今日も、学生に感謝!
2007・3~9
平成19年3月から長沙科技日語学院で日本語教師として勤務される牧野ムツジさんの滞在日記です。 夢にまで見た中国での生活がまもなく始まります。天にも上る気分です。異文化での生活で、いくつの失敗をするか?今から楽しみです。
牧野 ムツジ 62歳 子どもは独立し我が家4人の平均年齢は75歳
2007/03/04
はじめてのメッセージ
2月27日に長沙に着き、やっとインターネットが接続できました。
小生の持って来たパソコンはなぜか我が部屋からは使用できず、さあ大変。副校長のパソコンを借用することになった。セットは学生に依頼。学生は長時間かけて小生が使えるようにセットし説明してくれた。ありがとう許くん。
この2、3日許君と李さんが小生の相手をしてくれた。「先生なにか困っていることはありませんか。遊びに行きたいところはありませんか。食べたいものはありませんか・・・。」いろいろと気を使ってくれる。ありがたい。おかげで知らないところでも困ることは何もない。
小生がいままで食事を作った事がないと分かると先生方が交代で作ってくれるだって。「牧野先生は辛いものはだめですよね」と言いながら小生の味、量にあった食事を作っていただいて、これにも感謝、感謝です。
長沙に来てよかったと、心底感じています。
授業は明日(3月5日)から開始。待ち遠しい。早くすべての学生に会いたい。どんな授業ができるやら、学生の反応は?どれもこれも楽しみです。
さあ、いよいよ明日からが本格的なスタートです
2007/03/07
異文化体験?
今日の授業は日本人が会話でよく使う「~んです。」「~んですか。」をした。
分かりやすく理論的?に説明したつもりだが、彼らがどれだけ理解したか少々疑問だ。
今週の土曜日、朝8時から学生たちと散歩をしながら「~んです」と「~んですか」を使った会話をしながら歩くことになった。学生が欠伸をしたら「眠たいんですか」、いやいや歩いているように見えたら「疲れたんですか」と聞くつもりだ。遊びながらこの「~んです」「~んですか」を彼らに定着させたい。 どこまでできるか・・・。
昨晩、学生たちが部屋を訪ねてきた。当然、日本語の会話が多いが、小生は中国語を教えて欲しいので時々彼らを先生にして中国語を話すが、小生が発音すると全員がすぐに訂正してくれる。何回聞いて、何回発音しても小生の発音は合格しない。中国語の発音は難しい。
今日、長沙に来て初めて理髪店(長沙では美容院と書いてあった)に行った。五つ星の美容院だった。聞けば上海が本店のチェーン店だそうだ。大きな店だ。美容院にも5つ星があるのにはびっくりした。(日本にもあるかもしれないが、行った事がないので知らない。) 洗髪やマッサージを受けながら小姐と片言の中国語で話をしたが半分くらいしか通じなかった。まあ、小生の中国語はこの程度だ。
銀行に行った時もびっくりした事がある。カウンター内の女子行員に対し、客が「満足。普通、不満」を意思表示(客の前にボタンがあり、その3分類のひとつを押すシステム)し行員が1つ星~5つ星までの5段階に分けられるのだ。小生の相手をした行員は2つ星だった。このシステムがあるのに行員の態度は・・・と思った。
今日も幾つかの異文化体験をした。楽しかった。
2007/03/08
「成春真っただ中」です。
長沙に来てから毎朝近所の川を散歩している。大きな川だ。聞けば長江の支流だそうだ。大きな船が航行し観光船(1時間の遊覧で138元)もある。学校を出るとすぐに小学校がある。
門前には多くの小さな店がある。文房具店、おもちゃ屋それに軽食屋。多くの小学生はそこで朝飯を立ち食いしている。
堤防は整備され、大きさは日本人には想像も使いほど大きな遊歩道。遊歩道というより大きな広場(幅100mあるかも)が堤防になっている感じだ。太極拳をしている人、バトミントンを楽しんでいる人、二胡に合わせて歌っている人、後ろ向きに歩いている人、犬の散歩、ジョギング等々多くの人たちがゆったりと朝のひと時を楽しんでいる感じがする。
小生は太極拳に興味があるので、どこかのグループに入れていただこうと散歩しながら物色中だ。 学生との生活が楽しいことは言うにおよばず。
長沙の生活はまだ始まったばかりだが、今のところ楽しいことばかりだ。異文化体験は実に楽しい。
現在「成春真っ只中」だ。
2007/03/12
長沙弁?
昨日いつものように学校付近の湘江という河を散歩した。二胡を引く70歳前後?の男性と、それにあわせて歌っている60代?の女性にいつも会う。一度ちょっと話したことがあるが、ほとんど通じなかった。標準語でもうまく聞き取れないのに、彼らの話す長沙弁はもっと聞き取りにくい。
今日改めて話しかけてみた。「私は日本人です」と言うと「どこに住んでいるのか」と聞いているように思ったので「長沙大学の中に住んでいる。」と答えた。
「先生か?」と言っているようなので「日本語の先生だ。」と答えた。「月給はいくらか?」と言っているように聞こえた。「月給はない。ボランティアだ」と答えた。そうすると「すばらしい。」と言っているように聞こえた。 実際にはそう言う会話ではなかったかもしれないが、楽しいひと時だった。中国の二人も終始ニコニコしていたので勝手にそう解釈した。
今日は8時に授業開始の日だったので、朝の散歩はできなかった。明朝の散歩の時にはメモを持って行き、聞き取れなかった単語は書いてもらおうと思っている。そうすればより正しい会話ができるかも。
せっかく知り合いになった長沙の人だ。小生は7月のはじめまでここにいるので、彼らと友達になりたい。 長沙に来てまたひとつ楽しみが増えた。
07/03/13
郵便局での異文化体験
今日、日本へ手紙を出しに郵便局に行った
封書1通5.25元だった。1元16円で換算しても約80円だ。日本国内と同金額とはビックリした。
2通お願いしたので10.5元だした。局員は切手を渡し「自分で貼りなさい」と言って糊をカウンターに置いた。 ここは中国だと思った。
切手は送り先住所、氏名を書いた裏側に貼るんだって。また、驚いた。
水糊のような糊で刷毛で切手に糊をつけたがベタベタの状態で封書に貼ったため上手く貼れなかった。
今日も貴重?な体験をした。
封書は郵便局で1通3角(5円)で買った。
2007/03/16
先生と学生に感謝
今日は授業のない日だ。昨日、許くんと「明日の昼は外で食べような」と約束していた。彼の授業は9:40分に終わるので職員室で彼を待っていた。
パソコンがちょっと使えにくくなったので彼に見てもらうために我が部屋に行った。李さんと雷さんも一緒だった。パソコンはすぐにもとに戻った。11時20分ごろ李さんが「そろそろ材料を買いに行きましょう。」と言うのではないか。
彼らが作ってくれるつもりらしい。4人でスーパーに行った。野菜、肉、調味料等を買い、まだ一部気に入った野菜がないようで、帰りに学校近くの八百屋によった。小生は明日の朝食用のパンが無くなったのでマリオ(パン屋)に買いに行くと言って許くんに鍵を渡した。小生が帰宅すると彼らはすでに支度の真っ最中だった。
見事な出来だ。茄子とひき肉、キャベツと豚肉?、ピーマンと豚肉と知らない野菜それにアヒル(これはスーパーで味付けしたもの)、すごいご馳走だ。これだけ買って55元(蜂蜜18元を含む)程度だった。 味付けは良かった。許くんは料理がうまいもんだ。彼が主体で作っていた。
そういえば今ある足拭きマットが汚いので、新しいものが欲しいと言ったら、許くんが「私が洗いましょう」と言うのではないか。恐れ入った。彼は食事の片づけをした後「先生、ブラシはありますか。」と言うのではないか。
靴用のブラシがあるというとそれで足拭きマットを洗い出した。見違えるほどきれいになった。新品の時の色を知らない小生にとっては、黒ずっぽい、くすんだ色から、色鮮やかな色に変身したようだった。
李さんと雷さんは部屋の掃除をしだした。入室後一度も掃除していない部屋ゆえちょっと心配していた?がきれいになった。エアコンのフィルターまで掃除したのだ。感謝、感謝だ。李さんと雷さんは「先生、毎週土曜日に掃除に来ます」と言うのではないか。2週間に一回でもありがたい。お願いすることとした。
彼らが帰るときには「先生、今日もいろいろと教えていただきありがとうございました。また、明日来ます。」と言って帰って行った。
自分で飯の支度も出来ず、部屋の掃除もしない小生にとって彼らは実にありがたい。もっとしっかりと教えなければと痛切に感じている。
(昼食、夕食は学校の先生に作っていただいている。本当に感謝、感謝だ)
2007/03/18
今日の異文化体験?
昨日、今日と雨は降るし寒い日だ。長沙に来て一番寒い日だと感じている。
昨日からパソコンがフリーズし、使えず困っていたが許くんが9時ごろ来てくれすぐに直った。昨日、本屋で買った幼児用の発音練習表を使って発音練習するも「zh,ch,sh,r」は何回発音しても合格しない。もう3、4日同じ練習をしているが一向にOKがでない。
練習表を部屋の壁に貼って毎日?練習することにした。
昼少し前に李さんと雷さんが昼食の材料を持って現れた。今日も3人で作ってくれるようだ。
美味かった。小生が野菜が好きなことを知ってか、野菜料理が多かった。味付けもうまいもんだ。小生向きだ。今日も感謝、感謝だ。
食事の後片付け後は、部屋の掃除をしだした。「先生の寝室も掃除していいですか」「もちろん、いいですよ、お願いします。」と言った。驚くと同時に感謝だ
彼らは明日テストがあるらしい。教科書を取り出し勉強しだした。
「先生、(とにかく)と(ともかく)はどう違うんですか。とか、「といえば」の使い方は?とか「まんまと」、「ちなみに」の使い方等等、我々が日常なにげなく使っている言葉を彼らに説明するのは非常に難しい。
そこで、持って来た日本語文型辞典と電子辞書が役に立った。しかし彼らが本当に理解したかどうか。明日のテスト結果はどうか・・・。心配と楽しみとで複雑な心境だ。
雷さんは用事があるようで途中で帰った。
夕食はスーパーで買ってきた餃子だ。3人で食べても、たった15元(240円)だ。餃子を食べた後、餃子のゆで汁を飲んだ。これは始めてだ。「日本では蕎麦を食べた後、蕎麦のゆで汁を飲むよ。」と説明した。
同じようにゆで汁を飲む習慣があるのにもビックリした。今日の異文化体験?だ。
彼らは、まだ小生の隣で真剣に勉強をしている。テスト方法は先生が中国語で読み上げた単語、言葉を学生が日本語で書くようだ。出題範囲も広いため、単語・言葉も多く大変だ。でも、彼らにはがんばって勉強し、日本語を一日も早くマスターしそれぞれの夢をかなえて欲しい。
そのための手伝いが少しでも出来ればと思っている。
8時半になった。彼らは「先生、今日もありがとうございました。」と言って帰って行った。これらこそ、ありがとうだ。今日も感謝だ。
帰宅後も、まだ勉強するのだろう。多くの単語・言葉を覚えて欲しい。
2007/03/19
郵便局での体験 PartⅡ
今日1コマ目の授業終了後郵便局へ日本への手紙を出しに行った。
先週も出したので同じだろうと思っていた。封書を渡して「日本へお願いします。」と言ったところ、早口の中国語で何か行っている。まくし立てられている感じがした。
まったく聞き取れない。そうするとゆっくりとジェスチャーを交えながら言い出した。なんとなく分かった。宛名と差出人の住所の書く場所が違うといっているようだ。差出人の住所・氏名は裏側に書けと言っているようだ。 確か中国の習慣では宛名と差出人住所等は表側に書くと聞いていたのだが・・・。
先週日本へ出したのは今回と同じ書き方だ。そこで局員に先週はこのように書いてお願いした。だから、問題ない、と言ったつもりだ。すると局員はどこかに電話をして聞いているようだった。OKになった。
金額は先週と違った。今回は2通で12元(190円)だった。まあちょっとの違い(1.5元高)ゆえ、良いかと思った。(先週と金額が違うと中国語で言える能力もない。)
先週は自分で切手を貼れと言って切手と糊を渡された。今回は局員が貼ってくれた。これはありがたかった。
次回、日本に出す手紙はどういう風に書けばいいか?中国の先生方に聞いてみることにした。
今回もいい体験をした。次回はどんな体験が出来るか楽しみだ。
2007/03/20
風呂屋、初体験。
3月19日(月) 風呂屋へ行った。長沙へ来てはじめて風呂に入った。気持ちよかった。
日本のいま風の風呂屋(○○の湯)と多少似ておりサウナは温度の異なる2部屋、浴槽も3槽あった。
久しぶりに浴槽に入った。気持ちよかった。長沙で風呂に入れるとは思いもよらなかっただけに嬉しかった。やはりシャワーだけじゃあねえ。
サウナで汗を流した後、体中をしっかり洗い?浴槽に入った。思わず「あー」とため息が出た。日本人でなければこのため息は出ないだろう。
月曜日の夜ということか、客は少なかった。ぎゃくに従業員の多さにはビックリした。数人のドアーボーイに迎えられ、入り口を入るとまず靴をサンダルに履き替える。ロッカーのキーを受け取り、ロッカーで裸になる。タオルが欲しいがどこにあるのか分からない、同行の範校長が備え付けのタオルでなく、新品のタオルを購入してくれた。
その後、サウナへ。はじめに入ったサウナは、小生には熱すぎたため、もう一箇所のサウナに入った。範校長は、途中で熱いサウナに移った。洗い場やシャワールームもたくさんあるが、人はまばらだ。
大きな浴槽に2、3人しか入っていない。全体が広いので客がとても少ない感じがした。浴室?にも多くの従業員がいた。湯上り後は「湯上り衣?」を着て上の階に行った。そこには多くの客がくつろいでいた。
ゲームコーナー、卓球、ビリーヤード、トレーニング器具、軽食コーナー?それにゆったりしたシートに座り(リグライング)大型テレビを見ながらくつろげる部屋。「範校長が足つぼマッサージをしますか。」とおっしゃったので「それは、いいですね、お願いします。」と言った。
1時間たっぷりとマッサージを受け本当に疲れが取れた感じがした。心もリフレッシュした感じがした。マッサージを受けながら飲んだウーロン茶はおいしかった。甘かった。湯上りで飲むビールよりもおいしいと感じたぐらいだ。
気がついたら時計は10時半を回っていた。範校長に学校まで送っていただいた。学校の門はすでにロックアウトだった。1、2分すると守衛が巡視?から帰って来たので守衛室から構内に入った。
範校長先生、本当にありがとうございました。すっきりしました。リフレッシュできました。
今日も感謝の一日だった。
2007/03/22
ちょっと親しくなれたかな?
長沙に来てから、毎朝学校近くの湘江という大河の堤防(大きな公園)を散歩している。二胡をひく男の人と、その隣で歌っている女の人がいる。時々会うので軽くあいさつ程度をしている。今日はちょっと話しかけようとしたら女性から話しかけてきた。
・あなたは何歳ですか?
・私は62歳です。あなたは?
・私は67歳です。
・それではあなたは。(男の人に訪ねた。)
・私と一緒です。(女の人が答えた。)
これだけ聞き取るのが必死だった。まだまだ彼女は多くの言葉を早口でまくし立てが、標準語でも聞き取れないに長沙弁ゆえ、まったく聞き取れなかった。でも、前より彼らとちょっと親しくなったような気がする。
2、3ヵ月後はもっと親しくなっていると思うが、どうだろうか?
今度あった時には名前を聞こうかな?
