池田公栄・九江学院日本語教師日記1

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

虹の架け橋パート4をお届けします。
今日で8月も終わり。小生にとっては、日本での親族友人たちとの交わり、ボランテア活動、そしてまた明日から始まる九江での生活。少しでも、個人で出来る国際交流を進めたい。小生にできる日中友好は江西省九江学院における日本語教師の実践を通して、誠心誠意勤めること。

池田公榮(在九江)

2005年3月27日(日)天候

**復活祭**

中国の教会でも復活祭が祝われる。「復活とは神によって変えられる業である」。人はこれを信じて受け入れるだけでよい。感謝の心をもって聖書の復活の記録をよむ。多くの学生も一緒に礼拝参加。礼拝後学生たちを自宅に呼んで昼食。

**結婚記念日**昼食後、階下のベキー譲とジョー嬢がゆりの花をもってお祝いに来た。われわれ夫婦の結婚47年記念を祝すものである。

47年間、愛し合い、赦しあい、我慢しあったことを思うと、その根底にあるものは主イエス・キリスト様であったと思う。我々は、少しは見つめあう生活期間もあったが、子どもが次々に生まれるに従い、見詰め合う雰囲気ではなくなった。

見詰め合うことばかりに夫婦のありようを求めるならば、とっくの昔、破綻していたことであろう。感謝すべきことに、二人で見上げるものがあった。それはイエス・キリスト様である。牧会という共通のミッション、幼児教育という共通の事業があったからだと思う。改めて主に感謝。

2005年3月28日(月)天候晴れ

学生の相談

拝啓

立春とは申せ、寒い日が続いています。先生のご健康が健やかでありますよう心からお祈りいたします。

さて、私は子供の時に、テレビを見て、弁護士はかっこいいなとおもいました。それで、以前には、法律の勉強がしたくて大学を受験しましたが、失敗しました。とても残念でした。

そこで、日本語を専門とする道を選びました。学んでいるうちに、日本語の難しさがだんだんわかってきました。一応は、単語や語彙を覚え、会話も出来、聞き取りも出来るようにはなりましたが、表現や文法の問題になりますと、まだまだ大変だと思うようになりました。

卒業した先輩たちに「競争が激しいよ」といわれますと、自分の力量が心配になります。私はあと一年で専科を卒業しますが、それだけでは、この厳しい競争に勝てないように思います。

そこで、私は改めて考えました。卒業後日本へ行って勉強を続けるか、国内で再度法律の道に進むかを迷っています。先生はどうお考えになりますか。ぜひ教えていただきたいです。 

敬具   2005年3月24日  高雅玲

この手紙に対して、以下のとおり、返事を出した。

高雅玲 様

貴方の最初の希望は弁護士になることだったのですね。

でも、貴方の日本語の力はとてもすばらしいですよ。もちろん、専門的になると難しいことがありますが。でも、基礎をきちんと学んでおけば、後は努力次第です。

まずは、2級または1級試験に合格することが大切です。そうすれば、中国でも貴方を必要とする企業や団体が多くあると思いますよ。

日本へ行くことも大事かもわかりませんが、まず、今を一歩ずつ、学び続けることが大切と思います。あなたは、他の学生よりもかなり力がありますよ。やればきっと出来ます。心配しないで頑張りましょう。

日本へ行って日本語の力量をつけるか、法律の勉強をするかを選ぶのは貴方です。

まず、どちらにするか、決心すること。つぎに、道が開くために何をしたらよいかを一つずつ解決することです。  あなたの質問に直接答えられないけど、『道は開く』これがわたしの助言です。 平安がありますように。

2005・3・28 池田公榮

2005年3月29日(火)天候晴れ

**ロマ総督ピラトの裁判席で***

「あなたもあのイエスの仲間でしょう?」と広場の婦人に問われたペテロは「いいえ、あの方とは何の関係もない。」と三度までも否定した。自分を守るためにキリストを裏切る。

そのとき、聞こえた鶏の時の声。ペテロは「鶏がなく前に、あなたは三度私を知らない。と言うだろう」と仰ったキリストの言葉を思い出し、号泣する。わたしも、このペテロ以上に「主を知らない」と、行動、ことば、思いで、何回も何回も主を裏切った。その度に、主は私を『赦す』と仰った。 

ケパ 聴けり 過ぎ越し前の とりのこえ

鶏鳴に ペテロの号泣 群れのすみ

2005年3月30日(水)天候曇り

九江市中心幼稚園4歳児クラスでボランテイア。今日のクラスは担任教諭が産休で休んでおり、主任が代行していた。また、専門学校生が90数名教育実習に訪れており、4歳児クラスにも6名ほど配置されていた。

日本語の挨拶を歌遊びの中で教える。主任が係わっているだけあって、スムーズな進行ができた。幼児にとって大事なことは、教師という人的環境である。日本も中国も同じだなと思った。

2005年5月24日(火)天候晴れ

**九江の水**

九江では生水を飲まない。水質も悪く、微粒子の泥土がまざったとても清潔とは言いがたい水である。この水事情、65年前小生幼少のとき、九江に生活していたときと変わりはない。九江の水を飲んで弟は疫痢に罹って死んだ。小生も寸でのところで命を落とすところだった。

現在では、飲料水は沸かして冷ましたものを飲むか、特別廬山山麓の沸き水をおおきなボトル(10㍑)に入れたものを、一缶5元で購入したものを飲用水としている。上水道だから、当然殺菌もしているはずだが、送水管の金気であろう、水をかぐと金臭い。

だから、お茶も変色し、味もおかしくなる。とかく水は命に係わるものであるから要注意。日本も例外ではない。水事情は悪く、上水道では安心できず、例えば阪神地区だと神戸の六甲水、鹿児島だと屋久島の縄文水など金をだして購入する時代になった。

2005年5月23日(月)天候雨

**中国新聞の切り抜き**

九江には、地元新聞も何社かある。そのなかの「潯陽新報」という新聞の切抜きを学生が持ってきた。「先生、こんな記事ありました。私たちは、とても感動しました。」という。内容を見ると、5月19日、北京発の但し書きで、本田立太郎氏の中国謝罪旅行記事である。

概要はこうであった。氏の軍隊時代、盧溝橋事件(中国では7・7事件という)の容疑者を上司の命令で、銃殺したという内容。本田氏が個人的に事件の場所を訪ね、花束を捧げて、謝罪の意を表わし、「日中の若者が友好関係を構築してほしい。」旨の談話をなしたことが写真入で報道されたのもの。

学生が『感動しました。』といった内容は、個人的にせよ、「謝罪を実際の行動で示した。」ということらしい。

4月22日、バンドン会議において、胡錦濤国家主席小泉首相会談で胡主席が「約束したことを実行で示して欲しい。」と暗に首相の靖国参拝を牽制したことに呼応しての記事と思う。中国の若者たち、やはり日本の動向に関心を持っていることが分る。

こんな時期、国を代表する責任者の言動に十分な配慮が欲しい。日本の首脳たちは靖国問題は「内政問題」というが、中国や韓国にとっては、あながち内政問題だけでは納得してもらえない部分があると思う。

このままだと、被害者意識をもつ中国にとって靖国問題は、今後とも日本非難のカードに使われるであろう。中曽根元首相は胡耀邦主席に対して、今後、靖国公式参拝はしない旨の親書をだした経緯もあることを憶えたい。

2005年5月22日(日)天候晴れ

**三位一体の主日**

今日は三位一体の主日。キリスト教では父なる神、子なるキリスト、聖霊なる神が本質において一致。歴史のなかでそれぞれの出番があり、協力関係のなかで神の国を完成される。

父なる神は人類救済のさきがけとしてユダヤ民族を選び、この民から救い主を贈る準備をなさった方。子なる神は父の意をうけて人類救済の贖いのため十字架にかかられた方。聖霊なる神は贖われた民をみ国の完成まで指導援助なさる方である。

三位一体は家族的関係でもある。父なる神はその名のとおり父権者、キリストは長子(ロマ8:29)であり、われわれキリスト者兄弟姉妹を頂点にたって導く方。聖霊は母性的性格をもった方。父あり、母あり、兄弟たちありの神の家族である。

また、つぎのようにも表現できよう。父なる神はみ国の設計を、子なる神は基礎工事を、聖霊なる神は完成を受け持っておられる。ねがわくは、われに信仰の恵みを与え給え。

2005年5月21日(土)天候雨のち曇り

**民主警察?**

土曜日は散歩を兼ねてよく甘棠湖(カントウコ)周辺を歩く。九江の街はこの湖を取り巻くように栄えた街。もちろん、九江は長江を玄関とする港町だから長江(揚子江)もすぐ傍。1998年の大洪水の折は長江と甘棠湖は一つの海みたいに繋がったという。

この湖の公園広場で警察官と「市民の声を直接聞く会」が開かれていた。制服姿の警察官がテント20張ぐらいを設営し、机椅子を持ち込んでの市民相談である。ずいぶんと民主警察振りを発揮しているところであった。

相談をしている人はごくわずかで警察官の数だけが目立っていた。群衆は何事ならんと興味本位に眺めてはいても、実際相談をしようかという人は見当たらない。かく言う小生も偶然見かけたため、興味本位に近づいただけのこと。これは行政側の民主警察のアッピールなのだろう。

中国もこのようなサービス行政が必要になったということであろう。でも、印象は目は鋭く、人を威圧する雰囲気が漂っていた。民主警察道とおしか。

**飲料茶の拡販キャンペーン**

警察官と語るコーナーの横では、ペットポトルにつめた飲料茶の販売キャンペーン。いまこの種の茶がいたるところで販売されている。このボトル、学生たちはよく飲んでいるが、甘味料が入っているので、小生はきらいである。日本の、コカコーラ、ペプシコーラはどうしたわけか見かけない。甘い緑茶が主流である。

**携帯電話のキャンペーン**

中国の携帯電話契約数は3億3000万件といわれる。3人に一人ぐらいの割合で携帯を持っていることになる。大学生はまず、100%所有。13億の中国は携帯電話も大きな市場であろう。甘棠湖広場では舞台仕掛けで、携帯電話の宣伝を行っていた。

2005年5月16日(月)天候晴れ

**庶民の収入**

親しくなってくると、「収入はいくらだ」ということが話題になる。中国では、地方公務員で初任給800元、高校教諭2000元、大学講師2000元、個人企業だと600元、400元もあるそうである。日本企業の場合、上海の某企業は2500元(交通費別途交付)と卒業生がはなしていた。

賞与はあるところと、ないところ、あってもすずめの涙ほどのところと千差万別。日本の平均的収入をはなすと、「おー」と羨望のまなざしで嘆息。でも、生活費が高いから、日本も大変だといっても、ピンとこないようである。いずこの国も、生きていくことは大変なのである。生活できて、多少の貯蓄ができれば、最高と考えたほうがよい。

2005年5月14日(土)天候曇り時々雨

**胡耀邦稜**

九江から高速で1時間ほどの共青という町に、胡耀邦陵があるというので、学生5名と我々2名、あらかじめ用意してくれたタクシーに乗ってその場所を訪ねた。南京の中山陵には遥かに及ばないが、なだらかな山を利用し、公園風に造られた稜である。

ここに彼の遺骨が葬られている。大きな御影石に胡総書記の胸像を掘り込み、その略歴と功績を称える碑文が書き込まれている。胡総書記は毛沢東主席死去のすぐあとを継いで中国共産党総書記になった人。日中国交回復後、中曽根康弘元総理とも会談した人だと守衛の衛兵が教えてくれた。

ついでだが、HPにも、中曽根首相から胡総書記に「靖国参拝は控えます」の文書が送られたことが公開されている。石碑の周りには大小12の石が置かれ、当時の中国人民の人口12億人をあらわしている。その一つの石には、「無私無愧」と記されていた。

「無欲で人に恥じることのなかった人」の意だそうである。彼は、毛沢東の無謀な躍進計画と文革の間違いを修正した勇気あるひとであった。

石碑の要約

姓は胡、名は耀邦。1915年湖南省鄧陽県の農家に誕生。

1929年 中国共産主義青年団加入

1933年 中国共産党入党

1981年4月15日 毛沢東の逝去に伴い、その後継総書記となる

1987年 死去

資料館で納骨の儀のビデオを観た。胡夫人が最後にこんなことを言っていた。『主人は今日から共青の人となりました』と。

湖南省の人がどうして、故郷ならぬ九江に骨を埋めたか。学生の説明では、この地方は、江西省でもひときわ貧困な地域で、胡主席はこの地を豊かにするために意欲を燃やし、道路を敷き、農業の振興に力を注いだという。「共青」という町名も彼が命名したそうだ。

そういえば道路は立派過ぎるほどである。時あたかも、田植えの時期、あちこちで田植えの風景が見られ、日本の農村風景と重なった。

**学生の家族と昼食**案内してくれた学生の名は楊思思、彼女の父親は共青中学の体育と政治の先生。母親は地元の縫製工場に勤めている。

かの父親はとても気持ちよく歓待してくれ、まず、自分の学校の校長さんゲン(こざと遍に元)師に紹介し、校長さん家族も含めて昼食の馳走を振舞ってくれた。彼は政治を教えているけれども、反日のハの字も口にしなかった。ただ、ニコニコと歓待に心を遣ってくれた。

2005年5月8日(日)

**日中友好関係を願う**

4月に始まった反日デモをきっかけに、日中友好協会のHP「何でも掲示板が」が俄然賑やかになっている。拝見し、感じたことを書いてみる。それぞれの考え方に違いがあることは当然。どちらかが正しくて、どちらかが間違いというわけではない。

歴史の中にはそこに至るきっかけや必然性があり、痛みも残る。戦勝国にとっても、敗戦国にとっても同様。南京事件で30万人殺された、歴史教科書が正しく記述されていない、政治家の靖国参拝は反省がない証拠だ、だから日本は国連常任理事国に入る資格がない。それに対する反駁。これらをいくら論じても不信感を募らせるだけではないか。

私が思うには、日本と中国では戦争体験が違うと思う。どこが違うかというと、中国は自分の国が地上戦場になったということ。日本も唯一沖縄は地上戦場になったが、九州、四国、本州、北海道は地上戦の場ではなかった。そこに、実体験の相違があると思う。自分の国を土足で荒らされた側にとっては、忘れなれない悔しさや怨念がいつまでも残る。

そういったことを日本の人は理解した上でものを言わないと感情論にエスカレートし水掛け論になってしまう。「歴史問題について日中で共同研究をする」とかは、賛成。相互国の真の理解と友情のための議論はよいことである。でも、自己弁護や自己擁護的にとられる発言や、逆に相手の非を責めるような議論はいただけない。

私が一番言いたいこと、願いたいことは「何事もひとからして欲しいと思うことを、あなたもする」というイエスの教えを実践すること。日本人は中国人の立場に立って考えてみる。中国人も日本人の立場になって考えてみる。決して相手を論破したり、やっつけようとしない。自分が出来る友好的交流を個人的に実行することが大事だと思う。

