このページは私の長沙での短い日本語教師体験の記録を日記風に綴ったものです、長沙から鹿児島の友人たちへのプライベートな近況報告みたいなものです。もしかしたら、一番の見学者は両親だったかもしれません。
あちらからの画面では写真の枚数と大きさに制限がありましたのでここに新築させてもらいました。いつか長沙に行こうと思っている方の参考にでもなれば幸いです。
ヨーコ。 2004・11・15
9月9日より長沙市の日語学院で日本語を教える新原です。まず、簡単に自己紹介をしますね。
短大卒業後、3年間のOL生活の中で日本語教師の資格取得。
その後、赤塚学園の日本語教育科、通訳科で一年半、講師をする。
9月8日(水)
ドキドキの中国行き。
鹿児島出発13:30、偶然にも赤塚学園での元教え子、湯玉国さんと再会し上海の浦東空港まで一緒だと判明。少しほっとする。
しかも、乗り継ぎの虹橋空港まで送ってくれるということで到着後(中国時間14:10)の移動、リムジンバスの中(一時間くらい)ではリラックスして、うとうと。
出発まで時間があるので空港近くで湯さんと、ゆっくり食事を取り出発ゲートでお別れ。
日本から携帯に母からと大石さんから電話が入り無事に虹橋空港にいると伝える。
そう、ここまでは何とも順調だったのですが・・・。
搭乗口で待つこと一時間。
掲示板を見ると嫌な予感が!
長沙行きの飛行機が故障の為、一時間遅れの出発と書いてあるような・・・。中国語と英語表記なので航空会社の係に念のため英語で聞いてみると、間違いなかった。
あぁまだ時間がたっぷりある。暇だな~、中国語会話の本でも読もうとパラパラ見ていると、隣に来た中国人ビジネスマンに英語で話しかけられ談笑。
長沙から上海に出張で来ていたらしく、中国の国内線はフライトが遅れることはよくあると教えてくれ色々なことを話したが、長沙と鹿児島が友好都市だと知っていたので話が弾み和んだ気がする。
せっかくだから少しでも中国語で会話を!と試みたが、英語の方が意思疎通しやすく断念。
結局、長沙に到着したのは夜の11:00すぎ。
空港には学院長の範先生と劉先生(奥様)が迎えに。
その後、長沙で有名な五つ星のホテルで飲茶をご馳走になり範先生宅に到着。
マンションの部屋は洋風で、思わず劉先生に「ヨーロッパみたいですね。」
シャワーを浴び就寝は夜中の3時くらい。
9月9日(木)
朝起きて範先生に今日の予定を聞くと、いきなり朝一限目は私の授業だと聞きビックリ。
9月からの新入生で最近、『あ・い・う・え・お・・・・』の50音図や挨拶を覚えたばかりの学生に、まず私の方から簡単に中国語と日本語で挨拶をする。
そして、学生に自己紹介をしてもらい顔と名前のチェックをしながら発音の訂正をし一限目終了。
二限目は『みんなの日本語』第一課、二課の復習。
コミュニケーションを取りたいところだが当然、日本語では無理。
もう少し課が進むと文法や語彙も増えるので楽しくなってくるはず。
お昼は先生達と一緒に学校の食堂で食べる。
長沙は辛い物を好むので心配だったが食堂は大丈夫みたい。
夜は、先生達とお友達が大きなレストランで私の歓迎会をしてくださった。
色んなことを話す中で学院長の範先生は、数年後には学生数500人を目指すと熱く語り、楽しい時間を過ごし何度も乾杯をした。
帰宅してシャワーを浴びると息子の範典くん(小学校3年生)と初対面。日本語で挨拶をしてくれ、しばらくすると『先生、僕は先生が好きです』と恥ずかしそうに言う。とっても可愛い!
9月10日(金)
朝はメロンパンに牛乳。牛乳は結構味が違うし、驚いたことに賞味期限が8ヶ月!
一体ど~なっているんでしょう。劉先生が言うには、保存料など体に悪い物は入ってないと。
9月11日(土)深夜
ここ数日、寝る時間がほとんどなかったので今日の夜はゆっくりと思っていたところ、同僚の寺崎先生(国籍中国)から電話が。
長沙には中国五大山といわれる有名な山のひとつ、南岳衡山があり、日の出を見てお参りをしませんか?とお誘いが。。。
深夜に出発するためオールナイトで結構辛いけど、こんな機会はめったにないので、行くしかない。
車2台で友達を合わせて9人。高速に乗って約2時間で到着。
車内はもちろん中国語で流れるCDも中国語だけど、気を遣ってくれたのか一枚は宇多田ヒカルのCDが流れてきたので、なんだか日本人の友達と遊んでいる気がしてきた。
山に着くと霧が深く、5メートル先が見えない。残念なことに日の出の時間が過ぎても霧がはれなかった。
しかし、中国式のお参りもでき、おみくじでは『万事うまくいく』(大吉?)だったようなので満足。
その後はそのまま近くの観光地、磨鏡台、麻姑仙鏡、穿岩詩林を巡り帰り着いたのは午後3時。
その夜は、かなり熟睡でした。
9月12日(日)
午前中、範先生と劉先生と一緒に、すぐ近くの市場で買い物。
偶然、近くに住んでいる劉先生のお母さんと会い挨拶。さすがに劉先生のお母さんも美人だった。
午後は範典くんを学校に送りに行き(幼稚園から90%は寮生活)ちょっと見学。
先生は20代と若く、日曜なのに習い事みたいなものが色々あり、範典くんは、模型コースで車を作るみたい。
ちなみに、通っている学校は一般の小学校ではありません。
それにしても、まだ小さいのに寮生活とは驚きですよね。(週末だけ親と一緒)幼稚園くらいの女の子は、両親と別れるのが寂しくて、ずっと泣き叫んでいました。
今日は昼食、夕食とも範先生が作ってくれました。
料理を作るのが好きらしく、美味しい!(範先生や劉先生が作る料理が私は好き!)
