未来への道1

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

福島顕二郎の長沙日語教師録1

2009年9月より長沙学院でお世話になります。
福島 顕二郎と申します。出身は鹿児島で、この度日本語教師で行かせてもらうことになりました。
中国へのあこがれを持ち、今しかないというチャンスに恵まれ、大変うれしく思っています。  
今までの先生方と同じく、素晴らしい体験ができるものと思っています。
是非これからの活躍をどんどん載せていきますので宜しくお願いいたします。


2009/07/21

初めまして、福島 顕二郎と申します。

永谷先生お疲れ様でした。

2009年9月より長沙学院でお世話になります。
福島 顕二郎と申します。

出身は鹿児島で、この度日本語教師で行かせてもらうことになりました。

中国へのあこがれを持ち、今しかないというチャンスに恵まれ、大変うれしく思っています。

今までの先生方と同じく、素晴らしい体験ができるものと思っています。

是非これからの活躍をどんどん載せていきますので宜しくお願いいたします。


2009/08/15

生涯初ビザ取得

とうとう、就業ビザの取得が完了しました。

人生初のビザ取得のため、手続き等でわからないことが
多かったですが、西日本日中旅行社様にお願いをいたしまして、スムーズに取得することができました。
本村様には大変お世話になりました。
ありがとうございました。
関係書類を列記しておきます。
①旅券
②証明写真一枚(3×4cm)
③被授権単位査証通知表オリジナル (中国現地の地方政府から発行されたもの)
④外国人体格検査記録(日中友好医院或いは国立、公立病院で診察すること)オリジナル、コピー一部ずつ
⑤「外国専家来華工作許可書」のオリジナル
⑥査証申請表(西日本日中旅行社ホームページより)

2009/08/22

長沙行き旅券届く

お昼過ぎ携帯がブルブルと震える。
液晶画面に国際電話番号。
範先生からだ。
間を置くことなく、受話器ボタンを押した。
範先生の柔らかい声が聞こえてきた。
「福島さん、航空チケットが手に入りましたので今からFAXで送ります。」

ありがたい!!
とうとう、この日が来たのだ。
どのような書類が送られてくるのか、電話機の前に立ち一呼吸。
来ない。
来ない。
範先生から、もう一度電話が掛かってきた。
どうやら携帯電話番号でFAXを送ろうとしていたらしい。
「すみなせん。私の確認不足でした。」
自分では言っていたつもりだったがしっかりと伝わっていなかったらしい。
よく、やってしまうことだが自己嫌悪に陥る。

気を取り直し、待つことにした。
ここら辺の立ち直りの早さは自分でもびっくりするのだが・・・。

待ちに待った旅券が発行、印刷。
内容は全部中国語。
分かる言葉を拾い集め出発日、時間を確認。
8/29 土曜日 13:30発

あと、一週間だ。

範先生と電話で話をしたとき、「空港で待っています」との暖かい言葉に一安心。

8/29土曜日に鹿児島空港出発上海経由にて長沙空港へ実感と準備怠りなく出発に向けて、改めて心引き締めていきたい。

2009/08/19

中国語講座終了

4月から始めた中国語講座が終了。
方先生より生活に即した会話を中心に教えていただきました。発音が命の中国語。

普段使わない口の形や舌の使い方などマスターするためにはまだまだ修行が足りない。簡単な言葉から中国での生活など、幅広く教えていただき、本当に感謝。

最後に晩餐会をお礼の意味も込めてさせて頂きます。

2009/08/29

出発の時

8月にしてはひやっとした空気に目が覚める。準備万端だが再度チェックをする。買い忘れていた頭痛薬を購入、元々頭痛の病気はないが用心に越したことはない。空港には家族と方先生が見送りに来ていただき長沙までの電子チケットを見てもらうとなんと、上海で降りる空港と乗り継ぎをする空港の間にバスの移動があることが分かった。日本の羽田から成田までの道のりと同じらしい。

元(ゲン)を持っていなかったので、方先生と上海まで一緒に行く坂本さんに上海浦東空港から上海虹橋空港までのバス代をカンパしていただき、まあ、何とかなるだろうと安堵。

一期一会とはこのようなことなのだろう。心細い海外で心が温まった瞬間に感謝、感謝。バスに揺られ上海市内へ空港から1時間。着いた空港は見る限り街のど真ん中にあるイメージ。こんなところに滑走路があるのかと日本的な考えで、空港内に入り手続きをする。

中国の大きさを日本の小さい枠では考えてはいけない。大きな滑走路を見つめながら空港内を歩き、そう思った。上海虹橋空港は中国国内線が多数発着する。乗り場もA1~10、B1~10まである大きな空港だ。販売店も多くあり、必需品はここで揃いそうだ。

長沙行く便を待つこと1時間30分。

上海滞在時間3時間で長沙へ飛ぶ。方先生がその後、空港より上海での乗り継ぎ案内書をもらって頂きそこで、バス代は無料で行けることが分かり、手続きを説明して頂き、たぶん大丈夫。着けば分かるさ精神で出発準備へ出発ロビーにて上海へ行かれる家族と出会う。

奥様と娘さん(1歳8ヶ月)の2人で帰省するが手荷物が多いので上海まで手伝って、一緒に持って行くことになった。大きな手荷物。中身は娘さんのミルクや着替えで一杯。奥様1人で娘さんと荷物を持つことは困難であろう。少しでも力になれればとお手伝いさせていただくことに。