国ベルでも一生懸命努力するであろうが、それは個人レベルより難しいこと。それぞれの国の面子、利害が優先せざるを得ないからである。出来るところから個人的に友好関係を構築しよう。私の九江生活も、個人でできる友好活動と心得ている。学生たちに日本語を教えながら、確かな手ごたえを感じ取れる。また、生活も楽しい。一般中国住民もみな親切でよい人ばかりである。

2005年5月7日(土)天候晴れ

**九江の食材②**魚肉類とれに類するもの

九江では、人の通る往来で、肉、魚、へび、かえる、亀、あひる、はと、にわとり、きじ、ウサギなど多様な食材を販売している。肉類は、主流が白豚、牛、水牛、羊、ヤギ、聞くところによると犬肉もとか。魚はなまず、雷魚、こい、ふな、かわます、かわえび、小エビ、大きな淡水貝、タニシ、その他一枚貝。へび類も種類がおおく、日本のからす蛇の類から、うなぎに似たへび。マムシの類。亀にはすっぽんを主流に、日本では観賞用に飼育する石亀もいる。どじょうも多い。どうしたことかうなぎは見かけない。中国は何でも食材になる国である。

2005年5月6日(金)天候晴れ

**中国九江の食材**

中国では、徒歩距離内に市場があり、生鮮野菜、穀類、魚介類と品数豊富である。

野菜の種類も多く、日本のそれと比べ物にならない品数。白菜、キャベツ、きゅうり、トマト、ナス、大根、人参、ジャガイモ、里芋、サツマイモ、さやエンドウ、グリーンピース、ソラマメ、コーン類、レンコン、チンゲンサイ、青物野菜、たけのこ類、生姜、にんにく、唐辛子類(唐辛子類にはグリーンピーマン、赤ピーマン、辛い食用唐辛子と多種)、きのこ類(しいたけ、シメジ、きくらげ、その他日本にないきのこ類が豊富)、香辛料類(日本ではないもの多数)。
その他日本で見かけない野菜があり、勇気をもって試食するとこれがまた美味しい。是非、種子を持ち帰り、栽培したい。

**多様な穀類**

米に5種類、白米(長い米、丸い米)赤米、黒米、褐色米、豆類が又豊富で、とうもろこし、大豆、小豆、青豆、粟、キビ、麦、他多数。

日本の食糧難は1945年から50年ぐらいまで。大陸からの帰還者と、農作業従事者の不足で、食料が極端に少なく、70代以上の者なら誰もが経験したこと。

多くの栄養失調者をだした。私も栄養失調のため「カイセン」といって、からだに粟粒ほどの水泡ができ、かゆい。掻くと汁がでて、傷になるという皮膚病を患った経験がある。このとき助けてもらったのがアメリカのララ物資。もう少し長引けば死んでいたかも。    

中国では、文化革命前後、農民の生産意欲がなくなり、食料が極端に欠乏し、栄養失調で多くの餓死者を出したと聞く。今のこの豊富さからそんな時代もあったとは信じられない。自由経済システムが導入されたことにより、農民の生産意欲が高まり、豊富な生産が可能になった。管理、統制、ノルマを課すなどのシステムからは豊かな創造は生まれないということか。

2005年5月5日(木)天候雨

**こどもの日**

日本の出生率は年々さがり、益々少子高齢化が進む。このままだと日本には人がまったくいなくなる計算になるそうだ。今日は「こどもの日」たくましく、平和を大切にし、創造性のある人に成長して欲しい。

中国も一人っ子政策で、子どもがだんだん少なくなって、日本と同じ状況だそうだ。ただこちらは国策としての一人っ子。「人民中国」という日本人向けの雑誌に「鞭より飴」という見出しに目がとまり、読んでビックリ。「一人しか生んではいけない。

もし生んだら罰金。」これが鞭。「ある婦人は進んで否認の手術を受けた。政府はこのような忠実な夫人を表彰し、金一封を贈る」これが飴の中身。日本でも12人以上生んだ人を銃後の守りとして表彰した時代があったことを思い出し、複雑な気持ちになった。また、「一人っ子には六つのポケット(父母とその各両親合わせて六人))がある。」のも気がかり。

花よ蝶よと甘やかされたら、どんな大人になるやら?気がかりなことである。幼児教育に生涯を費やしたものとして、やはり、しっかりした教育理念のもとに、躾をしっかり、魂は大切に、手をかけず目を離さずの教育をしなければと、この仕事、私の目が閉じるまでやむことはないであろう。中国でも子どもは甘やかされて育っている。この人たちが大人になったとき、どんな社会なるんだろう。

2005年4月30日(土)天候晴曇り

**靖国問題**

――戦没者慰霊記念廟などを別にもうけたらどうか――

反日デモの理由の一つに靖国問題がある。

日本の歴代の首相はこぞって私人として、公人として靖国神社に参拝してきた。韓国、中国人にとっては昔、自国に進駐した日本軍の指揮官や戦犯たちが祭られている神社を日本の指導者が参詣することは正直いって面白くないはずだ。私が韓国、中国人だったら、デモに参加しないまでも、意見は?と問われるなら、躊躇せず「面白くない」と答えるであろう。

こんなわけで、私も、首相の靖国参拝は理解できない。二度と戦争を起こさないための参拝だと、どんなに説明してみたところで、一般的理解は難しいのではないか。首相は遺族会あたりに気兼ねしての参拝としか思えない。

一種の選挙戦略ではと、うがった考え方がある。あるいは、大票田の遺族会あたりの『踏み絵』だと考えられなくもない。戦争で亡くなった方の霊に思いをいたし、その遺族に適切な補償をすることは、間違っていない。ただ、戦犯が祭られていることに問題があるのでは。

日本には死人に鞭を当てない。という美学がある。どうして、赤紙一枚で戦地へ狩り出し、不幸にも亡くなった英霊と赤紙を振り出した戦犯と一緒に祭らなければならないのだろうか。英霊の記念碑なら千鳥が淵にある。首相はそこを参拝すればよい。

2005年5月1日(日)天候雨のち曇り

**国連常任理事国問題**――議員に誰が立候補しようと止められない――

選挙で誰が立候補してもそれを止めることはできない。でも、選挙戦のなかでは、相手候補の倫理問題や、過去暦をあげつらい誹謗中傷合戦になることがある。選挙民にとってはフェアーでないと受け止める人。

なるほど、ではその候補には投票しないと決める選挙人などさまざまだ。一票を投じる人の胸三寸である。日本の国連常人理事国入りを反対する国も同様なであろう。

韓国や中国は戦争犯罪国日本は常任理事国になる資格はないと誹謗中傷している気がする。こんな場合、我慢が必要。正しいと思うところを見定め、反対する国があっても、真に国際貢献できる道があるのなら、堂々と立候補し、世界に訴えればよい。信任されたら選ばれるであろう。

日本は世界有数のODA援助国である。理事国になろうがなるまいが、真に助けを必要とする国に物心両面から援助の手を差し伸べることが国際貢献そのものである。

**礼拝**

平和のうちに礼拝を持つ。ヨハネ14章15-21節から、みことばを学ぶ。聖霊というカウンセラー(援助者)を与え、信者を護り,教え、導くと約束。「孤児とはしない」の約束あり。

2005年5月2日(月)天候晴れ

**尖閣・竹島問題**

いかに解決?大陸陸棚に浮かぶ小さな島。日本では「魚釣島」、中国では「釣島」呼んでいる。普段は魚夫が時々船宿りに利用する程度の、無人のこの小さな島が、中国と日本間で領有権を主張している。石油やガス資源が海洋下に埋蔵されていることが、この島の領有権問題の理由である。両国にとって地下資源は大事なエネルギー源であり、関心が高いのは事実である。

そこで、如何解決するか。はっきりしていることは、両国が互いに同島を自分の国だと主張するだけでは、いたずらに感情問題を起こすだけで何の益にもなら無らない。解決には二つあるといわれている。

第一は、領有権問題は棚上げし、エネルギー源開発の共同プロゼクトを組む案。

第二は、国際司法裁判所の調停に持ち込むこと。

絶対やっていけないことは、一方定な裁断。武力衝突である。

両国為政者たちの忍耐と良識ある言動を期待する。

2005年5月3日(火)天候晴れ

**今日は憲法記念日**平和憲法は世界の最先端憲法

1、帝国日本の終焉

昭和20年8月15日。日本は天皇中心の軍国主義が行き詰まり、連合軍に対して無条件降伏をした。

そこに至るまでに、日本が手がけたアジヤ周辺への侵略を考えると、日清戦争、日露戦争、シナ事変、太平洋戦争と大きな戦争を四つも行っている。

戦争に至った原因は、日本国内の不況による就職難解決策であった。戦争することによって兵隊を多数重用する。勝利することによって、日本人を多数海外へ送り込む。

このようにして、樺太半分、朝鮮半島、台湾を日本四大島と同じ赤色で塗った。満州は傀儡政権支配。ジャワ島、ビルマ、インドは西欧列強の支配から独立しようとするグループへの支援ということで、軍隊が進駐し、あわせて、資源の開発搾取をなした。

敗戦によって多数の民間人が捕虜となり、強制連行され、収容所へ送られ悶死した。多くの戦争孤児、残留邦人や残留孤児、この人たちの苦しみは如何ばかりであったろう。山崎豊子の「大地の子」を見るまでもない。戦争は勝者も敗者もない。最大悪である。個人が人をあやめれば罪となるが、戦争で多数を殺せば英雄となる。こんな馬鹿な話はない。

2、民主新憲法の制定。

無条件降伏した日本は、廃墟の中から大きな反省をこめて再出発した。基本的人権の尊重と、言論の自由、非戦の誓いを盛り込んだ憲法を作成した。

現民主憲法の下で、日本は世界大戦後60年間お付き合いした。今、憲法改正についての動きがあるが、いかなることがあっても、上記の基本的精神だけは守らなければならない。

自衛隊は防衛軍に改めるのはやむを得ない。しかし防衛軍は専守防衛。紛争解決のためには、自国のためであろうと、他の友好国のためであろうと、絶対軍隊を武力行使目的で派遣してはならない。

国防、復興建設、平和的建設等である。確かに、日本の国内法に照らし、また国際状況の推移に照らし、現憲法がそぐわない点も多々ある。それらは多少の文言を変えることにとどめる。現憲法の基本的理念は変えてはならない。

2005年5月4日(水)天候曇り

**反日デモ**

1919年5月4日。中国で抗日運動が始まった日が今日。「五四運動」と呼ばれている。中国ではこの日を歴史の中に刻み、憶える日としている。4月にあちこちで起こった反日デモは、エスカレートするとしたら、この日が一番要注意の日であった。

世界のマスコミ関係で反日デモに関する記事が477件あったとネット情報。日本の新聞報道も全国各紙で394件の報道。中国政府の取り締まり通達により、きょう4日は事なきを得た。もし、中国が取締りに積極的にならなかったら、燎原の火さながらこの運動は広がり、突然現政権への不満という方向へ転じただろう。

公安にデモを阻止されたあるデモ参加者の中国青年が、「おまえたち日本の公安か!」といって怒鳴ったことからも、不満は国内へと向かう可能性ありである。そこはさすが中国の指導者たち先を読んだ。でも、不満は力でおさえられているのであって、陰にこもってしまった。

いずれにしろ、騒ぎがひとまず収まった。嵐の後の晴天のように、中台間では、要人たちの友好ムードが繰り広げられ、とても喜んでいる。平和的ムードはどこの国のことでも嬉しい。九江もいたるところツツジ、サルビア、マリーゴールド、ペチュニアの花が心和ませてくれる。

2005年4月29日(金)天候晴れ

**教科書問題**「

多様の中の一つ、反日デモの理由の一つに日本の教科書問題が取り上げられている。扶桑社の教科書が日本の全学校で取り上げられているわけではない。

むしろその逆で、採用は数校と聞いている。日本の教科書制度は、極端な偏向教育を避けるため、採用にあたっては慎重な手順に従って決めていく。

まづ、各方面から組織された選考委員会なるもので複数の教科書を選考推薦し、次に各自治体の教育委員会が、複数ある教科書から、どの教科書を採用するかを決める仕組みになっている。

小生もある時期教育委員を拝命していたので、その事情は明確である。扶桑社のものは、「多数の中の一つ」であることを理解したい。新聞にもいろいろな主義主張をもった新聞があるのと同じである。

日本は、言論出版の自由が憲法で保障されているから、いろんな表現の教科書が作成されることは当たり前のことである。中国や韓国の人たちは昔の国定教科書のイメージをもって、危惧されていると思うが、日本の教科書選考制度を理解していただければ杞憂に過ぎないことが分っていただけると思う。

歴史記述は最大多数によって認知された事実を書くことが大切。伝聞の範囲のものは記述すべきでない。それと、国定教科書は一種の偏向。事実を書かないことはもっとわるい。偏向的なものは最悪。各国、他国の教科書云々よりも、自国の教科書の検証をしてみたら。

2005年4月28日(木)天候晴れ  

**頭のいい学生がいる**

小生の教員免許は幼稚園。国語の専門を学んだわけではない。日本語はもっぱら、新聞雑誌、TV等のメデアからである。ここ九江学院で日本語科学生に作文を指導していると、時々、説明が出来ない問題にぶっつかる。

たとえば 、「机の上にお金を出してください。」「机の上でお金を出さないでください。」この文例の「に」と「で」の文法的区別をうまく説明できない。

文意は分っているが、文法的説明がしにくい。ことばで、いろいろ説明を試みたが、どうもすっきりしない。すると高雅玲という学生が「に」は「存在をあらわす助詞」、「で」は「動作を表わす助詞」ではないですか?ときた。??

「なるほどそうだよね。」今日のところは正式回答お預け。辞書でしらべてくるね。それにしても、自分で考え、日本語で堂々と意見を言える高雅玲のような頭の切れる学生もいる。

2005年4月27日(水)天候晴れ 

**午前中は九江市中心幼稚園でのボランテイア**

毎週水曜日は家内の出番。彼女なりの教育課程を編成し、保育に当たる。園門を入ると園児たちが一斉に「イエイエ、ナイナイ」と喜んで迎えてくれる。此処には反日の雰囲気は微塵もない。

**授業にならない授業時間** 

始業のベルが鳴ったのに、生徒がなかなか集まらない。「どうしたの?」と入室している生徒に聞くと、「英語四級試験の受験手続の写真を撮っているんです。」という。

「へえ?」となりの語教師の韻先生も「学生たちが集まらない」といって小生のところにきた。「写真のために授業を休むなんて!」というと殷先生笑っている。結局「学園の指導者と写真やとの癒着ではないか?これって不正だよね!」と内心面白くない。

「受験手続だったら、受験用紙に所定の記入をし、市中の写真屋で取った規定の写真を貼れば済むことで、授業を休んでまで撮る問題ではないでしょう。」といいたいところであったが、「余計なことか」と、気を静めた。

こんなところに九江式(中国式とはあえて言うまい)学園管理の一端を見たような気がする。殷先生によると、「各人に受験票の作成を任せると、代理事件者が居るのでこんな制度になったみたいですよ。」とケロリ。どうなっているの?