9月13日(月)
今日は午前、午後4コマの授業で2年生のクラスは初。
このクラスは半分くらいが広東省の日系企業で働いていた経験があり、レベルアップしてもっと良い仕事を得ようと頑張っている。
『日本語会話中級』という教科書に沿って授業。
夕食は範先生のお友達で南方航空の副社長の顔さん(元パイロット)と4人で長沙で有名な日本料理店、京都に行った。
店員は着物で、挨拶やサービス、振る舞いも日本的で落ち着いた高級感溢れる店。
それもそのはず、この日食べた食事は平均月収の2ヶ月分。ひゃぁ~驚き!!
味は中国版、日本食?
顔さんは、中国はもちろん海外のあちこちに行っているそうですが、やっぱり長沙が一番とおっしゃっていました。
ちなみに先月、鹿児島に2週間程滞在していたらしく市長とはお友達。
とても感じのいい方でした。(言葉は通じなくても、雰囲気で人柄はわかったりするもの)
食後は皆で日本式温泉に行き、足裏マッサージ!
漢方の足浴をしてクリームを塗り約一時間。
もう最高に気持ち良くて眠たくなりました。
時間が経つのは早く家に帰ってきたのは12時。
9月14日(火)
お昼に職員室で、いつものようにメールをチェックしていると文字化けした内容が入っている。
なんとか日本語に少し直すことが出来たが、誰からなのかわからない。
『先生は、まだ中国にいますか?』う~ん、きっと教え子で、私が天津にいると思ってるはず。
(もともと3月から天津の高校で教師をする予定だったのですが私情により行けなくなったのです)
とりあえず携帯番号を添えて返信すると、夕方電話が来てビックリ!
熊雷さん(長沙出身、赤塚学園卒業生)からです。
今、上海の会社で働いているらしく私が長沙に居ることを話すと、とても驚き、10月に長沙に帰るから、会えますよね?
嬉しい!嬉しい!と言って(私も嬉しい!)何分か話をした。
それにしても、凄い偶然だなぁ。
夜は、いつものようにテレビドラマや歌番組を見ながら中国や日本の文化や芸能人について話したり、ドラマを一時間くらい見ていたので、内容について私が聞いたり。
テレビは字幕(中国語表記)があるため、ちょっとした勉強になる。
9月15日(水)
今日は1限目(8:00)から4限目まで授業だったのでパワーを使いました。
1年生の学生から休み時間に質問(中国語で)があり、教科書を指差しながらなので、理解は出来るのですが私は中国語で答えることが出来ません。
何とかしようと、辞書を持ってるか聞いたり黒板に漢字を書いたり。
結局、2年生を捕まえて訳してもらいました。
9月17日(金)
午後のお昼休みに3年生の学生と近くを散歩した。
実は私、ほとんど車で動いているため歩くことがないんです。
学校の近くには‘湘江’という大きな川があり、ちょっと遠くには橋が見え景色が良いきれい場所があるんです。
でも、この日はすごく暑くて失敗でした。
皆、汗だくで30分で撤退。
9月18日(土)午前
朝から範先生と範典くんと顔さんと4人で、少し離れた田舎で魚釣りをしました。
この日はとても暑く、34℃を超えていたはず。
何度も暑い、暑いと私が言うので顔さんは『暑い』と言う日本語を覚えたんじゃないかな?
なかなか魚が釣れず、範典くんと私は退屈になりましたが、一時間くらい経つと範先生と顔さんは釣れ始め、私の竿にも一度だけかかったので、急いで顔さんに手伝ってもらいました。
結局、三時間くらい楽しみましたが、私は竿を投げるのが上手になったくらい。(笑)
範先生や顔さんは5、6匹釣っていました。
暑さに耐え切れず、私は範先生に、何時までするの?
帰る準備を範典くんと顔さんと私がしている間も、範先生は物足りないと言って、粘っていました。
私は「先生、早くね!」と言い残し、待ちきれない私たちは顔さんの車で涼しんで先に昼食を取るお店へ向かいました
後
田舎のお店だったので、食材が新鮮で豊富!
範先生も初めてだといわれる、かぼちゃの花があり、もちろん注文しました。
写真にあるように、好きな食材を選び調理します。
中でも、私のビックリ体験は‘蛙’です。
料理がでてきて、私ははじめ範先生に、「怖い、怖い、本当に美味しいですか?ホントに?」と何度も聞き、口にすると、「あれっ?鶏肉みたい!」もしかして、美味しい??
このお店で食べたもので一番美味しいと思ってしまった自分にビックリ!(笑)
この日記を読んでる皆さん、ひいてませんか?(笑)
皆さんも、機会があればお試しあれ!
9月19日(日)
範先生のお宅では、よく食について話をします。
範先生も劉先生も、いつも、「体に良いですよ!」「健康に良いですよ!」「美容に良いですよ!」と言い、日本にはない食材や果物を食べることができ、私は幸せ!!
今日は、お昼に‘スッポン’!!
日本の家庭料理じゃ考えられませんよね?
先週、食について話していると‘スッポン’が話題になり私がリクエストしたんですけどね。(笑)
見慣れないので、ちょっと気持ちが悪いですが、体に良い物は私は食べます。
あと、範先生はお酒が好きなので、昼からビール!私もビール。
ちなみに、昨日もお店で昼からビールでした。
9月20日(日)夜
夕食を食べていると、寺崎先生から電話が。。
「生放送の番組を観れるチケットが手に入ったので観に行きませんか?」
もちろん、行きます!!
まさか、テレビ局に行けるとは!
