藤田佳子科技日語学院日本語教師体験記

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

長沙市と私

第五代目科技日語学院日本語教師体験記

9月からボランティア日本語教師として長沙科技日語学院に行く藤田佳子です。鹿児島県ではなくて山口県に住んでいます。
週2回ほど日本語ボランティア教室に行っていましたが、マンツーマン形式での学習がほとんどなので、大勢の前での授業は初めてでドキドキしています。
中国には何度も行ったことがありますが、湖南省に行くのは初めてです。

2005年9月~11月(3ヶ月) 


2005/09/05

やっと開けました

ずっとこのページが開けかったので、今から最初のころのことを書きますね。

8月25日(木)

無事に到着しました。上海の3時間50分の乗り換えは順調のような危なかったような…上海浦東空港到着は10:30、同空港内の待合場所到着が11:30(!)、浦東空港から虹橋空港行きのバス発車が12:30、13:20虹橋空港到着、14時前後チェックイン完了、14時過ぎ搭乗口に着いて、飲み物を買って座ったとたんに登場開始。結局ぎりぎりで間に合ったんですよね。やっぱり危なかったかな。

8月26日(金)

朝8時に家を出て、範先生、劉先生と一緒に学校へ。夕方6時過ぎくらいに帰りました。お昼と夕食は劉先生のご両親の家でいただきました。野菜料理が多くて、とてもおいしいです。湖南料理は辛いと聞いていたのに、どうも気を使って辛くないものばかり出してもらっているようです。
写真は学校の職員室です。
左から徐先生、範先生、劉先生、黄先生です。

2005/09/12

まるで闘病日記

せめて写真は元気よく、新入生の軍事訓練

9月1日(木)

授業が始まりました。ほとんどの学生がまったく日本語を習ったことがないので、ひらがなとローマ字併記で自己紹介の文章を紹介して、その後50音をやりました。最後に今日の授業わかった?と聞くと、「よくわからない」と「まあまあわかった」との答えでした。
これはわからなかったかも、と思いながら、午後今村先生に買い物に連れて行ってもらったところ、途中で頭痛と吐き気で立っていられなくなりました。校門の守衛さんのところで範先生たちの帰宅するときまで座らせてもらいました。範先生には、学生はお金を払っているんだから教師が体が弱くては困るとしかられてしまいました。

9月2日(金)

今日の授業は範先生が代わりにやってくださいました。

9月3日(土)4日(日)

授業はありませんが、範先生、劉先生は学校へ行きます。私はマンションでずっと寝ていました。木曜日に具合が悪くなったときは、貧血か熱中症かなどと思っていたのですが、このころから咳がひどくなってきて、結局風邪を引いたということのようです。

9月5日(月)-9日(金)

金銀花片(トローチ)、消炎剤、蛇胆川貝液(去痰剤)を飲みながら1週間過ごしました。授業3回目に『「名詞」は「名詞」です。』を紹介したところ、進度が速すぎる、今週いっぱいは50音と挨拶だけをするようにと言われたので、がんばって毎日発声練習です。
ところで蛇胆って本当に蛇の胆でしょうか。それとも竜胆みたいにそういう名前の植物でしょうか。

9月10日(土)11日(日)

範先生、劉先生は午後学校へ。私はまたずっと寝ていました。咳はようやく治まったようです。ちょっと疲れると頭痛がするので、まだしばらくは無理をしないようにします。

長沙に来てから今までずっと体調が悪くて、範先生、劉先生、劉先生のお母様、今村先生にはいろいろ助けていただきました。世話の焼ける外教ですみませんm(__)m

9月12日-18日

ずいぶん間が空きましたが、書き足します。写真左は校舎、この5階です。毎日マンション5階と校舎5階と劉先生のご両親のマンション3階の階段を往復、校舎は2往復してます。すごいでしょ。次は「チャングム」。放送中らしいですが、私は早く寝てしまうため、一度も見ていません。一番右は今村先生と学生たち。

9月12日-15日

授業はようやく50音を離れて「私は○○です」などに入りました。精読の授業ではすでに『標準日本語』の第4課まで進んでいて、50音の表にはみんなすっかり飽き飽きしていたので、ほっとしました。でも、さっそく問題発生。ほぼ毎日新しく入ってくる子がいて、その子達はまだひらがなも読めないし、「きゃ」も「ひゃ」も発音できません。何度か午後に補習をしましたが、すんなり追いつく人と苦戦している人がいます。