授業終了の時間が来てしまったので、帰宅するとき、写真を撮るために行列を作って並んでいる生徒たちに、「まだ終わらないの?」と聞くと「カメラが故障なんですって。」と。『あきれるー!』90分の20人分の時間が無為に消費されてしまったのだ。夕方8時半に学生交流室にいったが、まだ学生の写真撮りがおわっていなかった。このシステムどうなっているのだろう? 1800分、30時間が非生産的に終わった。もったいない!

2005年4月26日(火)天候晴れ

**鹿児島で学んでいる中国人留学生**  

いま鹿児島国際大学に学んでいる中国留学生「宋東」さんの記事を、日中友好都市鹿児島のホームページ、「nihao.Kagoshimaニーハオ鹿児島」で拝見する。

彼の努力振りに、私自身とても感心した。彼は鹿児島における留学生活の困難さを紹介し、でも「頑張る」と結んでいる。

宮沢賢治の「雨にもまけず」が好きだとも書いていた。また、マザーテレサの詩も記されており、以下の詩を日本語学生の授業にとりいれた。音読してもらい、感想を話し合った。生徒たちはこの授業をとても喜んだ。九江の学生たちに宋東さんの爪の垢を煎じて飲んでもらう積りで急遽採用した授業であったが、喜んでもらえて嬉しかった。彼の「いま頑張らないと、いつ頑張る?」は中国の常用句なのだそうだ。

人生は、ひとつのチャンス。人生から何かつかみなさい。

人生は、ひとつの美。人生を大事にしなさい。

人生は、ひとつの喜び。人生をうんと味わいなさい。

人生は、ひとつの挑戦。人生を受けてたちなさい。

人生は、ひとつの責任。人生を全うしなさい。

人生は、ひとつのゲーム。人生を楽しみなさい。

人生は富。簡単に失わないように。

人生は神秘。そのことを知りなさい。

人生は悲しみ。それを乗り越えなさい。

人生は冒険。大胆に挑みなさい。

人生は幸運。それをほんものにしなさい。

人生はかけがえのないもの。こわしてしまわないように。

人生は人生。人生にたちむかいなさい。

- ザーテレサの詩から -

2005年4月25日(月)天候晴れ

**多い囲碁人口?**

かなり多いのではないだろうか。

どこの碁会所も老若男女の対戦、観戦光景を見かめる。子ども囲碁教室も盛んである。小学校にも囲碁クラブがあって顧問を中心に囲碁を通じて人づくり?をしている。

中国、韓国、台湾、アメリカ、ドイツ、ロシアと囲碁フアンは世界にまたがる。アマチュアの世界では更に拡大の傾向を見せており、アメリカで20万人・ロシアで10万人・ドイツで5万人の競技人口がいると推定される。(囲碁人口数字はネット囲碁歴史から)

**私も囲碁フアン**私も囲碁フアンの一人である。鹿児島でもよく碁会所に通った。碁会所では初対面の方とも手合わせできるし、自己紹介ぐらいでそれ以上の詮索は互いにない。ただ碁を楽しむだけである

。力量によって置き碁が出来、実に楽しい。そして、碁を打ちながら人生の処世術も学ばせていただいた。若いとき、まだ親の臑をかじっているとき、「碁などするものは親の死に目にもあわない。」と文句をいわれたものだが、それでも囲碁から離れられなかった。

私は、今も中国は江西省九江で、大学生に日本語を教えながら、中国の碁会所に通い中国仲間と囲碁を楽しんでいる。言葉は通じないが心が通じる。

**起源**

囲碁の歴史は古く、以下ネットから引用したものでまとめさせてもらう。起源は中国で占星術の一法が変化・洗練されて今の形となったと言われている。

『書経』・『論語』・『孟子』・『史記』に囲碁に関する記述があるそうである。日本には遣唐使に加わった吉備真備らによって伝えられたとされる。

奈良時代には盛んに打たれていた様で、正倉院に碁盤が収められている。戦国時代に入ると、戦のシミュレーションとして大いに好まれ、隆盛を迎える。

織田信長・豊臣秀吉・徳川家康も大いに囲碁を楽しんだらしい。江戸時代には算砂の本因坊家と井上家、安井家、林家の四家が碁の家元と呼ばれるようになり、優秀な棋士を育て、互いに切磋琢磨しあうこととなった。

維新の西郷隆盛も囲碁フアン。西南戦争週末、城山の洞窟でも囲碁をしており、その直後に敗北を認めて部下に介錯を命じ他界した。明治・大正期も囲碁熱は続き、第二次世界戦争が勃発すると日本棋院の建物も空襲で全焼しており、1946年に再建が為された。

中国と韓国では長らく囲碁はあまり重視されていなかった。中韓で囲碁を志すものがいる場合は日本にやってきてプロを目指すのが通例であり、呉清源・林海峰・趙治勲らはその代表である。

中国も積極的に若手棋士の育成に励んでおり、昨日の第一人者が明日には追い落とされると言うような状態を作っている。日本は若手の育成が遅れ、韓国・中国の急速な伸張に対抗しきれずに現在に至る。囲碁人口自体も老年の男性に偏り、若いうち(10歳前後)が大事といわれる棋士の育成が阻害されている。

このように競技人口の高齢化が深刻な問題となっていた日本囲碁界だったが、1998年、漫画「ヒカルの碁」により囲碁ブームとなり、多くの子供たちが囲碁を打つ姿が見られるようになった。三国以外にも囲碁はネット碁を通じて広まりつつあり、日本棋院所属のマイケル・レドモンド(アメリカ出身)など欧米出身のプロ棋士も数人存在する。

**囲碁的処世考**

囲碁的処世術などというものが実際に通用するのかどうか議論のあるところと思うが、私には『通用する』という立場をとる。キーワードは碁の「生き」・「セキ」である。そのほか「ピンチがチャンス」・「利かした石は捨てよ」・「つけには撥ねよ」・「弱いとき付けには引け」・「知恵比べ、意地比べ、我慢比べ」「安全確実な勝ち方はない」「技術は反骨、心は素直」等、碁仲間が使うか囲碁専用の格言がある。

これらのキーワードと格言は私の72年の人生に有効に働いたと思っている。同様に、日本の生き方にも関わることではないかと思う。

**人生処世術としての囲碁**

第一、『やり直しが利く人生』

「碁にはやり直しが利く」という哲学が存在する。負けても、再挑戦して自分を磨くことが出来る、もちろん上手に対しては何回挑戦しても勝てないが、それはそれとして友好的人間関係さえあれば、何度でも挑戦し少しずつ成長するメリットがある。

人生には敗北が付きまとう。でもやり直しが利くのが人生でもある。諦めないで、何度でもやり直す。

歴史の中の多くの哲人・信仰者・科学者等は失敗したときから開眼したケースが多い。

『失敗は成功の父・母』と呼ばれる所以である。

例を挙げよう。宗教者使徒パウロ。彼は毛並みのよいユダヤ指導者階級の青年であり、当時新興の宗教として流行したキリスト教に大反発し、教会と信徒を迫害する実行隊の先鋒を自認していた。

そう思うことで自他共にユダヤ愛国者であることの証とした。シリアのダマスコという町にキリスト者を捕縛するため、連れのものと旅している途上、強い光に打たれ、「とげのある鞭を蹴れば自分の足が痛む」の声に人生が一変した。

自分の考えと行動の誤りに気づいたのである。そのとき、彼はやり直しの方向に舵を切った(新約聖書使徒言行録9章参照)。自ら熱心なキリスト者となり、伝道者となり、地中海沿岸国を股にかけて布教し、多くの文書(彼の文書が今日の新約聖書の大部分を占めている)を書き残した。

今日のキリスト教在るは彼パウロに負うところ大である。パウロがやり直しの人生を歩まなかったならば歴史は別の方向へ進んだだろう。日本も第二次大戦敗戦という大失敗を経験し、この反省のもとにやり直しを決意したのではなかろうか。

その結果、今日の日本の繁栄といわれる時代を創造したのではないか。戦争体験者ならわかっていただけると思う。かっては、パウロにしても、日本の国民にしても、自らの考えと行動が間違っているなどと言う後ろめたさはさらさらなく、正義を押しすすめる愛国忠実な国民との確信を抱いていた。しかし、事実はそうではなかったことは歴史が示してくれた。

第二、『生き・せきの世界』

どんなに形勢が有利に進んでいるかに見えても、最後にひっくり返され、元も子もなくなるという経験は碁を嗜む人はどなたもお持ちだろう。

碁は「国取り物語」だと言う考え方もあるが、私は「生き・せき」の世界を重要視する。

「生き」とは周りを囲われてしまっても独立した目が2個あれば「生き」といって、それ以上攻められても、痛くも痒ゆくもないという絶対安全な状況をいう。

「せき」とは大石模様の盤面で、自石模様が相手に囲まれてしまっていて、1目か目もない状態の場合、相手も大石盤面で、1目か目がない状態の場合の対決の仕方であるが、このとき相手が一目先手で打ち込めば、一瞬にして相手の石を根こそぎ取ってしまう碁譜のことで、生きと同じ効果を持つ。

地の関係では絶対不利でも、「生きか」「せき」であれば生き残れる。資源に乏しい日本、13億も14億も人口を抱えている中国などとは力関係でいえば話にならないけれども、絶対安全な「生き」「せき」の世界を確立しておけば小さくても生き残れる。これが『生き・せきの処世術』である。

第三、囲碁格言による知恵

「ピンチがチャンス」・「利かした石は捨てよ」・「つけには撥ねよ」・「弱いとき付けには引け」「安全確実な勝ち方はない」。ざっと囲碁格言をあげてみた。

その1、**「ピンチがチャンス」**

これは、相当強い仲間の格言だろう。私はピンチにはよほどの回生の構図が読めなければ、あわてず、安全策をとる。特に上手に対してはそうである。しばらく放って他の場面に石を回せば、進行次第でほって置いた石が生き返ることもある。奇跡的回生である。先の「せき」もその一つ。人生処世術に応用可能。

 その2、**「利かした石は捨てよ」**

利かし石。これは捨石でもある。相手が対応せざるを得ない石が利かし石。反撥してきたら厳しく咎めるか、引くかする。状況にとって自石に有利に働く石。これも、全体進行状態の中で重要な部分。犠牲石とも言える。死ぬことによって、他を生かす。まさかイラクの自爆者たち、捨石のつもりかなー?

その3、**「つけには撥ねよ」・「付けには引け」**

同程度又は下手の人には撥ねが通用するが、上手には絶対無理。引くに限る。仕掛けに対して反するか、引くかは状況による。勝てる自信があれば咎める。負けると思えば引く。負ける戦は避ける。意地など張っている場合じゃない。           

その4、**「知恵比べ、意地比べ、我慢比べ」**

囲碁の心理状態を遺憾なく発揮した表現。心を尽くし知恵を尽くし、精神を尽くして蛇のように狡猾に知恵を絞る。意地はたやすく引っ込めない。そして、はやる心を抑え我慢する。人は我慢できなくて破滅を招く。

第二次大戦時の太平洋戦争勃発も米国の経済制裁という嫌がらせに我慢出来ずに始まった戦争であった。負けて、我慢の必要を学んだわけ。一方我慢が出来ずに、力に物を言わせようとする米国。いつかひどい目にあうことを早く悟って欲しい。そうでないと遠からず自滅する恐れあり。「おごれるもの久しからず」か。

その5、**「技術は反骨、心は素直」**

碁を打つときに反骨精神も必要である。碁は力量の違いで何目か置いて始めるやり方がある。置碁である。このとき、少し勝てばいいとおもって地をまとめようとすると、上手はどんどん付け込んでくる。

終わっていると地が足りなかったということになる。消極的になってはいけないのである。反骨精神を持って反発し、文句を言うべきは文句をいうことが大切。でも鳩のように素直であれ。イエス・キリストのことばの中にもある。日中間系みたい。

その6、**「安全確実な勝ち方はない」**

碁は一目争いの先手勝負である。欲張ってはいけない。一目、または半目勝っても勝ちは勝ち。欲は厳禁。相手に投了を宣言させることは気持ちのよいものである。次も投了を狙って虎視眈々。しかし、何回もそんなうまい話があるわけない。それは欲というものである。

第四、日本の生きる道。

昨今、中国や韓国から、首相の靖国参拝問題、歴史教科書問題、国連常任理事国入り問題、魚釣り島問題、竹島問題等表面化しようとしている。碁で言えば懸かってきたことになる。そこで如何受けるか。撥ねるか、引くか。これは自国の力量をよく考えて対処しなければならない。

建前論や理想論は存在しない。

撥ねるか、引くか。日本外交の試金石である。私なら引き、安全な目をつくって小さくとも一国の体をなすことを選択する。

そうすれば、中国だって、民族的には、北に内蒙古族や満州族、西に新疆ウイグル族やチベット族、その他56民族という他民族国家。台湾や香港も基本的には独立志向。四方が敵にまわる可能性の民族に囲まれていることになる。

いつ何時牙をむくかもわからない。宗教的には、仏教、マホメット教、キリスト教、その他土着の諸宗教があって現社会主義体制とは相容れない。また貧困層と富裕層間の富の格差問題(貧困層が圧倒的に多い)を抱えている。

考えてみると大きな他民族国家ほど爆弾をうんと抱え込んでいるので悩みも多い。東西ドイツ統合の成立や、旧ソ連邦が崩壊したように、中国もその二の舞いを踏まない保証はないのである。

また、日本の国内問題を考えるとき、地方分権化が進められようとしている。これは単に自治体への国家支出押さえの感じ。江戸時代に逆戻りしようとしているのである。

明治維新は地方分権を統一した改革ではなかったのかなー。地方分権化が進めば、国内問題として、自治体間の確執が、貧富の差が起こる可能性あり。この場合も、「生き・せき」の考え方で、独立独歩、県民が生きてゆける道を囲碁的処世術で確立したい。

以上、囲碁的処世術で国の安全を考慮する価値は大。そして、余裕があれば、少しずつ地を広げればよい。大国ほど背負いきれないお荷物を背負わなければならない。以上囲碁談義でした。愉快、愉快。

2005年4月24日(日)天候晴れ

**礼拝と会食**

今日の朗読箇所はヨハネ14:1~15、(参照として、使徒言行録17:1~15、第一ペテロ2:4~10)呉越学生が教会に一緒に出席。最近この学生はよく出席する。聖霊様が彼女の心を捉えてくださるよう祈る。

今日の聖句は「キリストを見た者は神を見る」ということ。神は霊であるから、肉眼や五感で神を認識することは出来ない。キリストの生き様を見、生活をともにするとき、神の性質、愛、正義を体験するようになる。その結果、神の実在を信じることとなる。  

礼拝後、教会の庶務管理を担当している執事宅へ招かれ昼食を馳走になった。ベッキー嬢や牧師も同席の会食。いま中国都市部で起こっている反日感情など微塵も感じられない楽しい雰囲気であった。食後、この執事の提案でいま建設中の教会堂を見せてもらった。