2007/03/25
異文化体験
昨日の朝の散歩の時、朝8時少し前だった。爆竹の大きな音がし、向こうが見えないくらいの煙?のなかから行列が近づいて来た。こんなに朝早く何かなと思っていた。
トランペット、サックスホーン、大太鼓、小太鼓それに爆竹、それはそれは賑やかだ。新装開店?の宣伝かと思ったほどだ。
それは葬式の行列だった。棺おけを4人の男性がかずいて片側3車線の車道を行進?している。爆竹を鳴らして多くの人たちが見送っている。喪主らしき人とその妻らしき人は、その人たちに道路に跪き挨拶していた。
5~10m歩いては跪き、それはそれは大変そうだ。そのうち、その道路を横断しだした。爆竹を鳴らしながらだ。当然その間は通行止め?だ。運転手は何も言わずに止まって行列を見送っている。
ここは中国だと今日も痛感した。
2007/03/26
普通の教師と特殊な?学生
土曜日の夜、602クラスの教室へ行った。いろいろと話をしているうちに、明日の昼飯を作ってくれることになった。ありがたいね。彼らと明朝7時半から散歩することも約束した。
散歩が終わり学校付近に帰ってくると、「先生、今から材料を買いましょう。朝は新鮮な野菜がたくさんあるから。」だって。しっかりしているね。
スーパーで材料を買っていると「先生、先生がいつも飲んでいる牛乳、今日は安いです。」と言って数個持ってきた。当然買った。ありがたいねえ。
帰りがけに八百屋にも寄った。「先生、果物は何が好きですか。」と聞いた。果物はなんでも好きだよ。と言ったら「スイカは好きですか」「大好きです」と言った。スイカも買った。
昼飯作りは10時半ごろ始まった。。料理はあまり得意ではないと言っていたが、なかなかの様子だ。12時ごろ出来上がった。苦瓜に豚肉と卵、ホウレン草のスープ、牛肉と野菜(名前は知らない)を炒めたもの、豚肉と野菜(名前は知らない)を炒めたもの。3人が一生懸命に作ってくれた料理だ。学生たちと食べた。いい味だった。心のこもっている料理は本当にうまい。
その日の夜、何を食べようかと思っていると、一人の学生から電話があった。小生の晩飯を心配してくれていたのだ。本当にありがたいねえ。その学生にお願いしたら、材料持参で来てくれた。実に手際がいい。短時間で三品も作った。もう一人の学生を呼んで三人で食べた。学生が「小生のために作ってくれる料理」、実にありがたい、そのうえ美味しい。
教師が日本語を教えるのは「当然」のこと、しかし学生が教師の飯を作ることは「特殊」なことだ。 このような「特殊」なことをしてくれるなんて・・・感謝、感謝だ。
この学生たちにどのような方法・どのような形で答えれば良いのか。彼らに「活きた日本語会話」を上手に教えようと試行錯誤中だ。一日も早く試行錯誤から脱出し、分かりやすい教え方を確立?したい。7月までにでどこまで出来るか。精一杯、悔いを残さない長沙生活を送りたい。悔いを残さない長沙生活にしなければならない。
ありがとう、学生さん。感謝、感謝です。
学生さんに大事なことを教わっている未熟な熟年男です。
2007/03/27
あ、しまった。
昨夜8時、教室に行こうと家を出た。夕方まで雨が降っていたので傘を持った。ここまでは良かったが、部屋の鍵を持たずにドアを閉めてしまった。すぐに気がついたが,もうどうしようもない。職員室に行くも今日に限って誰もいない。
教室に行き学生に、鍵を部屋に入れたままロックした旨を伝え、救助?をたのんだ。すぐ先生に連絡してくれた。「先生は初めてでしょう。前の○○先生は3回もしましたよ。」だって。
前任者から聞いていたので十分な対応をしていたつもりだったが・・・。家に帰られた先生が小生の「うっかりミス」のために学校に来ていただいて解決。いやー、申し訳ないと同時に情けないやら、恥ずかしいやら。
ある教室では学生たちがダンスの練習をしていた。「先生も踊りませんか」と言われたが彼らのダンスはとてもとてもできないので断った。
ある教室では会話練習をしているもの、精読、書き取り、文法等どの学生も熱心に勉強していた。昨日も彼らと「活きた日本語会話」を楽しんだ。彼らにとって助詞の使い方は本当に難しいと思う。彼らが質問した日本語を小生が「正しい日本語」で復唱し、その後返事をしている。
この手法でいいなか、どの手法がいいのか。もちろん学生によって使い分けているがこれも試行錯誤だ。未習単語も多く会話は大変だ。しかし、彼らも会話を楽しんでいるようだ。
学生と教師どちらも勉強中だ。
2007/03/29
今日の晩餐会?
今日、長沙に来てから2回目の風呂屋へ行った。二日前に範先生が「木曜日の夜、予定がありますか」と言われたので「何もないです」と答えた。「お風呂に行きましょうか」ありがたいですね。嬉しかったよ。
ところが木曜日の夜は他の用事が入ったため、午後2時から行くこととなった。久しぶりの風呂で気持ちよかった。風呂上りのビールを少々いただき、のんびりとしたひと時をすごした。4時半ごろ学校に帰った。
夕方6時からは長沙市中日友好協会の雷副会長、長沙市人民政府外事弁公室の袁副所長、師さんならびに長沙市旅遊局の鄭所長との晩餐会があった。もちろん範先生夫妻と同僚の東先生も一緒だ。風呂へ行く時間が変更になったのはこの用事のためだった。
この会の目的はなんだったのか。今も分からない。(なんとなくは分かるような気がしないでもないが・・・)
3月9日は袁さん、師さん、鄭さんと一緒に食事をした。こちらも目的はちょっと・・・。でも、いい人たちゆえ楽しいひと時だった。当然、中国語での会話が主体のため全員笑い声を出しているのに小生一人だけ、笑えない。ちょっと寂しい気もしたが、しょうがないことだ。劉先生(範先生の奥さん)と師さんが時々気を使って通訳をしてくれた。ありがたかった。うれしかった。
夜8時ごろ学校へ帰った。家に帰らず今日も教室へ行った。今日は小生が教えていないクラスに始めて入った。日本語を学び始めた直後のクラスだ。彼らはタドタドシイ日本語で一生懸命に話しかける。
日本語が通じないと今度は中国語で話しかける。実におもしろい会話だ。要所要所は正しい日本語に修正しながら会話した。聞き取れない言葉、単語は黒板に書きながら会話をした。
小生が毎朝散歩していると言ったら彼らも行きたいと言い出し、明朝7時から一緒に散歩することとなった。散歩しながらどんな会話ができるか明日も楽しみな日になりそうだ。
2007/03/31
中国での花見
昨日、学生3人と植物園に桜を見に行った。学校を12時半に出発。
それほど期待をしていなかったが、思ったよりきれいだった。
ソメイヨシノとは違うようだが、花弁はよく似ていた。すこし遅かったようで
「落下盛ん」も過ぎ木々にうっすらとピンクの花が残っている状態であった。
5、6日前はさぞかしきれいだったことだろう。桜並み木、桜のトンネルまる
で日本と同じだ。学生と話しながら歩いていると、中学生?が「おはようございます」と声をかけてきた。昼の3時ごろのことだ。アニメで覚えた挨拶のようだ。そういえば学生の中にも昼にあっても「おはようございます」と言う学生がいることも思い出した。
また、学生風のグループが日本語で話しかけてきた。なんとか大学といって
いた。去年の9月から日本語を学び始めたようで数人がかわるがわる話をしてきた。実に積極的だ。そのうち一緒に写真をとりたいと言っている様だった。O
Kと言ったら全員一緒ではなくひとり一人と撮るようだ。
普通の日本語を話しているだけで若い人の人気?の的になっているようで、ちょっと変な感じがした。でも、正直悪い気はしなかったが体がくすぐったいような感じがした。
そういえば、植物園内で馬にも乗った。1周10元(160円)だった。
植物園はかなり広くこの日はかなり歩いた。少々疲れた。バス停まで歩いてくると学生が「先生、どうぞ」と言って小生一人にパイナップルを渡すのではないか。遠慮せずにありがたく貰った。口が渇いていたので美味かった。
今日の費用(入場料、バス代、タクシー代等)は学生がすべて支払ったので帰りに歩行街(歩行者天国)の大きな居酒屋(ワンフロー、定員約300人)で鍋料理をご馳走した。小生はビール一本、2元(32円)を飲み学生はなんとか牛乳一缶4元を飲んだ。4人で約50元(800円)ほどだった。
学校に帰ったのは8時ごろだったかな。
今日も楽しい一日だった
2007/04/02
岳麓山登山
3月31日土曜日。
ある貿易会社の日本語を習っている人たちと長沙市内の岳麓山に登った。ほとんどは若い女性社員だが、ひとりだけ社長の父親で61歳の人がいた。小生と同年代だ。2週間ぐらい前にその会社で日本語会話をしたことがあった。その時その男性と知り合った。
今回名前を聞いた。鄭雲庭さんと言うそうだ。もと警察官で定年退職したとのこと。境遇、価値観等、小生とよく似ており、とても気があった。 今回の岳麓山登山もそんなわけで誘っていただけたようだ。
鄭さんの片言の日本語と小生の片言の中国語とでの「ちょっと変わった?会話」ではお互いの意思疎通は思うようにできないが、お互い何か感じあうものがあったと思う。
彼はとても親切だ。ベンチに腰掛けようとすると、「先生、ちょっと座らないで。」と言っているような仕草でベンチを拭き「さあ、どうぞ」と言っているような仕草をする。車が来ると「危ないですよ」と言わんばかりに小生の腕に触れて安全誘導をしてくれるのだ。
頂上付近を散策していると男女4人グループの一人の男性の携帯電話?から「上を向いて歩こう」の歌が聞こえてきた。すぐその男性に「これは日本の歌ですよ」と言ったが日本語ゆえ通じるわけがなかった。
日本語が比較的良くできる若い女性が通訳をした。彼らはとても喜んで、小生に歌えと言ってきた。小声で歌った。彼らはさらに喜んだ表情をしていた。異国でこの歌を歌うとは夢にも思わなかった。こちらも楽しかった。
途中、鄭さんが小生の日本の住所を尋ねたので住所交換をした。
その日は朝8時半に鄭さんの息子さんが迎えに来てくれ、麓まで送ってくれた。とても暑い日で30℃を超え、Tシャツ一枚で汗を掻き掻き登山した。
昼食は下山後麓のレストラン?で食べた。9人でたらふく食べて130元(2100円)だって。安いこと安いこと。
今日も楽しい一日だった。
2007/04/03
アクシデント
長沙に来てはじめてアクシデントがあった。
眼鏡のフレームが折れたのだ。眼鏡がないと生活ができないため、海外旅行時はいつも予備の眼鏡を持って行く。予備眼鏡といっても15~20年前に見にくくて新しいものに変えたときの古い眼鏡である。しょせん一時しのぎである。
不安を抱きながら新しいフレームを買いに大きな眼鏡屋へ行った。フレ-ムを取り替えすればいいと思っていた。しかし、今のレンズを新たなフレームに、はめ込むのは難しいという。レンズが割れる恐れがあるというのだ。やむなく作ることにした。ちょっと不安になった。
失礼だが検眼技術は、レンズの性能は、フレームは、かけ具合は等等不安材料が多かった。遠近両用眼鏡で乱視もある眼鏡だ。
壊れた眼鏡のレンズを調べそれから検眼だ。検眼は日本よりかなり簡単だった。
左目は今の眼鏡では十分は視力はないと言って、視力が回復できるレンズを付けて試しに歩いたり、手元を見たが、ちょっと耐えられないと思い、いちだん弱いレンズにした。次はフレーム選びだ。壊れたフレームを見てそれに見合ったフレームを見せてくれているようだ。適当なフレームがあったのでそれに決めた。
当然のことだが小生一人で眼鏡屋へ行ったのではない。当然通訳の学生同伴だ。学生は眼鏡の値段は当初○○元程度と思っていたようだ。店員が見せたフレームの値段を見てビックリしていた。レンズの値段を聞いて学生はまたまたビックリ。
でも、小生にとって眼鏡は体の一部のため適当な代物を選んだ。カードで支払う予定であったがなぜか、持っていたカードは使えないという。やむを得ずその日は一部の現金を支払った。
10日後に出来上がった。受け取りに行くと店員が眼鏡を渡すだけではないか。かけ具合がちょっと気になったのでその旨を伝えると、2階へ案内された。そこでこちらのかけ具合の希望を学生を通じて伝えた。
その間ずっと立っての応対だ。いろいろなやり取りをしていたら、店員が「どうぞ」という仕草をして椅子に座るよう小生の前に出した。座って待っていると調整が終わった。かけ具合は良くなった。
その店を出て、学生に言った。あの眼鏡屋は一流かも知れないが、お客様へのサービス、お客様対応は日本と比べるとかなり・・・だねと。すると学生は「先生が外国人なので、店員たちは緊張していたんです。」と言った。
そうだ、学生は中国人だった。(小生は授業で「ビジネスマナー」も担当しているので授業の一環?として教えたつもりだった。)もう少し別な言い方をすれば良かった。
小生の安易な発言?を学生に教えられた。
2007/04/04
尼寺見学
今日は学校から徒歩で20分のところにある開福寺へ行った。尼寺だった。
日本の尼寺から想像すると小さな寺を思うでしょうが、さすが中国です。大きな尼寺でした。聞けば10世紀はじめの創建だそうだ。建物は18世紀に再建されたとか。
寺の門前には参拝客のための店がたくさんあった。寺の塀沿いには占い師が何人座っており、相談?している参拝者もいた。10元支払って中に入ると大きな線香をくれた。どうするのか分からなかったが、とにかく貰った。幾つかの建物が有り、どの建物にも異なった仏像が安置されていた。
中にはなまめかしい姿の釈迦涅槃仏も安置されていた。日本の仏像とはちょっと違っていた。参拝客は、真剣に中国式の参拝をしていた。
見学途中で板(拍子木ではない)をたたきながら、歩いてきた尼さんがいた。何かなと思った。先ほど見学した建物に尼さんが集まって読経が始まった。その合図だったのだ。参拝客は堂の外に出されていた。
ある場所では銅灯篭に赤い布が巻きつけてあり、その布に願い事を書いている若いカップルがいた。赤い布は大部分書かれてり、余白は上部のほんの一部しかないようで、男性が女性を持ちあげて、書かせていた。書き終わるのに2、3分ようした。途中で一回降ろし再度、抱っこしていた。お疲れさん。
今日も楽しい一日だった。
2007/04/06
屋外でのピンポン
校内に大きな桐の樹があり、花が咲いている。花が咲くまで、その樹がなんの樹かわからなかった。花が咲いたので、ひょっとしたら桐かな?と思い学生に確かめてら、そうだと教えてくれた。 学校付近のいたるところに桐の樹があり、咲き終わった花がポトポト音を立てて落ちてくる。
校内のグランドでは休み時間や朝、夕方に多くの学生がバスケット、バトミントンそれとピンポンをしている。屋外でピンポンをするのだ。ピンポン台とネットはコンクリート製?のようだ。昨日そのピンポンをした。風が少々あったが、春の日差しを浴びながら屋外するピンポンも楽しいもんだ。
20分もしたら、もう汗ばんできた。当初4人で始めたが時々ほかの学生も加わり楽しいひと時だった。どの学生もピンポンが上手だ。さすがは卓球王国中国だと思った。
夜、今年3月から日本語を学び始めたクラスの教室に行った。ほぼ全員が自習をしているようだった。小生が入っていくと「先生、先生」と言って話しかけてきた。しかし、まだまだ一ヶ月しか学んでいない学生たちの集団だ。思うことを日本語で発話できるわけがない。
でも、熱心に話しかけてくる。時々中国語で話しかけてくるので「ティン ブ トン」(聞いて分からない)と答えている。そうすると誰かが知っている単語を使って、ちょっとおかしな日本語で話しかける。意味はなんとなく伝わってくる。それに彼らが理解できそうな単語を選んで答える。苦労する。でも楽しい。
昨日も「日本語は簡単です。中国語は難しいです。」と言ったら彼らは「中国語は簡単、日本語は難しい」と答えた。その後一人の学生が「ははご」と言った。何を言っているかちょっと考えた。分かった。
「母語」と言ったのだ。そこで黒板に「母語」と書いて説明した。このクラスの学生は「母語」を覚えたと思う。
21時になるとベルが鳴る。いつもそれを合図に部屋に戻っている
2007/04/09
中国のお宝拝見
以前学生が「毎週土曜は先生の食事を作り、部屋の掃除もします。遠慮しないで。」と言ったことがある。先々週はその学生の体調が悪く自宅(常は寮生活)に帰ったようで来なかったがそれ以外はずっとしてくれている。ありがたいことだ。飯の支度ができない小生にとっては何とありがたいことか。感謝、感謝だ。
7日(土)は今年3月から日本語を勉強しだした学生たちとバトミントンをした。彼らは皆バトミントンが上手だ。小生は少しやると疲れるため、すぐ休憩し、バトミントン待ちをしている学生たちと話をしていた。彼らの日本語はまだまだだ。でも、一生懸命に話しかけようとしている。
この日も「先生は北京???」と言ったので「私は牧野です。私は北京ではありません」と答えた。ちょっと意地が悪かったかな。学生はおそらく「北京へ行きましたか」と訪ねたかったと思ったので、そのセンテンスを言い「北京へ行きました。」と答えた。
また「~へ行ったことがある。」このセンテンスはちょっと難しいようで、ある学生は、先輩学生に何度が聴き直しやっと「先生は杭州へ行ったことがありますか。」と質問してきた。「私は杭州へ行ったことがあります。」と答えた。
学生は自分の発話が通じた喜び?を顔に表しているようだった。言いたいことがたくさんあるのに言えないジレッタサも顔に現れており、すぐに中国語で話しかけてくる。 いつも感じることだが本当に熱心な学生たちだ。
8日(日)北京からたくさんの国宝が長沙の博物館に来たと聞いたので行ってきた。学校から歩いて行った。学生は道中、日本語で「しりとり」を始めた。
日本での「しりとり」は名詞に限っていると思ったが、彼らは名詞、動詞、形容詞、副詞等習った日本語を言い合うのである。見事な練習法だ。歩きながら、楽しみながら復習しているのだ。今日も感心した。
すごいお宝がいっぱい展示してあった。小生は毎年秋に開催される正倉院展に行っているが、比較にはならない。7000年前の壺、5000年前の甕いずれもいまでも通用する物だ。実に多くのお宝が展示してあり、時間の経つのも忘れて見入っていた。
その後、彼らと遅い昼食を食べた。彼らの食欲にはいつも感心する。実に旺盛だ。それなのにあまり太っていない。
今日も楽しい一日だった。
2007/04/10
雨ニモ負ケズ
長沙に来てもう40日過ぎた。でもまだ慣れない事がある。学校内の汚さだ。ゴミが実に多い。校庭にはゴミ箱が幾つか設置されている。小生の部屋は校庭のちょっと奥まったところにある。4階建ての寮の南側の狭い通路の突き当たりにある。その狭い通路とその南側には低木が植わっている庭がある。
その庭と通路によくゴミが落ちている。寮から捨てているのか?録音テープの中身が寮のすぐ南側にある大木に引っかかり通路を越え庭にまでつながって落ちている。誰かが捨てたと思われる。トランプカードもなぜか時々落ちている。
また食物が入っていたビニール袋、トイレットペーパー、発泡スチロール等変わったところでは貯金通帳(残額10元)も落ちていた。時々拾ってゴミ箱に入れているが、きれいになる前に新たなゴミが落ちている。掃除専門の人もいるので校庭はまあまあだ。
一歩校外へ出ると、もっとひどい。校内の方がきれいだ。大げさに言えば道路はゴミの山である。食べながら歩きその袋や食べかすはその場に捨てるのである。道路専門で掃除する人もいるが、捨てる人の方が多いのでゴミはいっこうに減る気配はない。
このゴミ問題?はとても気になる。大好きな中国だけにちょっと・・・何とかならないものかと思っている。
一方教室はと言うと、これも習慣の違いか日本では考えられない光景だ。余分な机や椅子が教室内に積んである。学生が食べたり、飲んだりした残物があちこちに目に付く。学校では学生がきれいにするよう指導しているようだが、その効き目はどうかな?
