『黄興故居』

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

大石慶二(鹿児島市日中友好協会)

夢中的中国回憶(中国ぶらり旅)

一度は訪れてみたいと思っていた長沙の黄興の生まれ、育った家に行って来ました。  

一昨年、急逝された黄興研究の第一人者 中村 義先生の講演テープをナレーションに使わせて戴きました。

ちょうど今から百年を遡る1008年、清朝末の象徴とも言える光緒帝と西太后が相次いで没、時来たりと俄か仕立ての革命軍の先頭にたって朝廷派である袁世凱の新軍の精鋭たちと幾度となく戦っては破れ、『常敗将軍』と陰口を叩かれながらも挙兵の指揮をとり続けた黄興。

孫文や宋教仁のような高邁な理念や人民受けするスローガンには無縁だったけれど、その人柄と風貌から、人々に《中国の西郷さん》と慕われていた黄興。

中国近代化の歴史の中で彼の果たした輝かしい功績は大きい。1909年、黄興が忙しい日々をさいて尊敬する西郷の墓参りに訪れた南州公園に、協会では昨年《黄興先生南洲墓地参詣の碑》を建てた。

さほど遠くない時を隔てて二人が眺めたであろう錦江湾に浮かぶ桜島。

ふたりの巨人の目はそれぞれの国の行く末をどのように眺めていたのだろう。

2年後、辛亥革命蜂起、黄興らの活躍により秦始皇帝以後二千年続いた中国の王朝 の幕は降りた。ひとつの時代は終わったが次の時代の幕開けまでにはまだ長い苦難の道が待っていた。

碑の建つ南洲公園の眺望はすばらしい。黄興の墓碑の建つ長沙の岳麓山に較べても遜色はない。

ここに立って目を閉じると、百年前の光景が広がってみえる。

夥しい数の中国留学生が太極拳を演舞中。再び目を閉じ直すと、中国からの観光団が黄興をしのび二胡の流れに乗って一斉に表演している。そんな様子が浮かんでは消えた。