結構、湖南省のテレビ局は有名で、人気のある芸能人が来ることも多いそうです。
この日、私が見学した番組は毎年行われる‘金鷹節金鷹之星’というもので、いわゆる新人スター発掘オーデション祭り。
こちらのテレビ番組で何度か似たようなものを見ているので、美男美女を近くで見れることにワクワク。
綺麗な子、多いですよ。。
オーデションでは、歌やダンス、演劇などで、審査員は芸術学校の先生で本格的。
男女20名くらいの中から、この日は一人脱落。
また番組は来週に引き続きます。
テレビ局をでたのは11時で、その後は夜食を食べに火宮殿という店へ。
火宮殿で食事の続き
このお店の名物は臭豆腐。
写真を撮ってないのが残念ですが、色が黒い豆腐(まっ黒に焦げてる感じで二口くらいで食べる大きさ)で長沙人はよく食べます。
この日、お友達になったのは寺崎先生のご主人(特別警察官)の先輩である、宋さん。(中国の警官の中で射撃の№1)
そして、テレビ局に知り合いがいて、チケットをもらったのが宋さんです。
外国人の友達がはじめてできたと言い、上司に電話をかけ、私も電話口に自己紹介しました。
夜12時を過ぎ、明日は一限目からだしそろそろ帰らないとと思うのですが、長沙人は夜遊び好きなので時間などたいして気にしません。
お店の客は、12時前から増えるくらい。
この日のタイトルにあるように、日本では考えられない物をもらったんです!
‘手錠’(本物)です。重たくて、なかなかはめるのが難しい。
日本に持って帰れるのでしょうか?(笑)
誰か調べてください!!
9月22日(水)
長沙へ来て2週間が経ちました。
来たばかりの時は、交通事情の悪さに驚き、範先生の車に乗っていても落ち着かなく緊張していましたが、最近は慣れました。(笑)
タクシーの方がずっと危険ですから・・・。
歩くのも、気を付けないと車やバイクにひかれそうになります。
外国人の私としては、交通がもっと整備され、交通ルールを守ってほしいなぁ~と思います。
あと、こちらでは青空を見ることができません。
きっと、想像ができないと思いますが、曇りというわけではないのです。
晴れてはいるのですが、全体的に白く包まれてる感じ。
大気汚染のせいだといわれていて、田舎に行くと青空を見ることはできます。
あぁ青空が見たいなぁ。
9月23日(木)
夕方、寺崎先生が電話口に嬉しそうに喋っています。
そして、受話器を切ると、新原先生!
今日の金鷹フェスティバルの開幕式のチケットを先生のために宋さんが取ってくれましたよ!
えぇっ~!
昨日、何度もテレビのCMで開幕式が明日と流れているのを見ていて、年に一度の大きなお祭りで有名な芸能人が昨日、おとといくらいから長沙入りしていることをニュースでも放送があったのです。
そして、範先生や劉先生がどんなに凄い番組かについて話してくれていたんです。(中国のテレビ局は長沙が№1)
まさか、会場に行けるなんて!!
会場に行く前に、ちょっと夕食。。。
公安関係者しか入れない食堂で、安くて美味しかったです。
9月23日(木)
続き
会場のお客は約一万人。芸能人や記者、VIPが来ているため、警備にあたる公安関係者は大勢です。
チケットは買うと300元(約4500円)。この日のために他の省から来ている観客もいっぱい。
金鷹フェスティバルは今日の開幕式から閉幕式まで4日間にわたって行われます。
司会者や有名人が登場し、歌や踊り、サーカスのようなエンターテイメントが繰り広げられ、その雰囲気に感動し鳥肌が立ちました。中でも、皆さんご存知だと思われる、女子十二楽坊を生で観て聴けるとは感激!!
生中継は夜8:00~10:30くらいまであり、その後は、宋さんの友人でこの番組に携わっているプロデューサーの陳さんと奥様(今は休業してますが、元キャスターで美人!)友人を含め8人で、夜食。
陳さんいわく、チケットを宋さんに急に頼まれて本当に大変だったんですよ。
中国のイメージはどうですか?
あなたは、日本の伝統的な女性ですか?(きっと、違いますね(笑))
など、皆でたくさん話し、楽しいひとときを過ごしました。
この日、帰り着いたのは夜中の2時。
遅くなって申し訳ないです。。。
9月24日(金)
寺崎先生が友達のコウテイさんと、お昼に外で食べるので、先生も一緒にどうですか?
私は二週間前に会ったきりで久しぶり。
いつもお昼は学校の食堂で食べるため、外でランチははじめてなのです♪
タクシーで5、6分の繁華街へ行きお店へ到着。
お昼時ということで、お店はいっぱいです。
コウテイさんは銀行で働いているので、私はてっきり制服で来ると思っていたら私服。
休み時間が12時~15時まで、なんと3時間あります!!
大体どこの会社もなんですよ!!
私の学校もお昼は2時間ちょっとの休み時間があるので、皆お昼寝します。
あぁ、中国はいいなぁ。羨ましい!
9月25日(土)
今日は学生(3年生のリュウジョウさん、私は3年生の授業を担当していないのですが、いつも職員室へ来て積極的に話します。あだ名は、お喋りさん)の故郷、岳陽市へ範先生家族と行きました。
岳陽市は、面積84平方キロ、人口78万人で重要観光名所といわれる、岳陽楼(教科書にも出ているので皆知っています)と洞庭湖(中国の湖で2番目の大きさ)が有名です。
《岳陽楼》はもともとは城を守る兵士たちの休憩場所でした。三国時代に呉の大将、魯粛がまずここで水軍を訓練する為建て、次に唐の時代、楼閣に建て直し南楼と言う名をつけました。
宋の1044年藤子京が《岳陽楼》を建て直しました。そして彼の友達であった範仲がここで作った「岳陽楼記」で《岳陽楼》は天下に名を知られました。
岳陽楼は《武漢市の黄鶴楼》《南昌市の藤王閣》と並んで江南の三大名楼と言われています。
高さは21メートル構造は柱4つ、三階建て、特徴は屋上のかぶと状建築です。歴代古建築では極めて稀と言われています。現在の楼は清代のものです。
洞庭湖はまるで海のようで、先が見えないくらい。
お昼はリュウジョウさんの実家を訪ね食事を頂きました。
9月26日(日)
夕方から、範先生のお姉さん宅へ行きました。
お姉さんは、開業医(婦人科)で旦那さんは一流企業にお勤め。お子さんは中南大学の4年生(とっても明るくて料理上手)です。
範先生のお父さんは近くに住んでおり、現在81歳。
定年まで英語の通訳をしていて、色々な国の人が一緒に写っている写真を見せながら説明してくれました。(もちろん、英語ですよ)
その中に範先生の若い頃の写真があり、ビックリ!