先日も掃除の日が指定されていたようで、きれいになっていないクラスは注意されていたようだ。夜、教室に行くことが多いがその時も、学生のいない机の上に飲み終わった牛乳パックが置いてある。一つや二つではないのだ。
ところが今日11時ちょっと過ぎに職員室に行ったところ、どの教室も大掃除の真っ最中ではないか。午後2時からの授業で教室に入ってところ、見違えるほどきれいになっていた。授業していても気持がよかった。
黒板もきれいに拭いてあった。環境と学習は相関関係があるような気がするが・・・?今日は本当に気持ちよく授業ができた。学生にも今日の教室はとてもきれいで、気持ちがいいと話した。 いつまでこの環境が維持できるか?2、3日もつかどうか?
教室内ですばらしいと思うことも当然ある。各クラスとも後ろに黒板がありそこに学生たちが趣向を凝らしたメッセージを書いている。もちろん日本、日本語に関するものだ。
あるクラスは宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」が原文に近い文体で書いてあった。日本の若い人でも読みにくい文章が書いてあるのだ。聞けばそのクラスの学生が書いたそうだ。書いた学生はその意味を理解している
と思うが、そこにいた学生に聞いたら「難しいです。ちょっと分からないところがあります。」と答えた。当然だと思う。でも、日本語学校の学生が「雨ニモ負ケズ」を書いてくれたことが非常に嬉しい。そのクラスの授業は受け持っていないので、夜その教室に行った時、彼らに解説しようと思っている。
2007/04/13
長沙の友達
中国へ来た目的のひとつに滞在中に何人友達がつくれるかがある。
今のところ友達になれそうなのは果物屋の兄ちゃん(18歳)、二胡を引く男性(67歳)、貿易会社の社長の父親(61歳)それから昨日行った床屋の兄ちゃん(28歳)かな。
果物屋の兄ちゃんはもう友達と言っていいだろう。その店は学校に近くにあり、ほぼ毎日その店の前を通っている。そのたびにお互い声を掛け合っており、時々彼は小生にパイナップル、サトウキビ、ザボン、みかん等をくれるのだ。
最初は遠慮なくいただいていたが最近はほぼ毎日くれるので、ちょっと恐縮している。以前、日本から持ってきた板チョコを渡したことがある。
彼は日本の本が欲しいと言ったので100円ショップで買った5歳用のひらがなを覚える本(家族、動物、果物、野菜等の名前を覚える物)を渡した。その2、3日後、すべて日本語のため辞書がないと読めないと言い、辞書が欲しいと言ったが無いと断った。
彼が今、言える日本語は幾つかの果物の名前と「ありがとう、さようなら、おいしい」それに先日彼が「美女(メイニィ)」を日本語でなんと言うかと質問したので「びじょ」と答えた。
その後彼は美しい女性が通ると「びじょ」と言っている。その果物屋の店頭には今パイナップルが山積みされており多くの人が買っている。彼はパイナップルの皮をむき、種?を取るのが実にうまい。
職人だ。毎日何百とやっているから当然かも知れない。彼が剥いてくれるパイナップルは甘くてみずみずしくて実に美味い。1個2元(32円)とは安いと思いませんか。先日、名前を知らない果物をくれた。
聞いたが中国語で分からなかった。学生に話した時「先生、それは高いものですよ」と言ったが名前はいまだに知らない。でも美味かった。
彼の名前はまだ聞いていない。そのうちに聞こうと思っている。6月まで長沙で生活するので、もっと親しくなれると思っている。
2007/04/16
新しい友達作り?
長沙に来て床屋へ行ったのは先月、学院長に連れて行っていただいたのと,今回の2回だ。学校近くの美容院へ一人で行ってきた。店員?がペラペラペラと中国語でまくしたてた。「20元(320円)」だけは聞き取れたので入った。
「こんにちは」と言ったら店員?とお客さんもビックリした表情で小生を一斉に見たような気がした。「ちょっと短くしてください」と言ったがそれが通じるわけがない。 そのうち何人かが寄ってきて色々と話しかける。
「チェン トウファ(髪を切る)」が聞き取れたので「そうだ」と言った。それからが面白かった。たぶん、どんな髪型にするのか?と尋ねていたんだと思う。でも、中国語で答える能力がない。
「少し短くしてください」と中国語で言ったつもりだが通じなかった。そこで字を書いた。相手が理解したがどうか分からなかったが、「まあ、座って下さい」とジェスチャーで促した。
まずは洗髪、それから調髪だ。調髪時に青年と片言の中国語で話し会話?を楽しんだ。彼はいろいろと質問してきた。「韓国人か、歳は、どのくらい中国に住んでいるか、今何をしているのか、家族は何人か等等。彼は28歳で独身だと言っていた。
感じのいい青年だった。学生に床屋へ一人で行ったと言ったらビックリしていた。また、「20元は高い。先生、だまされた」とも言った。
これから友達になれるかな? また、楽しみが増えた
2007/04/17
毎朝の散歩
昨日の朝、いつものように学校近くの湘江という大河へ散歩に行った。今年3月に入学した学生二人に会った。彼らは教科書を持参しての散歩、いや勉強しに来ていたのだ。ベンチに腰掛、教科書を開いて勉強しだすところだった。
小生を見つけると「先生」と言って立ち上がった。彼らと一緒に散歩することになった。日本語を勉強し始めてまだ、1ヵ月半だ。上手く話せるわけがない。彼らは教科書を見ながら質問し、それにゆっくり、言葉を選んで答える。これがまた楽しい。
二人は相談しながら質問するのだ。思い出せない単語や知らない単語は中国語で話し合っている。聞き取れる中国語もたまにあるが、そこは知らない振りをして彼らの発話を待っている。そのうちどちらかが思い出す。
考えながらの散歩ゆえ、歩くスピードはゆっくりだ。途中で雨が降り出してきた。一人の学生が傘を持っており、小生に「どうぞ」と言って渡すのである。恐縮した。一つの傘に3人が入った。途中の大屋根ドームで雨宿りした。40分経っても、いっこうにやまない。ますます大降りになってきた。
タクシーで帰ろうと彼らを誘った。学校に着き支払おうとしたら学生がすばやく支払ったのだ。小生が誘ったのだから払うのが当然だが、学生は受け取ろうとはしない。彼らに借りを作った。この借りは日本語を教えることで返そうと思う。ありがとう、2人の学生。
湘江を散歩する時、いつも思うことだが、朝のひと時を楽しんでいる人たちが多い。 太極拳、凧揚げ、女性コーラス(65歳以上?)、老人体操グループ、ダンス、フラフープ、ジョギング、釣り、英語を大きな声で話している学生、二胡、テナーサックス、後ろ向き歩行、小鳥を鳴かせているグループ、幼稚園児?の倒立後転等実に様々な光景が見られる。
どの人も朝の時間をゆったりと楽しんでいるようだ。大部分は定年退職後の人々たちだ。変わったところでは朝から抱き合っている若人もいる。 また、ところどころに屋外用トレーニング道具が設置されており、老若男女が利用している。
小生は学校が夏休みになるまで長沙にいるので、朝の散歩をもっと楽しもうと思っている。
2007/04/20
夜の教室風景
多くの学生は毎晩7時から9時半ごろまで教室で自習している。この学校に赴任した時(3月初)はとても寒かったが教室には暖房設備もない。でも彼らは熱心に自習していた。大きな声を出し教科書を読んでいる学生、単語を大声で繰り返し言っている学生、黒板に単語を書いて覚えている学生、二人一組で覚えあっている学生等活気がある、熱気がある風景だ。ちょっと大げさに言えば胸にジーンとくるものがある。
一昨日の夜、教室で学生から質問を受けた。「~思う」と「~思われる」はどう違うのか?同じか? 日本人が「自然に使い分けている言葉」についての質問に対し、彼らが理解できる言葉で即答できる能力がない。説明したが学生は理解したという顔つきをしていない。そこで帰宅後、文法書をあらためて読んだ。彼に説明できそうな語彙、例文があった。
昨夜説明をした。彼は理解できたと言う顔つきをして、感謝の意を表した。おそらく中国人の先生は日本語を外国語として学んでいるので即答できるであろう。
今日も、学生のおかげであらためて日本語を学んだ。
2007/04/21
敬語はむつかしい
小生の担当授業は「会話」と「ビジネスマナー」である。文法は中国人の先生が教えている。先週は敬語について授業した。彼らはもうすでに敬語は習っているがまだまだ使うことはできない。
日本語能力テストの敬語はできたとしても会話での使用はとてもできそうにない。日本人でも大変なので彼らにとってはなおさらだ。でも、「会話」の授業を担当しているのでその敬語がいま少し使えるようにさせたい。彼らならできるはずだ。そこで、先週は敬語を使った会話練習をしようと思った。
しかし、テキストに掲載されている「好ましくない用語」を「正しい用語」に直す、あるいは「好ましくない言葉使い」を「正しい使い方」に直すことが出来ないのである。日本人でもちょっと難しいものがある。皆さんはできますか?たとえば:「お待ちどうさまでした、年配の人、ご主人」等を正しい用語に直せますか?