最後の見送りに家族との別れを惜しみ、駆けつけた友人と話をし、出発(忙しい中来てくれた友人に感謝)

鹿児島~上海はあっという間。こんなに近い外国だったのだろうか。驚く間もない時間である。

機内サービスでは中国語で話しかけられ、日本人らしくないのかとトイレの鏡に顔を写して少々考え込む。

上海浦東空港で乗り継ぎ案内を片手に、いざ、空港内へ。荷物を受け取り、地図にあるトランスファーホールを探すが地図がアバウト過ぎてどこにあるか分からない。(トランスファーホールで上海虹橋空港行きのバス無料券が手に入る)一緒に飛行機に乗った奥様に通訳をして頂き右往左往して、やっとの思いで発見。券を受け取るにも言葉が分からず、いつの間にか受け取る始末。外に出ても、バス停が分からず、一緒に奥様に案内して頂き、一件落着。乗り継ぎの飛行機の心配までして頂き、もし、無ければ泊めてあげますという

ありがたいお言葉。本当に奥様が居なければ、上海浦東空港で迷子になっいたのではないかと思う。(上海到着時 気温27度 天気晴れ時々曇り)上海で乗ったバスの運転の荒いこと。横入り、前車接近当たり前、そこのけ そこのけ カーチェイス。目的地に無事つけた運転手の冷静な顔を覚えておこ。

長沙に着き、手荷物を受け取ると外へ。痩せて、スポーツマンタイプの範先生がすぐに声をかけてこられた。

あれっ、写真と違う。

自分もこうして遠くまできたが、流暢な日本語にびっくり。電話で何度か話をさせていただいたがこんなに上手とは。

世界は広いな、日本語で心配なく話が出来る安心感、日本に7年間住んでいたらしく、日本食も何でも食べられる、本当に日本通。最近も日本に遊びに来られたらしく、鹿児島の事もかなり詳しい。劉先生ともご対面、電話で話をしたがやっぱり日本語が上手だった。これからの生活には不自由なくできると確信しつつ長い出発日を終えることができた。

2009/08/30

いざ、街へ

日本では総選挙の日

鳥のちっちっという鳴き声で目を覚まし、周りを見渡す。部屋にはベッドが2つの寝室にテレビ付きのフロアー、共に机付き。調理場と洗面所兼風呂場兼トイレの4部屋。寝室にはクーラーもあり快適。

早速、シャワーを浴びようと思ったが、お湯の出し方がわからず断念。風呂桶無く、シャワーのみ。トイレは水洗、和式トイレ(もちろん仕切り無し)調理関係用品は揃っており、食器、炊飯機等々調理には困りそうにもない。

朝から曇りで雨も降ってきた。少し外に出ようと扉の前で一人。開かずの扉が立ちふさがる。入り方は教わったが、出方を教わらなかった。しまったな、心の中で叫んでみたがここは一つ自分の力でどうにかしよう。

鍵を内側から差し込んでみたり、鍵穴をひねってみたり動くねじを回してみたりと、悪戦苦闘の30分。単純な鍵の仕組みを何とか解明。ゆっくり考えれば開く扉をがちゃがちゃしないことが近道だったと思いながら、外へ出る。

朝から生徒に連れられ街の散策と店の紹介。今日のガイドは周 亜紅さん、陳 明さん。大雨の中、近くのスーパーへ生活用品の中で足りないものを買い出し。途中でまんじゅうと豆乳を買い、職員室へ。まんじゅう、豆乳ともにかなりの美味。朝ご飯は毎日これでいいかな。

電機、インターネット関係の設備、携帯電話について分からなかった事を劉先生に相談すると、コンピューターに詳しい陳 建東くんを携帯電話で呼んでもらい、一緒に買いに行ってもらう事になった。

携帯電話はカードを購入して使用することになった。中国国内では地区を移動するごとにカードを買い換え、番号も変わるらしい。

中国の人は携帯電話の番号を買い換えるイメージらしい。日本の携帯会社のような上品なところではなく、一つのお店で気軽に買えるところに驚いた。

バスに乗り学校から30分ぐらいの長沙駅近くの電気店へバスは古く、雨が降ったせいで雨漏りをしていた。道はそれほど混んではいないが、バスを降りると人混みが出現。銀行でお金をおろしたばかりで、生徒からバッグを気をつけてとの注意。電気屋は活気があり、電機製品はほとんど置いてある大きな店であった。

お目当ての物も、ガイド役の女性に値切り交渉をしてもらい商談成立。店の人に日本人であるというと珍しそうに眺められてしまった。帰りに学校近くの通りを歩いていると、洋服屋さんのマネキンが服を着せられ道へ立っており、雨が降っていたので傘を差されていた。日本では見ない光景なので、印象に残る。日本では雨が降れば、店の中に入れられるマネキンも 中国では、外で雨傘を差されて立たされる。文化の違いを垣間見られた瞬間であった。

2009/09/1

焦ることなくゆっくりと。

初めての授業に入る。

日本語検定2級を合格し、12月にある1級試験をめざすクラス。全部で10名。聞き取りに関しては問題なく、発音もかなり良い。始めに、簡単に自己紹介。流暢に出来る子が多いことにびっくり。これから、どんな手伝いが出来るのか 今から、楽しみであり、自分も勉強になるであろう。

