鹿児島市日中友好協会創立40周年並びに鹿児島県日中友好協会創立20周年記念式典

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

期日:令和7年11月3日(祝日) 午後1:00より
場所:カクイックス交流センター 山下町

来賓紹介
 中華人民共和国駐日本国特命全権大使 吴 江浩 閣下
 中華人民共和国駐福岡総領事  楊 慶東様
 日中友好議員連盟会長衆議院議員  森山ひろし様
 公明党参議院議員 窪田哲也様
 鹿児島県知事  塩田康一様
 鹿児島市長   下鶴隆央様
 公益社団法人日本中国友好協会 会長 宇都宮徳一郎様

午後6時より「懇親会」 閉会8:00
場所 同敷地内 ビストロ・ドゥ・レブ
司会(前原)祝い曲 二胡演奏 劉美香

●以下 第1部の説明文 

鹿児島市日中友好協会創立40周年・県日中20周年記念式典

令和7年11月3日(火祝日)1:00〜 カクイックス交流センター2階大ホール

鹿児島市日中友好協会40周年の記念式典が終了しました。

鹿児島関係の公人(知事・市長・国会議員・県議)をはじめ、協会関係では、東京本部から宇都宮徳一郎会長を始め九州日中友好交流会議の各県の協会会長様、中国関係では今回の催事のメインゲストである呉中国大使御一行、福岡総領事御一行など、これも世間的な言い方ですが「そうそうたるメンバー」が県・市の協会の創立記念式典に駆け付けてくださいました。

これは、今の会長の手腕なのか?海江田前会長のものなのか?分かりません。多分、両方の力なのでしょう。

協会内では一致団結とは行かなかった点もありましたけど最後はみんな式典に顔を出してくれました。
また、かねて協会活動をほとんどしない役員さん方も駆けつけてくれました。お礼を言います。

今回、頑張ってくれたのは女性役員たちでした。留学生たちをまとめて頂き感謝します。まとめ役の陸(留学生)くんの元に集まってくれた鹿大留学生軍団(20名)ご苦労さんでしたネ。司会を見事にやってくれた陳くん。李芳さん!ありがとう!

ただ一つの後悔は、懇親会の最後の「つまみ食いタイム」に皆で記念写真を撮りたかったなぁ!

大石ケイジ

●第2部用 YouTube動画説明文

MBCTVより

鹿児島市日中友好協会は1985年に、鹿児島県日中友好協会は2005年にそれぞれ設立しました。

市の日中友好協会設立の動機は、設立の3年前の1982年(昭和57年)に鹿児島市は長沙市との間に友好都市盟約を結びました。

市も日中友好協会をつくらんとなぁ」と当時の市の政財界のトップの方々が語り合って3年後の1985年に設立しました。国政では二階堂進先生、市の方は山之口市長の頃です。初代会長は越山海運の社長さんだったそうです。海江田名誉会長はこの当時から財界代表(どなたかの代理だったと語っていましたが)として長沙市に友好使節団の一員として行かれています。現在のような民間交流にかじを取られたのは海江田順三郎が3代目会長のになってからです。

2002年『国交成立記念30年・長沙市との友好盟約20年記念』に開催した「中村義 (東京学芸大学名誉教授)による講演【西郷と辛亥革命の志士黄興】からでした。

さて、今日の記念式典の冒頭では、鹿児島と中国の交流を深めようと県の協会を立ち上げ、今年5月に97歳で亡くなった海江田順三郎さんに、黙とうしました。 式典には鹿児島で暮らす中国人らおよそ140人が出席し、呉江浩駐日大使が講演。日中国交正常化の気運を作ったのは民間交流だったと語り、今後も若者たちの交流が必要と訴えました。

鹿児島県・市日中友好協会の会長 鎌田敬は「20年前、40年前の方たちの努力があって現在がある。ひとりでは何も出来ません。自治体とか、いろんな団体と、協力しながら話し合って、活動していくことが大切だと思っています。これからの5年後、10年後に向かい歩みたい」と語りました。