二枚目でしたよ。。
9月27日(月)
私は長沙へ来て美味しいものばかり食べていますが、それはだいたい私の口に合いそうなものを周りの人が注文しています。
基本的には、長沙人は辛いものを好みます。
少しづつ私も慣れてきたと思いますが・・・。
今日は、一度に3000人が入れるレストランへいきました。
広々としていて、サービスも料理も良かったです。
長沙名物、臭豆腐が上の写真。
もう、4回くらい食べています。
臭いわけでも、腐っているわけでもありませんよ(笑)
9月28日(火)
今日は、中秋節といわれちょっとしたお祭りみたいです。
家族や親しい人とお月見をし、月餅(中国の有名なお菓子)を食べます。
学校でも、月餅とリンゴが配られました。
お昼は先生達と外で食事。
ここで、ちょっと先生達の紹介をしますね。(この日記を見ている友人から登場人物を詳しく!と要望があったので)
学院長の範先生(私のホームスティ先)
劉先生(範先生の奥様)
範先生と劉先生は、東京で5年間滞在していたことがあります。
寺崎先生(祖母は中国人で、10歳まで中国で育ちその後日本へ、、中国で幼ななじみの現在の旦那さんと結婚、中国では名字は変わりません)
初登場の副学長の周さん、主に学生募集や学校経営に携わっています。日本語が話せないことがプレッシャーと言っていましたが、私だって中国語が・・・。
9月28日(火) 夕方
友達の宋さんが、「先生、射撃をしてみたいですか?」と先週言われており、夕方から軍の射撃練習場へ行きました。
銃は予想していたより重くて、弾がまだ入ってないと言われても自分の方に向けないで!って感じです。
銃の持ち方、撃ち方を教えてもらい的を狙います。
初めて打った瞬間は、もう汗だくで頭が真っ白!
何が起こったのかわからない感じで、手首に衝撃をうけ、音に驚き泣きそうに・・・。
でも、何分か経つと少し慣れ、的に結構上手に当たるので楽しくなりました(笑)
それでも、もし誤って撃ったらと思うと怖くて終始、緊張。
ちなみに、私が連れてってもらった射撃場は一般の人は入れません。(特権がある人だけ)
9月29日(水)
先週、母から電話があり、「いつも遊んでばかりじゃないの?」と言われました。(笑)
確かに、この日記を見ている人はそう思うだろうと私も思っていました。
でも、朝からいつも学校に居ますよ!!
毎日、月~金の夕方5時30分まで。
これでも私の授業は一限目(8:00~)からです。
授業がない時間は学生の話し相手や、放課後残っている学生に勉強したところの復習をしてあげたり、教科書を読んだり。
写真上の女の子、黄さんと胡さんはよく放課後残っているので私と会話練習します。
今日、お昼に呼び止められ、「先生、ほんの気持ちです」と言いプレゼントを。
えぇど~して??と思いつつ、感謝の気持ちのようで、とても嬉しく思い受け取りました。
9月29日(水)夕方
前の日記で少し書きました、赤塚学園の卒業生で元教え子の熊雷さんと会いました!!
ここ最近は電話で連絡を取っていたんです。
いとこのお兄さんと学校まで迎えに来てくれました。
まさか、長沙で会えるなんて!!不思議です。
現在は、上海の会社で働いており、国慶節(ゴールデンウィーク)なので、昨日、長沙に帰ってきたばかり。
まずは食事ということで、香港のチェーン店だと思われるお洒落な雰囲気(ジャズが流れている)の店で洋食(ステーキ)をご馳走になりました。
そして、友達と合流して4人でクラブ(DJがいて、歌あり、ダンスありのショー)へ行きました。
日本との違いは、学生より社会人の遊び場という感じ。
熊雷さんいわく、長沙人は遊びすぎるんです・・・。
私の長沙での生活は大丈夫かとても心配していて、帰りに送ってくれた時も、「もう、ここでいいですよ」と言ったのですが、わざわざ5階まで一緒に。
優しい人です。
10月1日(金)
皆さんお久しぶりです!!
一週間ぶりのアップになりますね。
中国では国慶節(建国記念日で一週間のゴールデンウィーク)でした。
《長沙市最新レポート》から《ヨーコのモテモテ長沙日記》に変更されていますが、これはHPの管理人さんのイタズラです。(笑)
午前中から、熊雷さんとお友達、親戚と一緒に日系のデパートへ。その後、歩行者天国をブラブラ歩き昼食。
親戚の家で2時間くらいお昼寝して湖南大学近くの観光名所へ。(1000年以上前に出来た学校、ここから数多くの文学や学者が誕生したらしい)
夕食は熊雷さんが以前勤めていた会社関係の友人と一緒に海鮮料理を。
そして、夜はまた違うお友達が迎えに来てBarへ行きゲームを教えてもらい楽しく過ごしました。(負けた人はお酒を飲みます)
友達の一人は最近マンションを買ったらしく、ちょっとおじゃまして、酔いさましに、お茶を頂きました。
10月2日(土)
午後から範先生と顔さんと魚釣りへ。
範先生は6匹釣って満足そうですが、私と顔さんは全然・・・。
一緒に中国語、日本語の会話練習をしてました。
10月3日(土)
劉先生と街をブラブラ。夕食はケンタッキーをお持ち帰り。新発売のデザートが美味しかった。
10月4日(日)
熊雷さんと、熊雷さんの彼と親戚の中学、高校生と一緒に湖南博物館へ。
約2100年前に埋められたといわれる、女性のミイラ(王様の奥さん)があり、お墓からは、 衣服や陶器、地図など、多くの物が発掘されています。
とても広くて、きれいな博物館で2時間くらいいました。
お昼は、前から挑戦しようと思っていた‘蛇’を食べました。
親戚の子供達も初めてらしく、私と同じように怖がっていましたが、熊雷さんは蛇の皮が一番好きと言って美味しいと。。。
あ~、皮は気味悪いよ~!