午後からは2級試験をめざすクラス。自己紹介をしてもらうが前のクラスに比べるとまだまだ単語不足を感じる。

授業が終わり、食堂へ。大半の学生は食堂を利用する。ご飯と一品料理が並ぶ。一品料理は1元から4元までと安い。ご飯の量がとても多く、茶碗2杯分ぐらい。その上に、おかずとしての一品料理をのせる。2つ注文するだけで、かなりの量だ。味は辛い物から辛くない物まであるので注文の仕方で味を楽しめる。

学生と一緒に行き、注文してもらい楽しい昼食をとることが出来た。昼食後、すぐに、「学校の近くの湘江に行きませんか。」とのお誘い。もちろん一緒に行くことに。

湘江は観光船もある大きな川で、船下りもしている。散歩道に適しており、家族連れから小学生まで様々な人たちが訪れていた。悠久の流れの中でみんなとのゆっくりとした散歩を楽しんだ。湘江の散歩の後にみんなで晩ご飯を食べることになり初めての蒸し料理を食べさせてもらうことに。

蒸し料理といっても始めに炒めた料理を皿に盛り付け皿のまま蒸籠の中に入れている物だ。席に着く前に、店の前に置いてある蒸籠の中の一品料理を選び
席に着いてからみんなで食べる料理を選ぶ。魚、肉、野菜のバラエティーに富んだ料理が卓に並ぶ。料理を食べ、乾杯になりみんなの杯が空く。

中国では、乾杯をするとすべて飲み干す習慣があるとそこで教わった。飲みきらないことは、失礼に当たるのですべて飲むとのこと。あまりお酒に強い方ではないが生徒たちの進めに、楽しく、おいしい時間を過ごすことが出来た。夜は八時から範先生が、学校内の体育館でバトミントンをしているということでお昼に範先生にご一緒させていただく事に約束を取り付けており、体育館に行くことに。

範先生はまだ来ておらず、拙い中国語で話しかけるが、不審者を見るように冷たい視線が突き刺さる。範先生の名前を出すと急に優しくなり、席を勧められ、たばこを勧められた。

中国では親しくなるルーツとしてたばこをよく勧めるそうだ。日本と違い、自分が吸う前に他の人に勧めることが礼儀であり勧めすぎて悪いことはないそうだ。

そう言えば、男子生徒からしきりにたばこを勧められていたことを想い出した。範先生も到着をして、早速バトミントンを始める。遊びで何度かしていたし、テニス経験もあるので、大丈夫だろうと軽い気持ちで始めたが、始めて5分もすると汗を大量に書き、足もまったく動かず、範先生に休憩しましょうと言われる始末。全く持って、情けない。

先生との年齢差を考えると互角に出来るのではと思っていたが、範先生の技量にはとうてい追いつかず練習相手にもならなかった。あとから、範先生のバトミントン歴は2年で体育館を管理している社長の息子さんで省の選抜選手と一緒に試合をしているとのこと。 (社長は若い頃バスケットボールの選手をしていたそうだ。とても背が高く、おだやかな人だった)

範先生の試合を見るとかなりの運動量で、私では相手にならないことを痛感。中国人の年配の女性と練習をさせてもらったが、こちらも歯が立たず、最終的に
足がもつれ転んだところでゲームセット。これから、毎週月、土、日で自分をバトミントンで鍛え直し、いつの日か範先生と互角に試合が出来るようになりたいと思いつつ、家へと帰る。家に着き、鍵穴に鍵を差し込むがなかなか入らず、右へ左へ。あっと思った瞬間、鍵穴に鍵が入ったまま、根本からぽきっと折れてしまった。呆然とするが、すぐに、先ほど別れた範先生を捜しに走り出す。見つからない。

失意のうちに家に戻るが、どうすることも出来ない。困ったときは好朋友。中国人の友情にかけてみることに。先ほど、食事をした生徒の男子寮の部屋に行き事情を説明。快く部屋に泊まっていくように言われた。

ありがとう。本当にありがとう。言葉では言い表すことの出来ない感謝で一杯。みんなに囲まれ安らかな就寝へ。

2009/09/02

トラブルは突然に

朝が来て、生徒と一緒に目を覚ます。

早上好。昨日の事を想い出し、寝床から起きあがる。

どうしたらいいかと悩む前に、生徒から「朝食を食べにいきましょう」と誘われ
食堂の1階にあるオープン屋台へ。米面、包子、肉まんじゅう、朝食を外でとることは学生にとって当たり前。

一緒にうどんのような物をすすっていると範先生の車が横を通りすぎる。あわてて、隣にいた周金玉くんと先生の元へ。先生に事情を説明し、周君と鍵屋さんを探しに街へ行くことに。

途中で陳 明さんも合流し3人で街を歩く。まず、学校の近くの人に居場所を聞き、家へ。扉をたたくが、返事無し。近くの人に聞くと留守との事。

とりあえず、別を当たることになり、街をぶらぶら。歩くこと数分、別の家の人に聞いたところ、知っている人がおり名刺をもらい電話をかけ、交渉成立。

学校に20分くらいで来られるそうだ。学校へ戻り、待つこと10分。

ようやく、到着。すぐさま、修理へ。プロの手さばきで「開かずのとびら」が徐々に開きだし、中へ。よかった。やっと、中にはいることが出来た。

昨日の汗をかいたシャツを着替え、学校に行く準備をする。トラブル解決で劉先生に報告を。毛先生に聴解の授業を1限目にしてもらい、2限目から授業へ。

0802クラスの作文授業。

早速、失敗談から始まり、テーマは「最近、失敗したこと」 生徒にとっては迷惑なテーマだったらしく悪戦苦闘で作文を仕上げていた。

もっと良いテーマに出来るように悪いことが起きないことを祈るばかりである。授業が終わり、生徒から岳ろく山へ行かないかと誘われた。

バスで30分くらいの名勝地。頂上までの途中に毛沢東が若かりし時に勉強をした愛晩亭、長沙長官であり軍人の「蔡う」という人物のお墓、長沙の戦没者のお墓等があり散歩にはちょうど良い。