9月16日(金)
今日は授業の後、今村先生と一緒に先生の生徒さんのお宅へお邪魔しました。バスに乗って川の西側へ。初めて湘江を渡りました。ご両親と一緒に昼食を食べたあとお昼寝。その後住宅街を案内してもらいました。住民が寄付をして、衣類や食料品を生活に困っている人に提供している「愛心超市」や幼稚園を見学させてもらいました。幼稚園では英語や論語を教えていたり、壁に5歳の園児の隷書の作品が貼ってあったり、すごいですね、中国の幼児教育は。
夕食を食べて範先生のマンションまで送ってもらいました。

9月17日(土)
少し疲れたので、やっぱり今日も一日中寝ていました。

9月18日(日)

夕方まで寝て過ごし、それから今村先生の所までタクシーで行きました。8月25日に長沙に来て、初めてひとりでタクシーに乗りました。今日は中秋節なので、今村先生の部屋で学生たちが料理をします。食事の後湘江ほとりにみんなで行って記念撮影。日本の歌も歌ってきました

9月19日-22日

9月19日、20日

この2日間は数字一つ一つは言えるけど、まだ「7300円」になると、とたんにいえなくなってしまう状態なのに、「何時何分」「何曜日」「電話番号」「動詞の肯定、否定、過去形」と次々に覚えることが出てきて、学生たちも「覚得圧力」といってました。

9月21日(水)
2年生を教えている今村先生が歌を教えたという話を聞きつけたらしく、1年生も歌を覚えたいと今村先生にリクエストがきました。歌は「時の流れに身を任せ」。みんな歌が上手ですよ。

9月22日(木)

初めに前回やった、時間や値段などの聴解問題をしました。どうも、郭先生の精読の時間でしっかり練習したらしく、みんなあっさり正解、次の課へ移りました。「行きます」「来ます」「帰ります」です。意味はわかるけど、「いきます」と「きます」の発音を混同してしまうようです。「乗り物+で」を紹介して、「歩いて」もついでに。「人物+と」と「ひとりで」も問題ないようです。

ここでさらに数字。「何月何日」これはけっこう苦戦。日付を全員で何度か練習しましたが、誕生日を聞くと「5日」を「ごにち」と言っています。「何で+場所+へ行きますか」の練習のときに長沙にあるデパート「平和堂」と遺跡「馬王堆」を黒板に書いたら、みんな急に生き生きとしてノートに書いていました。

風邪は一度は治ったように見えたのですが、ずっと咳が残っていて、このころから夜も咳でよく眠れなくなってきたので、劉先生と薬局「老百姓」に行って、また薬を買ってきました。今度は気管支炎用。気管支上部用と気管支下部用の2種類です。

9月23日(金)

9月1日には19名だったのが、今では32名です。かなりレベル差があるので、短いやり取りの練習も文字を追うので精一杯の人には教科書どおりにやってもらい、それでは物足りない人には使用する単語を変えたり、実際の自分のことを話してもらったりしています。

薬が効いて、咳は治まってきました。でも、影響がまだ残っていて、授業中に時々声が出なくなります。

9月24日、25日
ずっと寝ていました。

9月26日(月)

今日はたくさんの他動詞。活用も「ませんか」と「ましょう」が増えました。「今朝、何を食べましたか」で、豆乳と肉まんを紹介したら、それよりもラーメン、シュウマイが多くてびっくりしました。「日曜日何をしましたか」では「勉強」が圧倒的に多数、珍しいところでは「妻と買い物(多分うそ)」「アンディラウのコンサート」。「平和堂」もちらほらいました。

9月27日(火)

「今晩いっしょにビールを飲みませんか」のやりとりをクラスの半分まで進んだところで「午後 日本語」「日曜日 サッカー」などに変えたのですが、ほとんどの人が機械的に教科書どおり「じゃ、6時に駅で会いましょう」と続けてしまったので、ちょっと失敗。

その後第7課「あげます」「もらいます」。日本で教えるときはなかなかわかってもらえないのですが、郭先生のほうですでに「あげます」を習っていたので、意味はすんなりわかってもらえました。「もう」と「まだ」は初めて知ったようでしたが、それを使って質問するとすぐに正しい返事ができたので、大丈夫でしょう。