目をつぶって食べました。味も私には・・・。
でも、身は美味しい!!また、食べたい!!
その後は、最近できた観覧車に乗り、映画館でハリーポッター(字幕じゃなく吹き替えだったのが残念)を見ました。
夕食は、友達と一緒に。生きたエビや犬鍋を・・・。
私、犬好き(2匹飼ってる)なのでちょっと・・・、と思いましたが、やはり中国ならではなので食べました。鍋自体が漢方薬の味なので少し苦手かも。
夜は、クラブへ。
10月5日(火)
劉先生の中学時代からのお友達のお宅へ家族と行きました。
高校生と小学校一年生の息子さんがいて、下の子は範典くんと一緒に遊べて楽しそう。
私は高校生の息子さんとインターネットで遊びながらお喋り(英語で)
皆がいる前では恥ずかしくて話さないですが、発音がキレイで頭も良さそうな好青年。
お宅では、昼食、夕食をご馳走になりました。
夜は、友達と一緒に‘中国茶’を飲みに。
中国式作法で私もお茶をいれました。(なかなか上手と言われましたよ)
ゆったりとした雰囲気が心地よく、美味しかった。
10月6日(水)
範先生家族と一緒に、岳麓山へ車で登りました。(歩きで登ると一時間くらい)
景色は少ししか見えないのが残念ですが、空気はキレイ。
鳥の世界という場所があって何種類もの鳥が飼育されていて、ショーもやっていました。
さすがにゴールデンウィークなので人が多く、子供 達ははしゃいでいました。
夕食は、中国風しゃぶしゃぶを食べに。
子供達は、「先生の隣がいい!」と言って座り何度も覚えたての日本語で、「乾杯!!」なんてカワイイのでしょう。。
肉は羊で、中に入れる物は日本とは少々違います。
そして、鍋に仕切りがあって2種類の味を楽しめます。
高校生の息子さんには、お土産をもらいました。
思いやりのある子です。
10月18日(月)
長沙へ来て、もう一ヶ月と半ばになります。
先週までの、8日間連続授業と、今までの遊び疲れ??海外生活疲れ?か、ダウン・・・。
日記を書く気になれませんでした。
週末は家で寝て、漢方薬を飲んでる今日この頃。
(劉先生は病気や健康にとても詳しく‘もうすぐ、お医者さんになれるくらい’、漢方薬をすぐ買って来てくれました。日本では粉のイメージが強いと思いますが、液体です)
私が長沙へ来て以来、雨が降らないので(いいことでもありますが)空気は乾燥しています。
そして私は毎日、今までと違う食生活(少し辛いものを食べ続け)、異変が・・・。
唇が腫れ、顔が痒いのです(泣)
おとといから、お化粧を断念することに・・・。
今日からの授業は、ノーメーク。。
そうそう、学校のパンフレットが出来上がりました。私の授業風景も載ってるんですよ~!
嬉しいですね♪
10月21日(木)
ここ数日間、日中友好協会のHPが開けられなくなり、日記を書けずじまい・・・。
やっとUP出来るようになりました!
今月に入ってから私は、何人か友人に中国に来ない?と呼び掛けていて、一人遊びに来ることになりました♪
色々と連絡を取っています。(友人は海外旅行が初めて)
きっと大きなカルチャーショックを受けるでしょう。私はそれを見るのが楽しみ!(笑)
そして最近は、中国人の友達と携帯のメールでやりとりしているのでここ2週間くらいは、授業が終わると中国語の勉強。
実は友達と明日から北京旅行ということもあって、少しでもと思い勉強しているのです。
あぁどんな旅行になるのでしょう。ワクワクです!!
10月22日(金)
ドキドキ、ワクワクの北京旅行♪
まず、長沙の空港へ朝早く範先生と劉先生が車で私を送ってくれました。
北京までは一人で。長沙発8:20~北京着10:20
この旅行の案内役は範先生のお友達の顔さんです!
(前の日記にも紹介しています)
北京空港では、顔さんと部下の莫さんが迎えに。(中国語のみのコミュニケーション)
顔さんは仕事があるらしく、車を途中で降りて莫さんと一緒にホテル(昆崘飯店★★★★★)へ行きチェックイン。
莫さんとホテルの日本料理店でお昼ご飯を食べました。さすが一流ホテル、首都北京だなぁと思うくらい美味しかったですよ~!
その後、莫さんと別れて私は部屋で30分くらい休憩してると、顔さんが迎えに来てタクシーで観光地へ。
まずは、頤和園に行きました。
観光客の多さにビックリ!!
英語の通訳は待機しているようですが日本語通訳はいませんでした。
英語の通訳はどうですか?と顔さんに尋ねられましたが、説明案内などは中国語、英語訳で書かれているので、特に要らないですよ~と。
頤和園は面積290万平方メートルの北京市最大の公園です。北に人工の万寿山があり、南には昆明湖、西湖、南湖が広がっています。
頤和園にある佛香閣は万寿山前の中心的な建築物です。高さ41メートル、六角形で4重になった仏殿。ここからは見晴らしがよく西には香山、東には北京大学が見えます。
そして、次に訪れたのは圓明園。
圓明園は清の皇帝の離宮で雍正帝が父の煕帝から譲られたものです。それに手を加え、近くの長春園、綺春園(万春園)を合わせた3つの園の総称が圓明園です。
かつてベルサイユ宮殿を模してつくった豪華な宮殿の残がいの無残な姿が印象的です。
夕食は、韓国料理を食べました。う~ん、北京料理は??と思いつつ焼肉をパクパク。
10月23日(土)
朝、8時30分すぎに、莫さんが運転する車(ベンツ)で顔さんと3人で万里の長城へ向かいました。
ベンツで観光なんて、なんて贅沢なんでしょ。
普通のツアー旅行じゃ考えられませんよね・・・。
車で一時間半、とうとう八達嶺(万里の長城を見学する場所)が見えて来ました!!きゃ~凄い!!