2000人収容の会堂。会堂のほかに、食堂、教室、執務室、牧師館を併設している。今年のクリスマスは新会堂で礼拝するのが皆の願いだそうだ。建築現場には「九江市文化施設建設現場」という看板が掲げてあり、「教会堂建設」とは書かれていなかった。まだまだ教会は認知されていないのだなあと思うことであった。

現場は私が住んでいる九江学院の近くで、散歩距離内である。時々、進捗状況を見に行くことにしたい。

2005年4月23日(土)天候晴れ

**同僚の菅谷先生来訪**

年は小生より随分若い。50歳前後。茨城県出身の東京育ちとのこと。九江学院大学で日本語の教師。九江で教えて2年になるから、小生よりも先輩格。奥さんは九江人。幼稚園に通う男の子が二人いる。菅谷師は鉄パイプの足場台のリース業を営んでいる。ここ九江は今建築ラッシュだから引き合いが多く事業成功だそうである。

師の訪問の目的は、今話題になっている中国の反日デモに関することで、インターテットをやっていないので皆目わからないから情報を教えてということであった。

地元の九江新聞や潯陽新報などにも、反日デモがあちこちで起きている趣旨の記事が出ていること。今度の反日デモのきっかけはインターネットを使って呼びかけたこと対し、若者を中心に呼応した者たちの、広がりみたいで、ネット時代の怖さでもあること。日本に対して不満を持っている人がホントニ多いとしたらアット言う間に大きなうねりになることもあり得ること。

問題の火種は魚釣島の領有権(中日間のガス田)問題、首相の靖国参拝問題、歴史教科書問題と国連への常任理事国入りへの阻止など。

本質は、日本憎しというより、中国の現政権に対する不満、貧富差に対する不平等、就職難・低賃金など、内政問題へのすり替えである可能性もあること。背後で何者かあやつっている可能性があること。5月は、中国ではメーデー休暇が1週間続くので、このときが最も要注意なこと。この期間、なにごとも起きなければ大丈夫でしょう。

一方、湖政権が国民の内政不満を憂慮して、目を国外に向けさせるために、意図的に近隣の外交問題をあおるという構図かもわかりません。この手法、昔からよく使われる政治手法。今回中国政府がデモ取り締まりをあまり積極的にしないばかりか、「君たちのいうことはよくわかる」など容認発言などしていることも目を外に向けさせるために、あえて取締りを厳しく規制しなかったとの見方もある。

4月22日に小泉首相と湖錦濤国家主席が首脳会談に及ぶ計画があること。現在では、インターネットの呼びかけのデモは非合法で取り締まるということになっている。等々話した。

話は九江の生活になり、とても楽しいこと、日本人の高齢者が期間滞在できる道を整備したい。一方、日本の労働人口の減少対策として、中国の若者を日本に送り込む。そのためにも中国人向けの日本語教育が大事だということで話が弾み、且つ意見が一致した。

2005年4月22日(金)天候雨

**学生たち故郷へ**

中国では5月1日を挟んでメーデー休暇一週間。10月1日をはさんで建国記念日休暇1週間。この期間は、学生たちは少し早めに帰省し、また早めにキャンパスに帰ってくる。交通機関の混雑を避けるための知恵である。知恵はいいけど、授業も休んで行くというのはどうしたものか。

小生の日語クラスも、欠席者が多くて授業にならなかった。結局復習的な内容とし、早めに授業を打ち切った。「きょうは、欠席が多いから、これで終わり。」と言うと、「わーい」と歓声。こん

なところはまだ子どもである。夜は日本語学生を迎えての映画鑑賞。映像を通して日本の文化と言語に触れる機会とする。

**国会議員の靖国参詣**22日、日中・日韓が歴史問題・領有権問題等でギクシャクしているこんな時期に、「みんなで靖国神社を参詣する国会議員の会」が大挙して靖国神社を参拝した。

とても当て付けがましくて、残念である。バンドン会議で小泉首相、演説で、50年前にアジア・アフリカ会議が開かれて以降の日本の歩みについて「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻みつつ、わが国は第二次世界大戦後、一貫して、経済大国になっても軍事大国にはならず、いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を堅持している」と平和主義の姿勢を強調しているというのに。

2005年4月21日(木)天候晴れ

**赤飯について**

学生たちが、日本のお祝い事に出される「赤飯」を知らないというので、「百聞は一見にしかず。」家内の協力をえて、試食用に赤飯を作ってもらった。小豆ともち米は市場から調達。蒸し器がないので、電気釜を利用して数次にわけて蒸し、まあまあの出来ばえであった。

学生の高雅玲さん、呉越さんが手伝いにきてくれたので、ラップで包む仕事をお願いし60名分作った。夜、本部の日本語学生との交流会で試食してもらった。美味しかったかどうか、反応がいまひとつつかめなかったが、ある生徒は「赤飯って甘いものかと思ったら、そうでないんですね。」ともいっていた。

「うん、甘いものでは、おはぎとか桜餅があるよ。」と言ってはみたものの、それを作る術を知らないので、「実物教育」が出来ないのが残念。少し余った分は学生たち、喜んで持ち帰る。

2005年4月20日(水)天候晴れ

**日本語教室**

いつも通っている教会で、要望により、成人向け日本語教室を毎週水曜日の午後8時から9時半まで行っている。固定受講者が約10人いる。大学と違って、一般成人の受講生である。

講義内容は、1、簡単な日常挨拶。2、自己紹介と対面した人の会話。3、買い物の会話。4、自宅へ来客があったときの会話。など反復しながら、練習中心に進める。

**賭博で拘留**教会で泣き声が聞こえた。何事ならんと尋ねると、ある老婦人が「娘が賭博をして警察に拘留された」といって「アイゴーアイゴー」といっている。ベッキー嬢が盛んに慰めているところだった。信徒が回りに集まり、婦人のために祈った。

中国人は往来でも堂々と金を賭けて、マージャンやカードをしている場面を見かけたが、やはり放任ではなかったのだ。取り締まっていたのである。度が過ぎると見せしめのために検挙・拘留に及ぶのだろう。たまたま、この婦人の娘がターゲットになったわけ。

2005年4月19日(火)天候晴れ

**新法王誕生**

2005年4月19日、ヨハネ・パウロ2世死去をうけ、コンクラーベは、第265代新教皇(ベネデイクト16世)を選出した。イタリア人以外の教皇としては1000年ぶりに、ドイツ人枢機卿ラツツイガー師(78歳)が新教皇となる。新教皇は、前教皇の側近中の側近といわれ、カトリック教会は次なる歴史へ頁をめくる。

ヨハネ・パウロ2世は精力的に「平和」問題に努力し、世界を股に平和外交を行い、多くの成果をあげた。イラク戦争には強く反対したが、力及ばなかった。外に向かっては共産圏の民主化実現で、母国ポーランドの民主化達成。これをきっかけに、共産諸国が次々と同じ道を歩みだした。

他宗教との対話も行われ、ユダヤ教、マホメット教の指導者たちと対話した。

この成果としては、特に目立つところまでは進まなかったものの、互いに敵視する姿勢から、共存の可能性を信じるようになった。内部に向かっては、ガリレオやマルチン・ルーテルの破門を解消した。

内にたいしてはどちらかといえば保守的であり、避妊、堕胎、女性司祭、同性愛などについては否定的である。早くも、東方教会やユダヤ教の指導者たちは友好対話を期待する談話を発表している。

中国は台湾のカトリックとの断絶を希望するとの締め付け談話を発表。中国カトリック教会は愛国教会の組織のもとでローマカトリックから独立し、表向き教皇の配下ではないことになっている。新教皇の指導力に期待したい。

2005年4月18日(月)天候晴れ

**リソースルームでの会話:反日デモについて**

受け持ちの学生呉越さんが心配そうに、「先生、反日集会が九江でもあったことを知っていますか。」と聞いてきた。

「知らないよ。」というと、「どうして、こんな風になったんでしょうね。この運動がもっと広がると、私たち日本語を学ぶ学生にも就職などで影響が出るかも。そうなると、私たちの今までの努力が無駄になります。」といった。

「22日には小泉首相と胡錦濤国家主席の会談が行われるから、その様子を見守ろうよ。」といって、心配を和らげたつもりだが、本人は果たして納得しただろうか。今回の反日デモは日本と関係する者にとっても大なり小なり影響を与えている。学園外事部からも、しばらく外出を控えるようにとの連絡がはいった。

2005年4月17日(日)天候晴れ

   **教会礼拝**
ヨハネ福音書8章から、姦淫の罪に問われ、リンチを受けようとしていた婦人とイエス様との記録。群衆はまさに女をモーセの律法によって殺そうとしていた。イエス言い給う。

「汝ら、罪なきもの、この女に石を投げ打て。」すると、雰囲気は一変し、老人から始めて、群衆は退散した。主、今度は女に言い給う。「貴方を罰する人はいなかったのか。」女言う。「はい、誰も。」、「私も貴方を罰しない。これからは、罪を犯さないように。」神は赦しの神である。だから、人生やり直しが効く。

**外国人教師の礼拝**

九江学院で教鞭をとっている外国人教師の夕べの礼拝を持った。階下のベキー嬢の部屋に8人集まった。米国人、英国人、オーストラリア人、日本人である。まずはベッキー手作りの食事を頂いた。麺にアメリカ風のスープをかけて食するもので、一見イタリアのスパゲテ―風である。

ベッキー嬢は「ヌードル」といった。そのほかコーンのバター煮、りんごの砂糖煮であった。質素な中にも心がこもって美味しかった。聖書からのメッセージは英国のジョー嬢が担当。ミカ書5章6-8節。

「謙遜」とはが彼女の言いたかったメッセージ。人は見せかけの謙遜謙譲はできても、本心は自己中心。謙遜になるためには、生まれながらの自分ではダメであって、キリストの謙遜に見習わなければ真に謙遜にはなれない。教会礼拝だけが礼拝ではない。日本の職場や家庭で、聖書や経典をひらき、礼拝を持てる日が来るだろうか。

  **週末にかけて反日デモ序々に拡大の様相**

週末の反日デモがだんだんと広がりつつある。情報や呼びかけがネットで広がるので、行動もはやい。大使館や総領事館、領事館への抗議デモが今度は上海や杭州にひろがった。

見物していた日本人で怪我をした人も。だんだん規模がエスカレートすることもありうる。5月メーデーをはさんで何か起こるかもわからない。 

2005年4月16日(土)天候曇り

  **幼児棋士**

久しぶりに碁会所に囲碁打ちに行く。対戦相手は、大人、少女、幼児であった。大人に勝ち、少女に負け。幼児に一勝三敗の成績。イヤー驚きました。

少女は中学1年生ぐらい。幼児は5歳ぐらい。中国は国策として棋士を育てていると聞いたが、「なるほど」とうなずける。

日本も囲碁は盛んだが、国際試合になると、日本のプロ棋士は中国・韓国の棋士になかなか勝てないという記事を読んだことがあるが、こんな幼児のときから、あの変化にとんだ石の動きを実にうまく読みでゆく。舌をまくしかなかった。

2005年4月15日(金)天候晴れ

 **石材工場**

世界自然遺産の指定を受けている廬山のふもとには、たくさんの石材工場がある。

この周辺は良質の石材が産出し、昔からの石工がいる。今は、どの工場にも、電動式のカッターがあって、まるで豆腐でも切るように、思い思いにカットしている。建材用の石板、墓の銘版用、彫刻用とさまざまである。

建材用のものは、コンクリート建物の外壁、床用の敷石、歩道の敷石等で厚さ様々、方形寸法様々である。墓の銘版は日本の場合とよく似ている。

矩形の石版に家紋を彫ったり、鳳凰を掘ったり手の込んだ作業をしている。故人の逝去日や建立者の銘を刻んだりして、墓とする。

建立者名は「孝子云々」と書いている。墓を建てることが親孝行の証となるようだ。彫刻用は、大小の石から唐獅子や等身大の人、歴史上の偉人など製作している。

九江の街では、ちょっと目立つ建物の正面には必ずといってよいほど唐獅子を飾っている。

銀行、ホテル、大食堂、寺院、役所の玄関に大小の唐獅子がいかめしい表情で据えられている。建物の守り神、悪魔除けのためである。また、孔子だの、李白だの、孫中山(孫文のこと)などの肖像がある。石の彫刻はすべて人手によって刻まれる。石鑿とグラインダーが道具。何人もの石工が露天で作業をしているのを見かける。

2005年4月14日(木)天候晴れ

 **交流会**

メインキャンパスにおいて、日本語専科生の交流会を持つ。学生たちの日本語力を試すための機会でもある。

この場合、中国人学生同士であっても、母国語はご法度とし、必ず日本語で話すというルールを設けている。

だから、どの学生も日本語で話す。1年生は、2年生の達者な日本語に、驚きとある種のあせりを感じるらしく、盛んにうらやましいという。『大丈夫、来年の今頃、貴方たちもこれ以上に聞き取りも会話も上達するから、希望おもって、こつこつ励みましょう。』といって励ます。2年生は、「そうそう、習うより慣れよだ。」と先輩顔をしている。

2005年4月13日(水)天候晴れ

**幼稚園**

好天に恵まれ、園児たちも園庭での体操の時は上着を脱いでいた。

例によって、指を使った歌遊びを指導。動く鳥の折り紙や、小生開発のロケット遊びをし、園庭でもこの遊びが人気であった。

この幼稚園の早期教育理念(算数の足し算引き算のドリル等)には疑問を持っていたが、嬉々として遊ぶ今日の子どもたちの姿に初めて子供らしい姿を見ることができた。

「絵画製作」の目標なるものが教室に掲示してあったが、「色々な素材を使い、自然に親しみながら、描いたり、作ったりして楽しむ。」とあった。この保育計画をみて正直ホットした。楽しむ学習がなされていたからである。

作品も子供らしい表現のものでとても好感が持てた。かって、日本でも早期教育を実験したことがあった。ただテクニックをひたすら教え込み、方法論に終始する教育の限界を感じたものである。

これでは、子供が成人したとき、自由な発想や思考、失敗、試行などから、新しいものが生まれることはない。真似は出来ても創造することがないという反省点にたって、以後遊びを取り入れた教育方針にかわった。

遊びこそ学習である。遊びの積み重ねが人を大成させる。日本は元禄の頃から、寺子屋で子どもたちがお師匠様から簡単な読み書きを教わり、後は遊びを取り入れた。指導者はお寺の和尚さんであったり、先輩弟子であった。

蘭学者であったり、福沢諭吉のような高レベルの自由民権の思想家であったり、西郷隆盛、大久保利通らのような勤皇の士だったりする。この時代はひたすら人づくりを主とした熱情教育者たちの活躍時代であった。

教育内容は論語、漢詩、ソロバンを習った。お師匠様は先輩たちに、指導を代行させ、社会規範やルールも体験的に身につける仕組みがあった。先輩は同時によき遊びの指導者でもあった。