会話文はサントス夫妻が山田夫妻を訪問する場面だったので、カップやスプーンを準備して実演してもらおうと思っていたのに、持って行くのを忘れたため、断念しました。

9月28日(水)

今日は授業なし。10月5日に北京から知り合いが遊びに来るので、どこを見るか考えています。彼女の泊まるホテル(通程大酒店、5つ星!)に私も泊まることにさせてもらいました。
劉先生から、岳麓書院、ミイラ、白沙井を見るといいとアドバイスをいただきました。

のんびりしていたら、翻訳を頼まれました。大手スーパーの社内報の座談会4ページ。1週間で仕上げないといけないけど、業界内のことなのでよくわからない言葉が(日本語も中国語も)多くて、ちょっとあせっています。

9月29日(木)

最初は欠席者が多くてかなり学生がまばらな感じがしたので、先に進まず復習をしました。でも割とできるほうの人たちばかり残っていたので、すべて完璧に答えられてしまい、時間が余ったので前回断念した会話文の実演をやってもらうことにしました。

カップ4個とスプーン1本を持ってきて、椅子を並べて玄関と応接間を設定しました。何人かはがんばって教科書を見ずにやりました。途中でカップルの組み合わせが実際と違っていたらしく、「配錯了!配錯了!」と盛り上がっていました。

9月30日(金)

朝、郭先生から幾米の絵本をいただきました。以前から読んでみたいと思っていた本だった上に、この1ヶ月語学教材以外の本を一冊も読んでいなかったので、本当に感激しました。

8時から補習。新しく来た学生の50音の練習をして、「標準日本語」の第1課の単語と文法を少し説明しました。

10時からは国慶節休暇の前の最後の授業。人数はさらに減って欠席18名、出席14名。もうこれ以上足踏みできないので第7課の練習を全部やってしまいました。昨日の授業と入れ替えればよかったかな。

その後、まだ長沙は本屋以外どこも行っていないと言ったら、みんな口々に「“本物の”臭豆腐!」とか、岳麓山、白沙井、蘭州ラーメンなどのお勧めを教えてくれました。参考にしますね。

10月1日(土)

今日は国慶節、私の誕生日です。朝、劉先生からコーヒーセットをプレゼントされて1日が始まりました。今村先生がお昼ご飯を誘ってくれていたので平和堂(実はこれが初めて)で待ち合わせて、学生お勧めの「王府井百貨店の日本料理」を探しましたがよくわからず、「東来順」でしゃぶしゃぶを食べました。でもおいしい。羊は久しぶりです。

その後はショッピング。王府井を出て、目に付いたお店に入りながら私はかばんを、今村先生はリュックとジャージ(山歩きのため)を探して歩行街(黄興南路)の南の端まで歩きました。

夕食の後は劉先生がケーキを用意してくれていたので、ろうそくに火をつけて、歌を歌って、みんなで切り分けて食べました。

10月2日(日)

もう病気とか薬の話は書かずにすむと思っていたのですが、また体調を崩しています。今度は正露丸を液体にしたような味の胃腸薬を飲んでいます。ほとんど食事ができなくて、脱水にならないか心配。

お昼は食べずに今村先生と会って(両替を頼んでいました)、一度マンションに戻ってから長沙駅まで歩いていって岳陽行きのチケットを買いました。

5日のは「無座」しか買えなかったので、日程を変えて買いなおすか少し考えます。

そうだ、駅に行く途中、後ろに人の気配を感じて振り返ると、見知らぬおじさんが私のバッグのファスナーを開けていてびっくりしました。「何してるの!」と言うとすばやく閉めて去っていきました。慌ててバッグを前にまわしました。無防備すぎたようです。

腹が立ったおかげでお腹の痛みが和らいだので、まあいいか。

10月3日(月)
一日中寝ていました。

10月4日(火)

今日は突然少しよくなった感じがします。劉先生の見立てでは、多分胃腸の風邪だろうということでした。日本だと急性胃腸炎でしょうか。
また先生に心配をかけてしまいました。でも今回は本当にもう帰国しようかと思いました。
よくなった勢いで急いで翻訳の続きをして、夜までになんとか終わらせました。

のんびり岳陽日帰り

10月5日(水)