顔さんは下で待っているということで、一緒に登ったのは莫さん。
やはり、山ということもあり、風が強く寒い。
大勢の観光客。お爺さんやお婆さんも登っています。
思っていたより、急な坂で結構、大変・・・。
20分くらい登ると莫さんが、「もう引き返して、下りますか?」と。他の観光客は、まだまだ上にいるし私ももっと景色を楽しみたいこともあり、「もう、ちょっと登りましょう」と。
果てしなく続く長城は、体験者にしか分からない感動だと思います!!
一体、ど~やって山に長城を作ったのでしょう?
とても大変だっただろ~なぁとつくづく思い、感心しました。
万里の長城について
紀元前三世紀、北方諸民族の侵入を防ぐため秦の始皇帝が構築した世界最大の建造物。遼東湾西岸の河北省山海関から甘粛省の嘉峪関に及ぶ。
城壁の高さは平均六~九メートル、幅は四・五メートル前後、東は渤海湾に臨む山海関から西は甘粛省の嘉峪関まで、全長は6000キロメートルに及ぶ。
春秋戦国時代に斉・燕・趙・魏などの諸国が築いた城壁を利用して、秦の始皇帝が構築し、匈奴に対する防御線としたもの。現在のものは明代に整備された。
創建当時は10年の歳月と30万の軍兵と農民数百万人を駆り出し、大量のレンガを焼かせて造り上げたといわれ、その後各王朝も拡張増築に努めたが、蒙古を恐れた明が大規模な修復で現存の長城を造ったとされている。
八達嶺の後、訪れたのは明十三陵。
ここでは、団体の日本人観光客が居て、中国人ガイドさんが説明をしていたので、私もちょっとくっついて盗み聞き。
北京市の西北約40キロメートル、天寿山の斜面に点在する明朝13代の皇帝、皇后、皇妃の墓陵で、第三代永楽帝は明王朝の始祖である太祖朱元璋(当時の都であった南京に孝陵を造った)にならい、やはり風水の思想にのっとって天寿山の南麓を自分の陵墓と定め、在位中の1409年から工事に着手し、18年という歳月をかけて巨大な陵墓を建造した。
それ以降、天寿山南麓が皇帝の陵区となった。
13の陵墓のうち、最大規模を誇るのが永楽帝の長陵であり、これを中心にして他の皇帝の陵墓が左右に並んでいる。
このうち第14代万暦帝の定陵が1957年に地下宮殿が発掘され、発見された金銀の副葬品は博物館に展示されている。
昼食は、中国風しゃぶしゃぶを食べました。羊の肉が専門ですが、日本人の私にとっては、やはり牛肉が美味しかったですね。
ホテルに戻りちょっと休憩後、私は顔さんに「北京の夜に綺麗な場所はどこですか?」と訪ね夜はタクシーでライトアップされている天安門広場の近くを一周して、夕食は屋台で立ち食い。
そして、デパートの地下に北京の古い街並みが再現されている場所を見たり、夜の街をブラブラ。
ホテルに戻ってテレビをつけるとBSで新潟地震を知って驚き・・・。
日本は、ここ最近、災害続きで怖いですね。
10月24日(日)
朝、ホテルで朝食後、天安門広場へ行きました!
まだ、午前10時前なのに、すでに観光客でいっぱい。
とにかく広い!!
天安門広場について
1959年の建国10周年を記念する北京市民の労働奉仕により、1958年に完成した天安門の南にある東西500メートル、南北880メートル、総面積44万平方メートルの世界最大の広場。
広場中央に建つのが人民英雄記念碑で、西に人民大会堂、東に中国革命歴史博物館、南には毛主席記念堂が建っている。いつも観光客で賑わっているが、20世紀の歴史舞台としてその役割を果たしてきた。
広場中央の国旗掲揚台では毎朝、日の出とともに人民解放軍の兵士により五星紅旗が掲揚される。
そして、故宮へ。
またまた、広さに圧倒されっぱなし。見学するのにも時間がかかります。
北京の中央、天安門の北側にあり、かつては紫禁城と呼ばれた。明、清朝二代の宮城だったので、”もとの宮殿”の意味から故宮と呼ばれる。
紫禁城は明朝の第三代皇帝永楽帝が南京から遷都し、元の宮城跡に築いたもので、明末には大破壊をこうむったが、清がそのあとを受け継いで復興に力を注いだ。
故宮は外朝と内廷に大別される。外朝は大典や公の行事を行う場で、太和殿、中和殿、保和殿の3殿からなる。
内廷は乾清門の奥にある乾清宮、交泰殿、坤寧宮、東西6宮などの宮殿群で、皇帝の住居兼政務処理の場と皇后や貴妃の居住の場、いわゆる後宮である。
東西南北に各1門があり、南が正門で午門、北が神武門、東が東華門、西が西華門と呼ばれる。
2004/10/28
バイバイ北京!!