徐々に登りが急になり、木々の間の小道を通り抜けていく。生徒たちは、走ったり、途中にある大きな石に登ったりと元気いっぱい。こちらが、息が切れかかっている横をスイスイと登っていく。女の子も元気が良い。楽しそうにおしゃべりをし、たまに、日本語の勉強。登りの途中に120年の大木を拝み、頂上へ。

頂上は東に長沙の街を望み、西へ自然豊かな山や川がある眺めの良い残念ながら霞がかかっていて長沙の街は少ししか見えなかったが満足のいく眺めであった。

夜になれば、夜景がとてもきれいに見える場所でもある。頂上までは車道があり車があれば是非行ってみたい物である。

バス乗り場から約1時間30分の登山。鹿児島の霧島にある高千穂の峰ほどの登山ではなく、散歩がてら頂上へ行ける気軽さがあり、登ってくる人があとを絶たなかった。

下山後みんなで夕食を食べることに。昨日行った蒸し料理屋へ。料理はおいしく、少しお酒も飲みいい気持ち。

生徒が「ゲームをしましょう」と盛り上がり中国式若者の飲み会ゲームをすることに。親が5、10、15、20の数を言い、それに対してみんなが手の動きで応えるゲームだ。5は両手をパーの形、10は両手をグーの形、15は右手がパーで左手がグー。20は両手をグーにする簡単なゲームである。間違えると、もちろん、お酒を飲まなければならないのだが。

最初は慣れず、間違っていたが、コツを掴み100%正解でゲーム終了。生徒たちも間違え杯が進む。帰り際に、お酒代と食事代を払おうとするが、「大丈夫」の一言で受け取ってもらえない。

中国の生徒たちとの楽しい時間と暖かい心に感謝し、学校へ帰る。家に帰り、シャワー室を覗くとなんと、水が流れていないではないか。

トイレとシャワー室は一緒なので、さらにびっくり。トラブル続きで今度は配水管が・・・。

2009/09/03

トラブルの中でも社会見学

朝から流れないトイレにどうしようかと思いここは一つ、自分の力でどうにかしようと近くのスーパーへ一人で行くことに。一人での買い物は初めてだが何度か来て、要領は分かっているが、やはり不安。

長沙のスーパーは、日本と同じようなもので品揃えも良く、値段もしっかりと書いてありレジを通るだけである。レジを通した後で出口にいる検査員にレシートを見せて、外へ出るだけである。

中国語が話せなくても、何とかなるところがよい。トイレ、浴槽洗剤とトイレのスッポンを買い、いざ、トイレへと向かう。・・・何回やっても水が抜けてくれない。

汗だくになりながら、30分の修理作業は過酷でありスッポンを動かす腕に力も入らず、足に震えがくるほどだ。これでは、自分の知識と力ではどうすることも出来ない。早速、劉先生に電話をし、管理人の方に来てもらうことに。

管理人が来るまでに時間があるので、昼食を生徒たちと部屋で作って、食べることに。まずはみんなでスーパーへ食材探し。一人一品を作るということで、生徒たちがそれぞれに食材をかごに入れていく。「先生はカエルを食べますか。」と生徒から聞かれ、是非、食べてみたいというと早速買ってくれた。どんな料理が出来るのか楽しみ。部屋に帰り、食事の準備に取りかかる。

生徒たちは、実家で料理をしたことがないらしく包丁さばきはあまり上手では無かったが、さすがは、中国という味付けを見事にこなしていた。長沙の人は辛い物がとても好きである。

たっぷりの唐辛子を野菜炒めの中に入れると調理場いっぱいに辛い匂いが鼻を刺す。たまらず、別の部屋へ駆け込み避難。料理はスープ、炒め物で辛くない料理も作ってくれた。味はおいしく、辛い物もそれなりに。生徒の作る中国料理風景が見られて、本当に良かった。

昼食後、管理人に来てもらいトイレの修理をお願いする。一度、トイレを見て、道具を取りにまた戻っていった。数分後、持ってきた道具は電気ドリルの長い物。人の手でするような修理では無かったらしい。

20分ぐらい、工事現場のような音を立てガリガリと排水溝を削っていく。自分ではとても修理は出来ないなと思いつつ、修理完了。管理人が帰ったあと、トイレと風呂場の掃除に一時間。

大変な一日になったものである。

2009/09/04

烈士公園へ

午前中の授業が終わり、午後から生徒たちに本屋へ連れて行ってもらうことに。バスに乗り、20分くらいの建湘路、定天台というところだ。

長沙の中心近く、地下1階と地階1階の「新華本店」。日本の本を探したいと思い歩き回る。日本語検定の参考書はかなりの数があるが、日本語の本は全く見つけることができなかった。

残念顔の僕を見て、生徒たちが烈士公園に誘ってくれた。烈士公園は湖、遊園地、遊歩道が一緒になった大きな公園だった。遊歩道は木々に囲まれ、平坦で歩きやすい道が続く。先へ歩いていくと木々の中から突然現れるアトラクション。

