希望と共にーコスタリカ国連平和大学で学ぶ日々
吉永英未
私は現在、コスタリカにある国連平和大学(University for Peace)で平和学を学んでいる。私が参加しているのは、Asian Peacebuilders Scholarship というダブルディグリー・プログラムで、フィリピンにあるアテネオ・デ・マニラ大学とコスタリカにある国連平和大学の二つの大学において修士課程に所属している。最初の学期を過ごしたフィリピンでの生活についてはこちらに掲載しているため、今回は割愛させていただきたい。
コスタリカは九州と四国を合わせたほどの面積で、国土の3分の1が自然保護区という豊かな自然を誇り、エコツーリズムが発展している。家の窓から野生のリスを見かけたり、朝の目覚めと共に、様々な鳥の鳴き声を聞いたりと日々の生活の中で豊かな自然を堪能できるのは、この国ならではの贅沢なのかもしれない。コスタリカはGDPに見る経済はそれほど発展していないが、人々の幸福度ランキングにおいては世界でも上位に位置する。この国に来てよく耳にするの、“Pura Vida(プラヴィダ)”という挨拶だ。直訳すると“Pure Life” (「純粋な人生」)だが、ごきげんよう、ありがとう、どういたしまして、またねといったありとあらゆる挨拶の代わりに使われている。私がコスタリカ に来て、どんなスペイン語よりも真っ先に覚えた言葉がこの挨拶だった。“Pura Vida”というとみんな笑顔で返してくれる。そして、「有難う」(“Gracias!”)というと、“Pura Vida”と返ってくる。合言葉のようなこの挨拶をこの国では笑顔と共に至るところで聞くことができる。そして1983年に永世中立を宣言したコスタリカには、軍隊がない。幾度も隣国の紛争に巻き込まれる危機を乗り越え、「非武装」による最大の「国防」のもと、「兵士の数だけ教師を」というスローガンを掲げ、教育に力を入れてきたのだ。そんなコスタリカの識字率は97%を超える。
私の在学している国連平和大学は、国連によって設立されたが、運営資金は学生支出の学費及び寄附金によって成り立っており、国連から独立した学術機関としてその自由が保たれている。国連の設立したもう一校の大学は、東京にある国際連合大学で、両校とも軍隊がない国であることが設立の条件となっている。コスタリカの国連平和大学には現在3つの学科がある。私の所属する「紛争と平和研究学科」、「国際法学科」、そして「環境と開発学科」である。今年度は、パンデミックの影響を受け、開講の時点で学生の半数以上がオンラインでの参加となった。
コスタリカに来て最初の二ヶ月間、私はコスタリカ人の旦那さんと、オーストリア人の奥さんご夫婦の家にホームステイをすることになった。ホストファミリーと暮らした日々は私にとってかけがえのない思い出となった。それは楽しい思い出ばかりではなく、大切なことを学ばせていただいた日々でもあった。
一つ目は、人種差別についてである。コスタリカはヨーロッパ系、いわゆる白人が人口の大半を占める。私のホストファザーはコスタリカ人でありながら父親がハイチ出身のため、肌の色が濃く、そのためにこれまで様々な差別を受けてきたそうだ。「僕が一人でレストランに入るのと、(ヨーロッパ系の)妻と一緒に入る時とは店員の態度が違うんだ。」彼の言葉に私は驚いた。そして、スーパーに入ったときは、警備員が買い物中ずっとついて来ることが幾度となくあるというのだ。また、「バスに乗った時、僕の隣に人が座るのは一番最後さ。」と笑いながら教えてくれたが、それは、この国に根強く残る人種差別の存在を意味していた。私は納得することができなかった。「コスタリカ人」として生きる彼を、この国はなぜ受け入れてくれないのだろう、肌の色が違うというただそれだけで。幼少期の一時期をカナダのケベックで過ごし、ドイツで生物学の博士を取得し、スペイン語、フランス語、ドイツ語、英語を流暢に話す彼は、名前も知
らない相手に冷たい目で見られ、軽蔑を受けてきたのだ。彼は私の疑問に対して、「仕方がない」と言った。そんな彼の目から寂しさと悔しさ、やるせなさを私は感じた。そんな会話をした夜のこと、私はご夫婦にこんな質問を投げかけた。「もし私がこの土地で人種差別を目にし、『やめてください』と声を上げた時、『あなたも黄色人種でしょう』と言われ、私も一緒にいじめられたらどうしよう?」実際、ここにきて「シナ!」と見知らぬ人に遠くから大声をかけられたことがあった。話に聞いていたので、動揺はしなかったが、コスタリカにおいて、アジア人は全て中国人と一括りにされ、からかわれることがあるのは事実である。そんな質問を投げかけた私を、ホストマザーは優しく励ましてくれた。「あなたにも助けることができる。肌の色が濃くても、同じ人種の人を助けることはできる。手を伸ばすことに、人種なんて関係ないのよ。」弁護士として
難民の人権のために働いてきたホストマザーは、偏見の色眼鏡を外し、裸の心で人と向き合っていた。私はふと、自分自身も偏見の色眼鏡をつけてしまっていたことに気が付いた。人を助けることに、間違ったことに間違っていると声を上げることに、自分の肌の色なんて関係ないのだと気付かされた瞬間だった。
二つ目は、「幸福の国」というラベルの裏に隠された様々な問題である。コスタリカはパンデミック前から、貧富の格差や、隣国ニカラグアから来た出稼ぎ労働者の問題などに面していた。毎月給料日にATMに長蛇の列ができるのは、貯蓄がない人が大勢いるからだそうだ。そして観光業が国のGDPを支えてきたコスタリカの経済はパンデミックによって大きな打撃を受けた。私のホストファミリーのご夫婦もツアーガイドとして1年のほとんどを国内各地で過ごしていたが、今はその観光業もストップしてしまい、回復の見通しはまだ立っていない。彼らはオンラインでドイツ語を教えるなどして何とか生計を立てているが、レストラン業等で働いていた仲間の中には仕事を完全に失ってしまった人は少なくないと言う。そしてほとんどの労働者が政府からの補助を受けることなく、経済的に大変厳しい状況に追い込まれている。それは決して他人事ではなく、多くの日本人も面している問題である。そんな人々のために私に何ができるのか。今すぐに答えは出ないが、労働問題に向き合い、全ての人が生きがいを感じ生きていくことの
