吉永英未の復旦大學留学生日記
鹿児島大学留学生 鹿児島国際大学生
留学生活のはじまり
2014年8月28日
2014年8月27日、私は鹿児島空港国際線の出発口にいた。周りには、父と叔母、大学の恩師、そして友人たちがいた。これから向かう上海、復旦大学で始まる三年間の修士課程、その出発の日を、こんなにもたくさんの方々に見送られて、私の「夢」は始まろうとしていた。しかし、そこには、私が一番望んでいる人の姿はなかった。その人の姿を私が次に見るときは、その人を、見送らなければならない時だということを、私はあの夏の日、まだ、覚悟できていなかった。母を失う覚悟を、その悲しみを隠すように、私はただ前だけを向いて歩いた。
上海浦東空港に着いたのは中国時間午後2時50分だった。飛行機から降りて、滑走路から空港に渡るバスの中で、なぜか見覚えのある後ろ姿を見かけた。旅行会社で働いている王さんだ。王さんはあとで、中国語スピーチコンテストで私のことを印象深く覚えていたとおっしゃっていた。王さんを含む社員の方々は出張で上海を訪れ、私はたまたま同じ飛行機に乗っていたのである。声を掛けると、王さんもまた「まさか!」と驚いていたが、事情を説明すると、「これから復旦大学に留学するんだって」と皆さんに呼びかけ、「こんなに荷物が多いから、私たちのバスで途中まで乗せてあげる」と言った。それに皆さんも同意して下さり、私はそのまま旅行会社の方々と専用バスに乗り込んだ。上海についてドキドキしていたが、鹿児島弁を聞いて安心してしまい、バスの中ではぐっすりと眠ってしまった。目が覚めたとき、そこは「虹橋」だった。「私たちはここで降りて鹿児島県事務所に行くから。運転手さんに地下鉄の近くで降ろしてもらうように言ってあるからね。あとはがんばってね」と王さんから言葉を頂いた。旅行会社の方々はひとりずつ「これから三年間がんばってね」とエールを送って下さり、バスを降りて行った。バスに取り残された私は、いよいよひとりになって、バスから降りて歩きだした。
後ろに23キロの登山リュック、前にもリュックをからい、24キロのキャリーを引きずりながら。この荷物の量では階段も降りれない、と思い、椅子に座っていた男の方に「エレベーターはどこですか?」と聞くと、「持っておりてあげる」と言って彼がそのまま地下まで荷物を降ろしてくれた。その後もたくさんの方々がバケツリレーのように、私のキャリーを階段から降ろしてくださった。でも、肩に背負った登山リュックはあまりにも重く、ひとりではからうことすらできなかった。登山リュックを背負う度に誰かに持ち上げてもらい、地下鉄に1時間ほど揺られ、やっと復旦大学最寄り駅江湾体育館に着いた。
地下鉄から外に出て、2年ぶりに、改めて吸う中国の空気に、「とうとう来たんだな」と実感した。さっそく、大学への道を人に聞くと、どの人も「近いよ」と言うが、この荷物でそこまで歩くことはできない。途方に暮れながらも前進していると、私のことをじっと見つめながら歩いてくるおばさんがいるのに気づいた。おばさんに話しかけると、すぐに「タクシーを呼んであげる」と言い、そのまま上海語でタクシーのおじさんと話し、私は二人が何を言っているのかわからないまま、私はタクシーに乗り込んだ。
「新しい生活はどんなところで始まるのだろう。タクシーのおじさん、ちゃんと大学に連れて行ってくれるのかな。いつ着くのかな?」色んな思いを過ぎらせているうちに、タクシーのおじさんに「ここでいいか?」と降ろしてもらった。
「なんだここ?」地面は泥だらけで、隅っこに小さく「復旦大学留学生アパート」と書いてある。「こんなところ?」日が暮れて真っ暗な門に、デコボコした地面、少しがっかりしてしまった。タクシーを降りてから、リュックを背負って歩き始めると、前方にまた私を見つめる人影がある。「手伝いましょうか?」と声をかけてくれる青年のお言葉に甘えて、私は彼にキャリーを持ってもらった。彼が、のちに仲良くなる「小虎」だ。彼に連れられて、私は復旦大学留学生アパートに着いた。
夜に到着した私に、管理人さんがまず聞いたのは「寮は予約した?」であった。国費留学だったため、住居手続きは上手く行き、すぐに部屋の鍵を渡された。16階の、1615室だ。小虎に部屋まで荷物を運んでもらい、無事にこれから暮らす部屋に着いたことにやっと肩をなで下ろすことができたと同時に、嬉しさが込み上げてきた。
荷物を置いたあと、小虎とご飯を食べに行った。小虎は私の復旦大学の最初の友人だ。彼は1987年生まれで、現在、復旦大学大学院経済学科の研究生である。フランスのパリ大学で交換留学を終え、今年5月に中国に帰ってきたばかりだそうだ。留学を経験したこともあるため、私に声をかけてくれたのかもしれない。
夜8時を過ぎていたので、ご飯は学校の中のファミリーマートで食べることにしました。私はお芋の「万頭」を食べた。そのあと彼に学校を少し案内してもらった。「光华楼」という建物は、教室として使われるのに、床は大理石のような石で出来ていて、ホテルのように綺麗だった。憧れの大学に自分がいることが嬉しく、まるで夢を見ているようだった。
それが現実だと教えてくれたのは、ベットに布団も枕もないという事実である。小虎は、マットや洗面用具の売っている売店にも連れて行ってくれた。そして、私は寮に「帰って」きた。少し硬いベットで、まだ冷めない興奮と緊張で固まったように寝た、復旦生活一日目の夜だった。