遊園地だ。

かなりの広さでたくさんのアトラクションあり、全部遊ぶには丸1日かかりそうだ。遊園地のあいだを抜け、目的の湖へ。夏には、暑さを避けるためたくさんの人が来るそうだ。湖にはボートがあり、みんなで乗ることに。足こぎ、オールを使い中心までみんなでこぎ出す。

景色は最高。

晴れていたので、夕日がとてもきれいに見え、湖に映る森やビルに心癒される。生徒たちは、大はしゃぎ。水をかけたり、ボートを揺らしたりと一緒に楽しむ。

若い昔を想い出し、みんなから元気をたくさんもらった。帰りにみんなで夕食をとることになり、学校近くの屋台へ。初めての「まーらーたん」を食べることに。鍋のだし汁が赤く、辛く、自分の器にも辛い調味料をいれ、野菜や肉を食べる鍋である。

とても辛い。

青梗菜はとてもおいしく、揚げ豆腐のようなものもおいしかった。ただし、中国の肉はちょっと口に合わない気がした。今まで、食べた中で1番辛い料理だと思う。

2009/09/05

初めての友人

本日、晴天なり。

中国にきて、初めての休日。

範先生とバトミントンをすることになっていたので朝8時に学校の体育館へ。

範先生がまだ来てなく、休憩場所で座って待っていると
一緒にバトミントンをやらないかと話しかけられた。

まったく、知らない人から話しかけられ、つい、日本語で「私は、中国語が分かりません」というと「日本語すこしわかりますよ」と日本語でかえされた。

王 らいさんというかたで日本に昨日まで行っていて、帰ってきたばかりだそうだ。

一緒にバトミントンをし、話をして仲良くなり、ご飯を食べる約束をした。

話の中で長沙にも温泉があるそうだ。

泥を使った温泉らしい。

是非、行ってみたいと話をすると10月1日に別の友人たちと行くので一緒に行かないかと誘われた。

とても、うれしく、ご一緒させていただくことにした。

スポーツをすることで、中国人の友人が出来たことはとても良いことだ。

午後から生徒たちと昼ご飯を食べ、たのしいおしゃべり。

別の生徒たちと一緒に出かけることに。

行き先を聞かず、教えてもらえず、後を付いてくるように言われタクシーへ乗り込む。

10分ほどで湘江へ着き、湘江の橋を半分ほどそこから歩くこと20分。

橋の下にある島の公園へ着いた。

昔は人が住んでいたそうで、家があるが、今は公園となっており、家もそのまま残っていた。

休憩を入れて3時間の散歩。

途中にはミカンの木や桃の木など自然豊かで、ミカンは勝手にとって食べて良いらしく、まだ、少し青いミカンを取ってみんなで食べてみた。

少し、すっぱいがおいしいミカンだった。

休憩所に行き、守衛さんと仲良くなり、日本語のレッスンを少々。

向こうにも留学生がいるよと言われ、行ってみると黒人と中国人が一緒にいた。

話しかけると、アフリカからきた留学生とのこと。

スペイン語が標準語だそうで、一緒にいた中国人はとても上手にスペイン語を話しておりとてもかっこよかった。

中国人はスペイン語の「るるるるる」という舌の使い方がうまくできないらしい。

日本人はこれが出来るのでスペイン語の発音が上手に出来るらしい。

機会があれば、習ってみたい物である。

一緒に写真を撮り、国際交流ができ、とても、よい経験が出来た。

夕食を食べるために、長沙市の中心、五一広場へ。

週末でもあり、人でごった返し。

街の雰囲気は大阪、名古屋にとても似ていて、活気がすごかった。

迷子にならないように、みんなについて行く。

すき焼きを食べに行くと生徒が言うのでどんな物かと興味津々。

着いたところは火鍋屋さん(店名 串串香)。

名前からして辛そう。

店は満員で入り口にて待つこと30分。

食事は辛い汁と辛くない汁の二つがついた鍋に野菜や肉を入れて食べるシンプルな物。

辛い方も挑戦するが、なかなかの辛さ。