今日からホテルなので一日に買ったバッグを持って駅へ。今朝は範先生に送っていただきました。
友人が朝7時40分の列車で着いて、まず彼女の7日の上海行きが取れるかを聞きにいきました。席は取れなかったので上海へは飛行機移動ということにして、8時半の岳陽行きの乗り場へ向かいました。

「無座の車両って別にあるのかな」と探していると、硬座車両に乗り込む人のチケットがみんな無座なのが見えたので、私たちもその車両へ。2階建て車両の階段にスーパーの袋を敷いて座っていると、そばの人が肩をたたいて「空席があるよ」と教えてくれました。その後はずっとおしゃべり。手にガイドブックを持っていたので、そばの席の人に「見せて」といわれました。渡して「読める?」と聞いたら「ぜんぜん読めない」と言う返事でしたが、20分くらいかけてじっくり読んでいました。

岳陽では旅15(だったかな?)のバスで岳陽楼へ。君山公園までは行かないことにしたので、のんびり岳陽楼を見て、外に出て食事場所を探しました。

見るときれいそうな回族の蘭州ラーメンがあったので、そこに入りました。入ってみると意外とほこりっぽかったのですが、もう気にしないことにしてとりあえず牛肉ラーメンを注文。「辛くないのがいいんだけど」と言ったら男の子が「辛い調味料を入れなかったら辛くないよ」と言うので安心していたら、麺もスープも確かに辛くないけど、入っている牛肉が辛かったので、結局全体としては私の基準では激辛。

体調が万全でないので少しだけにして、「すごくおいしいけど、風邪をひいていて少ししか食べられない」と言っておきました。男の子が「辛いのが食べられないってことは広東人だね」と言ったのがおかしかったです。

帰りの列車は本当に席がなく、出口の床に新聞紙を敷いて座ってました。

1時間半ぐらいして、1つ目の駅に止まりかけたとき「今どこですか」と聞いたら「長沙!」と言われて慌てて降りました。行きは2時間くらいかかったし、駅も3つ目か4つ目だったので油断してました。

夕食はホテル内ですませて、その後ちょっとお散歩。通程のベルボーイさんは人懐こくて、顔をあわせるたびに「どこから来たの?中国語話せる?」「どこに行くの?注意安全!」と短いおしゃべりが楽しいです。
長沙をタクシーで行ったり来たり

10月6日(木)

最初はこの機会にバスで動いて路線を把握しようかと思っていたのですが、やっぱりすべてタクシーにします。

今日の1ヶ所目は岳麓書院。入ったとたんに友人が何かの取材につかまったので、私は何気なく奥へ進み取材風景を撮影しつつ観光続行。「あせって何しゃべったらいいかわからなくなっちゃった」と言いながら友人が追いついてきて、その後は一緒に全部回りました。私は古い建物と庭が好きで、彼女は書道をやっているのでこういう場所はすごく時間をかけます。

その後、電池を売っている場所と食事場所探し。カメラが電池切れです。どこかの「好記性(だったかな?これ、何ですか?)」売り場で電池入手。いいカメラだとほめられ、気分よく外へ出て再び昼食探し。

若い女性がたくさん入っている明るいお店があったので、そこにしました。チャーハン、スープ、野菜。レモンティーも注文したらガラスの細長いタンブラーにホットだったのでびっくりしました。熱くて持てない。しかもストローつきでした。ホットなのに…砂糖もいると言ったら食事用の中皿にスプーンもなしでくれたので、入れるのに苦労しました。うーん。

午後一番は湖南省博物館。このときの運転手さんの言葉が最初まったく聞き取れず、どうしようかと思いましたが、そのうちミイラの来歴を話してくれているのに気づき、何とか返事ができるようになりました。

烈士公園はただだからついでに見ていけとのアドバイスには「今日は暑いから。でもありがとう。」と返して博物館へ入りました。特別展は見ずに常設展のみで一人50元。けっこう高いですよね。でも見るものたくさんあるし、展示の仕方もいろいろ工夫してある。見ごたえあります。肝心のミイラ(というか死体)は怖くて一瞬しか見ることができませんでしたが、ほかの展示物はじっくり見てきました。

外の売店でネッスルの缶コーヒー発見。中国で初めて缶コーヒー飲んだかも。

次に白沙井へ行って、王府井(ほかの店知らないんですもの)の、今度はセルフサービスコーナーで夕食。そのあと湘江沿いの夜景を見てホテルへ帰りました。

それにしても、タクシーに乗るたび、友人は韓国人か台湾人かなどと聞かれるのに、私は中国人通訳だと思われてばかり。自分としては今回は中国にぜんぜんなじめてないんですけど。