彼らは伝統的な遊びを継承しつつ、絶えることなく継続していった。遊ぶことも学習の大きな役割を果たしたのである。「鹿児島の郷中教育」はとても優れた教育原理をもっていると思う。

遊びつつ育った人材が、明治維新を成し遂げた。不幸にも、図に乗りすぎて、朝鮮半島や中国大陸、東南アジア等に無謀な侵略を行ったことは大きな間違いだった。結果は敗戦。だが、幸いにも日本にはまだよき先輩たちが残っており、かっての人材を活かし、再興への道を歩き出した。

国造りの夢を捨てず、技術者を養成し、経済国日本の力量を発揮し、世界の奇跡とまで言われるほどの経済大国になった。これは、経済立国というより、教育立国のなせる業である。

夜は教会で、成人希望者向けの日本語教室を持つ。まじめな研修参加者が居ることは励みであり、いつもながら、日本語学生の通訳の奉仕を感謝する。

2005年4月12日(火)天候

 **補習**

日本語専科の学生の中には志望選択を間違ったのではないかと思うほど日本語が上達しない生徒が幾人かいる。

この人たちをこのままにして、授業を進めては益々取り残されてはかわいそうだと考えた。そこで、夜間、自宅に呼んで、学習の仕方を指導するようにした。要領を?みきれないまま授業に参加しているので、なかなか興味も沸かない。

興味が遠のけば益々意欲も遠のく。悪循環である。かたや、どんどん成長していく学生も居るので、出来ない子は劣等感さえ抱くようになる。主に学習要領の手順を懇切に説明し、単語の覚え方、授業がわかるためには、「予習の効用」について教えた。

「予習をしておけば、分らないところはあらかじめマークをつけ、授業のとき納得できるまで質問をしたり、学習することが出来るからね。」是非実行して欲しいと思う。家内が手作りのぜんざいを振舞ってくれた。楽しい雰囲気で学生が緊張したり、卑下したりすることのないよう細心の注意も怠たらないことにしている。

2005年4月11日(月)天候

  **学生の討論会**

日本語の表現力をつけるために、クラスではよく学生を二派に分けて討論会をやる。この討論会は、CCTV(中華民国テレビ放送)番組の実況中継であると仮定し、「あなたは今度生まれてくるとしたら、男に生まれる方が好いか、女に生まれるほうがいいか」というテーマ。

実は同じテーマの日本語テキストを学習したばかりであった。司会者:池田公榮、討論者、「男性に生まれたほうがよい」という組と、「女性に生まれたほうがよい」という組とにわけて論陣をはるという討論会で、各組から意見や主張、批判をだしあうという設定である。

最初に、司会者から、『皆さんこんにちは。今日は、CCTV主催により「再び生まれるときは男がいいか、女がいいかという問題でみなさんに忌憚のない討論をしていただきます。出来るだけ、全員発言してください。」ということで始まる。

各組から意見がどんどん出てきた。討論の中に笑いあり、実況そのものの真剣さありで中々盛り上がった。話し合いは、続ければ延々と続くのであろうが、時間内での討論会であった。

**男性賛成派の主張**男性は実業界でよく成功している。男性は体力がある。研究熱心である、国防の要である。女性に生まれたくない理由として、女性は事業に成功する割合が少ない。女性は感情的である。女性は責任感がないなど。

**女性賛成派の主張**女性も男性に負けないぐらい実業界でよく成功している。女性には体力はないが、子供が生める。愛情細かである。男性に生まれたくない理由として、男性は横暴である。男性は移り気(浮気する)である。男性は料理が出来ないな。

そのほか反論も沢山で、あっという間の2時間が過ぎた。後で、生徒たちは「先生、こんな討論会これからもうんとしよう。日本語の表現の練習になるよ。」と人気授業内容のひとつとなりそうだ。

2005年4月10日(日)天候

 昨日までの暑苦しさは嘘のようで、今日は少し肌寒かった。教会にもコートを着用して出席。今日のテキストはヨハネ20章24-29節。此処にはトマスというイエスの12弟子の一人が登場する。彼はイエスの十字架と葬りは信じていたが、他の弟子たちが復活を信じて興奮しているようにはなれなかった。

「私は、イエスの手の傷跡、脇の傷跡を見ない限り、イエスが復活したなどとは信じられない。その人はきっと、イエスに似た誰か勘違いして、『彼は復活した』と言っているのではないか」と言った。

トマスの発言は、イエスの復活を信じることの難しさを感じるわれわれ現代人の多くの感覚でもある。復活信仰はキリスト教の特異性。結局、「主が復活なさった」と信じることしかない。イエスは「見たことのない復活を」事実のこととして私たちに示してくださるのである。

イエスはトマスに現れ、手の傷跡と、脇の傷跡を示し「トマスよ、私の手を見なさい、私の脇の傷跡を見なさい」と言ってトマスに手を差し伸べ、脇の傷跡を示された。

そのとき、復活の主を目のあたりにした彼は、『主よ、十分です。不信仰な私をお許しください。』といった。これは、現代のキリスト者の告白でもある。復活信仰こそがキリスト教の独自性であり、他の宗教にない教義。人類共通の課題である「死」の解決を復活という新たな命によって、人類共通の恐怖に打ち勝つ。

「死は勝利に飲みこまれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。お前のとげはどこにあるのか。」死のとげは罪であり、罪の力は律法です。私たちの主、イエス・キリストによって私たちに勝利を賜る神に、感謝しよう。私たちの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされることのないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。

主に結ばれているならば、自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなた方は知っているはずです。(第一コリント人への手紙15章55節-58節新共同訳聖書)」 復活信仰は囲碁の大場争いで、半目勝ちの図版であり、一歩ゆずって、互いに生き生きの「せき」に持ち込める。「せき」に持ち込む人生もまた尊い。

2005年4月9日(土)天候

**反日デモ**

北京や、広州、上海などで反日デモがあり、日本の親戚友人から大丈夫かとの問い合わせしきり。九江では今のところ、前述のような動きはない。

日本の歴史教科書問題、靖国参拝、魚釣島問題などで、中国とギクシャクしていることに因を発しているわけだが、どちらか一方に不満があると、過去のことや(南京事件)、領土問題などを引き合いにとやかく言うことは、個人の利害関係によるいがみ合いと似ている。

今若者がインターネットを使って反日をあおっているようだが、悪くすると急速な広がりを見せるかもしれない。何とか、外交手段でよく話し合って解決の道を探ってほしい。本件は小生にとって、不安でないと言えば嘘になるが、今年7月までの契約期間だけはどんなことがあって九江を離れないつもりである。

2005年4月8日(金)天候晴れ、

昨日ぐらいから、6月を思わせる気温で、教室では上着を脱いでシャツ一枚になるほど。おかげで、桜もすっかり葉桜になってしまった。泡桐だけは、しっかりと咲き誇り、香りに癒されている。

2005年4月7日(木)天候晴れ

**本部の学生と交流**先週から始まった本部学生との交流が、小生が勤めている師専校区で開けれ、約30人の学生が集まった。

二年生以上の学生はかなり日本語の力をつけているが、1年生は、未だ話せない、会話が理解できないと言う生徒が多い。習い始めてまだ半年とちょっとだから、無理もない。「すぐ2年生のように上手になるから希望を持ってね」と励ます。1年先輩の2年生はやはり進歩のあとがすばらしい。

彼らは先輩顔で、1年生に話しかけていた。とてもすばらしい先輩たち。ある学生は、小生の孫とメル友になりたいから、アドレスを教えて欲しいということで、早速、大阪で経営法律を学んでいる孫に連絡を取ったら、OKをもらえた。

2005年4月6日(水)天候小雨

九江市中心幼稚園でボランチイア。4歳児クラスで日本語の挨拶の歌を教える。園児たちは動作を入れて教えると、とても喜ぶ。中国の幼稚園は日本の2年生程度ぐらいの内容のドリル中心の勉強なので、変化のある、からだを動かす活動が好きである。

夜は、教会で成人向けの日本語講座。学生の呉越さんが通訳を勤めてくれた。成人はタ・チ・ツ・テ・トの発音がなかなか出来ない。特にチがひどい。でも日本語を学びたいという努力には敬服。

2005年4月5日(火)天候晴れ

**九江の花木**

今、日本は桜が満開で、あちこちで花見の宴たけなわとの便りを各地の知人友人から受ける。此処九江でも例えば九江学園のキャンパス内に桜の木があって日本のどこかではないかと、ふと錯覚を覚えることがある。

でも、此処は確かに中国江西省、九江。此処には日本で見かけない花がある。泡桐という花で、学名はPaulonia玄参科Scrophulariaceaeに属し、花は花美供庭園現賞(つまり観賞用の意)、木は木材是家庭的良材(家具財の意)という説明がつけてある。

花は百合の花に似ており芳香を放ち、癒される香りでとても心地よい。木は家具材になるほどであるから、年々大きくなる。キャンパス内の木でも大きいのは直径50cmほど。桐という名がついているので日本の桐に似ているのかもしれない。桐ダンスと言えば日本では高級品である。次は楠、日本にもクスは多いが、中国は特に多い。クスからは防虫剤とか薬品が抽出されるし、建材としても使え、乾燥にも、公害にも強い。

このクス、いま新緑の盛りで、薄みどりがとてもきれい。古い葉は落ちるので、風の日はぱらぱらと舞い落ちる光景がとても綺麗である。学園の掃除のおじさんは、「ほんなこち、散らかるもんじゃ。」と多分言いながらよくはき集めているのを見かける。

次が、杏、スモモ、桃の類の花がいたるところに咲いている。これらの木も日本でもおなじみだが、花は白色で綺麗だし、実は貴重な果物である。干し杏は店先にも沢山並んでいる。また、食パンなどのにも杏の実が混ぜ込まれている。

2005年4月4日(月)天候晴れ

九江の墓参り:中国では5月5日を清明節として覚え、先祖の供養をする慣わしがある。

5月を思わせる暖かい日。郊外に出向き、九江人の墓参りの様子を見る。九江では、郊外の丘陵地帯至る所に墓がある。前方後円墳を小さくしたような墓が大小さまざまに、色んな向きで並んでいる。

大体において自宅のある方角に向いている。貧者の墓は50センチ四方位の石版に、逝去した日と、建立者の銘が刻まれている。富者の墓は規模が大きく、石版も1,5メートル四方位あり、それを屋根つきの母屋で囲んでいる

。逝去日と建立者銘は同じ。各人は家族単位で造花と紙幣を模した黄色の紙を持参し、花で墓を飾り、紙は死後金に困らないようにと墓前で燃やす。死者が金を必要とする考えは道教からきていると言われる。地獄の沙汰も金次第ということらしい。あちこちに十字架を刻んだ石版があるのはキリスト教の墓。基本的には十字架があることを除けば、墓の形や供え物まで一緒である。

そこで、句二首。

中国人 平安いのり 清明節  清明節 野にも山にも 人造花

2005年4月3日(日)天気晴れ

教皇ヨハネ・パウロ2世逝く。教皇の みまかせりとぞ 鳩の舞う  

ヨハネ・パウロ2世はわたしの大好きな、そして尊敬する教皇であった。歴代教皇がイタリアから選ばれるなかで、455年ぶりのイアタリア以外のポーランド出身の教皇。

しかも、共産圏からの選出で、民主化に大きな貢献をなし、また100回以上に及ぶ外国訪問を行い平和外交をその特色とした。エルサレム訪問などでは、ユダヤ教指導者との対話を積極的にし、平和の問題を進めた。彼の歴代4番目の永い教皇就任期間、84歳の旅を主が祝されますように。コンクラーベはどのような新教皇を選出するのだろう。

2005年4月2日(土)天候晴れ

星子温泉:学生に「天然温泉がありますよ。」といわれ、妻を伴い、行くことにした。

幸い、温泉がある町の出身者がいて、土日は里帰りするから「案内します。」と受け持ちの学生、於玲玲学生が申し出てくれた。

この温泉は、星子という九江市のひとつの街にある。バスで1時間ぐらいのところで、背後に、かの廬山を控え、面前は中国で一番大きな淡水湖「?陽湖」が広がっている。高い大きな山の裾では造山作用による摩擦熱で温泉がでると、昔、地質の専門家に聞いたことがあるが、ここはまさにそんな自然条件のもとで沸き出ている自然温泉。

於玲玲学生に案内されたところは「廬山天沐温泉渡仮村」という総合レジャー施設であった。此処でまず入村料を払う。一人118元(1700円)。中国の貨幣価値からすると少し高い感じがする。

客層は見るからに富豪そうな家族や団体だった。まずは、案内人に男女別にロッカールームに案内される。脱衣して、スッポンポンになったら、案内人の若者がびっくりして何か中国語で「ペラペラペラ」という。「?チンプトン:听不?(判らない)。英語はわかるか」というと、「エイス」ときた。そこで、「日本では素裸で温泉にはいるんだ。」と説明すると。

「此処では違う。パンツが必要だ。買ってくれ」。「いくらだ」。「15元」。郷に入れば郷に従えで、金を渡してパンツを受け取る。パンツをはいてシャワールームへ案内される。「ここで、からだを清潔に。」丁寧なことばではあるが一種の指示を受ける。

シャワーで全身を洗ったところで、案内人が大きなバスタオルを巻いてくれる。そして、手を引いていよいよ入浴と思いきや、広間にでると何と女性客も水着を着て、その上にタオルを巻いているではないか。なるほど、素裸ではだだった訳がわかった。と言うわけで、湯槽に案内される。

「すべらないように」と介添え。ちとサービスオーバーな感じがした。「私はまだ要介護しゃではないぞ」と言いたい。「今日のところはお任せで行くか。」と、手を惹かれ湯槽へ。湯槽には種々の薬効温泉槽が10種類ぐらいあり、好きな湯槽につかれる仕組み。試しにいろいろな湯につかってみた。

なかなかいける。その他、子供が喜ぶ滑り台や、プール、散策園など色々なレジャー施設があって、結構楽しめる。宮崎のシーガイヤのようなシステムになっていたのである。これじゃ118元要るはずと始めて納得。昼食をレストランでとる。スープやおかゆ、野菜の肉炒めなど注文する。精算するとき、於学生「私が払う」と言ってきかない。

「学生の分際で。」とは思ったが、一生懸命われわれを接待したいとの思いでやってくれたこと。好意を無にするのが悪くて、支払いを任せた。かくて、温泉をあとに、於学生の自宅へ案内され、母親を紹介された。新築して間もない、こぎれいな住宅だった。「夕食を」と案内されたが、夕方用事がありますからと丁寧に断って帰途についた。

2005年4月1日(金)天候曇り

清明節:中国では4月5日が清明節といって、先祖の墓参りをする日。人々は、生花ではなくて造花を墓に手向け、死後世界でお金に不自由しないようにと、紙幣に見立てた黄金色の紙を燃やす習慣がある。このようなわけで、今花屋だけでなく、市場でも往来でもいたるところで造花を売っている。だから街が華やいでみえる。