味よりも辛みが舌を刺す。

中国版すき焼きを堪能して、熱帯夜の街から家路につく。

2009/09/6

中国式バーベキュー

朝のバトミントンは気持ちが良い。

なかなか、日本で運動する機会が無かったが中国でたくさんのスポーツを経験することが出来そうだ。

休日の朝にこんなに汗をかくことが有っただろうか。

範先生と約2時間、一緒に汗をかき、昼食を一緒に食べることに。

「日本料理を食べましょう。」といわれ、久しぶりの日本食に心が躍る。

範先生の話では長沙にはまだまだ日本料理屋が少ないらしい。

店に着き、入り口で和服姿の女性に「いらっしゃいませ」と挨拶をされ、中へ進む。

中は日本風の造りで、かかっている音楽もすべて日本の最近の曲だ。

料理は天ぷら、寿司、串焼き、ウナギ、刺身など何でもあり、日本と変わらない味。

ただし、串焼きは味が少し長沙の人たちに合うように作られており、日本とは違った感じがした。

お酒も日本酒を頂き、食べて飲んでとても楽しい時間になった。

範先生から、中国、長沙の話や、歴史、地理の話が聞け、大変有意義であったと思う。

夕方から生徒たちと先日行った烈士公園でバーベキューをすることに。

一緒に買い物をし、そのあしでバスに乗り、烈士公園
へ。

調理の準備は生徒に任せ、火おこしとカメラマンになる。

周りは自然の中で、静かで、環境が本当に良い。

周りがだんだん暗くなる中でみんなとの楽しい会話とおいしい野菜、果物、肉を食べていく。

バーベキューのたれはもちろん無い。

変わりにしょうゆとバーベキューのたれに近いものと辛みの香辛料を皿に入れ、肉や野菜を焼きながら、油と調味料を混ぜた物をハケで塗っていく。

焼きながら、味を付けていく感じだ。

もちろん、私は辛さを抑えた、たれにしてもらったのだが。

学校へ帰り、生徒から電話。

故郷の友人が遊びに来ているので先生を紹介したいと一緒に食事をすることに。

学校近くに屋台で焼き物を。

生徒の友人といっても、私よりも年上で、話はできないが、身振り、手振りや話の雰囲気でなんとかコミニュケーションを取ることが出来た。

中国人はとても、気さくで、楽しく、話が尽きない人がたくさんおり、中国の楽しい休日を過ごさせてもらった。

2009/09/7

授業について

授業について劉先生から説明を受ける。

0802クラス(日本語検定1級をめざすクラス)
一週間に2コマの授業があるのだが、教科書の「みんなの日本語Ⅱ」を2コマで1課進めるように、また、もう1コマの作文については、自由にしても良いですよとのこと

0804クラス(日本語検定2級をめざすクラス)
一週間に3コマの授業。
教科書は0802クラスと同じ。
ただし、このクラスは3コマで1課を進めるようにすること。
また、会話練習のために声を出させるようにして、例文も単語を入れ替えて何度も繰り返し練習をさせること。

早速、授業へ。
本日1コマ目は0802クラス、3コマ目に0804クラス。
時間はたっぷりあるので、繰り返し何度も練習をさせた。
文型、例文、会話、練習A、練習B、練習C、問題全部で8ページ
一コマに2ページのペース。
そこで使われる文法をもとにいくつかの例文を作り、みんなに読ませるようにした。
文型の例文を読み使い方の説明をし、例文の暗唱へ。
今日の文章は「~そうです」、「~ようです」の言語行動目標。
前回は、1コマで1課をすすめようとして分かりにくいところがあったなと思い反省。
一通り、教科書を終え、雑談へ。
生徒たちの日本への理解が深まるようにと、歴史、地理を織り交ぜ、黒板へ次々に自分の持っている知識を書いていく。
十分に伝えきれるか分からないが、なるべく、わかりやすく、丁寧に教えていくようにしたい。
これからは、もっと、いい例文をたくさん生徒たちに教えていきたい。