最後までタクシー

10月7日(金)

彼女が買った本を北京へ送るので、朝食後ホテルの人に場所を聞いて、午前中は最寄の郵便局。

昼前にチェックアウトして、またベルボーイさんに前日行った場所をすべて報告してから新大新ショッピングセンターで韓国料理(今村先生情報)。ジョム(煎餅)とうっかり頼んだフルーツサラダでお腹いっぱいになってしまい、料理を大量に残して席を立ち(すごくおいしかったんですけど)、出来立てほやほやの杜甫江閣へ。

これは故居ではなく、杜甫にちなんで造られた建物のようです。まだ完全には完成してません。詩碑もまだ刻んでいないつるつるのものがあって楽しい。

その後は彼女の行きたがっていた馬王堆漢墓。これは例のミイラの掘り出された遺跡で、現在中身はすべて前日行った博物館に移されています。タクシーの運転手さんも「あそこは何も面白いものはないんだよ。全部博物館にあるんだよ。」と忠告してくれましたが「博物館は昨日見たの!今日はこっちへ行って見てみたいの!」と言い張り、馬王堆の病院で降りました。

守衛さんに「漢墓が見たいです。」と言い、指差された方向へ歩いていくと、倉庫の横の細い道に「←漢墓」と標識がありました。

上がっていくとちゃんと入場券は売っているし、掘り出された状態は残されているし、ミイラさんの年表と発掘風景の大きなカラーのパネルもあります。観光客も10人くらいいましたよ。  まあ、それだけと言えばそれだけなんだけど。

空港バスに乗った彼女を見送って、マンションに戻りました。
これで休暇は終わり。これから一週間は土日返上で授業です。

休暇は終わり

10月8日(土)

今日から第8課、形容詞をやります。でも出席者21名。しょうがない、人数がもう少しそろったらおさらいしないと。

授業を始めてみると、休暇前に郭先生の授業で少し勉強していることが判明。活用のしかたは習ってないけど、単語の意味は習ったらしいです。郭先生に「意味だけちょっと」習ったあとは、口頭で「古いの反対は?」と聞くと即座に「新しい!」と返ってくるのがすごいところですね。

「にぎやかです」「にぎやかじゃありません」と書いて、な形容詞(形容動詞)の肯定形と否定形。これは簡単。い形容詞(形容詞)は「寒いです」の「い」を消して「くない」。ここで「どっちがどっちなの?」と言う声が聞こえてきたので、「肯定」「否定」を黒板に書き足しました。な形容詞のほうは名詞と活用が同じなので説明するのを忘れてもわかるんですよね。

どちらもいくつか単語を入れ換えて練習。そのあと「とても○○です」「あまり△△じゃありません/くないです」「そして」「○○ですが、△△です」、それから名詞の修飾を説明。

ここで練習Aをしたいところですが、先に会話文の役割練習。そのあと、もう忘れているかも知れないので、最初の説明時に追加した例文をもう一度言いながら練習A。最初の文、「ワットさんはハンサムです。」で学生から異議が出ました。「ハンサムじゃありません。」と言っています。うーん、確かに。

この課ではほかにも力こぶを作っているサントスさんを私は「元気」だと思ったのですが、かなりの人数がいっせいに「サントスさんは面白いです。」と言ったので、とりあえず「元気です」と「面白いです」の両方をみんなでリピートしときました。

そのままほかの形容詞をこちらから提案したり、どんな形容詞が代わりに使えるか言ってもらったりしながら練習Bの6までやって、今回の授業は終わり。

休暇の前半、今村先生は衡陽に行ってきたそうです。以前教えた中学校の先生とも再会して、ビールを飲んで(飲まされて)楽しく過ごしたそうです。どうも、帰りは黄先生(衡陽出身)と同じ日だったようで、連絡取ればよかったね。

10月9日(日)

「人数はほとんどそろいましたよ。」という郭先生の言葉どおり、出席者29名です。

黒板に「な形容詞」「い形容詞」と書いて、ハンサム、低い、冷たい、親切…と次々に言う形容詞がどちらになるか聞いて記憶を呼び起こしてから、残りの練習すべてをやりました。