そこで今日は名刺交換を通して敬語を使おうとした。しかし、彼らは名刺交換の仕方だけで精一杯だった。敬語を使うことはできなく、名刺交換の仕方を教えただけになってしまった。今度は敬語を使わなければならないような状況を設定した授業をしたい。
授業中に時計を見たら停まっていいるではないか。近くのスーパーに行き電池交換をしたら動き出した。8元(130円)だって。 なんと安いことか。
2007/04/23
毛沢東の生家訪問
今年3月に入学した学生達(計18人)と毛沢東の生家へ行った。一週間ほど前に「先生もどうですか」と誘われたので、彼らとの旅を楽しみにしていた。 以前ツアーガイドをしていた学生がおり彼が計画をしたそうだ。当日は学校の正門に7時集合、小生は10分前に行ったが誰もいなかった。5分前になっても誰も来ない。
7時にやっとツアーガイドの彼が来た。続いて多くの学生が来た。10分過ぎに来た学生もいた。彼らはそれから学校付近の食堂?で朝食だ。なんと出発したのは7時半だ。ああ、ここは中国だったとつくづく感じた。
長沙駅を8時18分発の汽車に乗り「ショウ山」に着いたのは11時少し前だった。チャーターバスで目的地へ向かった。
まずは毛沢東の銅像広場へ。多くの人がいた。銅像前では記念撮影する団体が何組もいた。我々も記念写真を撮った。
毛沢東の生家付近はいい所だった。山、池、木々、畑等いい景色だ。なにか懐かしいものを感じた。見学者のなんと多いことか。生家に入るのに100人ほど並んでいた。
連休前(中国も5月始めはゴールデンウィーク)から徐々に観光客は増えるとか。連休は日本以上に混むそうだ。生家に入ると小生が小学生の時に家にあった道具、用具があった。とても懐かしい。
もうすでに亡くなった祖父母と母を思い出した。中国と日本は同じ文化、同じ民族だったのだ?とも感じられた。
現地の案内は我らの学校事務員の毛さんが説明してくれた。聞けば彼女は前ガイドをしていたそうだ。分かりやすい説明?か学生達はうなずきながら聞いており、時々質問もしていた。
しかし、中国語での説明ゆえ小生ひとり蚊帳の外だ。でも、時おり気を使って「先生」と言って日本語で説明してくれた。ありがとう、毛沢東の身内?の毛さん。
記念館のある所は公園になっており、建物もあちこちに散在しておりのんびりと見学できた。
毛沢東の両親のこと、誕生、子供時代、青年時代以降、世を去るまで毛沢東のすべてが展示してある。
毛沢東という人は中国にとって、とても偉大な人物であったとあらためて実感した旅だった。
汽車の旅もいいもんだ。汽車に乗り最初にビックリしたことは指定席であるのに乗車したとき我々の席に先客がいるのだ。行きも帰りもだ。学生は何も言わずにどうしようかという感じで見ている。小生の席にも先客がいたので「ここは私の席ですよ。」と日本語で言うと彼は席を立ち去った。
ツアーガイドをしていた学生が仲間の学生の席に座っていた客に中国語で何か話しをしたら、彼らはシブシブ席を立った。車内では菓子類をよく食べること。日本では見かけないひまわりの種もみんなよく食べている。最近、時々このひまわりの種をいただき食べることがある。
少し食べ慣れてきたのかもしれないが学生と話しながら、このひまわりの種をたくさん食べたのである。食べだすとやめられない?感じだ。食べながら「ひょっとしたら、中国人になったのかな?」とひ とりで苦笑していた。
帰りの車内ではひとりの学生の質問に答えているうちに、2人、3人、4人と学生が増えてきて、気づいたら「日本語教室」を開いていた。彼らは本当に熱心だ。日本語を習い始めて2ヶ月にならない学生達が次から次へと日本語で質問するのだ。小生が答えたことをノートに書いているのだ。なんとノートを持ってきているのだ。感心した。あっという間に長沙駅に着いた。
きょうもステキな一日だった。
その翌日の夕方、彼らの教室に行く感謝の意を表し、費用を支払おうとしたら全員一斉に「受け取れません?(中国語で)」と言っているようだった。それから日本語で少し話したが、彼らも感謝の意を表し、かたくなに受け取ろうとしない。ありがたく彼らの意に従った。
ありがとう、諸君。彼らの教室で正式に教える教科はないが、これからも夜の自習時間に遊びに行き、彼らが少しでも流暢な日本語会話ができるような手助けをしたい。
帰ろうとすると二人の学生が小生の晩飯を作ってくれると言った。ありがたい。晩飯をどこかへ食べに行こうと思っていたので、即彼らにお願いした。
材料は買いに行かずに家にある物を活用して作ったのだ。若いふたりと一緒に食べた。今日の晩飯も美味かった。本当に感謝、感謝だ。
2007/04/24
童謡「ふるさと」
毛沢東の生家に行った日の帰りに学生達と一緒に晩飯を食べた。学校の正門から2、3軒目の食堂?だ。3日前にある先生が連れて行った下さったところだ。中国の下町らしい?庶民的な食堂だ。一人ではとても入れない?食堂だ。3日前の料理は美味しいとは思わなかった。
その日はとても暑い日で汗もかき腹も減っていたので?美味いと感じた。でも、ご飯はちょっと・・・。(ぱさぱさで口に合わない。校内食堂も同じだ。やはり日本の米が一番だ。)その日はのども渇いていたので学生にビールを所望した。その食堂にはビールがないのだ。当然あると思って頼んだのだ。学生が近所の酒屋へ買いに行き冷えたビールとジュースを提げて戻ってきた。面倒掛けてごめんなさい、学生さん。
そのビールの美味かったこと。女学生は一人も飲まないので、男子学生と飲んだ。本当に美味かった。乾杯、乾杯と3、4回乾杯をした。中国は何回も乾杯をするのだ。この乾杯にも慣れてきた。だんだん話しが弾み盛り上がってきた? 中国語はわからないが雰囲気でそう感じた。
昼間行った毛沢東の生家をなんとなく思い出していた。そうすると小学校時代に歌った「ふるさと」と言う童謡が口から出てきた。
ウサギ追いし かの山 小鮒釣りし かの川
夢はいつもめぐりて 忘れがたきふるさと
こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん
山は青きふるさと 水は清きふるさと
学生から時々「日本の歌を歌ってください」と言われるが、いつも断っていた。しかし、この日は歌いたくなったのだ。なぜか「ふるさと」を思い出していた。それも我が愛する細君ではなく、とっくに亡くなった祖父母と母をだ。毛沢東の生家にあった農機具、生活用具等も見て思い出したのかもしれない。
学生達の前で歌った。歌わさせてもらった。気分がよかった。歌っていて胸にジーンとくるものがあった。これも異国での生活が2ヶ月になるからか。それとも歳のせいか。とにかく「ふるさと」を感じたのだ。
自分の歌う歌でジーンときたのはもちろん初めての経験だ。
ありがとう学生の諸君。よくぞ聴いてくれた。ありがとう。
2007/04/26
鉄板焼の店
昨晩教室へ行ったとき、食事の話になった。「先生は何が好きですか。」「私は辛いもの以外は何でも好きです」と答えた。そうすると「先生、鉄板焼き好きですか。」「大好きです」「明日一緒に行きませんか」「OK、連れて行ってください」と言った。場所を聞いたところ紅星スーパーの前にあると言う。そのスーパーは知っているがその付近には鉄板焼きの店はないと思うが…。
今日待ち合わせ場所である教室へ夕方5時に行った。彼らは自習していた。作文を書いていた学生が、作文を見てくれと言ってきた。昨晩もちょっと見て、アドバイスした学生だ。タイトルは「私の母」だ。今日見て驚いた。とてもよい表現で母への感謝の意を表していた。文章から彼女の母を思う心がスゴーク伝わってきた。
日本語を学んで2ヶ月弱とは思えない表現だった。当然ながら意味不明?の箇所もあったので、そこは中国語と日本語、両国の言葉を話したり書いたりして意味を確認しちょっとアドバイスした。彼女が知っている日本語はまだ少ないので、アドバイス時も骨が折れた。だから楽しみも大きい。 きっと彼女の日本語上達は早いと思う。 加油、加油学生諸君。
それから、食事に行った。店はどこだろうと思ってスーパーの前まで来た。学生の言うとおりその鉄板焼きの店はスーパーの前にあった。屋台だった。屋台とは思っても見なかった。その屋台の向かいのワンタンの店では1週間ほど前に食べたことがあった。「先生、なに食べますか。」「辛いものは食べれません。辛くないものは何でも食べます。」と言い注文はまかせた。
そうすると「キャベツ、たまねぎ、じゃがいも、レンコン、香干(豆腐の一種)、米豆腐」の鉄板焼きだ。丸い椅子が2脚あったので小生は座って食べた。学生達はその場に立って食べていた。もちろん片言の日本語で話しながら食べたのだ。時々変な日本語で意味不明?の時もあるが、おおむね彼らが言おうとすることは理解できるので会話は成り立っていた。
今日も楽しい日だった。
ありがとう、3人の学生。ごちそうさま3人の学生。
2007/04/28
どんな黄金周?
日本では28日からゴールデンウィークがスタートしましたね。ここ中国では5月1日からです。なぜか分からないが今日28日(土)は5月4日(金)の振り替え授業を行い、明日30日(日)は7日(月)の振り替え授業をするんです。
今朝の散歩時、小・中学生も出校してるんですよ。黄金周(ゴールデンウィーク)の前は毎年こうなんですかねえ。ちょっと不思議に思っています。理由はなんでしょうかねえ?疑問を抱いています?
学生の中には昨日(27日)ふるさとへ帰った者をいるようです。ある学生は広州、深セン方面で就職活動をするとか言っていましたよ。多くの学生がふるさとへ帰るようです。昨晩、教室へ行ったところ黄金周前でか学生は少なかったですよ。4、5人の学生と雑談をしていました。ひとり学校は残り勉強すると言っていました。他のクラスにも残りますと言っていた学生もいるので黄金周は彼らに遊んでもらおうと思っています。
先日、ある男の先生が「先生の黄金周の予定は?」と尋ねられたので「なにもありめせん。学校にいます。」と言ったら「では、○○へ行きませんか。」と誘っていただいた。○○は場所(地方)の名前だと思ったが何処だか分からないが「お願いします。」と答えた。これで一日は予定が入った。黄金周の前半に行くようだ。日時決定しだい電話をいただけることになっている。
どんな黄金周になるかな?
2007/05/01
黄金周初日
今日からゴールデンウィークの始まりだ。
多くの学生は実家へ帰り、残っている学生はほんのわずかだ。残っている学生に聞けば、ある学生は「もうすぐ卒業(7月始め)です。日本語を勉強する時間が少ない。勉強します。」と言った。
ある学生は「早く日本語を覚えます。」またある学生は「家へ帰りたい。家に帰ると勉強できない。学校で勉強する。」と言う。遠くて帰るのが大変だと言う学生もいるが、遠いからこそ黄金周でないと帰れないと思うが…彼の本心は?なぜか2日に帰ると言う学生もいる。また今晩、学校へ帰って来た学生もいるそうだ。
熱心な学生の手助けが少しでもできればと思っている。ありがたい事に小生のような教師?でも、残っている学生にとっては「励み」になるそうだ。
今朝も今年3月に入学した学生2人と学校近くの湘江と言う大河の河川公園を散歩した。公園ではベンチに座り彼らの質問に答えているうちに日本語教室?が始まった。
ひとりの学生は日記を書いているとか。その日記を見てくれと言ったので添削した。今年3月から日本語を学んだ学生とは思えないほど上手だ。でもまだ2ヶ月弱だ。助詞の間違いは当然ある。指摘すれば気がつくことが多い。熱心な学生だと感心している。
今日は昨日の夜より人が多かった。帰らない学生がこれだけいたのかと思うほどだ。今年入学した学生のクラスは賑やかだ。大声で話している。当然中国語だ。彼らが小生に質問することは大体決まっている。「長沙の生活慣れますか。」と言うとある学生は「慣れましたか。」と訂正する。
「晩ご飯何を食べますか」と言えば「何を食べましたか。」と言いなおしている。教科書で習った文章を聞くのだ。
隣のクラスへ行くと静かに勉強していた。彼らと話していたら明日の昼飯を作ってくれることになった。明日の10時に来てくれるそうだ。ありがたいねえ。料理をしたことのない小生にとっては本当に助かるよ。ありがたいことだ。
昨日までは昼、夜とも先生に作っていただいていた。今日から黄金周ゆえ、学校は休みなので正直困っていた。今晩は一人で近所の食堂へ食べに行った。
明日も楽しい一日になりそうだ。
2007/05/03
黄金周の学校
久しぶりに昼寝をした。2時半ごろ教室へ行った。 学生が2人いた。 ひとりは机に伏して眠っていた。午前中に会った時、昨日遅くまでインターネットしていたと言っていた学生だ。ひとりは復習していた。彼は3月に入学した学生だ。長沙に来るとき仲間からもらった「初級日本語文法 総まとめポイント20」と言う本を彼に渡した。
助詞の「に、で、を、へ、は、が、から等」の使い方の練習問題だ。彼が3、4問した時、もう一人の学生が入ってきた。2人で解きだした。勉強して2ヶ月弱の学生にはまだ難しい問題だ。彼らは真剣に解いている。ふたりで「に」だ、いや「で」だと言いながら必死に解いている。熱心だ。
その本を彼らに貸して小生は部屋へ戻った。今晩教室へ行った時に返してくれると言っていた。
7月に卒業する学生と夕飯を一緒に食べに行った。彼らには別の本を渡した。日本語能力検定1、2級の聴解問題だ。CDを聴き質問に答える問題だ。ひとりの学生はまあまあだ。彼女は今年、2級を受験するそうだ。もうひとりは苦労していた。いくつかの単語が分からないようで、全体の意味が理解できないようだ。
(CDプレイヤーはゴールデンウィーク中、学校から借用)そこで本を変えてみた。「日本語の文型と表現59 中級へ行こう」と言う本だ。まずはCDの聴き取りだ。聴き取りは文章中の( )を埋める問題なので、この本のほうがちょっと簡単だ。 それから文章の内容に関する質問に答えるのだが、これが大変だった。
文章を何回も読んでいたが二人とも正解ではない。彼らにもこの本を貸した。 夜7時半頃教室へ行った。今日は閑散としていた。昼間、問題集を貸した学生達しかいなかった。3月に入学した学生には難しい問題だが彼らは実に真剣に取り組んでいる。熱いものが伝わってくる。こちらもついつい熱が入る。でも、彼らが中国語で質問することは理解できないので、いくつかの例を挙げて答え理解を求めている。
手さぐりで教えているのだ。日本語教師としては失格かもしれないが、小生の能力はこの程度だ。彼らは少しは理解したようだった。あとは中国の先生が教える文法でしっかりとマスターすることを願っている。
黄金周、学生の数は少ないが熱心な学生が残っているので退屈はしない。学生あっての教師?です。
ありがとう、学生さん。
ありがとうございます、お客さま。
2007/05/04
日本料理店
今朝の散歩時に5月に卒業する学生に会った。とっくにふるさとへ帰っていると思っていた。長沙の繁華街にある日本料理店でアルバイトしていそうだ。9時から14時までと、16時から22時までの勤務と言っていた。日本人のお客様も来るようで「沖縄や北海道のお客様と話をしました。」と嬉しそうに話してくれた。職場の雰囲気もよいようで楽しそうだった。彼女はラテンダンスが好きなようで毎朝、湘江の河川公園でそのグループに入って練習している。ちょうど今日の昼はひとりなので彼女の働いている日本料理店「松臨(まつもと)」へ行った。その店はビルの2階であった。
1階の入り口には和服姿の女性が立っていた。彼女の案内で2階へ行った。店内は日本風に作られていた。12時半ごろなのに客は小生ひとりだ。メニューを持ってかすり姿?の小姐が来た。料理の種類は豊富だ。ざるそば、うなぎ、すし、刺身、天ぷら、牛鍋等ひと通りの物はあるようだ。
カツどんを注文した。彼女は湖南師範大学の学生で日本語を専攻している言う。名前を聞いたが忘れた。総経理も来た。長沙にいる日本人が毎週金曜日20時に集まり「日本語サロン」を当店で開いているとのこと。
まずは、おしぼりとお茶がきた。中国でおしぼりとはうれしいね。学校から歩いていったのですこし汗をかいていた。久しぶりに日本茶を飲んだ。ここの店員はみな日本語を話すことができ学生が多いようだ。
小生の教えている学生が「先生、来てくださったんですね。うれしいです。」と感謝の意を表しカツどんをテーブルの上においた。経理(店長)も来て3人で少し話をした。
カツどんの味はイマイチだ。中国で日本の味を求めるのはちょっと無理かな。ふたり連れの日本女性が入ってきた。続けて中国人の家族連れ?も来た。少し賑やかになった感じがした。
店内には日本人歌手の歌が流れていたが、今風の歌ゆえ歌手も題名も知らない。
日本の雰囲気?に触れたような日だった。
2007/05/05
今日も学生に感謝
食事を作れない小生にとって、この黄金周の食事がちょっと心配だった。しかし、今までのところ学生が代わる代わる作ってくれ助かっている。これからはどうだか…?昨日は珍しい物を食べた。一昨日の晩ある学生が「バナナとリンゴ入り粥」を作ったことがあると言ったので、「一度食べたいなあ。」と言ったら作ってくれることになった。
確かに甘い粥だ。以前、雲南省のシーサンパンナへ行った時、パイナップルご飯を食べたことがあり、甘くて美味かった事を思い出した。 学生達が色々と珍しい物を作ってくれる。ありがたい。
黄金周休暇でふるさとへ帰ると言っていた元コックだった学生にいつ帰ってくるかと聞いたところ「3日」と答えた。その3日の夜、教室へ行ったら彼がいたのでしめた」と思った。明日の昼を作ってくれると言う。当日他の二人の学生と一緒に小生の家に来た。豚の骨付き肉を甘く煮た物、牛肉と赤ピーマン、麻婆豆腐、コーン料理?等どれも美味かった。
夜は別の学生が作ってくれた。昨晩「先生、私は料理が好きです。上手ではありません。作ります。」と言ってきた。ありがたい。「じゃ、夕飯をお願いします。」とまたまたお願いした。彼女に日本の「指きりゲンマン」を教えようとしたら中国にも似たような指きりがあった。お互いの小指を絡ませて(日本と同じように)「一百年不許変」と言うのだ。意味はなんとなく分かるような気がする。中国と日本は兄弟国だとまたもや感じた。
