英未2015

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

2015年4月・5月の記録
2015/05/17

2015 年4月、5月 記録

「あっという間」という言葉はありきたりかもしれませんが、この2ヶ月の間、本当にあっという間に過ぎてしまい、毎日日々に追われ、日記のことを思い出す余裕すらありませんでした。そこで今回は、その充実し過ぎた2ヶ月を振り返ってみたいと思います。

まず4月11日は、二度目の国費留学生旅行で、一泊二日で浙江に行ってきました。

留学生で集まる際は、英語が共通語となります。バスで隣になったポーランドからきたAlishaと仲良くなり、2日間楽しみました。ブルガリアからきた「シロシロ」は(名字がWhiteなので)、日本のアニメが好きな、とても愉快な友達です。学部も中国で学んだ彼は、その真っ白の肌からは想像できないほど流暢な中国語を話します。

浙江までは復旦大学から6時間。長距離移動にも大分慣れてしまいました。 ガイドさんが、「山が見えてきたら、そこは浙江だよ」と教えてくれました。本当に、四方八方どちらを見ても山しか見えなくなったとき、ようやく目的の観光地に着きました。この頃には、大学を出発する頃は名前も知らなかった隣の留学生と、昔から知り合っていたかのように仲が深まっていました。

山に囲まれていることにはもちろん、「山を登る」ということです。寝ぼけたままバスを降りた私たちは、まだ心の準備が出来ていないまま出発し、その後4時間かけて山を登りました。

道は想像以上に険しく、登山の後半はみんな口数も少なくなってきました。こんなとき、国柄がとても目立ちました。

今回の旅行では、全部で57ヶ国の国から来た学生が参加したのですが、下山するとき、急な斜面を飛ぶように降りていくのはネパールから来た学生です。

私が、「なんでそんなに早く下りれるの?」と聞くと、「僕はネパールの山で育ったからだよ。エベレストにも登ったことがあるんだよ。」と自慢げに話してくれました。

ネパールと中国の国境にあるエバレストは、特定のトレーニングを受けて得たライセンスがなければ登ることが出来ません。世界一の山、私もいつか登ってみたいと思いました。

山登りで疲れ切った私たちは、ホテルに帰るとすぐに寝てしまいました。2日目もひき続き山登り。しかし、登山の途中に数々のアスレチックがあり、とても楽しく登ることができました。帰りのバスの中で私は、日本の歌を披露しました。続いて引率の先生が、復旦大学の校歌を歌ってくれました。

この大学に来てもう少しで一年が経ちますが、初めて校歌を聴きました。

今年で110周年を迎える復旦大学は、現在その記念イベントに向けて準備が着々と進んでいます。当日には国家のリーダーや復旦卒の政治家の方々も集まり、盛大な記念イベントが開催されるそうです。

大学で学び、食べて、運動し、寝る。生活の全てをこの大学内で過ごしている私たち学生にとって、大学はもはや家以上に近い存在のようです。遠い昆山から毎週木曜日の午後大学にやっとたどり着いた時、大学の門をくぐると本当に、「家」に帰ってきたように安心してしまいます。

5月16日、上海に来て初めて鹿児島県出身の方と一緒にご飯を食べました。霧島市出身、復旦大学学部生のちふ子さんです。友達伝いで鹿児島県出身の復旦生がいるということで紹介していただき、一緒にランチをするに至りました。久しぶりの鹿児島弁を聞いてとても嬉しかったです。

大学に戻る途中、警察の車がやけに多いことに気づきました。特に気にも止めず、「何かあったのだろうね。」と言いながら二人で歩いていました。しかし、大学に近づくにつれて立っている警察の数がどんどん増えていきます。大学が見えるところになった時、1メートルおきに警察の方が立っていました。そこでやっと、自分の大学で何かあったのだと確信しました。