2005年3月31日(木)天候雨

桜花開花 九江学院キャンパスにもサクラが3本植えてあることがわかった。この桜は学生たちが憩うためのキャンパス公園にある。その桜、今ひときわ目をひく。

中国で桜の名所は湖北省武漢と聞く。いつか行ってみたい。昨年景徳鎮へ行ったとき、公園に桜の森があったことを思い出す。いまごろ綺麗に咲いていることだろう。

それにしても、桜はやはり日本だ。わが鹿児島市にも桜並木がたくさんある。甲突川べり、紫原通りなど。鹿児島のみんなは花見で浮かれているのかな。新入社員や新入学生にとって、ひと時の憩いとなってほしい。

2005年5月27日(金)天候晴れ

**九江学院日本語学1年生の手紙(原文)**

お知り合いできて光栄です。これは今学期から一番収穫です。しかも、よかった機会です。奥様は多伝多才し、うたもすごくうまいし、これらは何事もすばらしいです。ご主人は知識も広いし、やさし親しくやさしいですね。

招きに感謝の意を表明します。近頃ご面倒をかけました。しかも、お言葉に甘えます。これはつまらない物でございます。この人形は私が家で簡単な材料で作るのです。学校へ来る前に、私はちから「一番好きな人におくります」先生は日本に帰るに、九江の生活は思い出します。しかも、ひとりという鐘燕華をわすれない。

希望、私どもの友情が永遠でありますように。心から感謝します。ご家庭の皆さんによろしくお伝えください。だからご家庭はとても立派ですね。私は羨ましいですね。ほんとにこれはよく言うようがないですね。

それで、帰路のご無事をお祈りします。いよいよお別れです。ご夫婦のご心配に感謝します。しかも、先生は何回お招き有難うございます。私は失礼がもた点、お了解ください。此処で終わり、まだ中国にいらっしゃいました。  学生 鐘燕華

この学生は昨年9月九江学院大学日本語学科に入学した学生。現在1年生。日本語を学び始めて8ケ月でこのような文章の手紙をくれた。気持ちは十分伝わったが文としては多くの訂正を必要とする。本人の今後のこともあるので、ここは厳しく添削し、以下のような文章がよいのではと、文例として、本人に返した。

原文を本人お表現のまま最小限日本語らしく添削したものが以下の文。

お知り合いになれて光栄です。このことは、私にとって、今学期の一番おおきな収穫です。しかも、とてもよい機会でした。奥様は多事多才ですし、歌もすごくうまいし、何事もすばらしいです。ご主人は知識も広いし、やさしくて親しみやすいです。

招きに感謝の意を表明します。大変ご面倒をかけました。お言葉に甘えてしまいました。これはつまらない物でございます。この人形は私が家からもってきた簡単な材料で作りました。学校へ来る前につくったものです。これを「一番好きな人」におくります。

先生は日本に帰っても、九江の生活を思い出します。そしてこの鐘燕華をわすれない(でください)。

希望、私どもの友情が永遠でありますように。心から感謝します。ご家庭の皆さんによろしくお伝えください。先生のご家庭はとても立派ですね。私は羨ましいですね。ほんとにことばに尽くせないことほどです。

それで、帰路のご無事をお祈りします。いよいよお別れです。ご夫婦のご配慮に感謝します。しかも、先生には何回もお招きいただき有難うございました。私の失礼の点、お許しください。では、これで終わります。 先生また中国にいらっしゃってください。  学生 鐘燕華

先の文を、もっと日本人向きに改め、本人に返したものが以下の文。

池田久子 先生

お知り合いになれて光栄です。このことは、九江学院在学中の私にとりまして最も大きな収穫のひとつです。

奥様は多事多才、歌も上手だし、すばらしい方です。ご主人も博識があり、温和で優しい方です。お二人には、心から感謝の気持ちを表わします。

これはつまらないものですが、先生が日本へ帰えられてから、九江のことや、私(鐘燕華)を思い出していただくために、家にあった材料で作った人形です。どうぞ受け取りください。これからも、私どもの友情がいつまでも続きますように希望します。

日本のご家族の写真を拝見しましたが、みなすばらしい方で羨ましい限りです。どうぞご家族の皆さんにもよろしくお伝えください。

日本への帰国の旅が無事でありますようにお祈りします。

終わりに、ご夫婦の私に対するご配慮に心から感謝いたします。何回もお招き、おもてなしくださいましたことに感謝いたします。有難うございました。

私の失礼な点、くれぐれもお許しくださいませ。

また、先生中国にいらしてください。お待ちしております。 

敬具  2005・5・20 鐘燕華  

2005年5月28日(土)天候晴れ

**嬉しい来訪者**

陶冶(Tao Yeタオ エ)という人が尋ねてきた。彼の肩書きは『九江市対外貿易経済合作委員会』の外経管理科科長である。日本貿易について情報を得るための来訪であった。

小生、貿易のことは専門外であるが、中国と日本はすでに取引額がアメリカを抜いていること。今後ますます相互交易の余地があることなど可能性大である。鹿児島の郷里の市会議員が、農産物、特に焼酎の原料になる甘藷の視察に中国へ行きたいといっていたので、よい取次ぎができると思う。

**日本語試験を受験する生徒の指導**

中国では日本語の能力試験があり、2級、1級とランク付けがある。2級以上のライセンスを持たないと実際通訳や日系企業にも就職できない。2級と、1級でも待遇面で差がある。

そういうわけで、学生たちは本年12月に施行される能力検定試験に向けて一生懸命である。土曜の午後は能力試験を志す生徒ががやってきて日本語の勉強会。上級のライセンスを狙うものはやはり、熱意が違う。

ついつい、彼らの熱意にほだされて、相手をすることになる。おかげで、好きなウオーキングができないが、これもささやかな日中友好事業であると思えば、嬉しくなる。

2005年5月30日(月)天候晴れ

**試験問題**

そろそろ、日本語会話ならびに、作文の試験をしなければならない。会話試験のほうは、単語100題。会話の実際(道を尋ねる問題)。特別必要な言い回し、慣用句の暗記などである。

作文は起承転結を基にした、構文。因果関係、共通点、類似点、相違点などの表現能力を問う問題等。

以上試験範囲と内容を学生たちに予告した。

2005年5月31日(火)天候晴れ曇り

**ベッキーのお土産**

週末南京の友達を訪ねた階下のベッキー嬢がフランスパンを土産に持ってきてくれた。鹿児島市だと、すぐ手に入るパンだけど、此処九江では売っていない。九江では少し柔らかめのトーストパンがあるくらい。久しぶりに、パリパリ感のあるパンを肉・野菜炒めともにたべた。

今日は五月最後の日。例年なら昼間は大変暑いのだが、今年はとても涼しい日が多かった。北の寒冷前線がながく居座っているかららしい。江南地方の長期予報では今年は大雨が降り、洪水の可能性もあるとのこと。いよいよ、梅雨入りも近い。

2005年6月1日(水)天候晴れ曇り

**子どもの日(児童節)**

中国では6月1日は児童節である。もともと旧暦の5月が子どもの日であったものが、新暦にかわっただけのこと。この日は、幼稚園、保育所、小学校は休園(休校)。着飾った子どもたちが親に手を引かれて九江の繁華街を歩いている。お祝いの買い物であろう。日本の子どもも一人に六つの宝のポケットがあるといわれているが、中国では同様の趣旨のことで、「六人の召使がいる」といわれている。両親と両家の祖父母であわせて六人。超少子化の子ども環境である。違うところは、日本は自然に、中国は国策で「一人っ子」なのである。はたして、六つのポケットと六人の召使をもった王子様は将来どんな人に育つのやら気がかりである。

学園キャンパスのホールでは、近くにある『九江市学芸技術園』と称する幼稚園が保護者を集めて演芸発表会をおこなっていた。子供たちのどこかあどけないしぐさ、でも懸命に演じる姿はとても感動的である。

**6月の樹花**

九江の街路樹に、日本でいう、「眠り木」がある。学名はちょっと分からない。昼間は葉が開いているが、夕方と夜は、葉が手のひらを合わせるように閉じることから「ねむり木」と呼んでいる。この樹にいま薄紫の花が咲いている。栴檀の花のような香りがして、これまた心地よい。店頭の鉢物には、サルビア、紫陽花、マリーゴールド、ベゴニアなどの観賞用、枝振りを鑑賞する羊歯類、ソテツ類など。花木はひとつひとつ違っていて人を和ませる。

**不供応求**

中国では一人っ子政策であるが、その実態は「不供応求」なのだそうだ。

不供応求とは、「供給せず、必要には応じる」の意で、つまり、一人を原則とするが、もし女児が生まれた場合、希望すれば、男児を生めるということらしい。中国の男女比は男性が多く、女性が少ない。近い将来、花嫁不足到来。結婚できない男性の不満という社会問題も生じることだろう。

2005年6月2日(木)天候晴れ

**日中の悲恋物語**

九江学院の呉越学生から実際聞いた話。彼女の父は江蘇省で室内インテリヤの仕事を経営している。

実は、父の会社の社員から聞いたという、国際悲恋物語。概要はおおよそ次のような話だ。

日本から北京大学に留学していた青年と、湖南省出身の女子大生が恋に落ちた。二人は結婚を目標に交際し、まず、女性の両親宅を訪問し、親族相集い、この国際結婚をどうするか、承認したものかどうかということになったらしい。

ところが、両親はじめ、親戚も日本人との結婚は許さぬということになった。理由は、70年まえ、日本兵が多数の湖南人を虐殺したという記憶がよみがえり、日本人との結婚は反対ということだった。

それに、彼女の祖父が日本軍に殺されたことによる、恨みからだそうだ。家族は、二人をあちこちの村に案内し、日本軍がおこなった残虐行為を説明したそうである。

村には石碑があり、そこに、何月何日、日本国何々部隊によって何人虐殺されたと細かく刻んであったそうだ。相思相愛の二人はそれでも諦めきれず、娘は意を決し、男性の日本へ帰化してでも、添い遂げたいと思い、日本へ渡った。

ところが、日本側の親戚の墓参りをしたとき、彼女は決定的なショックを受けた。

それは彼の男性の先祖、祖父の墓石碑に「○○は昭和○年○月中国河南省に於いて、日本軍司令官としてよく戦い云々。」と記録されていた。

この墓碑を読んだとき、彼女は自分が嫁ごうとした男性の祖父が軍人であり、しかも指揮官であったことを知り、わが故郷湖南省占領と虐殺を指揮した指揮官が、自分が結婚しようとしていた男性の祖父であったことの現実に

、もしかして自分の祖父もこの指揮官の命令によって殺されたのではという猜疑心が募るようになり、「ああ、この指揮官の下で、わが多くの同胞が殺された。」と涙にくれ、自らの意思で、「誠に残念だが、このおじいさんの孫と結婚は出来ません。」といって、婚約を解消し中国に帰国したというのである。

何という歴史の悪戯。というより、悲しい運命にさらされたできごとである。二人の若者は誠にかわいそうでならない。

中国側の反日云々というが、実際に身内をやられたものにとっては、そう簡単に恨みが消えるというものではないことを、この話、物語っているようだ。湖南虐殺事件、断定は出来ないが、湖南魂「科挙など取るに足りない。

もっと大志を」「事実求是」「議より実行」の反骨精神旺盛な湖南人は日本軍に抵抗し、多くの殉死者を出したであろうことは容易に想像できる。

湖南は辛亥革命、共産革命の揺籃の地でもあることを考慮すれば、激戦地であったろう。湖南省から来ている学生に、あなたのふるさとに、激戦地や、虐殺に係わる石碑がありますか?と聞いたところ、「確かにある」という返事が返ってきた。

2005年6月3日(金)天候晴れ

**日本語教師契約更新**

九江学院の外事課の帥式毅課長来訪。来年度の更新について、ヒヤリングを受ける。小生としては、今の2年生が卒業するまで、係わらせていただきたい旨を申し出る。帥課長は快く承諾してくれた。感謝。

日本語科の生徒たちが慰留の陳情を出してくれたらしく、嬉しく思う。個人的ではあるが、小さな日中友好活動と自認している。

2005年6月4日(土)天候晴れ

**日本の少子化**

日本ではメデイアが少子化問題を取り上げ、コメントしている。出生率2.29は7年連続で、下げ止まりはまだ継続中とのこと。政府も少子化対策の掛け声はあるが、予算の使い方から比較すれば、民生費の70%が高齢対策費で、若年対策費は3%とか。

これでは掛け声だけといわれても仕方ない。小生は高齢者で年金生活者ではあるが、気持ちとしては、もし、ほんとに少子化対策費を増やすのであれば、高齢者の予算を若年者の方へ少し回してもよいと思っている。年少者のためならば、少々の不自由、困難は「価値ある我慢」として甘んじよう。

**急に真夏が来たような**

5月は、さわやかな日がずっと続いたが、6月になって、急に夏が来たという感じだ。きょうなど34度も気温。急に暑くなると、さすがにきつい。寝苦しいのがこたえる。

こんなときうなぎでも食べたいところだが、九江ではうなぎがいなくて、食べられない。学生は「うなぎいますよ。」というので、「ほんと?」と市場で彼たちが指差すものは鰻ならぬ川蛇。でも九江ではこれを「鰻」というのだそうだ。名前も漢字で「鰻」(マン)という。

2005年6月5日(日)天候晴れ

**礼拝:復讐しない**

「目には目を、歯には歯を」と命じられている・・しかし私はいう。・・だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」マタイ福音書38.39

これはイエス・キリストの山上の説教の一節である。人は復讐したい本能を持つ。旧約聖書では正当な復讐を認めている。「目には目を、歯には歯を」の教えは旧約聖書申命記のことばである。

この教え、今日でもユダヤ教・マホメット教では生きている。パレスチナ問題が報復の連続で平和ほど遠しの感は、実に申命記の報復お墨付きからきている。イラクの自爆報復も同一の理論からうまれたもの。

日本の歴史でも多くの復讐劇。曽我物語、源平合戦、忠臣蔵。美化されてさえいる。正義という名の報復。自衛という名の報復。一番厄介なのが、「神の命令?」という名の報復だ。

「しかし私はいう」私とはイエス・キリストのこと。

「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」つまり、報復をしないようにということ。9:11テロとその後のアフガニスタン、イラク侵攻は報復ドグマの実践。

人間は、「やられっぱなし」には耐えられないようだ。我慢には勇気がいる。そして、がまんが真の勝利にいたることであるとの確信を持つこと。真の報復は神がなさることを信じて委ねる信仰が必要である。アメリカのキリスト教はどうなっているの?というより、教会が政治に負けているということか。

**鍵の管理?**

礼拝に出るとき、鍵を持たないままドアをロックしてしまった。さあ、大変。日本語教師の殷先生に電話し、スペアーキーの手配をお願いした。殷先生、せっかくの日曜日を私たちのために、本部まで足を運び、スペアキーを届けてくださって事なきをえた。

