鹿大&赤塚学園中国留学生大浪池登山

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

2005/05/25

生憎の曇り空でのトレッキングでした。登山途中、地名通りの霧雨の中の行軍となりました。

フーフー言いながら登頂に着いてみると想像通り四海は霧、あの美しい天池『大浪池』を中国の学生達に見せてあげられなかったのは残念でした。

彼らにはどの方向に池があるのかも分からないのでした。 景色を眺めるなら、高千穂でしょうが今日みたいな日は名所「馬の背」は怖くて渡れません。

結局、折角持って行った、ほか弁特注お弁当は下山してからクルマの中で食べることになりました。

その後温泉に入り、高千穂牧場でアイスクリームを食べて元気に帰途に着きました。。

登山の時の写真はアルバムで紹介します。

霧の中の大浪池登山

2005年5月22日(日)

この光景はまぼろしでした。

記録(メモリー)
5月22日(日)霧島・大浪池登山のご案内

参加メンバー (26名)
●赤塚グループ(マイクロ9人乗り)赤塚晴彦以下8名・ 池田さん、清永さん、丁雪輝さん ・・・・

●赤塚・鹿児島大学グループ(マイクロ9人乗り)池田優佳里以下8名 赤塚関係5名 加覧かん介・登志子・前田くん・平澤さん・白さん5名

● 大石マイカーグループ(田野飛・大石・師潔雅さん・賈春雪さん)4名

● 小林マイカーグループ(小林・李・小屋・隋さん)       4名

●集合時間:朝9時15分 出発:9時半

●集合場所:赤塚学園前 

海岸線コースを行きます。行程:約2時間で登山口に到着

●トレッキングコース食事入れて2時間(登り下り70分、休憩50分)

大浪池は火口湖としては日本一高い所にあります。韓国岳(1700m)の隣に位置する。標高1239m、直径650m最大深度12mです。 登山口から登り45分、下り30分程度です。「お浪の伝説」が伝わるこの池は霧島10湖の中で魚の棲む数少ない池です。約1時間で東周り、西回りで一周出来ます。

●A温泉コース:午後1時半(登山口帰る)~林田温泉まで20分。(入浴時間:1時間)
●Bまほろばの里コース:草スキーや陶芸やミニゴルフを愉しむ(1時間)

●帰途:3時20分(約2時間)帰着時間は5時20分ごろ。

「お浪の伝説」とは・・・・・ 

今は、昔、この池のふもとの村に庄屋がありました。村一番の金持ちで、何一つ不足はありませんでしたが、ただ一つこの年になるまで子宝のないのが寂しい限りでした。 そこで、年寄った夫婦は相談してお山の神様に願をかけました。

まもなく妻はみごもり、やがて美しい女の子を産みました。夫婦は、目の中に入れても痛くないほど、蝶よ花よとかわいがって育てました。そして、その名もやさしくお浪とつけました。お浪は、きりょうも心も清らかに美しく、だれよりも人にかわいがられ、日毎にその美しさを増していきました。村の人々は、女神様の生まれ変わりだとさえ語り合いました。しとやかなお浪の動作は、まるで姫君のようでした。

お浪の十八の春が来ました。美しい気立てのやさしいお浪には、あちらからも、こちらからも結婚の申し込みがありました。ところが、肝心のお浪はどうしたことか、結婚の話を両親から聞かされるごとに、ただ寂しくほほえむばかりでした。両親の心遣いを見るにつけ、お浪は泣くよりほかにありませんでした。お浪はとうとう寂しい沈んだ乙女になってしまいました。 お浪はとうとう病気になってしまいました。庄屋夫婦は、狂気のようになって医者よ薬よと騒ぎましたが、効果はありませんでした。お浪の美しかったほおの肉は落ちて見る影もなくやつれていました。そして、ある夜、それは霧島の森林に月がこうこうと照っている夜更けでした。 「山の奥へ行ってみたい」庄屋は、思いとどまるように言い聞かせましたが、お浪はどうしても聞き入れませんでした。

しばらくして黒い影が二つ、山を登っていきました。かすかな足音が、極度にもの寂しい林の奥をさまよった後、とうとう池のほとりに来ました。

と、突然お浪の瞳は輝きまました。そして父親の手を振り切るが早いか、ザブンとばかり池の中に飛び込みました。あわれ、後にはかすかに小波が残るばかり——。青黒い水は何事もなかったかのようにもとの静寂にもどりました。ハッと我に返った庄屋は娘がいないことに気がつきました。庄屋は気が狂いました。 「お浪ー。お浪ー。」

悲痛な叫び声が林にこだまするのみでした。庄屋は夜が明け、太陽が上がるまで池のほとりを狂い歩きました。そして叫び通しました。でも、お浪は、もう二度とその美しい姿を見せませんでした。 お浪は、この池にすむ竜王の化身でした。庄屋夫婦の熱心な願いに感じて、しばらくの間庄屋の娘となっていたのでした。それから、この池を「お浪の池」と呼びました。それがいつのまにか「大浪の池」となってしまったのです。