復旦大学で一番高い「復旦タワー」の入り口には赤い絨毯がひかれ、その周囲は車と警察が列を作っています。普段は解放されている芝生も、立ち入り禁止となり、黒い服を着た人たちがあちこちに立っています。ここに来てやっと、「誰か来たのだ」と思いました。カメラを構えて待っているおじさんに聞いてみると、「インドの大統領が来ているんだよ!」と教えてくれました。

5月16日、インドのモディ大統領が復旦大学で講演を行いました。

復旦大学には、インド研究所があり、インドと共同で研究を行っています。この復旦大学インド研究所に新しくガンジー研究センターができたということで、インドのモディ大統領が大学で公演を行いました。

復旦大学には、オーストリアやアイルランドの大統領に引き続き、2009年にはアメリカのオバマ大統領が訪問し、講演を行っています。

今回のインドのモディ大統領の訪問も、事前に私たち学生に知らせることなく、土曜日のお昼に行われました。

毎日違う姿を見せてくれる大学。ここで吸収できることを、翼を広げてスポンジのように吸収し、ひと周りもふた周りも成長することができたらいいなと心から願っております。

以下は4月1日からの私の『きろく』です。

4月

1日   同济大学に桜を見に行く
11日 12日 国費留学生旅行 to浙江 帰ってきたらすぐ夜 支教の説明会
18日  支教面接 (のちに合格)
19日  バドミントン試合 団体2位
21日  復旦大学趣味運動会 たくさんの面白いイベントに参加しました。
30日  支教トレーニングの一貫として、二泊三日の山登りの旅(〜5月2日)杭州

5月

3日  山東省の先輩が寮でご飯をご馳走してくれました。
8日  日本語を教えている昆山の学校に夜から一泊。翌日「教員ツアー」に参加。乌镇。
10日  支教の体力テスト 400m×8周 16‘22 (男女40人中1位)
11日  木村先生来復旦。
12日  木村先生復旦大学にて講演。
14日  昆山の日本語学校にて、私の教えているクラスに50音のテストを実施。
15日  キリスト教史 報告。
16日  鹿児島県霧島市出身の復旦4年生と同じく霧島市出身の社会人の方とランチ。
  インド大統領復旦大学訪問。

支教トレーニング(二泊三日の山登り)、鹿児島大学木村先生の復旦大学公演につきましては、また後日文章にさせていただきたいと存じます。

日本の皆様どうかお身体に気をつけて、幸せな日々をお過ごし下さい。

復旦大学歴史学部 修士一年 吉永英未

後期の授業が始まってから、ようやく2週間が経過しました。
2015/03/26

後期のはじまり

吉永英未 2015.3

後期の授業が始まってから、ようやく2週間が経過しました。2学期目ということもあり、大学生活にもだいぶ慣れてきたように思います。

今学期から私は、2つの新しいことに挑戦しています。つ目は、毎週火曜日の夜7時から、ボランティアで日本語を教えております。

これまで、大学生活に慣れない私を様々な面でサポートしてくれたクラスメイトの友達に少しでもの恩返しのために何かできないかと考えたとき、私にできることは日本語を話すことしかない,と考え、クラスメイトに申込みを募ったところ、15人余りの希望者があり、教室を貸し切って毎週火曜日の夜、日本語を教えることになりました。

歴史学部のクラスメイト、特に専門が日本史の友達のために開いたクラスでしたが、友達が友達を呼んで、今は博士後期課程の先輩から、復旦の別なキャンパスから来る他学部の本科生など、20人余りの学生が集まっています。

私のような素人ですが、みんな熱心に授業を受けてくれて、本当に感銘を受けております。

二つ目は、毎週木曜日に一日「台商学校」で日本語を教えております。台商学校は、上海在住の台湾人のための学校で、幼稚園から高校まで一つの学校にあり、生徒は全て台湾籍、先生も台湾から来てもらっています。