できる社会を築いていかねばと強く思った。
大学の授業は基礎コースから始まった。このコースでは、各学科に分かれず、学生全員が大教室で平和にかかるありとあらゆる分野である、紛争解決、ジェンダー、国際法、環境、開発経済、メディアについて学んだ。これまで聞いたことはあったものの、「自分の専門分野ではない」と目を背けていた課題についても触れられた。しかし、授業を通して、それらの課題が実は私が関心を持つ貧困問題、紛争解決やメディアにも深く関わっており、これらの平和にかかる問題を解決せずして真の平和は実現することはできないことを深く実感した。例えば、日本ではよく目にするサランラップやスーパーの袋。プラスティックでできた様々な使い捨て製品が地球を苦しめ、動物や人間の生命をも脅かしていること。LGBTQ+という性的マイノリティーの方々は実は左利きの人と同じくらい身近にいて、それぞれ様々な苦難に面していること。すべての人が生きやすい社会を築くこと、持続可能な地球の実現のために考え行動することは喫緊の課題であるこ
とを身に染みて感じた。
11月に入り、いよいよ各専攻に分かれて授業を受けることになった。私はメディアと紛争、平和研究を専攻しており、現在は紛争予防、和平への仲介、平和維持、そして平和構築について学んでいる。一言で表すことのできない複雑な学び。唯一の答えなど決してないような気がする。しかし、少しでも紛争解決に近づくために、私たちは日々参考文献を読み漁り、クラスでディスカッションをして、難しい紛争に向き合う日々を送っている。
そんな中、私は自分に焦りを感じている。実は、私はこのプログラムに入ってから一貫して英語の壁に面している。課題図書を授業当日までに読み終えることができず、それも一因となり、授業の内容が理解できない。コスタリカに来て2ヶ月目の現在も授業の内容を完全に理解することができず、ディスカッションの場でもクラスのリズムについていけない自分がいる。しかし、私は諦めてもいない。先生やクラスメイトの話す言葉を日本語や中国語のように無意識のうちに理解することはできないが、意識を集中させた場合や一対一で話している場合は理解することができる。そのため、予習と、意識を集中させた聞き取りの訓練を重ねることで、授業についていくことができると信じている。そのために片時も努力を怠ってはならない。
国連平和大学には、平和を願う人たちが集まってくる。それは、私のように貧困解決や紛争解決を夢見る人や、環境問題に強く関心を持ち、地球を守るために働きたいと願う人、国際法を学び国籍を問わず苦しむ人々を助ける弁護士を志す人、中には「イルカを守りたい」という一心でこの大学に来た仲間もいる。この大学で、平和を語ることは自分を語ることでもあり、自由を夢見ることでもある。でも、その夢をただの夢で終わらせたくないから、必死で形のない何かを掴もうと、もがき苦しみながら学んでいるのだ。どんなに苦しい時も諦めることができないのは、私たちには自分の専門分野において平和を実現したいという強く揺るぎない思いがあるからではないだろうか。その抱え切れないほどの、でも人生をかけて追いかけたい強い願いが、どんな困難も乗り越えられる大きな力になっているのだと思う。
今後、この世界から連れ去られた日常が戻ったとき、私たちはパンデミックにより浮き彫りになった平和を妨げる要因を解決していかなければならない。パンデミックは私たちから様々なものを奪ったが、奪えないものもあった。愛、思いやり、勇気、そして私たち一人一人が捨てることのできない希望をこれからも守っていきたい。雨季のコスタリカにしとしとと降り注ぐ雨に負けないほどの希望の光を、遠く離れた、でも私の大切な故郷、日本に届けたい。どんな困難にあっても、どうか希望だけは捨てずに進んでいきましょう、ともに。
2020年11月23日 サンホセ、コスタリカにて
筆者 吉永英未
2014年3月 鹿児島国際大学国際文化学部言語コミュニケーション学科卒業
2017年6月 中国復旦大学大学院卒業(歴史学 修士)
2020年3月―現在 アジアンピースビルダーズ奨学金プログラム
編者の言葉(吉永さんからのメール)
大石 様
お世話になっております。吉永英未です。大学のメールアドレスから失礼いたします。
如何お過ごしでしょうか。
コスタリカは、もうじき雨季が終わります。毎日のように降り続いていた雨がようやく病んでくれると思うと、なんだか新しい気持ちになります。
今回、コスタリカで過ごした2ヶ月間を文章にしてみました。
まだまだ努力しなければと、焦って過ごしている毎日です。
しかし、紛争や社会問題と向き合うことは絶対にやめてはならない、その問題解決に繋がるのならという気持ちが厳しい学業生活を支えるモチベーションにもなっていることも確かです。
英語力もそして様々な能力、人間力もまだまだですが、これからも少しずつ成長し、一歩ずつ前に進んでいきたいと思います。
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。
コスタリカは夏のクリスマスの準備にそわそわとした喜びとを感じます。日本は如何でしょうか。
大石様のご健康と益々のご活躍、そして幸せを遠いコスタリカから祈っております。
吉永英未