黄金周に入り今日までの食事は学生達が作ってくれている。ありがたい。 感謝、感謝、感謝だ。
今日の夜も教室で「活きた日本語会話」をするぞ。
2007/05/06
黄金周初めての日帰り旅行
昨日は同僚の先生に誘われて、先生の学校へ行ってきた。黄金周の直前に彼が「先生、黄金周の予定は?」と問うたので「ありません。ずーと学校にいます。」と 答えた。彼は「じゃ、私のキャンバスを案内します。」と誘ってくれた。ありがたい。うれしいと思った。聞けばそのキャンパスは長沙市内でなく、株州市と言って長沙から50kmほど離れたところにあるそうだ。
5月5日(土)自宅付近のバス停の始発バス(6時35分)に乗り、彼の待つバス停に向かった。所要時間は約40分と聞いていた。バスに乗ると運転手に「我要在○○ (バス停の名前)那下車。請告訴我一下」と書いた紙を見せてそのバス停で降ろしてくれと頼んだつもりだ。でも事前に小生の降りるバス停の手前の名前を調べて持参していた。もうそろそろだなと思っており、次のバス停だと思っていたら運転手が手で合図して教えてくれた。無事、彼の待っている学校に着いた。
そこからは彼から日本語を学んでいる学生9人が同行し計11名の団体となった。目指す株州の中南林業科技大学に専用バスで向かった。おおよそ1時間で着いた。大きな学校だ。聞けば学生は1万人程度いると言う。 黄金周で学生が少な
で閑散としていた。木々の中を散策しながらキャンパス内を案内してもらった。まるで森林浴をしているようだ。気分がいい。気持ちが落ち着く。長沙へ来てこのような気持ちになってのははじめてた。
学生があちこちの木陰で本を読んでいた。試験が近いようだ。いい環境で勉強する学生はとても幸せだ。日本語を学んでいる学生の寮に案内してもらったが、どの部屋の学生もまだ寝ていて彼らと話しをすることはできなかった。
突然の訪問ゆえ当然だ。教授を始め学校関係者の住宅もキャンパス内にある。それだけではない、定年退職者も住んでおり彼らが利用する会館?まであるのだ。広いわけだ。キャンパス内にはスーパーを始め携帯電話の代理店、床屋、医院等キャンパス内はまるでひとつの町だ。
昼飯は先生推奨の校外の食堂で食べた。美味かった。
それから炎帝の祭られている公園へ行った。聞けば炎帝は黄帝と並んで中国の伝説上の皇帝だそうだ。そこでは先生の教え子がガイドをしてくれた。残念ながら中国語での説明だった。
彼女も日本語を話すそうだが園内を説明するだけの能力はないと言っていた。同僚の先生が通訳してくれ、ある時は儒教思想を説明していることは分かった。その後、炎帝広場へ行った。天安門広場につぐ中国2番目の広さだと言う。確かに広かった。炎帝像は中国一高いと言う。1997年に立てられたそうで、高さは19、97mと書いてあった。台座を入れると25mはあると思われる。
一緒に行った学生は日本語を習い始めて2ヶ月の学生から2年近くになる学生までいた。 話したくても話せない様子をしている学生?を見るといじらしくなってくる。小生から「今、何年生ですか。どこに住んでいますか等」話しかけた。先輩学生に相談しながら答える。とても可愛い?感じがする。
帰りは乗り合いバスを乗り継ぎ長沙南駅まで来た。ここから小生が住んでいる学校までは相当遠いようだ。 ここで同僚の先生、学生達と別れ、ひとりでタクシーで帰ることになった。同僚の先生がタクシー運転手と「40元だ」「30元だ」と交渉が始まった。3台目のタクシーで35元になり、それで帰った。ひとりでは値段交渉はとてもできない。
今日も楽しい一日だった。
2007/05/08
親友の来訪
5月7日(月)15時ごろ、小学校時代からの親友が長沙に来た。いや、戻ってきた。彼は小生の前任者で今年1月の始めまで長沙科技日語学院で教えていたのだ。教え子がまだ在校しているので、その夜は彼の歓迎会?が行われた。4ヶ月ぶりの再会だ。
彼の泊まるホテルに学生達が揃って来た。お互いに「おー、元気かい」」先生、ご無沙汰しています。」と声を掛け合っていた。みんなとてもいい顔でワイワイガヤガヤ、とても賑やかだ。場所をかえ火宮殿と言うレストランで歓迎会が始まった。彼が日本に帰ってまだ4ヶ月なのに、久しぶりに会ったような「会話の花盛り」だ。
「とても日本語が上手になったなあ。」とか「きれいになったなあ、どうしてかな?」とか。学生達は今月中旬に卒業する。広州、深セン、上海方面に就職したいようだ。話題も卒業後の進路とへと移った。明日から彼らは大事な時期を迎える。テストを受けるようだ。それも一定水準以上とらないと「罰金?を支払い再試験を受けるんです。」とある学生が言っていた。
中国では5月1日から今日(7日)までが黄金周だったため、今日の夕方学校へ戻ってきた学生もあり歓迎会は7時半ごろお開きとなった。
小生はそれから彼のホテルへ行き思う存分日本語(方言交じり)を話した。こちらへ来てからの日本語は、学生が理解しやすいように少しゆっくり目で、方言を出さないように話している。彼のお陰で久しぶりに「普段の会話」ができた。
ありがとう朋友。 感謝、朋友。
これからもよろしくな。
2007/05/14
0504クラスの卒業
0504クラスは5月12日(土)で卒業だ。彼らはこの学校で2年間日本語を勉強し、小生が担当する授業は10日が最後だ。学生全員に2年間の思い出を話してもらった。彼らには「けっして上手に話そうとしなくてもいいです。
文型表現を間違えてもいいです。2年間で感じたこと、楽しかったこと、苦しかったこと、悔しかったこと、これからのこと等を素直に話してください。自分の思いが相手に通じることが大事です。」と説明し彼らの話を聞いた。最初にあの学生が話すとは思っていなかった学生が口火を切った。
実に素直に話してくれた。眼に少し涙を浮かべながら同僚への感謝の気持ちも述べていた。同僚も感じるものがあるらしく涙ぐんでいた。多くの語彙を知っている学生が日本人好みの言葉を使って感想を述べたときにはグッとくる物があった。それぞれの学生が2年間の思いを素直に述べていた。みんな同僚の話をうなずきながら聞いおり、共通の思い出に慕っているようだった。
これら話しを聞いていて一番ビックリこと?は、昨日まであまり会話が上手くないと思っていた学生がとても素晴らしい思いを語った。寮生活のこと、仲間のこと、先生のこと、これからのこと等彼女の心がビンビンと伝わってきた。実に素晴らしいスピーチだった。彼女の話しを聞いていておもわず眼が潤んできた。うれしかった。
苦楽をともにした仲間は実にいいもんだ。この2年間で良い仲間ができみんな幸せ者だ。
多くの学生は広州、シンセン方面に働きに行くと言っていた。今年12月の日本語能力検定試験は働きながら受験するとも言っていた。全員合格して欲しい。
みんな希望に向かって一歩一歩着実に歩んでいる。
小生と彼らとはたった2ヶ月の付き合いだ。彼らには再び会うことはないかも知れない。彼らに日本語を教えたが、逆に彼らからは多くのエネルギーをもらった。彼らは実にたくましい。
0504クラスの学生さん、「これからの人生に幸多かれと祈る。」
2007/05/15
西安での異文化?
学生の案内で親友と5月10日から14日まで西安へ行った。感じるものが多い旅だった。
初日、ホテルに着くと学生の友達?が待っていた。聞けばその友達とは一度も会ったことがないと言う。その友達が夕食をご馳走してくれたのだ。餃子で有名な店だそうだ。初めての餃子、それはアワビ、薔薇、鳩、蟹それに則天武后が好んで食べたと言う真珠の餃子鍋も食べた。美味しかった。
ビックリしたのは一度も会ったことのない友達がなぜそのような接待をしてくれたのか。学生とその友とは仕事を通じの知り合いだと言う。年齢も15歳以上は離れているように見える。
でもそのふたりは無二の親友が久しぶりに会ったように2時間、話が途切れることなく楽しそうに会話している。もちろん中国語ゆえチンプンカンプンで何を話しているかは分からない。でも表情から楽しそうな雰囲気がうかがえる。日本人の小生には理解できない初日だった。
二日目、三日目は乗り合い観光バスの旅をした。二日目そのバスに乗って最初に感じたことは「車内禁煙」の表示があるにもかかわらず堂々と喫煙しているのではないか。よく見れば運転手も吸っている。ビックリした。三々五々客が集まってきた。
客のひとりが喫煙している運転手に「車内禁煙」を話しかけたようだ。(身ぶり手ぶりとふたりの様子から判断) だんだんと大きな声になってきた。そのうち客がバスを降りていった。ビックリした。 空調のないバスゆえタバコの煙は車外に出るがそれでも気になる。
三日目も小生がバスに乗ると禁煙表示がある車内で先客が喫煙していた。表示を指差して「車内禁煙」を促した。その客は窓を開け煙は車外に出しているから問題ないと言う素振りを見せた。 「あー、ここは中国だった。」と感じた。
この日は6組14人の旅だったが帰りの車中では、みんな友達になりワイワイガヤガヤと楽しそうに会話が弾んでいた。小生と友のふたりは当然蚊帳の外だ。中国の人たちは、会うと同時にどうして友達?のような会話ができるのだろう。 日本には敬語があり、それが弊害?で年齢差の人との会話が中国のように弾まないのか。
日本人の小生には到底できない。我が友が言った。
文化大革命で「みんな平等」になった、その成果では?と。さもありなんと思った。
2007/05/19
スピーチコンテスト
昨日は日本語学校のスピーチコンテストだった。今年の3月から日本語を学び始めた学生も参加した。実に内容がいい。テーマは「私の友達、私の母、中日関係、日本の昔話、日本の風習、日本のアニメ等」多彩でみな自分の言葉で話している。緊張している学生が多かったようだが彼らの思いは伝わってきた。優勝者は日本語を学んで1年半弱の学生だった。
彼女は内容もまとまっており自分の考え方をハッキリ述べており好感が持てた。何よりも良かった点は態度、表情そしてゆっくりと語りかけるような口調だった。小生も彼女が一番だと思っ。日本語暦3ヶ月弱の学生も表情豊かでゆっくり、はきはきと話した学生は上位に入っていた。内容は良いが声が小さい学生は残念な結果となった。放送設備があればよかったかも・・・。
発表した学生は推敲を繰りかえりし、日本語の発音、話し方を練習し、この日を迎えたと思う。入賞しなかった学生も日本語能力が向上したこと間違いなしだ。学生諸君、お疲れさま。
でも、ちょっと気になることがあった。それは聴衆学生の私語だ。声が小さく聞き取りにくい発表者の場合は特に気になった。最近日本でも増えている嫌いがあるが残念だ。人の発表を聞くことも日本語の勉強になるのに、もったいない事だ。残念なことだ。このことは学生に伝えなければと思った。 さっそく彼らに話そう。
2007/05/21
ウシガエル
5月20日学院長に誘われて釣りに行って来た。朝8時過ぎに学校まで迎えに来ていただき空港付近の釣堀に行った。 すでに先客7、8が人釣っていた。釣堀ではレストラン、カラオケ、マージャン、ビリーヤード等を併設しており朝9時からボリュームを最大?してカラオケ(窓開放)で歌っているのではないか。
歌っている人は大満足だろう。しかし、小生は田舎ののんびりした情景がだいなしだと感じた。日本でも釣りをしたことの無い者が中国で始めて釣りをしたのだ。釣りは魚が餌を食えば「手ごたえがある」と思っていた。とんでもなかった。浮きを見てその浮きのちょっとした動きを見逃がさずにさ竿を揚げるようだ。
タイミングがとても難しい。経験の無いものが上手く釣れるわけが無い。でも楽しかった。釣竿の先に赤とんぼ(日本の種類とは違う)が留まりじっとしている。のどかだ。また、浮きにも糸トンボが留まるではないか。
大木の木陰で椅子に座りながらのんびりと過ごす至福のひと時、いいもんだ。中国に来てのんびりと生活していると思っていたが、今日は「最高の日」だと感じていた。釣の成績はゼロだったが、それ以上に成果?のある日だった。学院長は釣が趣味だとおっしゃっていた通り7尾の成績だ。
昼飯はそこのレストラン?でいただいた。田舎料理だそうだ。サツマイモの葉は初めて食べた。美味かった。ウシガエル(食用蛙)は日本で2回食べたことがあるが料理方法が異なり、野菜と一緒に煮てある。これも絶品だ。ビールも少々いただき、今日も最高な一日だった。
学院長、ありがとうございました。
2007/05/22
10元(160円)の床屋
床屋へ行こうと思い学校の正門を出る時なにげなく守衛室に入った。3人の守衛さんと話していたら20元の床屋は高いと言う。そういえば学生も高いと言っていた。守衛さんにイクラだと聞いたら5元(80円)と答えた。それは確かに安い。
そこで今日は別の床屋へ行くことにした。途中果物屋の前を通ると、そこの青年がどこへ行くかと尋ねたので「床屋へ行く」と答えた。彼にも床屋はイクラだと聞いたがやはり5元と答えた。
ちょっとコギレイナ床屋へ行きたいと思い探し歩いた。学校から5分ぐらいの所にまあまあの床屋があった。午後3時ごろだったが、客は誰もいない。「こんにちは」と言って入った。店員?は4人いた。女性二人(20代と30代?)と男性二人(20代)だ。
ペラペラペラと長沙弁でまくし立てているように聞こえた。2、3人同時に話しかけるのだ。チンプンカンプンだ。「剪頭髪」と言ったら、またまたペラペラペラと言っている。じっくり聞いていたら、ヘアースタイルは?と言っているようだ。坊主頭同然の小生はヘアースタイルなど無いと同じだ。そこで少し短くしてくれと言ったつもりだが、どうも通じてないようだ。
イクラだと聞いたら10元だと答えた。まあいいかと思い席に着いた。まずは洗髪だ。その後ハサミとバリカンで調髪した。丁寧にやっているような気がした。 無事調髪が終わった。
長沙に来て最初に行った床屋は五星認定の美容院だった。洗髪、マッサージ、調髪、洗髪そして仕上げ等すべて念入りに行われたような気がする。
どのパートでも茶のサービスがあり確かに調髪以外の付加価値も高い。値段は学院長に支払っていただいたので分からない。今までの20元の床屋はマッサージはなく調髪以外のサービスは皆無だ。
今回の床屋も調髪のみだ。調髪後、店を出て気がついたがTシャツに散髪した髪が付着していた。「まあいいか調髪できれば」、これからは、しばらくここの床屋に行こうと思った。
今日も新たな出会いがあった。(写真の若者が調髪)
2007/05/23
日本語能力検定試験申し込み
中国では5月21日(月)から日本語能力試験2級の申し込みが開始された。よってその日の午後は休校だった。なぜ休校になるかその時は分からなかった。しかし今日(22日)理解できた。学生はインターネットで申し込みをするのだ。
今、中国では多くの人が日本語を学んでいるそうだ。その人たちが一斉に申し込みをするのでインターネットがそう簡単に接続できるはずがない。今朝10時ごろひとりの学生と校庭で会った。今は授業中のはずなのにと思った。彼女に聞いたら「昨日の夜から2級の申し込みをしていました。
しかしまだ申し込みできません。」と憔悴した顔で言うのではないか。インターネットカフェで徹夜したようだ。小生の担当授業は午後からだったので2時に教室へ行ったところ学生は3、4人しかいなかった。聞けば他の学生は2級の申し込みをしているという。大変だ。試験会場は長沙市内はじめ中国のアチコチで行われるらしい。
自分の希望する受験会場が定員オーボーすればそこでは受けられない。他の試験会場に行かなければならないらしい。彼らが焦っている理由はここにもあるようだ。
せっかく一生懸命に日本語を学んでいるのに受験申し込みに大きなハードルがあるとは思いもしなかった。ひとりの学生が授業中、いつもと違う顔つきで入ってきた。
顔を見て、まだ申し込みが出来ないとすぐに分かった。彼女は真剣なまなざしで「先生、どうすればいいですか?」と問うた。これだけはどうすることも出来ない。小生が話そうとした時、廊下で同僚の呼ぶ声が聞こえたと思ったら彼女は飛び出して行った。
夜、あるクラスへ行くと学生達は全員申し込み出来たと言って、祝杯を挙げていた。彼らは「みんなの団結です」と言っていた。確かにそのクラスはチームワークがいい。どのような方法で全員の受験申し込みが出来たか知らないが、とにかくおめでとう。
学生達が全員希望地で受験できるのを願っている。
2007/05/24
新たな朋友
1ヶ月ぐらい前、学校近くに湯包(肉スープ入りパオズ)の美味い店が開店した。持ち帰り客も多く行列ができている。 開店直後に食べたが確かに美味かった。
その後2,3回行ったが湯包は売り切れでシューマイ、ワンタンを食べていた。2週間ほど前ひとりで食べに行って時、客も少ないせいか店員が話しかけてきた。片言の中国語で中日友好?をはかった。その時も湯包は売り切れだった。「私は湯包が食べたい。
今度来た時には食べさせてください。」とお願いした。店主はじめ3、4人の店員が皆OKと言った。その後時どき食べに行くが湯包はどう言うわけか残っている。開店当初予想外に売れたため、増産したのかな? 湯包、シューマイ、餃子、ワンタンどれも2.5元だ。安くて美味い。5元で腹いっぱいだ。先日夜8時ごろその店の前を通ると客はもういない。
店の人たちの夕食時のようだ。男集はビールをラッパ飲みしていた。鍋料理だ。店主が「食べろ」と言ったので一口食べた。ちょっと辛いが美味かった。「ビールも飲め」と勧められたが飲食後だったため断った。
彼らは小生が日本語教師だということを知っており「給料はイクラだ、家族はどこにいるのだ、日本語を教えてくれ、日本のお金が見たい、この字は日本語でなんと読むのか等」いろいろと聞いてくる。彼らは南京から来ているようだ。
「南京に行ったことがあるか、是非南京に来い、授業のない時は遊びに来い」とも言う。その店の前を通ると食事をしない時でも店の中に入ることが多くなった。
また新たな出会いが始まった。
2007/05/29
貴重な体験?