2009/09/8

インターネット接続へ

朝からインターネットが無いと不便だと思い、陳建東くんにお願いして一緒に探しに行ってもらうことに。

前回、長沙駅近くの電気店へ行ったので、そこへ、また行ってみて探す。

値段を色々と聞いてみるが、劉先生から教えてもらった値段の店がないため学校近くのネットバーで検索してみることに。

初、中国のネットバー。

中は暗く、空気が悪い。

来てはいけないところへきたのか。

座席はだいたい埋まっており、午前中なのだが人が多かった。

午前0時から午後0時まで1元、午後0時から午前0時まで2元。

会員になると100元を払い200元分利用できる。ただし、一時間2元。

つまり、100時間利用できるわけだ。

ネットで調べるが見つからない。

再度、劉先生に電話をかけると、探している会社は別のところだったらしい。

また来た道をバスで戻り、長沙の街を1周する羽目に。

目的の店(中国電信)につきカードを購入。

1年間1200時間利用可能。

ただし、1ヶ月100時間の制限付き。

1年間で1500元の契約(機器の購入費込み)をして帰ることに。

購入には手間がかからず、身分証明書と電話番号、サインで購入。

身分証明書が無いため、陳くんにお願いする。

これで、やっと買い物が終わりバスで学校へ帰ることに。

帰り道、いきなり、横から車がバスの側面にぶつかってきた。

ギッギーとひっかく音と共にバスが停止する。

強引に入ってきた車がぶつかったらしい。

ぶつかった車のボンネットは、はずれバスの側面も傷つく。

乗客はざわめき、運転手はほえる。

乗客、運転手、車の運転手共にけがはなく、その場は騒然。

バスを降りると周りに野次馬。

道路は車の渋滞が出来る。

カメラをもってきていなっかたのが残念。

午後から授業があるのに災難だ。

学校までもう少しなので、陳君と歩くことに。

帰り道、陳くんに

「今日は運がいいですね。会社を間違え歩き回り、バスも事故をおこして。」といわれる。

まったくそうだ日本では経験出来ないことが出来て・・・。

2009/09/9

夜の湘江へ

朝の授業が終わり、午後から次の授業の準備をするが中々はかどらない。

生徒に授業をすることは大学以来のことで教科書とにらめっこをして、いい言葉を思い浮かべる。

辞書を片手に色々と考えてみるが、思いつかない。

あっという間に夕方に。

朝の授業に宿題を出した生徒の元に行き、宿題の提出をしてもらう。

作文の授業で間違いやわかりにくいところが多かったので直してあげることに。

言葉をほかの文章から持ってきていたので、文章のつながりがおかしかったり、使い回しがおかしかったりしており、直すのに一苦労。

言葉の意味と生徒がどう考えて文章を作ったのかを聞きながらの訂正。

終わった頃にちょうど晩ご飯の時間。

生徒たちが「何が食べたいですか」と聞いたので迷わず「餃子」。

学校近くの有名なお店へ。

焼き餃子と水餃子を頼み、本場の味を楽しむ。

中国では、餃子のタレはなくそのまま食べるらしい。

餃子自体に味が付いているので、おいしく頂いた。

醤油もあり、つけて食べる人もいるそうだが、私はそのまま食べることをお薦めしたい。

食事が終わり、少し散歩をすることに。

夜の湘江へはまだ行ったことがなかったので、早速みんなで出発。

昼とは違い、川の向こうの夜景や花火がきれいであった。

川沿いを歩くと大きな音楽が遠くから聞こえてくる。

何だろうと、近づいていくとたくさんの人だかり。

真ん中には数十人で踊りをみんなで踊っているではないか。

踊りには誰でも参加してよく、踊りも簡単な物なので誰でも出来る。

生徒たちはすぐに踊り出す。

毎日、夜になると川沿いではあちらこちらで踊りが始まるらしい。

私は今回見学だけ。次回は参加してみようかな。

湘江の夜は熱く盛り上がっていた。

2009/09/10

教師の日

朝、携帯メールに0804クラスから来た。

「教師の日おめでとうございます。」

教師の日とは

10年くらい前に出来た記念日だそうだ。

昔は、教師の地位が低く考えられており、その地位を向上させるために始まったらしい。

日本では最近、教師の地位が低くなってきている傾向がある。

日本でもあってもいいのではないかと思うのだが。

ちなみに、記念日で祝日ではない。

学校へ行くと、生徒から「おめでとうございます」を連発された。

少々、面食らうが「ありがとうと」と声をかける。

休憩時間に生徒が何かを聞いている。

尋ねてみると、日本の音楽を聴いているそうだ。

彼は、日本のアニメが好きでそのアニメの主題歌を聴いているそうだ。

中国の男性の音楽はありますかと聞くと、入っているそうだ。

彼が持っていたのはMP4という機器だ。

音楽はもちろん、映像も持ち歩ける。

インターネットカフェ(ちなみに中国ではインターネットバー)でデータを無料でダウンロードして、持っているそうだ。

午後に早速、MP4から自分のパソコンに音楽をダウンロードさせてもらうことに。

中国の音楽を聴きたいと思っていたのでちょうどよかった。

お気に入りは「可米小子 – 青春纪念册」

比較的古い曲らしいが、それでもいいと思う。

中国では、最近の若者は日本の歌をよく聴いている。

だいたいが、アニメの主題歌であるので、私も初めて聞く曲が多すぎる。

永谷先生は、歌が上手で好きだったとのことで、生徒たちはよく先生の話をしてくれる。

先生はすばらしい人だ。

こんなにまで、生徒たちから慕われている先生を尊敬します。

夜になり、教室へ。

電話が鳴り、生徒からだ。

買い物をしてきて、外にいるので降りてきて下さい。

外に行くと、校庭で待っていてくれた。

フランスの資本会社カルフールに行ってきたそうだ。

そこで、寿司を見つけたので先生に買ってきてくれた。(ほうえんさん)

寿司は巻きずしでキュウリとニンジンのステックが巻かれ、丁寧にも日本の醤油付き。

とてもうれしく、いただいた。

別の生徒は靴を買ったらしく、なんと15元。

激安。

靴は普通の品質で、こんなに安く手にはいるのかと驚きである。

2009/09/11

夜の岳禄山

長沙に来て一週間が過ぎ、朝から昨日もらった寿司をほおばる。

元々、朝は強い方では無いが長沙の朝は目覚めが良い。

授業では、生徒たちと会話練習。

授業が終わると生徒から新型インフルエンザの情報を聞く。

長沙にある中南大学で4人のインフルエンザ患者が見つかったらしい。

インフルエンザ対策のために、学校ではしょうぶの葉を燻り、煙を各教室に巻くようにしていた。今日は岳禄山にいくのだが中南大学の近くだが・・・。

午後から夕方の岳禄山に登る。

前回登ったルートとは違う別の登り口から。

入り口には「岳禄山」と書かれた門をくぐり、観光客用に書かれた注意書きを生徒たちと一緒に勉強。

中国語、韓国語、英語、日本語で書かれた注意書きをみて、岳禄山が観光名所で有ることを改めて確認。

前回、岳禄山に来たときとは違い、だいぶ緩やかな道。

途中、自然の話や話の中に出てくる単語で日本語の勉強。(私は中国語の勉強を)