同様の失敗がこれで2回目。二度あることは』三度も四度もあるに違いない。鍵の管理のあり方を考えなくては。中国の男性がよくこれ見よがしに、鍵がいくつもついた束(鍵束?)をズボンのベルトに結わえているのを見かける。その数、10本ぐらい。

そういえば、長沙市で教鞭をとっておられる竹下師も鍵束を腰にぶら下げている光景を記しておられたことを思い出す。ううん!鍵をズボンの後ろにつるすのはどうも無用心だし、どうしたら安全で、

絶対入室できる鍵の管理の仕方はないものか。スペアー鍵をだれも知らない場所に(例えば植え込みの根っこに)埋めておくとか。結構鍵の保管では悩みます。

2005年6月6日(月)天候晴れ

**日本はなぜ自殺者が多い?**

メールで自殺者の記事をよく目にする。6月5日の読売では、「自殺者3万超」とあった。交通事故死の4倍に相当するそうである。九江の学生に話すと、ビックリする。中国では自殺はあるにはあるがあまり聞かない話だという。日本特有の自殺願望要因があるのでは。

自殺のトップは老人の孤独死、老人が生きる意味を失っているということである。まじめに人生を生きてきた人に限って孤独者が多いのではないだろうか。

だからといって不真面目人生を奨励することではないが、生き甲斐を本人がまず見出して欲しい。地域社会や行政も生き甲斐メニューをどんどん提供して欲しい。生き甲斐とはなんだろう。『自分が地域に必要とされている』という自覚がもてる生活であろう。人が人を必要とする関係、探せばいくらでもあるはずだ。

次に多いのが働き盛りの男性の行き詰まりからくるもの。事業に失敗したとか、働き盛りのひとをいまの厳しい世相が直撃する。ある意味、気の毒である。でも、死ぬぐらいなら、いっそ開き直ってみてはどうか。『死んで花実があるものか』である。

新たな傾向として、ネットで自殺願望者相集い集団自殺?のケースもよく見る。たいてい、人生に疲れた人たちのようである。しかし、疲れる状態は現代だけの特徴だろうか。昔の人は子育てに疲れなかったのだろうか。

極貧にならなかったのだろうか。いや、現在よりもっともっときつかったはずである。なのに、どうして?思うに昔と今の違いは『耐える心』の違いであろうと考える。忍耐心。これは一朝にして身に付くものではない。人間生来、環境に順応して生きるようにDNAに組み込まれているはずなのだがなあと考える。

2005年6月7日(火)天候晴れ

:*中国の大学入学試験**

今日6月7日と明日8日は全国一斉の大学入学試験である。入学希望者は867万人。うち、受け入れ大学の定員は475万人。40%以上が公立の大学に入れないことになる。入れなかった生徒は私立大学ということになる。

九江の街も受験生であふれかえり、どこのホテルも満杯状態。受験地獄はいずこの国も同じ。そのため、受験生の授業はとてもハード。ここ、九江学院付属高校でも、日本の補習授業さながら、土日も返上して大学受験のための補習事業を行っている。

中国の大学生入学許可基準は、まず、統一試験を受け、その成績によって、入学できる大学が決まる。あくまで成績中心で決められるという。

2005年6月8日(水)天候晴れ

**息子の命を返せ**

九江学院で最近起こった事件。ある生徒が門限を過ぎてから寮に入ろうとして、塀をよじ登っているとき、配線の高圧電線に接触しショック死した事件。このとき、その保護者は学区のキャンパスに大きな看板を立てた。「息子の命を返せ!」と。その後の結果はわからない。さて、日本ではこんな事案どのようになるのだろうか。

もう1件、夜間寝込みの女子寮に外部から数人の痴漢組が侵入し、麻酔薬か何かで抵抗できないようにした上で、犯罪に及びんだ。学校側は警備の非を認め、学生8名を南昌大学に転校手続きをとることによって収拾した。犯人はまだ逮捕されていない。

2005年6月9日(木)天候晴れ

**藤さんの妹**

九江学院大学の藤さんは広西省(広東省・雲南省に近い)出身者で、現在同大英語科学生である。彼は自学自習で日本語2級試験に合格する実力の持ち主。

本年1級合格を目指して、毎週土曜日に小生宅で日本語の勉強をしている。時々は食事を一緒することもあり、そんな時は、ついつい家族の話になる。彼には妹が一人いるが、その妹は拾い子なのだそうだ。彼の母親が捨てられていた赤ちゃんを自分で引き取って育てているのだそうである。

母親はその子を実子の自分より『大切にするんですよ。』といっていた。奇特なひともいるものである。

2005年6月10日(金)天候晴れ

**日本の歴史問題は共同で**

東京経済大学国際歴史和解研究客員研究員アンドリュー・ホルバート教授の特別寄稿(毎日新聞05.6.8)に概略次のような記事をみて賛成するところである。

記事の内容

日中韓間で歴史認識の相違から来る摩擦があることは相互国にとって友好関係を保つために放置すべきでないこと。

関係国は、公開ネットを通じて、歴史の専門家を幅広く配し、資料の検証、解釈などを書き込み、インターネット時代の若い層にその歴史解釈を委ねるということである。

幅広くとは歴史認識とは、所詮は思想、哲学の実証となるわけで、そのとき一方的解釈がまかり通ってはならないことで、判断材料は多いほどが好い。

2005年6月11日(土)天候晴れ雨

**職員旅行**

九江から高速道で4時間の?源(ぶげん)(Wuyuanウーウエン)に旅行。江西省の東端にあたる。少し進むと福建省や安徽省である。ここは前中国共産党政権の江沢民氏の生地だそうであるが、特別彼を記念するようなものは見当たらなかった。

九江が平地に対して、ここは山が多い。鹿児島の菱刈、蒲生あたりの雰囲気。折しも農民は田植えに精出していた。水牛を使役して田鋤を行い、水が十分に張ったところで2人とか3人で苗を植えている。

田んぼは山間のくぼ地にあり、日照時間が足りないぐらいの場所が多い。?源の観光メッセージは「中国の古い里」である。ある集落全体が観光スポット。住人達も観光客相手のみやげ物売りで生計を立てている。

この村は宋時代の建物や、寺、遺構を残し、歩いているとタイムスリップした感じになるから不思議である。いっそのこと、服装も過去の衣装で迎えてくれるともっと感じがでるのではと思った。夜は?源市に引き返し、三つ星のホテルに投宿する。日本のビズネスホテルタイプ。

2005年6月12日(日)天候晴れ

**職員旅行**

午前中武源(ぶげん)(Wuyuanウーウエン)の宋時代の橋を観光する。この橋は鹿児島甲突川大の川に架かる橋であるが、1000年以上も前から使用されている屋根付木造橋である。

橋の土台はどうして作ったのだろう?洪水も何回か起きたはずだが流出しなかったのか?いろんな疑問が出たが、それを解き明かす時間も説明もなかった。昼食は景徳鎮(ケイトクチン:Jingdezhenジンデゼン)にて昼食を摂る。

食事の後、景徳鎮の焼き物店を観て回った。観賞用置物をはじめ、家庭で使う実用陶器類など世界に冠たる陶器の街ならではの、質・量ともに豊富さにしばし目を楽しませた。景徳鎮を午後2時半に出発し午後5時前に九江に着いた。

**日曜礼拝**団体旅行のため教会を休みことになったが、早朝を教会に家内と礼拝時間をもつ。教会とは「二人三人がキリストの名によって集まるところに私もいる」とおっしゃったことにより、主日礼拝は必ずしも教会堂でなければならないということではない。

現在でこそ、信徒は教会堂に集まるが、迫害時代は、信徒の個人宅、岩穴の中、地下墳墓(カタコンベ)などで礼拝したのである。

今日の聖書はマタイ福音書5章38-42節。「有名な右の頬を打たれたら、左の頬をも出しなさい。」の言葉である。こんなことが出来るかということになるが、小生にはある出来事の中で左の頬を向けてしまっていたことがある。

考えてみれば、そうしなければならないと義務的に意識してではなく、気づいてみたら、左の頬をも向けていたのである。このときから、揶揄をこめてであろうが、「池田は神様だ」といわれるようになったことを思い出す。

2005年6月13日(月)天候晴れ

**中国の車事情**

中国といえば、自転車で通勤する人の群れを想像する人もあるかもわからない。だがそれはもう昔のはなし。自転車はもはや過去のものになりつつある。主流は自動車である。通勤用のバスとタクシー。バスはどこまで行っても1元(13.5日円)、タクシーは5元から。金に余裕のあるひとは自家用車。

それも、フォークスワーゲン(ドイツ車)や本田、日産、トヨタ、マツダ、いすず、スズキなどの日本車。それに加えて中国の国産車である。これら自家用車が沢山走っている。

中国はすでに一部豊かな国なのである。中国の国内問題に貧富の格差問題があるが、かたや、高級車を乗り回す人がおり、街中にあちこち見かける乞食がいる社会である。スズキは此処九江市に合弁の生産工場を興している。

日本では見かけないのが電動バイクである。金額は1800~2300元(2万円強から3万円)。騒音がなく、排気ガスが出ないよい乗り物。日本へ輸出したらいいかも。

2005年6月14日(火)天候晴れ

**試験**

会話の試験を実施。単語100問、慣用語の暗誦5題。以上が筆記試験。約40分で筆記のあとは、「道を尋ねる」ということで、生徒ひとりひとりに、小生が質問し答えてもらう口頭試験。一例として次のような問題。

①、太平洋電子城というコンピューター専門店にいきたのですが道順を教えてください。」答え「はい、まず園前のバス停で101号線に乗ってください。それから、大中大という繁華街広場で下車してください。次にケンタッキーFCの角を曲がって歩行者街がありますから、そこを、まっすぐ約10分進んでください。そうすると、左手に大きな看板が見えます。お尋ねの場所はそこです。」

下線の用語も出来るだけ使用し、順序立てて説明できることが狙い。

この日、長期欠席の学生も受験した。病気で殆んど出席していない学生であるが、彼も受験し、慣用語の暗誦を一生懸命覚えたとみえ、つまずきながらもなんとか暗誦できた。

ちょっと涙ぐましいことであったが、なにせ授業時間がたりないので、単位を上げられるかどうか検討課題である。

2005年6月15日(水)天候晴れ

**殷先生のこと**

殷先生は国立江西省南昌大学日本語学科を卒業し、九江学院大学の日本語学科の教官になり3年目の女性である。

この先生、いつも家内に付き合って幼稚園のボランテイアには随行し、通訳をしてくださった先生。この先生は、今年9月には九江学院を辞して、北京外語大学に入学されるとのこと。

「先生は1級の資格をすでにもっていらっしゃるのにそれ以上勉強したいのですか?」と尋ねると、「はい、よい日本語教師になりたいから。」と返事がかえってきた。頑張るまじめな教官だなーと感心する。

2005年6月16日(木)天候晴れ

**試験の採点**

2クラス分の試験答案用紙を一枚一枚採点しながら学生の顔を重ねていく。平均的によくできた。ちょっと易しすぎたかなとも思うが、やっぱり学生の努力の実である。

学生にとって一番難しいのが助詞の使い方のようである。これは日本人にもむずかしい。それにすべて文法どおりとはいかない。

どこの国の文法もそうだが、例外がとても多いわけで、あとはひとつひとつ憶えるしかない。学生たちには、せっせと覚え、使ってもらうようにしたい。

2005年6月17日(金)天候晴れ

**幼稚園入園手続き**

ボランテアで幼稚園に行ったとき、九江市中心幼稚園の袁園長が、「入園希望者が知り合いにいたら、推薦状をもらって面接に来るように。」耳打ちしてくれたので、同僚の菅谷先生のお子さんのことを思いだし、連絡をとった。

彼は、以前当幼稚園に申し込んだが、希望者が多くては入れなかったときいていた。早速、菅谷先生の奥さんと子どもと、小生ら夫婦相そろい、面接を受けた。

袁園長が直接子どもに口頭試問をしたあと、連絡先を記入させ、この日の面接は終わった。家内は一生懸命日本語で「よろしくお願いします」といった。うまくは入れたらよいが。

菅谷先生は茨城県の人であるが、縁あって中国女性と結婚し、九江学院で日本語を教えながら、自らも建設資材のリース業を営んでいる人。

2005年6月18日(土)天候曇り雨

**チェン・ウェイと藤の個人事業**

この二人は、現在九江学院の英語科の生徒であるが、日本語がとても上手。数週間前から小生宅で学習会を行っている。

チェン・ウェイという学生は江蘇省の女性で、中高生の時日本語を学習したそうである。今年か来年、日本語2級試験に挑戦するといって頑張っている。

もう一人の藤学生は広西省の出身で、独学で日本語を学び、すでに2級試験は合格している。その努力に応えてあげたくて、相手をしている。

2005年6月19日(日)天候晴れ

**三つの教え**

マタイ福音書7:15-29

第一の教え:実によって木を知る。

すべてのことには結果が伴う。キリスト様もその弟子(キリスト信者)がよい実をむすぶように期待される。実(弟子)がよいものであれば、木(キリスト)は認められる。褒められる。

その真理性が認められる。その宗教は「まこと」だと認知されるという意味。こんな訳で、キリスト者はいつもキリストの名を背に負うている。以前、ある友人から、「どんなに偉そうな事を言っても、行いが伴わなければ認めない。」といわれたことを思い出す。

世間は、私という実(行い)をみて、木(キリスト)を観る。自戒!