またまた貴重な体験をした。
旅行中に小生がチャーターした車が交通事故を起こしたのだ。それも加害者だ。
5月中旬に卒業した学生とふたりで24日から28日まで張家界と鳳凰へ遊びに行った帰りのことだ。
鳳凰から長沙へ帰る途中、我々の乗った車がセンターラインをオーバーし相手車(屋根付トラック)左バンパーと接触し両車のバンパー周辺を損傷した。幸い人的被害はなかった。
接触直後、当車の運転者は相手車の運転手、助手にタバコを差し出した。相手の運転者は受け取らなかったが、助手は受け取り、そのタバコを耳に挟んで3人が大声で話し出した。小生はチンプンカンプンで何も分からないが、かなり大きな声で話していた。
そのうち当方のガイド(女性)も車を降りて話しの動向を伺っているようだった。通訳兼秘書役?の元学生が警察を呼んだようだと教えてくれた。5人の交通警察官が来るまでに1時間以上かかった。両車の運転手はそれぞれ警察官にタバコを勧めていた。受け取った者をいれば拒否した者もいた。ひとりの警察官は状況写真を撮りだした。もうひとりは現場の状況図を詳細に書き出した。その警察官が指示すると二人の警察官は道路幅、スリップコーンの長さ、双方の車の停止位置等をメジャーではかり出した。
その間、事故車両は接触当時のままである。交通支障だ。警察官は交通整理は全くしない。さいわい車一台がどうにか通れるスペースはあった。
保険会社の担当者らしい人も来ていたようだ。しかし、ハッキリしたことは分からない。小生の通訳?も運転免許を取得していないので事情通ではない。
警察の現場検証も終わり警察官の書いた書類に両車の運転手がサインした。
その後、被害車の会社の幹部らしい人と、我々の車の運転手と交渉しているようだ。両者、身振り手ぶりで話していたが最終的に我が運転手が1,200元支払ったようだ。
保険会社は何をしに来たのか、いまだ理解できない。それから、まだあるのだ。我が運転手が加害者認定されたようなので、我が運転手のみ鳳凰警察署に行かなければならないのだ。
また出発点まで戻るのだ。警察署で運転手は取調べ?を受けたのかどうかは分からないが約1時間、車に戻ってこなかった。その間、暇なので警察署のお手洗いを借用した。
小生はトイレに大変興味があるのだ。トイレの清潔感が有る無しで、そこの会社、団体、個人の生活意識が分かるような気がするのだ。(小生の部屋のトイレはどうかな?)さいわい現場検証していた警察官が外にいたので彼にトイレはどこかと尋ねた。
2階だと教えてくれた。しかし、2階にはなかったので、2階にいた警察官に尋ねた。3階の両隅だと教えてくれた。確かに両サイドにあった。正直あまり清潔とは感じなかった。あの現場検証を見ていて「やはり」と感じた。
鳳凰県公安局交通警察大隊だ。
2007/05/31
湖南省、世界遺産の旅
湖南省の世界自然遺産である張家界と鳳凰へ行った(5月24日~28日)。張家界の森林公園は本当に素晴らしい自然だね。
あの山の形、日本では考えられない形だ。それも海抜千メートル程度の山でだ。地震国の日本では考えられない断崖絶壁の巨大な岩の乱立だ。黄山とは異質の景観だ。
雄大さは黄山より、はるかに勝っていると感じた。ガイドの説明を聞きながら1日7~8時間、のんびりと散策した。あるスポットでは観光客はいず素晴らしい景観を独り占めし、しばらくその場所で感慨にひたっていた。自然はすごいね。自然の前では人間はちっぽけな存在だ。人間は自然の中で生かさせているんだとつくづく感じた。
一方、鳳凰は1,000年の歴史のある古い街だそうだ。観光の町だ。多くの観光客が街中を散策している。そのなかで、今でも鳳凰の人々は落ち着いて生活しているように感じた。夜、街中を流れている川を小船で遊覧した。定員20名程度だが、その船は船頭と我ら3人だけだ。
昼間とまったく違う風景だ。日本と同じような灯篭流しをしている人たちがいた。聞けば「幸福祈願」だそうだ。ロマンチックな光景だ。みんな幸せになって欲しい。小一時間の遊覧はなんとも言えない心境になった。手漕き船はゆっくりと進み川面のさわやかな風も気持ちよかった。昼間の喧騒さが嘘のようなひと時だった。
今回もいい旅をした。
2007/06/01
転校
西安旅行から帰った翌日授業に行ったら二人の学生が転校したと言うではないか。小生に何にも言わずに・・・実に寂しい感じがした。彼女らの二人とはいろいろな思い出がある。二人ともよく勉強しクラスの中でもトップグループの日本語能力を持っていた。二人からのメッセージを他の学生が預かっていた。
そして今度は張家界から帰った翌日のことだ。夜、いつものように教室へ行ったところひとりの学生が「先生、明日の夜、先生の家で餃子を作ります。」と言うではないか。どうしたのかなと思いよく聞いてみると転校すると言う。それも明日の夜9時ごろの汽車で目的地に向かうようだ。
そういえば以前7月にここを卒業後シンセンへ行くようなことを言っていたことを思い出した。日本語能力試験は12月なのでその準備だろう。
この二人はとても実直で努力する学生だ。
この日、彼女ら二人はすでに退学したので授業には出席せず、3時ごろから準備をしだした。4時ごろになると別の二人も応援?に来て4人で作ってくれた。この日の餃子は特別な味がした。
彼女らの「愛」が凝縮していた。ありがとう。美味かったよ。この日の餃子の味は一生忘れることはないであろう。
12月の試験には4人の転校した学生の合格を願ってやまない。
4人が夢に向かって邁進することを望んでいる。
2007/06/02
旅行雑感
張家界は多くの観光客がいて、森林公園内のバス、ロープウェイ、エレベーター、観光船、電車等どれに乗るにも順番待ちだ。ゴールデンウィークは驚異的な順番待ちだったそうだ。2,3時間待ちは当然だったとか。5月の下旬はそれほどでもないが、でも並んで待つのである。
我らのガイドは要領がいいのか、案内するのが個人客二人と少ないせいかどうか分からないが、別ルートで乗ることがたびたびあった。小生はいつもは堅い事を言って割り込みする人がいると注意する方だ。しかし、その時はちょっと嬉しく感じたのである。乗り物に乗ってから自分はいい加減な人間だとつくづく感じた。他人に割り込みを注意するくせに自分は割り込み?して乗っている。
それも我がガイドは「要領がいい」と思うんだからなんと自分勝ったな人間ではないか。なんと自己中心の人間ではないか。 何の気なしに本音と建前を使い分けているんだな。本来の自分はこんなもんなんだ。
旅行に同行した元学生(5月12日に卒業)の日本語能力は学校内で最も優れていたと思う。旅行に際し、彼には小生の通訳兼秘書としての任務を依頼した。彼は通訳になりたいようなことを言っていたので「通訳の役割」も説明した。
また、小生は日本の「ビジネスマナー」の授業を担当していた。もし日本企業に入社した時のために「日本のビジネスマン心得?」なるものも授業で教えた。これを彼がどれだけ理解しているか。どれだけ実践できるか。今回は小生の教え方の成果を問う旅でもあった。
結果は教え方の悪さがハッキリと分かった。定年まではビジネスマンとして働いており、定年後日本語教師の資格を取った小生には教師経験不足なのか、それとも指導力不足なのか。教えることの難しさをあらためて痛感する旅でもあった。
でも、小生の任期はあと1ヶ月、自分の持っているものをどれだけ学生に伝授できるか? 教え方はそう簡単に上手くなるわけがない。あとは熱意かな?
情熱を持って彼らに接したい。何かが伝わるかもしれない。
悔いのない長沙生活にするぞ。
教えるつもりが、学生に教えられた旅だった。
2007/06/03
接触事故 その後
張家界、鳳凰の旅から帰る途中、車が接触事故を起こしたことで旅行社の担当者が来訪した。今回の旅行に際し事前に契約書を交わしたので、この接触事故が契約書の条項に抵触するか否かを伺った。旅行社は以下の説明をした。
●接触事故を起こし帰宅が遅くなったことは申し訳ない
●しかし、契約書に記載された個所はすべて見学した。
●さいわいお客様は怪我をされていない、かつ財産の損害もない。
●帰宅時間は契約書には記載されていない。
●よって契約条項に抵触する項目はない。
説明を聞いてなるほど?と思った。しかし、日本ならばどうだろうか・・・?交通事故により5時間弱の時間を無駄にした。帰宅予定時間午後7時から8時ごろが深夜12時過ぎになったのだ。それも昼飯は車中で食べたバナナ3本、晩飯はコンビニで買ったパンと牛乳だ。その原因は旅行社が依頼した運転手の交通ルール違反だ。我々が乗った車の運転手が加害者なのだ。
残念ながら契約書に書かれている中国語の解釈は難しくて理解できない。でも、なんと言っても怪我がなく無事に楽しい旅ができたので、いい体験をしたと思う。
今回の旅行社の説明もよい経験をしたと思う。説明に来てくれてありがとう、劉さん。
劉さんはつねに真摯な態度で説明し、とても好感がもてる青年だ。いい青年に巡り合った。この接触事故がなければ劉さんとじっくり話すこともなかったろうに。
劉さんが持ってきたスイカは今回も通訳をしてくれた元学生にわたした。バナナとレイシは他の学生と一緒に食べようと思っている。
劉さん、お世話になりました。ありがとう。
2007/06/04
思わぬ来訪者
夕方学生達と歩行者天国へ夕食を食べに行こうと学校の正門を出た。すると「牧野さんですか」と声をかけられれた。ビックリした。知らない人が小生の名前を呼んだのだ。聞けば我が同僚の先生にメール連絡した北京に留学中の日本人だそうだ。そう言えば3,4日前にその先生から北京にいる日本人留学生が長沙に来られるようだ聞いていたので、すぐにその人だと分かった。 その日はお互い用事があったので、立ち話で分かれた。
あくる日午後2時ごろ彼が来訪した。彼は去年9月から留学しているそうだ。流暢な中国語を話しアチコチ一人旅しているようだ。たくましい。若い。色々なものに興味があるようだ。今日も愛晩亭、烈士公園等へ行きスケッチもしたようだ。聞けば北京に尺八を持ってきているという。趣味も広いようだ。
我が宿舎でお互いの思いを語り合った。お互い定年退職組の同年代だ。その後、教室へ行った。学生が勉強していたので彼らと小一時間会話?を楽しんだ。学生も新しい日本人教師?に積極的に話しかけた。実にほほえましい光景だ。はじめ彼は堪能な中国語で話していたが途中からは日本語会話?を楽しんでいるようだった。
彼とは初めて会ったが旧知の友のような感じがした。なにか同じ価値観を持っているような感じがした。いい友が出来た?もっと早くから彼と知り合っていたら…。彼は午後6時の汽車で北京に帰った。もう一泊し、明日の小生の授業に参加して欲しかった。残念だ。
縁とは面白いもんだ。彼とは縁があるんだと思った。彼は鹿児島だそうだ。小生の自宅とは千km以上離れたいるが、これからこの縁が続くかもしれない。彼も小生と同様7月に帰国するようだ。縁があったらその後もよろしく。
今日は思わぬ来訪者に感謝。彼に刺激を受けたよ。
2007/06/05
オシドリ鍋?
土曜日、学生達と鍋料理を食べに行った。日中の気温が30℃をはるかに超えた日なのにその店は満員だ。やっとひとテーブルを見つけた。定員400人くらいのとても広い店が夕方6時に満員なのだ。安くて美味いと評判の店のようだ。鍋の半分は辛いタレ、半分は辛くないタレだ(鍋の名前はオシドリ鍋だそうだ)。
合理的だ。家族ずれ、学生同士、恋人?、10人ぐらいの仲間等どのテーブルも楽しそうな会話の花が咲いていた。また、どのテーブルも多くの料理が並んでいる。こんなにたくさん食べるんだろうかと思うぐらいだ。我らのテーブルもしかりだ。5人でこんなに食べるんですかと言いたくなるほど一度に注文するんだ。日本人の感覚では理解でない。でも食べてしまうんだからすごいよ。彼らとワイワイガヤガヤ楽しい会話が続き時間のたつのを忘れていた。
ありがとう、王さん、陳さん、劉さん、黄さん。
その帰りに眼鏡屋の前を通ると店の中で手を振る女性がいた。メガネが壊れた時に検眼してくれた女性だった。初対面の時はなんと無愛想な女性だと感じた。その後2、3回行っているうちに親しくなった?のか…。30歳代?の笑顔のステキな女性だ。名前は知らないが、たしか胸に名札をつけていた。
次に歩行者天国に行った時はその店を覗いて見ようと思った。歩行者天国に行く楽しみがまた増えた。
今日も充実した一日だった。
2007/06/06
ニンニクの芽と豚肉炒め
日曜日の夕食は学生が作ってくれた。美味かったなあ。ニンニクの芽と豚肉炒め、青野菜炒め、キュウリの輪切り炒めそれにタマゴスープだ。日ごろ料理はしていないそうだ。小生のために作ってくれたのだ。ありがたいねえ。 学生達と食べる料理は美味いねえ。ひとりで食べる料理はあじけないねえ。
食事後、彼女らふたりに日本語教室?を開いた。まずは小生のメールを読んだり、日記を読んだりそれから2級の聴解テストをした。彼らにとって聞き取りは大変なようだ。活字を見れば意味が分かるが聞いて分かるのは大変なようだ。だから小生も熱が入る。あれだけ熱心な彼女らゆえ、日本人と多くの会話をすれば聞き取りだけでなく、会話能力が向上すること間違いなしだ。
周さん、スさんありがとう。本当に美味かったよ。
小生は本当に幸せもんだ。
2007/06/07
ありがとう、我が娘
家から嬉しいものが届いた。
娘からの「父の日」のプレゼントだ。小生がこちらで生活しているので、娘なりに考えた結果の品物だろう。 下駄と緑茶だ。イヤー、嬉しかったねえ。娘から中国に送ってくるとは夢にも思っていなかったからねえ。異国で感じる身内の…は格別だねえ。ちょっぴりホームシック?になったよ。その晩、さっそく下駄をはいて教室へ行ったよ。ひとりの学生が気がついて「先生、それは日本の靴ですか。」と問うた。そうだ外国人は靴だと思うんだ。学生に自慢げに?説明したよ。娘から「父の日」のプレゼントだとね。異文化を彼らに見てもらうのも日本人の小生の務めのひとつだ。3週間ほど前に浴衣を着たときは「浴衣」に目が行き「草履」は見ていなかったと思う。ジーンズに下駄履きだが異国ではいいもんだ。郵便局へも下駄履きで行ってきたよ。ちょっと音がするけど、それがいいねえ。
中国で日本茶を飲んだことがない。長沙で一度日本料理店へ行ったが、そこのお茶もちょっと違うんだよなあ。久しぶりに日本茶を飲んだ。なぜかホッとした。
家族はいいねえ。温かいねえ。
ありがとう、我が娘。
2007/06/08
幸あれと祈る!