全校生徒は幼稚園生から高校三年生まで含めて1024人で、教科書は全て台湾から取り寄せています。高校三年生のほとんどが、台湾の大学を受験します。

なぜわたくしがこの学校で日本語を教えるようになったかと言いますと、以児島国際大学に留学していた中国人の親友が、現在筑波大学の修士課程におり、その親友の教授のご紹介を頂いたからです。教授の紹介ということで、電話一本と何回かのメールの交換で、正式に日本語教員として働かせて頂くことになりました。

台商学校は、地下鉄11号線の最終駅のところにあり、復旦大学から約2.5時間かかります。もちろん、学校がこんな遠いところにあるなんて想像もしていませんでした。

朝4時起床、大学から自転車で大学に最寄りの地下鉄駅に行き、それから地下鉄に乗ります。朝4時となると、まだ月が出ており、自転車で駅に向かう途中はまだ夜なのではないかと錯覚を起こします。

霧の中を、ひたすら自転車をこぎます。7時になんとかスクールバスに乗ることができると、バスに揺られながら1時間、ようやく学校に台商着きます。

初めて学校に行き、授業をしたのは、2月28日に上海に戻った翌日の3月1日でした。

学校に着くと、校長先生、教務科部長とお会いして、とても温かい歓迎を受けました。

「ようこそ台商学校へ」 。遠いところからはるばる来た疲れもすっかり飛んで行ってしまいました。

そして、その日から入校許可書をもらい、職員室の自分の机まで案内されました。

私は、まさか自分の机まであるとは思いもしませんでした。学校内では、先生方に温かい言葉を頂くとともに、校長先生も他の先生方も口を揃えて、「復旦大学の学生か。優秀だなあ。」「うちの高三の学生もぜひあなたの大学に入ってほしい。」など言葉を頂きます。

わたしのような、優秀ではない学生でも、先生方を始め、学生までも尊敬のまなざしです。

私は、「私はあなたがたの思うような優秀な学生ではありません。」と心の中で思いつつも、自分が復旦大学の学生であることの責任を重く感じます。

また、いろいろなところから、「吉永先生」「えみせんせい」と呼ばれますが、最初はすぐに反応できませんでした。

なぜならこれまでの人生で、「先生」と呼ばれたことなど一度も無かったからです。

言うまでもなく、私はこの学校の先生の中で一番年下の先生です。最初の授業のため教室に入った際は、前の授業の先生に新入生と間違えられてしまいました。

そのような、初体験の連続で、私の最初の授業は始まりました。私の担当するクラスは、高校三年生の3つのクラスと、日本語サークルに入っている中学一年生から高校2年生の1つのクラスです。

最初の授業では、どうなることやら心配しながら教室に入りました。40人の学生は、真剣で、好奇心に溢れたまなざしで私を見つめています。センター試験を終えたばかりの学生たちは、現在は大学の申請をしている時期です。

様々な不安を抱える彼らを前に、私は自分のありのままを紹介しました。自分が大学受験に失敗したこと、でも重要なのは、大学の名前ではなくて、その大学で自分が何をするかということ。

センターで上手く点数をとれなかった人も、がっかりしないでほしいということ、あなたたちの素晴らしい人生は、これからだということ。新入生に間違えられながら入った教室でしたが、自己紹介からいつしか演説のようになり、どこかでしたプレゼンテーションを思い出しました。

話し終わったとき、シーンとしていたクラスから、大きな拍手をもらいました。

「わたしは自己紹介したから、今度はみんなに自己紹介してほしい」と学生にお願いして、今度は学生一人ひとりに、名前と夢を発表してもらいました。卒業を控えた高校三年生の彼らは、「大学に行きたい」「日本に留学したい」「世界旅行がしたい」など、一人ずつ発表しました。授業のあとは、机の周りに学生たちが集まって、様々な質問を投げかけてきました。日本について、私個人について、大学について、学生たちの笑顔と、学問を求める問いかけは、私自身を教育し、成長させてくれているものだと思いました。