第二の教え:キリストに拒まれるもの

どんなに信仰があっても、実を結ばないなら、それは無駄なもの。キリストはそんな者知らないよ」と裁判の席でおっしゃるそうだ。私たちがどんなに『信じたではありませんか。

礼拝に欠かさず出たではありませんか』と泣き言をいっても始まらないということか。感謝すべきことに、キリストは、この弱きもののために十字架についてくださった。十字架を見上げて救われよう。

第三の教え:確かな基礎工事

以前砂地の上に園舎を建てた経験がある。鉄筋だったから、設計士は基礎工事にとても配慮した。72本のコンクリート杭を地下深く、岩盤に届くところまで打ち込んだ。

目には留まらない部分であるがとても大切なことだと教えられた。われわれも人生という建物を建て挙げるとき、上っ面の見てくれだけを考えてはならない。
自分をしっかり支えてくれる岩盤(キリスト)の上に立たなければならない。キリストにまで届くこと、これは人生の最大にして一大事業である。

2005年6月20日(月)天候晴れ

**日本、中国、韓国の方向**

日中韓の若い人に期待。最近特に日中間のWebサイトに過熱な書き込みがなされていて残念に思うことがある。下品な言葉を連発してこき下ろすタイプのものである。例えば日本人が書き込んだと思えるもので、「白痴!」「豚!」「死ね!」など。

中国側からのものでは「鬼子!」糞!」など。まるで、こどもっぽくて、友好関係を保つには役に立たないばかりか、感情的で、過激な言葉はエスカレートするばかりである。現在の日中韓の青年たちは、これからの国を背負う人々であり、それなりの学識も常識も備えているはずである。

何が嘘で、何が真か。何が相互有益か、不利益かは少し冷静になって考えれば十分判ることである。教育とは本来自分で判断できる力を養うことではないか。日中韓の青年たちに期待する。

今日は小泉首相と韓国魯大統領との日韓相互会談の日であり、懸案の北朝鮮問題、日韓間の歴史認識問題、領土(竹島)問題などが取り上げられるのであろう。

胸襟を開いて、話し合って欲しい。会談が一致するのは、両国の国益が一致したときであろうが、それはまずない。トップ会談は国の考え方を分かち合うことにある。その上で相手の立場を理解する努力をすることだ。具体的問題は、事務方に指示すればよい。その上で相手の立場を理解する努力をすることだ。

2005年6月21日(火)天候晴れ

**作文試験**

作文の期末試験をおこなった。一人の欠席者を除いて全員受験。起承転結を考慮した作文。「自己紹介」「何のために日本語を学ぶか」などを100字程度で書いてもらった。添削し、採点して成績報告書を作り、教務課に提出することが、今学期残された業務である。

出席を含めた授業態度を30点満点とする。筆記または実技試験を70点満点として合計100点満点で綜合評価とする。

**九江のキリスト教**

九江市基督教会の役員の一人元名士さんから手紙をもらった。彼は教会の役員であり、且つ聖歌隊員、そして小生の日本語講座に殆んど欠席なく出席する兄弟である。

以下、彼からの手紙を紹介する。

主にある池田先生へ

もうすぐ、お別れすることなり、淋しいことです。今日は、貴殿に憶えて祈って欲しいことを書き連ねます。

中国には三自教会と家庭教会があります。三自教会は共産党政府に認められ、彼らの統制を受け入れている教会です。

教会の活動は限られており、積極的に布教することは好まれません。政府にとって不穏と見られる場合指導を受けるのです。三自教会は制限された礼拝でも持続できることで、不満ながら統制を受けながらも、公然と行う教会活動です。

一方、中国同胞にみ言葉を述べ伝えたいキリスト者はこっそり、家庭集会を開いています。家庭教会とは別呼称「地下教会」とも言われています。三自教会には自由がないが、地下教会には自由があります。

でも、これは中国では違法行為なのです。つい最近も吉林省で600名あまりの信徒が逮捕拘留され取調べを受けました。幸いに、数日後は帰宅できましたが、公安の目はいつも、教会および兄弟姉妹の行動をチェックしています。でも、私たちはイエス・キリスト様を主と仰ぎ信仰を維持しています。

どうか、中国に信教の自由が認められるよう祈ってください。私たちは国際的支援団体の中国に対する働きかけを期待しています。

終わりに、貴兄の本教会での奉仕を感謝します。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の導きがありますように。アーメン。

2005・6・19  元名士

註:* 三自は自ら管理し、自ら養い、自ら宣教するという意味である。

元兄弟の願いは、信教の自由なのである。「三自」の意味が、「自ら管理し、自ら養い、自ら宣教する」ことであるならば、問題なさそうであるが、やはり、中国共産党政権の強い監視制限のもとに置かれていることがこの兄弟の手紙からも伺える。

今しばらく、現体制のなかで、信仰をたもち、ここ十年以内に、必ずや信教の自由が保障される日が訪れると確信する。もちろんそれは共産党一党独裁政治でなく、多党による民主的政府が、国民の選挙によって選ばれるときであろう。

2005年6月22日(水)天候晴れ

**盗難事件**

同僚の先生が正月休み中に武漢へ旅行。帰宅してみると部屋が荒され、先生のノートパソコンが盗まれていた。学校側は管理責任を認め、被害者先生に2000元の弁償金を払った。

ところが、最近になって、この2000元は本当に被害者に渡ったのだろうかということで、国際交流課と外事課の間ですったもんだが起きたらしい。外事課が提出した領収書を国際交流課が偽物ではないかと疑ったらしい。そこで、ある職員を通じて、小生に帰国した同僚先生に尋ねてほしい。

ということになった。早速、当の同僚先生に問い合わせたところ、「確かに2000元受領しました」ということで一件落着とは相成ったが、中国というところは同僚同士でも疑うところかとおもった。この種の問題日本でもあるのかもしれない。

**榮一卯先生来九江**

大阪西成区で永年ホームレス対象に食を与えつつ布教活動をしておられ、現在もなお現職の栄一卯先生から突然携帯に電話がはいった。「いま江西省南昌から九江市に向かっている。

会えないだろうか。自分は着いたらすぐ教会で話をしなければならないので時間がない。池田公榮先生是非ホテルまで来ていただきたい。」という内容。

当方も喜んで会いたいのだが、榮師が投宿される場所は九江県の良友賓館というホテルということだけが手がかりで、ほかに手がかりがないので困った。さて、どうやってこのホテルを訪ねるか。

結局通訳のできる周学生にタクシーに一緒に乗ってもらい、良友賓館を訪ねたずねてさがしまわった。5時半家をでて、高速で九江県についてからが、なかなかてこずった。結局地元の人に聞きながら8時半ごろやっとホテルへ着いた。しかし、榮先生一行はすでに教会の集会へ出た後だった。

さあ、困った。帰ってくるのを待つかどうかと思案していたら、一人の中国人女性が、「私が教会へ案内しましょう」といって自転車で先導してくれた。なんと、タイムリーな出会い!主は困難に直面しても、かく善導してくださる。感謝。

教会へ着いたら、すでに集会は始まっていた。彼は熱心に「イエス・キリスト様が全人類の救い主です。九江の皆さんも救われます。」と熱弁をふるっているところだった。

通訳は林さんとおっしゃる福建省のひと。彼はクリスチャン。日本人の奥さんに日本語の訓練を受けた人で、日本語を中国語に通訳するのがとてもうまかった。奥さんの仕込みだから、聞き取りが的確で、それを中国語で話してくれるのだからすばらしい通訳である。

榮師の後段は小生にも「話をせよ」ということで、約15分間、神を愛するものにとってはすべてのことが益となることについて、証をさせていただいた。もちろん、林兄弟の名通訳があってのこと。この日は、学校の門限をはるかに越えたので、中国に来て始めての外泊とは相成った。

2005年6月23日(水)天候晴れ

**偽札**

一月ほどまえ、教え子の楊思思宅を訪問したとき、当の思思さん。いきなり大声で、100元紙幣をすかし見しながら、大声で「偽札!」といった。「何?何?」と父親も覗き込む。「うん、ちげーねー」といっている様子。

「ウーン、悔しい。これ、今さっき銀行から下ろしたばかりなのにどうして?」とその悔しがり方はちょっと理性を失いかけたストンキョウな声にあらわれていた。「偽札?、どこで見分けるの?」と尋ねると、透かしがはっきりしない。札の印刷面の凹凸がない。といことだった。

中国では買い物で100元紙幣を出すと、必ず店員が透かしの確認、手触りで凹凸の確認をする。始めは違和感があったが、いまではこれも庶民の偽札防御の智慧だなとおもうようになった。

客が差し出した紙幣を客の前で検証することはすこしも失礼ではないのである。

**幼稚園の幹部たちと会食**

今学期も本日をもって九江市中心幼稚園のボランテアは終わり。われわれ夫婦、それに通訳の労をとってくれた日本語学科の殷先生を園長さんと主任たちが昼食に招待してくれた。

本席で、気づいたことを教えて欲しい。また、日本の幼児教育はどうなっているかも合わせて教えて欲しい。という園長さんの要請があり、以下の点を伝えた。

1、園児の基本的しつけはよくなされているとおもう。挨拶、片づけがよく出来る。

2、4歳ぐらいから算数のドリルを行っていたのでおどろいた。日本では、この年齢では自分の名前の読み書きができるぐらいだ。

3、絵画制作は、下絵があって、手本を見て書く指導がなされていたが、日本では子どもの自主的発想を大事にし、できばえより、子どもらしい作品をよしとする。

4、本園は野外保育も取り入れ、芋を植えて収穫するとか自然体験学習もほしいところだ。

などを述べさせていただいた。

2005年6月24日(金)天候晴れ

**卒業生のパーテイ**

昨年、日本語科の会話を受け持った卒業生の男子7名が(このクラス、女性24名に対して男子7名圧倒的に女性が多い)われわれ夫婦と他の日本語科教官を招待し、パーテイを開いてくれた。

陽光家?という賓館で馳走を頂きながら、学生時代の苦楽に花が咲く。ある卒業生は長崎大学へ留学する者、南昌大学へ改めて進学する者、就職する者など、互いに人生の道が分かれようとしている。

教官の内緒話では、2人ほどは成績が卒業点に届かなくて、再試験か留年かになりそうだとか。いいずこの国にも、親泣かせっ子がいるものである。

2005年6月25日(土)天候晴れ

**2006年度も継続**

九江学院での教壇ももうすぐ終わろうとしている。あっという間の一年間であったような気がする」。この間、中国の色々な人と知り合えて、とてもよかった。特に教会の人とはまったく家族同然のお付き合いが出来、まったく淋しくなかった。

次年度も継続希望を出していたところ、大学側から正式な契約更新の通知がきた。元気で体が動く間は、自分に出来る、そして自分に向いているよい活動だと思う。継続できたことに感謝。

2005年6月29日(水)天候晴れ

**多種な果物**

中国は実に多様な果物があり、四季を通じて楽しい。いま最盛はスイカ。ブドウも出始めた。日本にないものではレイシ。中梅干大の果物で、白っぽい果樹で甘くてとてもおいしい。何せ、鶏形の広い中国。常夏地域から北部寒冷地帯まで広範ある。その各地は独特の果物が育ち、流通によって一年中果物が耐えないということ。

**殷先生と生徒との記念写真**

さきにも、触れたが、日本語教師の殷秀珍先生が今期限りで九江学院を去られることになった。彼女は江西省南昌大学で日本語を専攻し、卒業後九江学院で3年間教鞭をとったが、もっと日本語の質を高めるために、北京で再度日本語を勉強するそうである。

彼女はすでに、日本語1級のライセンスを持っているが、その向学心旺盛なのに頭が下がる。彼女の将来に幸あれ。

**陳錦水学長の晩再会**

本部キャンパスのホテルで陳学長の晩餐会が催された。学長は2ケ月前に就任した新任学長である。招待を受けたものは、外国人教師たちで、今期で九江学院を去る人、残る人にねぎらいの言葉があった。

2005年6月26日(日)天候晴れ

**教会礼拝**

ホセア5:15~6:6 この記事は、旧約聖書預言書群に納められている。預言者ホセア(BC500年代)は自身の家庭的不幸を通して、神の赦しと贖罪を学び、自身の妻と同じく神に対して姦淫を犯しているイスラエル民族の悔い改めを説いている。

ホセアは自分を裏切り不倫した妻を許し、彼女が負う負債を代わって支払い、自由にしてあげるということをやってのける。彼はその示唆を神から頂き、実行する。そして、妻を想う自身の苦しみが、イスラエルを想う神の苦しみでもあることを悟る。

今日的には、神にそむいている私をホセアのように愛し、私の負債を引き受けて十字架にかかってくださったイエスの贖いにより、人類は再び神に帰ることが出来るということ。

2005年6月27日(月)天候曇り

**自営便利屋**

九江の街ではあちこちで土建、電気水道、運送など、「承ります」の看板を置き、その前にじっと座って依頼者が来るのを待っている風景を見かける。日本で一時はやった「便利屋」的供給人たちである。いかほどの、需要があるのだろうか。

一日に一件でも二件でも依頼人がいれば、それはそれとして生活の糧になるかも。でも何件来るか、予想もつかない不安定な仕事である。この供給人たち、大部分は中国将棋や、トランプゲームをしており、依頼者があってもなくても意に介さないといった雰囲気でのんびりしている。こんな国民性は実に大陸的だとおもう。

2005年6月28日(火)天候雨

**散髪屋のお姉さんと友達に**

散髪をしたとき、とても気さくな女性工人(コンリエン)(理髪師)がいて、話しかける。(ニー ナーリ リエン)どこの人かと聞く。日本人だというと、とてもめずらしがっていろいろ話しかけるが、こちらも、中国語が十分でないのでついつい「叫不?」(チンプトン)といってしまう。

すると、わからないか(チンプトン ああ)という。チンプトンはとても便利な言葉で、これを使えば一応その場が収束するというか、相手が「わからなきゃ話になんねー」で諦めてしまうのである。だから、わかっていても、都合の悪いことには「チンプトン」といえばいいことがわかった。

**日本の硬貨・札が欲しい**

これも、また日本人珍しさで、「日本のお金を持っているか」と尋ねるので、「持っているよ」というと、「見せて」ときた。「いま持っていないからあす持ってくるね」という。

約束の手前、翌日、わざわざ例の散髪屋に出向いて、硬貨、紙幣を一通り持参すると、とても珍しそうに見ていたが、「中国元と交換してくれないか」といった。だが、これはこの夏休み、日本へ着いてから、自宅までの必要費用を確保しておいたお金なので、「今は出来ない」と断った。

2005年6月28日(火)天候雨

**散髪屋のお姉さんと友達に**

散髪をしたとき、とても気さくな女性工人(コンリエン)(理髪師)がいて、話しかける。(ニー ナーリ リエン)どこの人かと聞く。日本人だというと、とてもめずらしがっていろいろ話しかけるが、こちらも、中国語が十分でないのでついつい「叫不?」(チンプトン)といってしまう。

すると、わからないか(チンプトン ああ)という。チンプトンはとても便利な言葉で、これを使えば一応その場が収束するというか、相手が「わからなきゃ話になんねー」で諦めてしまうのである。だから、わかっていても、都合の悪いことには「チンプトン」といえばいいことがわかった。

**日本の硬貨・札が欲しい**

これも、また日本人珍しさで、「日本のお金を持っているか」と尋ねるので、「持っているよ」というと、「見せて」ときた。「いま持っていないからあす持ってくるね」という。

約束の手前、翌日、わざわざ例の散髪屋に出向いて、硬貨、紙幣を一通り持参すると、とても珍しそうに見ていたが、「中国元と交換してくれないか」といった。だが、これはこの夏休み、日本へ着いてから、自宅までの必要費用を確保しておいたお金なので、「今は出来ない」と断った。

2005年6月30日(木)天候晴れ

**老人交流施設**

中国の老人は孫の守りか、その必要のない人は、老人クラブで中国将棋、カード、マージャンに興じているのが一般的生活パターン。各城区に簡単な老人用集会所があって、上記のゲームに興じている。

覗くと、老人ばかりでなく、3,40代の若者も結構入室している。彼らは『俺たち老人にお付き合いしているんだ』だとでも言いたいのかな?あるいは、職がない人か、裕福で働かなくてもよい人なのか。

**中国人の健康法**

早朝公園や湖畔において、多くの高齢者が集団で太極拳や気功に参加している。気を整え、呼吸を整えることによってからだのバランス、血行のバランスを保っことにより、健康維持を図っている。