練習Bは日本や中国の固有名詞を追加、練習Cは1番を学生同士、2を学生対教師、3はまた学生同士だけど、私の薬の箱コレクションを使って、薬屋さんと客をやってもらいました。こんなものでもまた役に立ってよかった、よかった。

語彙にまだ緑(例の蛇の薬の箱です。厳密に言うと蛇の胆汁でした。これに人気が集中)が無かったので解説書の表をつかって形容詞形がない色は名詞に「の」をつけるよういいました。順番がすんだ人たちはなぜか必死で「味覚」を暗記しようとしています。

そのあとは「問題」。聴解問題はスクリプトを私が読んで、どの絵が当てはまるか当ててもらいました。先に正解した人がほかの人にどの言葉がポイントで決まるか、説明してくれてました。みんな協力的で助かります。

その後は第9課の単語。大量の名詞ですが、これはみんなうれしそう。スポーツと音楽だからかな?でも、今日最もみんなの心をとらえた言葉。それは「もしもし」。翻訳の「Wei,wei(口へんに畏です)」ではピンと来ていないようなので、「電話ですよ。」と言って携帯電話を出してかける振りをしながら「もしもし、藤田ですけど」と言うと、クラス中が手を耳に当て、口々に「もしもし!もしもし!もしもし!」今日はいったいどうしちゃったんでしょう。

まだ月曜日

10月10日(月)

今日は第9課。前日の形容詞をつかって「日本語の勉強は楽しいですか?」と聞くと、微妙な苦笑いが広がって「…はい…」。みんな、きっぱり「はい!」って言って!

この課の文型は「○○が好きです」「○○がわかります」「○○ですから、△△」。あとは、「とても、ぜんぜん、あまり、少し、だいたい、よく」などの副詞。程度副詞は日本で使っていた別の教科書のグラフ(座標?)を思い出しながら黒板で説明。あの本持って来ればよかった。

その後例文の単語を変えて内側の2列だけ一人ずつ質問しました。いつも右端か左端から始めるので、内側の人たちは油断しているのです。目が覚めたことでしょう。

会話文は長すぎるので3つに分けて練習。そのあと練習Aはさっき質問時に出た答えの単語を使いながら代入練習。練習Bの1と2はいっせいに練習した後、一人ずつ個人情報の質問。練習Bの6までやりました。

今度はみんな日本語が「好きです」と答えてくれました。いつもおとなしい女の子が「ホラー映画が好き」だったり、男の子たちは「戦争映画が好き」だったりと、けっこう意表をつかれました。

今日の練習問題では、文字のキューがなく、絵の情報だけで文章を作るものがあって、これが難しかったそうです。ハートマークが「好き」という意味だとか、×印が「ない」「しない」になるとかがわからなかったらしいです。逆に文章化しすぎて、手に¥1000と書かれた紙を持って花屋で花を買っている絵が、「妻の誕生日ですから、花屋で千円の花を買います。」になって、吹きだしそうになりました。

長沙に到着した日に、10月17日からは、もう6時間授業が増えると聞かされていたのですが、今日劉先生からお話があって、授業時間が増えると私が倒れてしまいそうなので、増やさないことになったそうです。その分がすべて今村先生の担当になって、来週からの会話の授業は、0501組、0502組、0504組の3クラス16時間が今村先生、0503組8時間が今までどおり私です。私の体調不良のせいで今村先生の負担が増えてしまい、申し訳ないです。

それと、出発前のお話では2,3ヶ月の観光ビザで行って、現地で延長できるということだったのですが、手続きは一人分しかできないので、今村先生のだけ手続きして、私は3ヶ月観光ビザの切れる11月中旬で帰国することになりました。約束の12月までいられなくてすまない気もするのですが、私もこのまま12月まででは体がもたない気がするので早めに日本へ帰らせてもらいます。もしも、もう一度具合が悪くなったら、11月中旬でなくてもすぐに帰国して、病院に行こうかと思っています。

午後、休暇直前に入ってきた学生に頼まれて、『標準日本語』第1課、第2課の文法の説明と単語の発音練習。
10月11日-14日

この間写真がなくて寂しいので、パソコン担当の黄先生(写真の加工、専門用語の訳語探しとすっごくお世話になりました)の大学時代の写真を載せます。あ~、もっとヘンなのがあったのに、もらい忘れました。