ホテルに戻り、近くのレストランでバイキング形式のお昼を食べ、車で莫さんが迎えに来て、私と顔さんと3人で空港へ。
そう、2泊3日の北京旅行は終了なのです・・・。
帰りの車の中で莫さんが言うには、明日から北京は天気が悪くすごく寒いから、ラッキーでしたね。
私は、いつも天気に恵まれる晴れ女なんですよね(笑)
写真は顔さんがプレゼントしてくれた観光地についての本。(中国語を勉強するように)
そして、パンフレットや記念写真。
顔さんと莫さんにとてもお世話になりました。
お互い言葉も通じないことから静かな旅だったかもしれません。(笑)
それでも、筆談(中国語の漢字)では90%会話では60%は理解出来ました。(簡単なことしか話しませんが)
初めは言葉も通じないのに旅行なんて一体ど~なの?と思いましたが、顔さんは穏やかで思いやりのある方なので、とても快適な旅行になりました。
まぁ、それでも日記を見ている皆さんは不思議に思うかもしれませんが(笑)
16時45分の飛行機で戻り、長沙へ着いたのは19時頃
2004/10/29
病院へ・・・。
10月28日(木)
先週の日記にも書きましたが、もう2週間、顔と唇の痒みと痛みに、とうとう我慢できず劉先生に病院へ連れてってもらいました。
行った病院は学校の近くにある、中南大学雅湘医院。(長沙で一番有名な総合病院の皮膚科)
病院は少し暗く、日本とはシステムも違います。
私は外国で病院へ行くのは初めての経験なのでちょっと、緊張。(ワクワク(笑))
どんなお医者さんかな~と思いつつ、待ち合い室で30分後、診察室には医師が4人居て、二つに分かれて患者を診るようです。
一人が診察をして、もう一人は研修医のようです。
劉先生が医師に、‘日本人’だと伝えてちょっと説明をすると、その医師は「日本語が分かる医師が居るから、ちょっと待って」と。
5分後、その医師が来て話しをすると、3年前に日本で医学の勉強をしていたらしく、しかも‘鹿児島’で!!
鹿児島大学病院と鴨池にある、片平皮膚科で勉強したそうです!!
ホントに驚き!!そして、嬉しく思いました!!
医師に私が鹿児島から来てると話すと、「長沙で働いてるの?いつ帰るの?」など聞かれ、劉先生が、「私の学校で働いてる日本語教師ですよ~。」など、ちょっと3人で雑談しながら名刺交換などをし、診察を。
診断結果は、環境の変化に伴うアレルギー。
塗り薬が2つ出て、どちらが合うかは分からないので試してみるようにと。
もう、帰国が近いので、我慢してましたが、こんなことなら早く診てもらえばかったなぁ。
10月29日(金)
一年生の教え子、黄さんのお友達のお母さんのお宅へ一泊おじゃましました!
金曜の午後2時に学校を出て、まずタクシーでバス乗り場まで、10分。たくさんのマイクロバスが停まっています。
小さなマイクロバスに乗るのは初めてで、主に長沙から田舎へ帰る人達が乗っているようです。
そして、そのバスで30分ほどの田舎に到着。
景色は山と畑で小さな民家が点々としています。
友達のお母さんはバスを降りたところに迎えに来てくれてました。
挨拶をして、細い道を歩くこと15分、家に到着。
家は、二階建てで広々として、鶏や豚、猫、犬を飼っていて、まさしく田舎の家庭といったところです。
ちょっと、辛いのは豚小屋を通って外のお手洗いに行かなければならないことで、しかも懐中電灯が必要・・・。
ベッドで2時間ほど休憩して、夕食の時間になると、お母さんの妹の家族が来て、お喋り。
(妹さん夫妻は中学の教師で、旦那さんは物理を、奥さんは政治を教えているそうです)
その間には、外国人の私を一目見ようと、近所の人達が家へ訪ねて来て、私を眺めてました。(笑)
まるで、日本のテレビ番組でいうと「世界ウルルン滞在記」長沙の田舎編って感じ。
私は、地元(鹿児島)でも田舎に行くことは無いので苦手ですが、お母さんは、とても親切で帰る際には食べ物を持たせてくれ、心温まる貴重な経験になりました。
2004/11/05
友達が長沙へ♪
10月30日(土)
午後、田舎から家へ戻り、くつろいでいると友達から電話が。
鹿児島の友達(博子)が上海の虹橋空港へ無事到着!
飛行機の中で知り合った香港人のおじ様に親切にしてもらい、私にかけてきた電話も電話カードを貸してくれたらしく感激してました(笑)
友達は海外旅行が初めてなので、迎える私はとても心配していたんです・・・。
なので、一安心。
夜は範先生と空港まで迎えに行き、その後は私と一緒にホテルへ(お友達の宋さんのホテルに無料で、これから3泊なんです)。
ホテルでしばらくすると、親切にも香港人のおじ様は私の携帯電話に電話をかけてきて、博子のことを話すので、一緒だと伝え電話を切りました。
初め、電話で話した時は誰だか分からず、私はてっきり自分の友達(中国人のお友達で英語で話す人が一人いるので)だと思ってしまいました(笑)
2004/11/05
バーベキュー
10月31日(日)
一年生クラスの提案で、午前10時過ぎから烈士公園でバーベキューがありました。
烈士公園は長沙の街中にあり、大きな湖が印象的な素敵なところです。
少し天気が悪く雨が降った後のため、大丈夫か心配でしたが、学生達は全然気にすることもなく盛り上がり、私の友達(博子)にも話しかけ、歌を歌ったりして楽しいひと時を過ごしました。
皆、前日から食料などを準備して、朝一番早い子は7時くらいから公園へ来ていたらしく、チームワークのよさにびっくり。
まとまりのあるクラスです。
午後、2時に終了。
その後は、範先生の息子、範典くんを車で学校まで送りに。
私は明後日、長沙を離れるので、範典くんとは今日でお別れ・・・。
あぁカワイイ範典くん、いつも家ではソファーにちょこんと私の側に座って一緒にテレビを見たり、お菓子を食べたり、私が言葉が分からなくても、話しかけ、車に乗る時や、玄関を出る時など、いつも「先生、どうぞ」と言う小さな紳士でした。
2004/11/06
今日が最後の授業、2年生編
11月1日(月)
いよいよ今日は最後の授業になります。
まずは、1限目、2限目の2年生クラス。
私の友達(博子)に授業に参加してもらい、学生に自己紹介や質問をする会話練習で、主に長沙や中国について話すように(博子に教えてあげるように)と指示し、私は橋渡し役に。
友達(博子)に日本の歌を歌ってもらい、お返しに学生が中国の歌を。
そして、先週、宿題にしておいた料理の作り方の手順の発表。
他に、会話の中で‘京劇’と言う言葉が出てきたこともあり、私が「誰かお芝居が出来る人いますか?」と質問すると、湖南省の有名なお芝居を二人で発表してくれました。(内容はちょっと分かりませんが)
授業の最後には学生から、中国の縁起が良い大きな飾り物と寄せ書きをもらい感激!!