今日の授業は出席者が9人と少なかった。そこで教科書から離れて会話をした。小生が司会をして進めていくうちに、なぜか「王子さま」「お姫さま、お妃さま」の話しになった。学生のうち8人が女性、男性1人だったので、男性学生に対し「王子さま」と呼んだら、学生達がその学生の「お妃さま」がこのクラスにいると言う。聞けばここにいるS学生だと言う。そこから会話内容は一変した。教室が結婚式、披露宴会場になった。誰かが結婚行進曲を歌いだすと全員で合唱だ。小生は来賓として「祝辞」を述べた。学生全員友達として祝辞を述べた。主役?のふたりはお礼の言葉を言った。ふたりはマンザラでもなさそうな感じだった。今はまだ学生ですからとも言っていたなあ。
彼らは「中国人らしい祝辞」を述べる学生が多かった。しかし、なかには日本人風の祝辞を述べた学生もいた。急に「お祝い」を自分の言葉で言うのは大変かなと思ったが、サニアラズだった。
今日の会話授業は盛り上がった。とても実直なふたりだ。望みが叶うことを願っている。
ふたりの前途に幸あれと祈る。
ハッピーな一日だった。
2007/06/10
平和
5月中旬に卒業した学生がふと立ち寄った。「先生、私8、9日と休みがいただけそうです。一緒に散歩しませんか。」と言った。「9日は用事がありますが、8日はOKです。」と答え、学生からの連絡を待っていた。7日の夜「先生、明日いいですか。よければ7時半に烈士公園の南門で待っています。」と言ってきた。もちろんOKと答えた。
当日6時45分ごろ、自宅で彼女から電話を受けた。もう、待ち合わせ場所にいると言っていた。慌てた。一瞬、待ち合わせ時間が7時だったかなと思った。7時25分ごろ目的地に着いた。当然彼女は待っていた。朝の公園の散歩は気持ちがいいねえ。日本と比べとても大きな公園だ。木々も多く小鳥のサエズリも聞こえてくる。あちこちではダンス、太極拳、二胡、サックスホーン、歌を歌う、道路に筆で字を書く、散歩、ジョギング等をして楽しんでいる。そんな中をゆっくりと散歩した。気持ちがいい。
大きな湖に出た。足こぎボートに乗った。日本のような手漕ぎボートはなかった。その後、長沙市内の名所のひとつである天心閣に行って、ビックリしたことがあった。1938年11月に日本軍がここに来ていたのだ。記念碑?に記載してあった。中に入って映画?を見て声を失った。日本軍に侵攻され市民は逃げ、5日間街は燃え続け廃墟となった。もちろん見ているのは小生を除き皆中国の人だ。その部屋の中では日本語を話すことができなかった。戦争は絶対にしてはいけない。戦争を正当化する理由なんてあるはずがない。
重苦しい気分で天心閣を出た。
それから昼食に臭豆腐で有名な店へ行った。臭豆腐はちょっと辛いが美味かった。
楽しい一日、そして考えさせられた一日だった。
雷さん、ありがとう。
2007/06/11
洞庭湖
ふたりの学生に案内されて洞庭湖へ行ってきた。岳陽楼と君山島だ。長沙から高速バスで約2時間、岳陽市に着いた。まずタクシーで岳陽楼へ向かった。思っていたとおりの素晴らしい公園(庭園)だ。一人の学生は前張家界のガイドだ。事前に調査して日本語で資料を作っていた。日本語を習い始めまだ3ヶ月余の学生だ。資料を見せてもらった。教師として少し直した個所があった。でも感心した。助詞の使い方は難しいようだ。
眼の前に洞庭湖が広がっている。月を見ながら酒を少々いただけば、李白でなくても自然に詩が浮かんできそうだ。 昼食後君山島へ向かった。5人以上でないと高速船は出航しないと言っていた。我々3人と、もうひとりの学生でしばらく待っていたが、5人にならない。30分待って4人でも出航した。
この島はのんびりしたいい島だ。歴史もあるようだ。学生がいろいろと説明してくれる。ありがたいねえ。ガイド役の学生が日本語で説明できないところは中国で話し、もうひとりの学生が通訳してくれるのだ。ガイドと通訳を連れた?豪華な旅行だ。島の空気は美味しいと感じた。さわやかな風も吹いていた。若いふたりが手をつなぎ少し小走りをした。小生も一緒に走ろうと手を差し出した。3人で手をつなぎ風を切って?走った。気持ちよかった。青春時代のひとコマを思い出した。懐かしかった。芝生に座り、爽やかな風を感じながらのんびりと話しをした。滞在時間はたった2時間であったが、心が洗われた一時を過ごした。
帰りは18時10分発の電車だ。学生はインスタントラーメンを始め飲食物をたくさん買った。座席は硬座(2等)で14元。でも、満員で座れない。「イヤー、まいったなあ。2時間も立ちっぱなしか」と思っていた。すると乗務員が「先生、お座りください」と乗務員室を空けてくれたのだ。ありがたい。感謝感激だ。親切だ。小生の白髪頭を見て同情してくれたのか。嬉しかった。学生が乗務員に相談したことはすぐに理解できた。その部屋はふたり掛け用の椅子があった。詰めれば何とか3人座れた。少々のお礼をしたようだが当然だ。学生がなんと言って乗務員に話したか分からない。小生が疲れていると思って、考えた末の行動だと思う。 8時半ごろ長沙に着くと学生のお兄さんが迎えに来ていた。4人で人民公社というレストランに食べに行った。青蛙(トノサマガエル)を初めて食べたが味は絶品だ。牛蛙(食用蛙)よりはるかに美味いと思った。ごちそうさま、学生のお兄さん。
ありがとう、朱さん、黄さん。
今日もいい日だった。
2007/06/14
新しいクラス?
5月中旬にひとクラス卒業したため担当授業は週6コマから3コマに減った。余暇が多くなった。夜、いつものように担当外のクラスに行った。彼らが「先生、授業が減って暇でしょう、私たち水曜日の10時からは自習時間です。先生、教えていただけませんか」と言った。嬉しいねえ。何を期待してそう言ったか分からないが「彼らと話したい。彼らの話を聞きたい」と思った。副学院長に相談し、ご了解をいただいた。夜の自習時間に彼らと話をするが授業を担当するのは初めてだ。校内では1番語学力のあるクラスだ。12月の日本語能力試験も1級受験者が多いようだ。小生の話す言葉も制限はない。普通の日本語を話せばいいのだ。
当日、まず自己紹介をお願いした。「みなさんは日本の会社の社員です。今、みなさんは日本の本社に1年間の研修に来ました。本社の人に自分の名前を覚えていただけるような自己紹介をしてください。条件は1分間です。」続いて、「日本人は中国の人の名前は覚えにくいです。日本人に自分の名前を覚えて欲しい、そのための工夫をした紹介をしてください。」と説明した。結果は予期したとおり難しかったようだ。そこで自己紹介のポイントを説明した。彼らはうなずきながら聞いていた。
その後の授業内容は一部の学生には興味のない?ものだったようだ。ある学生は別の事をしだした。(どうも単語を覚えているようだった。)ダメ教師の典型をしてしまった。修正した。「日本のビジネス心得」を具体例を挙げ、中国との比較も交えて説明した。小生が経験したことで学生は未経験のことだ。将来日本企業で働きたい彼らにとっては興味のあることだ。その学生もいい表情で授業に加わった。
このテーマならまだ彼らに教えることができそうだ。
機会があれば再度、彼らに話しがしたい。
2007/06/16
同僚
同僚の郭先生は中南大学の院生だそうだ。発音はきれいだしイントネーションもいいし、まるで日本人のような話し方だ。昨日、彼女に誘われて中南大学に行ってきた。長沙で有名な岳麓山の麓にあり、環境のいい大学だ。緑が豊富で落ち着いた雰囲気の大学だ。このような環境で学問ができる学生は幸せだ。大学構内はひとつの生活エリアだ。ひとつの大きな町だ。構内で生活必需品はすべて賄えそうだ。自由市場まであるのだ。
彼女の住んでいる寮は部屋にトイレ、ベランダまであり恵まれている。外観から見てもとてもきれいな女子寮だ。静かな芝生広場?では学生が本を読んでいた。ここで読めば頭に入りそうだ。覚えられそうだ。
大きなトラックがあり、ジョギングを楽しんでいる学生と数人の中年男性(職員、教授?)がいた。トラック内にはサッカーコートが2面ありサッカーを楽しんでいる学生もいた。
彼女と夕食をともにしながら話しをした。実に感じのいい女性だ。好感が持てる。学生から以前聞いたことによると去年、北京で開催された日本語スピーチコンテストで賞を取ったとか。才女だ。卒論のテーマは中国語、日本語の「主語省略」について?のようだ。
彼女の希望は大学の教授かな?彼女が大学の教壇に立つ姿を想像すると…時期到来時には、その姿を拝見しに行きたい。彼女なら希望が叶うだろう。
いい朋友ができた。もっと早く彼女と親しくなりたかった。
今日もいい日だった。
2007/06/18
朋友の来訪
17日、高校時代の朋友が来訪した。17日の夕方、長沙空港に着き18日の一日滞在するだけで、19日の昼前の飛行機で帰国するせわしい旅だ。わざわざ小生に会いに来てくれたのだ。うれしいねえ。ありがたいねえ。たくさんの費用を使い観光するでもなく、小生に会いに来てくれるなんて…。小生が逆の立場だったら果したして会いに行くかどうか…。
さっそくその日の夜、彼の歓迎晩餐会?を長沙の庶民的な鍋料理店で行った。小生が友とその店に着くと0602クラスの学生8人が待っていた。そのクラスは学校で日本語が一番上手なクラスだ。彼の話す日本語はすべて通じる。彼らは自己紹介した。口頭で自分の名前を初対面の日本人に伝えるのだ。中には日本にない漢字もある。通じた学生もいるが、難しい字は書いて説明していた。中国の人の名前を口頭で分かりやすく日本人に説明するのは難しい。
彼には18日、0603クラスの教壇に立ってもらう予定だ。彼の話がどれだけ理解できるか。学生には小生以外の日本人の話を聞かせたい。人は話し方、スピード、癖等があり、少し違うのでいろいろな日本人の話を聞くことはいいことだと思っている。違うタイプの彼がどんな話をするか。自営業でセルシオを乗り回している彼がどんな話をするか。学生の反応はどうか。また、友と小生との会話(親友同士の会話)は教科書にない会話だ。それも彼らに聞かせたい。文法を無視した会話?早口な会話、少し方言の混じった会話等、いい機会にしたい。
どんな一日になるか楽しみだ。
2007/06/20
朋友の授業
18日(月)午後2時からの授業は我が朋友が先生だ。彼は自営業であり、セルシオを乗り回している社長だ。その彼がどんな授業をするか楽しみだった。
彼は日本でも大変珍しい自分の名字を名乗った後、自営業の内容を語った。中国にはない業種?の新聞配達業だ。17日の朝刊5種類15部を持参した。通常の新聞、経済紙、スポーツ紙等の特徴と内容を説明しだした。その後折り込み広告の種類、内容を説明した。求人、旅行・観光、塾、パチンコ、携帯電話、スーパー、売り出し等その特徴と内容だ。折り込み広告から発展し、バブル崩壊から最近の経済情勢まで具体例を挙げ説明した。学生は求人・賃金には特に興味をもって聞いているようだった。
それから日本のきれいな風景写真が載っている今年の大きなカレンダーを見せた。富士山と桜をはじめ新緑、紅葉、城の雪景色等学生達は身を乗り出して彼の説明を聞きながら眼をすえて見ていた。
彼の授業予定時間は当初40分だったが学生の興味が尽きなかったので休憩を挟み倍の80分となった。学生からの質問もあり有意義な授業となった。時にはいつもと違う日本人の話を聞くことも重要であることを実感した。
あくる日の夜、当日分けた新聞の件を尋ねると適当に分け、まわし読みしているようだった。彼らにとって新聞内容はちょっと難しいが興味あるところを辞書片手に読んでくれるとありがたいと思うが…。
ありがとう、朋友。
2007/06/21
端午の節句
6月19日は旧暦の5月5日だ。端午の節句だ。2、3日前に学生が手作りのチマキを持ってきてくれた。うれしいねえ。学生の手作りだと思うとその味は各別だねえ。
以前チマキを大辞林で調べたことがある。昔中国のある地方である事件があり、それからチマキの習慣が生まれたようだがあまり覚えていなかった。
鹿児島市日中友好協会の大石様から「端午の節句」に関するメールをいただき読んでハッとした。とても詳しく、かつ分かりやすい説明だった。少し前に遊びに行った岳陽の近くでの出来事だ。じっくりと読んだ。よく分かった。湖南省で発生した事件?が基で始まった行事なんだ。それが日本に伝わり今でも端午の節句にチマキを食べるんだ。端午の節句はチマキだけではない、まだ他の行事もあるのだ。
19日は学校からもチマキをいただいた。中国にはまだまだいい風習が残っている。旧暦使用時に始まった行事を今でも旧暦で行っている。
当然だと思った。
2007/06/22
先入観
腕時計が動かなくなった。2ヶ月ほど前に学校付近の時計屋で電池交換した時計だ。1ヶ月ほど前にも一時止まったがその時はすぐに動き出した。今度は完全に止まって動かない。「中国の電池は物が悪いなあ。安かろう(8元)悪かろうか。」と思った。スーパーの店頭にいつもいる時計屋に再度修理に行った。客は誰もいなかった。隣の店の婦人が座っていた椅子を無言で小生に差し出した。ありがとうと言って座った。彼は時計を分解し掃除をしているようだ。その後通訳の学生に言った。「ゴミが詰まっていたので掃除した。もし、また動かなくなったら持ってきてくれ。」と。修理費はいらないと言う。小生は今まで「中国製品は…。彼の技術は…。」だからすぐに動かなくなったんだ、と思っていた。ああ、恥ずかしい。なんと言う了見の狭い人間なんだ。間違った先入観でこの国を見ていたんだ。先入観で中国を見ているなんて微塵を思っていなかった。しかし時計屋の彼が「君は先入観で中国を見ているんだ」と教えてくれた。
またひとつ教えていただいた。この国へ来てから多くのことを教えてもらっている。
ありがたい。感謝だ。
昨日、彼の写真を撮りに行った。了解を得て彼の写真を撮っていると、隣の婦人がペラペラペラと長沙弁でまくしたててきた。「ティンブトン(聞いても分からない)」と答えた。そこしゆっくりと話しかけてきた。「国はどこか、内モンゴルか」と問うているような気がした。「日本だ」と答えた。近くの中年の店員さんも寄って来た。椅子を勧められたので座ると「身長はいくつか」と質問した。
扇風機を小生のほうに向けさらに質問が続いたが聞き取りできない。「謝謝」は日本語で「ありがとう」と言うとみんなで「ありがとう、ありがとう」と言うではないか。うれしいねえ。そのうち時計屋の彼がタバコを差し出した。吸えないので丁重に断った。昨日は「先入観」を教えられ、今日は「温かさ」を教えられた。今日、牛乳とヨーグルトを買いにスーパーに行き時計店の前を通ると彼と目があった。隣に座ってちょっと話しをした。彼は王さんと名乗り71歳だ。隣の店員に小生のことを「日本人の友達」だと紹介した。71歳の成年と新たな付き合いが始まりそうだ。
2007/06/23
違いを認める
隣国(隣人)と仲良くするには、お互いの「違いを認め合う」ことだそうだ。これがなかなか難しい。
文字を読んだ時はなるほどと思ったが、自分のこととなると難しい。とてもいい関係だと思っていた学生がある日突然いなくなる。小生に「黙って」退学し目的地に行ってしまうのだ。それも一人やふたりではないのだ。日本人ならば「お世話になりました」と別れの言葉を交わし別れるのだが…。習慣の違いだろうなあ。小生は人間が小さいせいか「あれだけ小生を慕っていたと思うのに、あれはなんだったのか」とか「あれだけ一生懸命に教えたのに…」等恩着せがましく思うのだ。思ってしまうのだ。自分かってな損得勘定をしたり、「あれだけしてやったのに」なんて、思うことが了見が狭い証拠なんだ。学生という鏡を通して自分の醜さが浮き彫りになる。「あー、なんという自分なんだ。」
日本語を話しているだけの教師ではいけないとつくづく感じる。学生さんからいろいろと教えていただける。
「違いを認める」ことは重要である。しかし頭で理解していると思っているが、本当の理解は出来ていない。大好きな中国でさえそうだ、あまり興味のない国?の人に接すると小生の態度はどうなるのだろうか。世界のあちこちでイザコザが起きている。隣国を心底理解することは大変なことだ。
大学付近は長沙の下町だ。庶民的な町だ。ここの習慣には、まだ慣れない。それはゴミのポイ捨てと痰、唾吐きである。小生の少し前の人が歩きながらバナナを食べていれば、そのうち皮を捨てる。店の主人が店内のゴミを道路に掃きだしている。あちこちで痰、唾を吐き捨てる。この習慣にはなれない。どうも「これらの違いは」認められない。改めて欲しいと望んでいる。 大好きな中国ゆえに。
これも了見が狭いからか…。
「隣国(隣人)との違いを認める」考えさせられる。
2007/06/24
張谷英 Ⅰ
劉副学院長から「張谷英」はとてもいい所だと聞いた。小生の何代か前の竹下先生が訪問され、そう言って見えたとか。さっそく竹下先生の日記を読んだ。いい先生だ。永年の教育者としての経験もあり人格者だと思った。教えていただいた学生は幸せもんだ。「張谷英」の日記も読んだ。興味が湧き学生に「張谷英」に行きたいと相談したところ岳陽人のひとりが案内してくれることになった。当日はふたりの学生に連れられて目的地に向かった。長沙から高速バスに乗った。1時間余走り「張谷英IC」付近のバス停でないところでバスは止まった。こんな所で客を降ろしていいのか、客が降りるのか…でも降りた。ガードレールをまたぎ、水のない水路の中を歩き、しばらく行くと金網フェンスの破れた個所がありそこから一般道路へ出た。ちょうど「張谷英」行きの民間バスが来た。乗ってまずビックリしたことがある。動物の鳴き声がするのだ。よく聞くと子犬のようだ。親子連れのお父さんが大きなビニール袋に子犬を入れているようだ。バスの中には一見して生活必需品と思われるものが多く乗っている。多くの人は買い物帰りのようだ。バス停でないところで乗り降りするのだ。バスの時刻表なんて当然ない。のんびりしていいなあと感じた。日本にいるときは定刻より少し遅れるとイライラすることも有ったがここでは時間はゆったりと経過している。バスにはエアコンはない。日本には走っていないような懐かしいバスだ。でもバスはすごいスピードで走る。車窓の景色は住宅のつくりが少し違う程度で田畑や山は同じだ。(続く)
2007/06/25
張谷英 Ⅱ
目的地の「張谷英」に着いた。バスを降りるとサンダル履きの中年の男性が寄って来て学生と何か話している。「張谷英」の中のガイドをすると言っていたそうだ。そのエリヤに入る入場料は39元だそうだ。学生とその中年男性との交渉?が始まった。ガイドをしてひとり20元でまとまった。「張谷英」の入り口へ来てその男性と係員と大きな声で話し出した。学生によると係員は「入場料39元を払え」と言っているがその男性は「親戚の者だ」よって入場料は払わないと言っているようだとか。我々は彼の親戚として入った。 いやー…、ここでも中国の現状をかいま見た。
村?へ着くと中年の女性が案内をしてくれた。村のなかは何か懐かしいものを感じた。電気、水道がなければ2、300年前と同じだそうだ。かまどで煮炊きをしている家もある。LPガスのある家も有った。いまでもどの部屋も家族で住んでいるそうだ。子供達がゴムひもを使った遊び(運動)をしていた。一緒に行って学生も子供の時にした遊びのようだ。三輪車や幼子のおもちゃも有った。小生が子供の頃使った農機具もあった。犬や猫も寝そべっていた。とてものんびりとしている。時間の経つのを忘れてしまいそうだ。懐かしい感じがした。案内役の女性の紹介である民家で食事をした。鶏のスープは美味しかった。トサカから足まですべて入っていた。この国なら当然だ。学生と日本語で話していると隣で食事をしていた家族連れが声をかけてきた。「ありがとう、さよなら」等知っている日本語を話してくる。人懐っこいその男性とお互いの歳を聞きあった。その家のトイレを借りた。トイレのすぐ隣に子豚が2匹いるのだ。生活感があふれている。
観光客もそんなに多くなく落ち着いた村だ。住民達は皆いい顔をしている。親しみある顔をしている。どこかの国みたいに険のある顔はひとりも見ない。
今日も忘れかけていた大事なものを思い出した。
いい日だった。
2007/06/27
ホウ先生、ありがとうございます。
長沙での昼、夕食はいつもホウ先生に作っていただいている(朝はパン、牛乳とバナナ)。ありがたい。ここ中国で小生のように食事の仕度ができない男性はいないだろうな。日本でも少ないかもしれない。小生はいままで食事を一度も作ったことがない。(インスタントラーメンは作れる。)ここ長沙で教師をするにあたって一番の問題は食事だった。毎日、店屋物では栄養が心配だ。湖南料理はとても辛いので毎食、大学の食堂で食べるのも不可能だ。
ホウ先生は料理がとても上手だ。どの料理も美味い。小生は辛い料理が苦手で、野菜が好きなのを知ってかどの料理も小生の口に合うのだ。今日学校の事務所に生きたドジョウが泳いでいた。それがディナーのメーンディッシュだった。ドジョウと豆腐のスープだ。ドジョウは一匹そのまま入っている。あのほろ苦い?味がなんともいえないねえ。今日はそのほかに茄子、空心菜の料理だ。栄養を考えて作っていただいている。本当にありがたいなあ。
そういえば2、3週間ほど前だったか、田うなぎ料理を作っていただいた。以前レストランで食べた味より小生の口に合うのだ。絶品だった。コックより上手なんだ。小生は幸せもんだ。
ホウ先生、あと少しお世話になります。よろしくお願いします。
2007/06/28
卒業記念写真?