10月11日(火)
休暇明け4日目です。『みんなの日本語』は第9課。誘ったり断ったりする練習です。学生同士2人一組でやってもらったのですが、なんだか教科書を機械的に読んでいるだけなのが気になります。途中で本人の好みに合わせて単語を変えてみたりしたのですが、いまいち盛り上がらない。そこで、右から3,4列だけ一人ずつ私が直接コンサートや野球に誘って見ました。張り切って待ち合わせ場所まで考える人あり、ぜんぜん何言われてるかわからない人(!)あり、けっこう理解度にむらがありますね。

休憩時間に学生から苦瓜のドライフルーツ(?)をもらいました。砂糖がまぶしてあって甘いです。中国にはこういうお菓子があるのかと素直に納得していたら、勧められたほかの学生が、「うわあ、そんなものあるんだ。いらない!」と言っていたので、あまり一般的ではなかったようです。

後半の最初にクイズ作りの宿題を出しました。今まで習った文型を使って作った3つの文をヒントにして一つの答えを出すというもの。例を2つほど紹介して、2日後発表ということで。

そのあとは第10課。「います」「あります」です。説明のしかたをいろいろ考えていましたが、精読の授業では第4課でやってしまっていたので、必要なし。まだ習っていなかった「○○の間」「○○や△△」「下から○段目」を説明した後、教室内のものや学生を使ってちょっとだけ練習。会話は全員で練習した後教師対学生。

今日はまた翻訳を頼まれました。今度のは一番手ごわそうです。もともと劉先生のところへ持ち込まれたものらしいのですが、車載レーダー探知機の説明書です。専門用語、新しい言葉が多すぎてお手上げ。私も対応する中国語をまだ知らないし、この手の機械の説明書も読んだことがないのでどう訳していいやら。

10月12日(水)
水曜日は授業なし。でも、郭先生は本当に7日間連続で授業です。私は午前中は翻訳に専念、午後から次の日の授業準備をします。

10月13日(木)
8時から授業。火曜日にやった「います/あります」の続き。先へ進む前にちょっとおさらい。「先生、机、○○さん、階段…」と次々に言う名詞が「います」か「あります」か答えてもらいました。「犬」も「木」も誰も間違えません。さすがですね。そのまま教科書の練習へ。練習Bの3の答えが「何もありません」「誰もいません」ばかりになったので、質問文をかえて追加練習。第11課の単語までやりました。

10月14日(金)
10時から授業。最初に全員に動詞のカードを配って黒板に「場所+で」「場所+へ」「場所+に」と書いて、自分の動詞がどの構文で使えるか書いてもらいました。2,3人間違えたけどほとんど正解。でも一応「場所+で」はそこで何かをする。「場所+へ」は移動。「場所+に」は存在のことが多いと説明。それから第11課です。

助数詞をもう一度しつこく練習してから文型・例文。「80円の切手を5枚」では郵便局やスーパーの設定でいろいろな品物の合計を出してもらいました。ついでに100円ショップを紹介したら、中国にも1元ショップ、10元ショップがあると教えてくれました。

「この学校に外国人の先生が何人いますか」といったら、返事は「いません(!)」。あわてて「今村先生と私の2人です!日本人も外国人でしょ?」と言ったら、「中国語を話すから中国人です。」だそうです。またですか、その分類法は間違ってます。

その後は「1年は12か月です。1か月は?」と言ったら、時間はかかったけどちゃんと「4週間です。」とかえってきました。その後は自発的に「1週間はしちにち、1日は24時間、1時間は60分」と続けてくれたので、7日は「なのか」と教えて、1日から20日までまた練習しました。惜しかったね!

例文に2時間半があったので、ついでに1ヶ月+2週間=1ヶ月半と黒板に書いたら記号のほうに質問が集中。1+1=2の発音は「いちたすいちは に」で記号だけのときはプラスとかイコールと呼ぶといいました。「加号」「等号」が正式かなとも思ったのですが、あまり使いませんよね。

次は会話。用意した箱と封筒で郵便局員と客。練習Aでは例文のときにもやった助数詞の練習をまた1から20まで。「1週間に1回」のところで「オリンピックは4年に1回です。」という文をだしたので、その後は北京オリンピックの話題で雑談。みんなけっこう日本語でおしゃべりできるようになりましたね。

