぎ昇ると言うことから元気な子供であるようにと願い、家紋をあしらったり、水の勢いを表現する吹流しを添えて空たかく舞うさまを表現している。
この日を端午とする風習は、3世紀の中国、楚で始まったとされる。楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家であったが失脚し失意のうちに川に身を投げることとなる、それを知った楚の国民たちはちまきを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われている。しかし後漢末の応邵による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されているが屈原との関係には一切言及されておらず。また南朝梁の宗懔による『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残されるのみであり、ちまきと屈原の故事は端午とは元来無関係であったと考えられる。
写真は鹿児島県西之表市鴨女川に張られたこいのぼり、撮影池田公榮
* ヨットレース ……2010/05/01…
2010年5月1日
鹿児島県山川港を起点に31艇が種子島めがけてヨットレースを行った。このイヴェントは5回目で、種子島住民の楽しみの一つとなっている。
雲ひとつない快晴に恵まれ、程よい追い風が吹いて、各艇日ごろの腕を競った。午前6時に山川港を出発し、午前11時ごろには早くも西之表港に到着。
海の男(女性もいたが)たちは潮風に肌を焼かれた姿で入港した。
海の向こうでは上海万博が開幕し、大勢のひとが入場する映像を盛んにながしていた。
写真:西之表港に到着したヨット
* ひな祭り ……2011/03/01…
3月3日はひな祭り
日本の習慣で女子の健康と幸せを願って家ごとに雛人形を飾り、
女の子を祝福し励ます行事。
九江のこと、何かたずねたいことがあればご遠慮なく。
私の住所と携帯・PC
姓名 池田公栄(いけだただよし)
住所 891ー3116
鹿児島県西之表市鴨女町154
携帯 090-9497-5996
PC thike33@yahoo.co.jp
* 劉 健鵬 君 種子島へ ……2012/06/25…
九江学院大学日本語科の生徒だった劉健鵬君が、このたび、種子島訪問を実現した。わずか一泊の交流だっが、旧知を暖め、幸いな時間をすごすことができた。劉君はいま東京農大の4回生でがんばっている。彼は農業専門の勉学を進めながら中国栽培の菊花の日本輸出の仕事にもかかわっている。
写真説明(右から)
①日本は6月は梅雨の月。庭に咲いた紫陽花(アジサ イ)のはなと劉君と池田
②種子島にある明朗幼稚園の前で劉君と池田
③種子島はロケット射場のあるところ。劉君と池田は 同施設を訪れ、記念写真に納まる(向かって右が劉 君)
池田の連絡先
住所891-3116 西之表市鴨女町154
e-mail: nkk10@hotmail.co.jp