昨晩、今年3月に入学したクラスに行ったところ「先生、明日卒業写真を撮ります。先生も一緒に入りますか。」と言うではないか。意味がよく理解できなかった。彼らは確か1年間学ぶはずだが…。事務所の劉副学院長に聞いたところ夏休み明けに日本に留学する学生がいるので、記念写真を撮るようだと分かった。そのクラスは教えていないが夜、遊び?に行くので学生の顔は知っている。でも名前は分からない。喜んで参加することにした。
5月に小生が教えていたクラスの卒業記念の時は浴衣を着て写した。今日は学生がその浴衣を着た。着た直後は様になっていたが何枚か撮るうちにワイワイガヤガヤ仲間と戯れておりご覧のような着かたになった。でも、彼にとってはいい記念になったと思う。
留学する学生は10名余いるそうだ。そう言えばかって2、3人の学生が静岡へ留学すると言っていたかな…? 我が郷里からそれほど遠いところではない。縁があったらどこかで会うかも…。
みんなそれぞれの目的に向かった楽しみながら学んで欲しい。
希望・夢に向かった歩んで欲しい。
学生諸君に乾杯!
2007/06/29
同僚
同僚の謝先生と昼飯を食べた。彼女は以前日本で生活したことがあるそうだ。彼女の話す日本語はまるで日本人だ。その先生から日本語会話を習う学生は幸せだ。
大学からタクシーでその店に行った。湘江と言う大河を渡った所にその店はあった。昼時ゆえ多くの客でゴッタ返していた。サービスがよく、その上美味いと評判の店だそうだ。繁盛するわけだ。タクシーで行く価値はあると感じた。先生がいろいろと気を使って注文してくださった。今日の牛蛙(食用蛙)も美味かった。豚の耳も以前食べた時と料理方法が違い美味いと感じた。サトイモも日本とは違った味付けだが結構いける。豆腐を加工した料理?は辛かった。何とかいう野菜のスープも美味かったなあ。
日本に関する話題から日本語教育論?まで互いの考え方を話しながら楽しく食事をした。気がつけば客は全くいない。まだ多く客がいると思っていたが、すべてその店の従業員が食事をしていたのだった。
今日もいい友ができた。(写真の料理は豚の耳)
2007/06/30
時間?
担当しているクラスの学生はもうすぐ卒業だ。小生の授業も7月3日で終わりだ。
そこで今日、小生の授業が終わると「先生、写真撮ります。私たち卒業です。今から撮ります。」と言った。20分の休憩時間に撮るのだ。5階の教室から降り校庭で撮影するのだ。授業に出席しなかった学生を寮に呼びに行く学生もいた。そんなこんなですぐに休憩時間の20分は過ぎた。学生は全然気にしていない。小生は気になってしかたがない。
やっと集合写真を撮る準備はできた。
しかし、当事者ばかりで撮影者が頼んでないのだ。そこで通りすがりの学生に依頼し、やっと完了。もう休憩時間は終わっている。それから今度は小生と学生ひとり一人、その後小グループでの撮影。終わったのは休憩時間をはるかに越えていた。次の授業の先生が教室に行っても学生はひとりもいない?…気になる。ここは中国だ。文化の違い、習慣の違い等分かっているつもりだが「違いを認める」のは難しい。学生は時間を全く気にしていない。今なにが大切か、重要かと考えた行動なのか?いまだに「違いを認める」ことがなかなかできない。日本人は時間に追われ…?ある国は時間よりも大切なもの…?
どちらがいいのかなあ?考えさせられた一日だった。
2007/07/01
卒業記念カラオケ大会?
木曜日の午後からの授業は学生が副学院長にお願いし「中止」だ。卒業記念カラオケ大会?をするのだ。
長沙へ来て初めてカラオケに行った。
日本にいる時もめったに行ったことがないのに学生に連れられていったのだ。学生は「ここは五星ですよ」と言って大きな店に入った。
5、6階すべてカラオケのようだ。午後1時半というのにほとんどの部屋に客が入っていた。3階の一室に案内された。すると学生は多くの飲み物を持ってきた。飲み食いはセルフサービスだそうだ。いままで昼にカラオケに入ったことは一度もない。酒を飲まずにカラオケをしたことも一度もない。学生が歌いだした。ボリュームは最大だ。隣の学生と話ができないくらいだ。なぜ音量をこんなに上げるのか。そういえば学校の放送(朝授業開始前、昼休み、夕方)も音量が大きい。必要以上だと思う。
学生の歌う歌も日本の若者の歌と同じだと感じた。学生が缶ビールを持ってきてくれた。学生と乾杯をしておいしく飲んだ。ある女子学生の恋人も来て一緒に歌っていた。次から次へと似たような歌?をよく歌う。みんな上手だ。
小生も「酒と涙と男と女」をリクエストしたがどういう訳か違う曲がかってしまう。別の曲を頼んだ。気がつけば2時間過ぎてもまだ1曲も歌っていない学生がいた。どこにもカラオケがあまり好きでない子がいるんだ。歌う曲、歌い方にも学生の個性が現れている。この4ヶ月彼らと接して少しは性格がわかってきたような気がしたが、今日のカラオケ大会?でもう少し分かった。
そのうちに学生がいろいろな食事を運んできた。小腹がすいていたのでいただいた。全く口にしない飲み物がテーブルの上にたくさん残っている。途中飲食コーナーを見に行った。写真を撮ろうとしたところ係員から「ダメ」だと言われた。食べ物はちょっとしたホテルの朝食並だ。飲み物はホテルのバイキングよりもかなり豊富だ。
4時間あまり歌った後、食事に行くと言ったがもう腹いっぱいで食べれないと断る。何人かの学生もそのようなので卒業記念カラオケ大会?は1次会で終わった。
カラオケでも異文化体験をした。
2007/07/02
我が家での日本語教室?
昨日のお昼にひとりの学生が来て「今日の夕食は私たちで作ります」と言った。うれしいねえ。頼まないのに「作る」と言ってきてくれるなんて。「なんといい学生なんだ」と思って?しまった。彼女らは今年3月から日本語を学んでいる学生達(4人)だ。
5時ちょっとすぎにひとりの学生が来た。まずは買い物だ。スーパーへ行くと思ったら、「新鮮な野菜を買います。」と言って大学付近の産直(露店)へ行った。しっかりしている。(当然かも)5時半に全員揃った。ふたりの学生は料理ができないようだ。そのうちの一人は小生の部屋の掃除をしだした。ありがたいねえ。最近掃除をしていなかったので助かるよ。帰国前に掃除しようと思っていたので大助かりだ。
食事の支度中に日本の朋友から偶然電話があった。学生にちょっと換わった。その学生は日本企業に勤務した経験があり日本語はまあまあ話せる。5分ほど小生以外の日本人との会話を楽しんでいるようだった。我が朋友も学生に「先生、先生」と呼ばれていた。きっと気分をよくして?しゃっべていたと思うなあ。
1時間半ほどで料理はできた。空心菜炒め、トマトとタマゴ、豆腐のスープ、茄子とキュウリ料理の4品だ。5人で話しながら食べる食事は美味しいねえ。
1、2日前から腹の調子がちょっと悪いので今日はビールは自重した。食事後はいつものように日本語教室?の始まりだ。まずは小生の「この日記」を声をだして読む。これがなかなか難しい。でも彼女らの身の回りのことが書かれているので、興味を持って読んでいるようだ。
彼女らの分からないことを解説するとメモする学生もいる。熱心だ。こちらも思わず熱が入る。気がつけば9時をはるかに回っていた。美味しいものを食べて、その上彼女らから「先生、先生」と言われいい気になって?気分をよくした日だった。
ありがとう、朱さん、謝さん、唐さん、張さん。
2007/07/03
温かい心
5月から太極拳をしている。4月までは毎朝大学近くの湘江という大河の河川公園を散歩していた。多くの人が太極拳をしていた。日本で少し練習していたので同じ流派?があるかと思ってグループを物色していた。しかし、見当たらなかった。そのグループで行う太極拳の種類は24式、48式その他計4種類だ。今の開始時間は午前6時15分だ。1時間ちょっとで終わる。まずは太極拳風準備運動、次に24式それから48式、小休憩を挟んで○○式、最後に整理運動風太極拳、これで7時半ごろ終わる。
みんなとても親切だ。昨日も休憩時間に「6日に日本へ帰ります。ありがとうございました」と言ったら「いつ来るのだ」と言うので「もう来ません。来る予定はありません」と言った。すると「是非来い」と言っているような気がした。小生が勝手に解釈しただけで正確には何と言っているか分からない。
昨日は7時40分ごろ終わったので写真を撮りたいと伝え記念撮影をした。帰りにふたりのご婦人から「明日の昼、我が家へ食事に来ないか」と誘われた。(そう言っているような気がした)しかし、午後から最後の授業があるので残念だがお断りした。でも、ありがたいなあ。見ず知らずの外国人を食事に招待してくれるんだから。うれしいねえ。感謝だ。
教えていただいている小生が招待しなければならないのに…。皆さんは会費を払っているようだが小生は払っていない。払おうとしたが「お前は払わなくてよい」と言っているようだった。 ここでも長沙の人たちの温かい心が身にしみた。
ありがとうございます、長沙のみなさん。
2007/07/04
最後の授業
昨日は長沙での最後の授業だった。このクラスの学生もこの授業が最後で卒業するのだ。
彼らはこの学校で1年間日本語を学んだ。ほとんどの学生は寮生活だ。苦楽をともにした彼らも今週で離れ離れになるのだ。そこで今日は「この一年を振り返って」うれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと等を話すよう依頼した。
まずは小生がこの4ヶ月で感じたこと、思ったことを話した。それから学生ひとり一人、思いを語った。最初に誰が話すと思っていたら今回も思わぬ学生が先陣を切った。彼女は小生が赴任した当初はあまり話せなかった。とても消極的な学生と感じた。しかし、小生と話しあったあの時から積極的に話しかけるようになった。それから少しずつ日本語会話が上手になってきた。だから彼女が最初に話してくれたことはうれしかった。
また、ある学生はいろいろと話した後「先生、私たちの結婚に来ます。(来てください)」と言った。相手の学生も同席していた。1ヶ月前の授業の時、このふたりは結婚の約束をしていることを知った。各学生もそれぞれの思いを語った。自分の思いを伝えることが「会話」だと思う。どの学生の「思い」もとてもよく伝わってきたよ。
卒業、おめでとう。
2007/07/06
ありがとうございました。
中国、長沙で多くの友ができた。友と言っても多くの会話ができないので日常の挨拶をする程度だ。来る前に「友達が何人できるか」も楽しみのひとつだった。
二胡を弾く人と歌う人、果物屋の兄ちゃんと姉ちゃん、豆腐屋の姉ちゃん、床屋の兄ちゃん、蒸し料理屋の親父、ラーメン屋の姉ちゃん、湯包店の夫婦と兄ちゃん、一膳飯屋の夫婦、餃子屋の兄ちゃん、太極拳の仲間、郵便局の姉ちゃん、学校内の守衛、食堂の人たち、用務員の人たち等。それから小生より1歳若い鄭さん。彼は警察官を定年退職し今、日本語を勉強中の人だ。親切にしていただいたよ。みなさんにお別れを言ってきた。 長沙の人たち、お世話になりました。
学生には昨日、別れを告げた。もう2度と会うことがないかもしれない。みんな夢に向かって歩いて欲しい。12月の日本語能力試験は全員合格して欲しい。
範学院長始め劉先生、ホウ先生、毛先生すべての先生には大変お世話になりました。ありがとうございました。
鹿児島市日中友好協会の大石さまには、この機会を与えていただいたこと「本当にありがとうございました」
皆さんのお陰で多くの「お宝」をこの胸に入れ帰国します。
長沙市民のみなさん、ありがとうございました。学校関係者のみなさんありがとうございました。鹿児島市日中友好協会さん、ありがとうございました。
学生の未来は大きく開いています。 もし、何年後かに会うことができたら…。
長沙科技日語学院万歳、長沙市民万歳、
ほんとうにお世話になりました。