2005/11/20

中日討論会

11月18日に帰国しました。今までいろいろご心配をかけました。今体調はそんなに悪くありません。(4度目の)風邪が治るまでのんびりしようと思っているのですが、意外と来客などでゆっくりできませんね。

教師日記ですが、停電や接続の不具合で打ったものが消えてしまったり、忙しかったのもあって、あちらでの書き込みを断念して、帰国後に続きを書くことにしました。

10月15日(土)
今日は今村先生が中日討論会に行くということなので、私も連れて行ってもらいました。

会場は湖南大学です。議題は「中国のエレベーターはなぜ人が降りる前に乗ってくるのか」「中国のバスはなぜ客が乗っているのに洗車をするのか」「日本で縁起がいい数字、悪い数字はなにか」「日本人はなぜ友人同士であまりお金の貸し借りをしないのか」など。

参加していたのはいろいろな学校の日本語科の学生と日本人留学生、中国人教師、日本人教師、日本人会の人たち。すべて日本語で行われました。時々笑いも出て、しっかり日本語で自分の意見を発表して、なかなか面白かったです。

討論会がすんだ後は一緒に行った先生の一人のダーリン(中国人)も駆けつけて、一緒に食事。来てすぐに具合が悪くなって病院に行ったり、一人で4学年すべての「会話」を担当していたりと、ほかの先生も苦労しているようです。

10月16日(日)
一日中翻訳。2003年度能力試験読解問題の翻訳はこれで終わりました。

2005/11/20

開福寺

10月17日(月)
今日は第11課の練習。「一人」「何枚」などです。持っていった時計、薬の箱、かぎ、雑誌にセーター、USBケーブルを混ぜてちょっと意地悪。数え方をざっと復習してから、練習Bの4までは教科書どおり。

練習B5以降は一人ずつほんとの質問。「一日に何回彼女・彼に電話をかけますか」は「いません!かけません!」と言うのに横から「何回も!」の野次が飛んだり。「1年に何回うちに帰りますか」で「一月に一回→一年に一回→一週間に一回」と次々に返事を変えた子が休み時間に詳しく説明してくれました。両親の家は遠いので一年に一回しか帰れないけど、祖父母の家に毎週末帰るそうです。こんなに若いのに日本語の勉強のために遠くまで来ているんですね。

午後、学生何名かが近くのお寺に行くので一緒に行こうと誘ってくれました。開福寺という名前で、本尊は観音様です。バスに乗って行きました。ちょっぴり道に迷いながらたどり着いて、入り口で巨大お線香を私も買いました。焼却炉みたいなところに一袋全部放り込むのまではやったのですが、五体投地の作法に自信が持てず、お祈りはパス。学生によると、地方によって、家庭によって少しずつ作法が違うから、今お祈りしている人たちもみんな同じじゃないはずだと言うことでした。

お祈りをしつつ、学生の恋の悩みなどを聞きつつ境内を移動、今度は算命です。一人が相談している間、ほかの人たちは「人の悩みを聞いてはいけない」と声の届かない少し離れたところで静かに待ちます。みんなまだ子供のような感じがしていたのに、宗教への態度がとてもまじめで、悩み事もあって、他人への配慮も私よりよっぽど大人。先生もしっかりしなくちゃ。

その後、御籤を引きました。好きな場所から始めて、好きな方向に仏像の数を数えながら進み、自分の年齢で止まって、その仏像の番号を係りの人に言えと(多分、ちょっと自信がない)言われたので、そのとおりにしてみました。ピンク色の大き目のしおりを渡されましたが、詩が書いてあって難しい!算命の人に解釈をしてもらおうかと聞いてくれたけど、多分その言葉も私には分からないと思ったので頼まないことにしました。学生が自分にもよく分からない詩だけど、悪くないと思うと言ってくれたので、それでいいことにします。

帰る前、学生の一人が「気分はよくなりましたか」と聞いてくれました。どうもいつも体調が悪く、つらそうな顔をしていたので、今回のお参りに誘ってくれたようです。心配かけてごめんなさい。

帰りはバスに乗らず、歩いて帰りました。景色のよい川沿いを歩いていると、健康器具がたくさん並んでいました。みんなすごい勢いで全部やった。やっぱりまだ子供ね。

校門近くで臭豆腐を買ってもらって学校に戻りました。4個目で辛くて食べられなくなったけど、おいしいですね。

鹿児島県日中友好協会のホームページは

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