写真にある皆の手のポーズは‘愛してる♪’です!!
11月1日(月)
3、4時限目は1年生の最後の授業。
2年生の授業の時のように友達(博子)に参加してもらい会話を。(日本語を勉強し始めて2ヶ月のため、文法や語彙が少ないため自己紹介や趣味についてが主です)
私は、学生の会話ミスや手助け、橋渡し役。
前日にバーベキューで一緒だったため、授業は和やかムードに進み、4限目は先週の宿題の答え合わせと教科書を終わらせ、授業の終盤になると、またまた歌のリクエストが・・・。
よく学生から歌を教えてほしいと言われ、苦手な私は、友達(博子)が上手なので、歌いますからね~♪と。
本人には長沙へ着てから「皆の前で、歌をよろしく」と言いましたけどね(笑)
そして最後に、私が日本のことわざ、‘好きこそものの上手なれ’を黒板に中国語と一緒に書き(2年生の授業の最後にも教えました)「日本や日本語が好きになってください。上手になります・・・。」
「この2ヶ月、楽しかった・・・」とお別れの言葉を言いながら目がウルウル言葉につまり、それが伝わったのか学生達が泣き、しかも私のすぐ目の前に座っている劉さんがすごく泣いてるのが目に付き私も涙が・・・。
‘あいうえお’平仮名、カタカナ、挨拶を覚えた段階から私は授業に入り、今月から勉強した言葉を使って質問や会話が増え、お互いにコミュニケーションがとれ、これからもっと活発な授業になるという時にお別れなのです。
学生を代表して彭さんから、感謝の言葉と先生の幸せを祈りますと。(彭さんは、もともと教育関係の仕事をしていた人生経験豊富な学生で、私や学生達の母親の世代の方です。とても勉強熱心で、授業中に興奮して中国語で質問するので、私は彭さん日本語で!とよく言ってました(笑))
そして、寄せ書きをプレゼントしてくれました。
2004/11/08
お散歩に
11月1日(月)
いつものように、お昼は食堂ですませ、3年生の学生(リュウジョウさんとシャケンさん)と友達(博子)と一緒に学校の近くを流れる(湘江)川沿いをお散歩。
ちなみに、私は地元(鹿児島)で甲突川の近くに住んでいて、どこか湘江に親近感を覚えますが、比べ物にならないほど、こちらは大きな川で、船が浮かんでいます。
いつもお喋りなリュウジョウさんが元気がないので、どうしたの~??と思い尋ねると悩み相談が・・・。なるほど、なるほど。
私も悩みはあるわよ~と、4人で色々話しました(笑)
1時間ほどして学校へ。
11月1日(月)
午前中の2年生の授業の中で、私がまだ‘天心閣’へ行っていないと話すと、学生からの提案で午後から皆で行くことに!!
天心閣について
旧市街区の南東隅にあり、天心閣の古城壁が最初に建造されたのは2000年前で、古城としての長沙のシンボル。城壁の上に建つ天心閣は長沙市内で最も高い地点にあるため、長沙の町並みを一望するには絶好のポイント。数百年の間に改築、移転を重ね、現在の形に落ち着いたのは1983年のこと。木造建築にまねた造りで鳶色のレンガ、そり返った軒先が特徴的。建物には彩色の絵画や彫刻が施されている。
天心閣の下には公園があり、長沙の人々の憩いの場になっているようです。
偶然にも、公園で結婚写真を撮るカップルがいて、学生達としばし見学。
私達がじっと眺めていたので、とても恥ずかしそうにしていて、ちょっと申し訳なかったです(笑 )
11月1日(月)
夕方、副院長の周さんとお別れの挨拶をし、記念に観音様の飾り物を頂きました。(この日は観音様の誕生日らしく、お寺でわざわざ買ってきてくれたようです。)感謝!!
夜は、先生達と鄭さん家族と送別会。
アジア№1といわれる広さと豪華さを兼ねる西湖楼で。しかも、座席が一番良い場所を鄭さんの予約で♪
このお店では中国ならではのショーが楽しめ、色々な地方料理がありますが、もちろん、この日は湖南料理を。
さすがに、今までで一番美味しかった!!
人とのお別れがとても苦手な私は、明るく振舞うことで精一杯。じゃないと、また泣いてしまうから・・・。
たくさんの思い出話しをしてしまうと切なくて、日本へ帰りたくなくなってしまうから・・・。
それほど、この2ヶ月という時間は快適で楽しいものだったのです。
これは、もしかすると短期だったからかもしれませんし、日本では経験出来ない、非日常の世界が夢のように感じるからでしょうか。
この経験から多くのことを心に刻むことが出来、色々な事を感じ、深みのある人間に、これから成長していけたらと思います。(ちょっと、おおげさかもしれませんが・・・)
最後に
範先生、劉先生、ホームスティはとても快適でした!!本当に自分の家のように私はくつろいでしまいました。お世話になりました。感謝!!
寺崎先生、私と年齢が近いこともあり、中国のことや、プライベートな話しまで楽しかったです!
周さん、パソコンのことでは、お世話になりました。
そして、学生達、日本留学、日系企業就職を目指し加油!!(頑張れ!!)
あちらからの画面では写真の枚数と大きさに制限がありましたのでここに新築させてもらいました。いつか長沙に行こうと思っている方の参考にでもなれば幸いです。
ヨーコ 2004・11・15