お昼は、食堂で無料の昼食が食べられます。今学期から自炊を始めたわたしは、料理ができないため、じゃがいもを炒めたものや、紫芋を蒸かしたものなど、戦時中のような食生活を送っていましたが、週に一回はおなかいっぱいの昼食を頂ける事をとても嬉しく思いました。

また、昼食の時間になると歴史担当の先生や、国語担当の先生など、様々な先生がご飯に誘ってくださり、一緒にご飯を食べてくださいます。

週に一回しか学校に来ないため、皆さん珍しそうに、日本のことや、復旦大学について、私自身の将来について質問を投げかけてきます。

その全てがわたしに、自国の文化について再認識させるとともに、自分の未来を改めて自覚させてくれます。

午後からはクラブ活動の授業で、日本語や日本文化に興味を持った学生たちに、日本文化や簡単な日本語のあいさつを紹介しました。

2000年生まれの学生たちの好奇心に応えるために、私に話せることを必死で話しました。

台商学校での初めての授業は、あっというまに終わり、午後3時45分に、帰りのスクールバスに乗りました。

何もかもが新鮮で、楽しいと同時に学生たちの好奇心や学問を求める要求に、しっかりと応えてあげたいと思った、とても大きすぎる収穫のあった一日でした。

大学に戻ると、先生からまた「学生」に戻ります。毎週木曜日は必須科目の授業が午後6時半から9時過ぎまであり、疲れ切った身体を振るい起して授業に臨みます。

朝4時から、お昼寝なしにフル回転していた脳と身体も、さすがに疲れを見せ、クラスメイトからは「エミそんなに疲れた顔して大丈夫?」と心配されてしまいましたが、休み時間にクラスメイトとおしゃべりをすると少しずつ元気になれます。木曜日は、長い長い一日です。

今学期は、5つの授業を履修することになりました。その中の一つは、国際関係学部の授業を、「飛び学科科目」として履修することになりました。

この授業を受けている学生はほとんど国際関係専攻の博士課程の学生で、外国人はもちろん私一人です。

難易度はいつにも増して高いですが、国際関係学部の先輩がとてもよくしてくださり、私のために資料を下さったり、サポートしてくださいます。

「あなたにとって中国語は難しいと思って、英語版の参考文献を添付してあげたよ。」と先輩は笑顔でおっしゃいましたが、私は英語の方はなおさら分かりません。

3月16日は、東京大学の伊藤元重先生の講演を聴きました。題名は、「アベノミクス経済の展望」です。

今回は、中国語と日本語の同時通訳によるものでした。私は、講演の始まる5分前に会場に着いたのですが、席はすでにいっぱいで、一番前の列の真ん中の席しか空いていませんでした。

すると偶然にも、隣に座っていたのが講演をされる伊藤先生で、名刺を頂き、講演の後には直接質問をすることもできました。

また、いつのまにか「先輩」になってしまったのも今学期からです。

この時期にも、日本人の新入生が新たに大学に入ってきました。

私は、洗濯機の使い方や、安いスーパーの場所、郵便局での手続きの仕方など、まだ慣れない後輩たちに一つひとつ教えてあげました。

東京芸術大学や創価大学など、出身大学も様々ですが、留学生アパートという同じ屋根の下では、家族よりも近い存在です。

忙しい日々の中で、上海にきて初めて風邪をひいてしまった時は、後輩が私の部屋まで日本の薬を持ってきてくれました。このような頼りない先輩ですが、私も出来る限り後輩のサポートをして、日本人同士の絆もしっかりと育んでいきたいと思います。

今学期も、新しい挑戦に加えて、さっそく様々な新しい出会いもあり、毎日、朝が来ることをとても楽しみに思います。

新聞配達の仕事も前学期に引き続き行っており、今では歴史学部ほとんどの先生の名前を覚えることができました。

今学期も、一生懸命頑張りますので、日本の皆さま、どうぞ応援よろしくお願い致します。

3月22日 吉永英未