頂上へは、夕暮れになってからの到着。

途中で、夕日が落ちていく自然を眼下に眺め、生徒たちと写真撮影。

頂上から眺める長沙の街はまたしても、もやのかかった街並み。

今回も、またきれいに見ることが出来なかった。残念。

次回こそはと思い直し、下山することに。

夕暮れがせまり、長沙の街の夜景が見え始め、辺りは電気が無く真っ暗。

大きな道で散歩する人が多いので安心だ。

岳禄山の下には、湖南大学を始め4つの大学が集まる大学城だ。

大学生が道を塞ぐように歩き、店の中も学生が多い。

夕食は、大学生が運営している店へ。

食事はおいしく、辛さもあまりない。店の中もきれいで、とても、満足だ。

登り始めから下りるまでの時間は3時間。

散歩には少し長かったが、生徒たちと一緒に行動出来たことはとても良かった。

2009/09/12

体力の果て

昨日の疲れが少し残る中、朝6時に起床。今日は休日。

昨日の生徒たちと朝の湘江をジョギングする約束をしていた。

生徒の大部分が朝は早く起き、学校の周りや湘江をジョギングや散歩をし、朝食を食べ、復習や予習をしているらしい。

学校の生徒たちの勉強熱心さには敬服する。

早速、みんなで出発。走ること10分で湘江へ。

湘江につくと、式典の準備をしているので見学。

という仏教の式典が湘江で開会式をする。

長沙の名所、自然、風景を撮った写真が並べられておりみんなで「ここは何処」「長沙のどこどこだよ」と話をしながら眺める。

きれいな風景が多い。是非、長沙にいる間に多くの風景に出会いたい物だ。

2時間の散歩(ジョギングをするつもりが途中から散歩に)が終わり、バトミントンへ。

中国人の初めての友人(王 らいさん)と再会。

昼食を食べに行くことに。学校近くに新しくできた店で食事をすることに。

王さんの奥さんと友人、4人での食事では日本語の練習と中国語の練習が互いに交わされる。

奥さんは王さんが仕事柄、日本語を使うので是非覚えてみたいとのことでお手伝いさせていただくことに。

50音の練習から簡単な挨拶と大変盛り上がり楽しい昼食になった。

昼過ぎに生徒たちと日本語の勉強に付き添い、夕方から水泳をすることに。

学校からタクシーで15分ぐらいのプール。

6時から11時まで40元と少々高め。

中は飛び込み用の台があり、子どもたちの水泳練習が行われていた。

久しぶりの水泳だったが、昔、覚えた泳ぎで生徒から泳ぎ方を教えてくれと言われ、快くお受けすることにした。

中国でプールに入れると思ってもいなかったので、うれしく思い、泳ぎすぎで、上がるとドッと疲れが。

家に帰りバタンと就寝へ。

2009/09/13

中国音楽

朝、陳 建東くんに頼んでインターネット バーへ連れて行ってもらうことにした。

先日もらった音楽の歌詞を覚えたくて、情報を見に。

相変わらず、中は人で一杯。

休日でもあるからか、学校の生徒たちも、ちらほら見える。

だいたいの人が、インターネットの無料オンラインゲームをしている。

音楽や映像が簡単にダウンロードできるのは、本当に便利である。

早速、検索してもらい見てみることに。

中国語の漢字練習と思い、歌詞を手書きで写すことに。

これが結構大変。

音楽を聴きながら、歌詞の写し間違えが無いように何度も聴く。

聴き取れないところは、陳くんに頼んで聴いてもらう。

悪戦苦闘しながら、1曲、2曲として3曲目で今日は終わり。

歌詞は家に帰ってから訳をしなければ。

中国の音楽も日本に負けず、いい。

元々、中国人の声の良さは日本でも知られているところだ。

是非、歌だけでなく、歌詞の内容まで覚えられるようになりたい。

2009/09/14

Shall we Dance

午後の授業が終わり、黄先生にクラスの生徒たちは呼ばれた。

学校の生徒たちは新型インフルエンザが長沙でも患者が出ているので、体温検査を行うらしい。

隣にある長沙大学に移動して、体温検査。

水銀の体温計ではなく、温度感知器のようで、額にセンサーをあてて、体温を測る物らしい。

次々と生徒たちは検査を終えていき、私も測ってもらうことに。

体温は37.1度。

自分の平熱が37度位なのでいつもと一緒くらい。健康だ。

夕食は生徒が作ってくれることに。

今回は、からいものが好きな生徒だったので全般的に辛い。

特に辛いのが卵と唐辛子を炒めた料理。

舌がしびれるような感覚。

スープも一緒に作ってあったので、スープを飲みながら食べる。

スープはとてもおいしく、塩加減を聞いてみる。

大体ですよとの答えで一緒に調理を見ておけば良かったと後悔。

食事の後は歌やダンスを見せてもらい楽しい夜に。

2009/09/15

夜の教室へ

夕方、外が少しずつ暗くなり、街に灯りが点く頃、教室から電気の光が見え出す。

生徒たちの夕食は早い。

六時頃には夕食を食べ、その後に自習の時間になる。

夜、7時頃には生徒たちが集まりだしている。

教室では、文法、音読、聴解、単語など様々な勉強をしている。

会話の勉強と思い生徒に話しかける。

「今何を勉強しているの」

「文法ですよ。分からないので教えてください」

「いいですよ。どれ・・・」

(~のようです。)

説明しづらいな。

動作を交え、説明していると隣からも説明が。

2人がかりで説明する。

いくつかの文法をしたあとで、生徒から

「先生は長い休みは何をするのですか」

生徒の故郷を見てみたいというと是非来てくださいとうれしい言葉。

日程を聞いてみるが中々合わない。

一応の案を聞いて、他の生徒にも聞いてみることにする。

休みは8日間。

中国の建国記念日(国庚節)と中秋節が一緒になり、長い休みになる。

中国の文化に触れるチャンスなので、是非旅行してみたいと夢が膨らむ。

旅行の夢を見ながら今日は寝られそうだ。

2009/09/16

感動される?

午前中、0802クラスで作文の授業。

テーマは日本で敬老の日が近いので、「祖父母または両親について」

前回と違い、家族のことではペンの動きが速い。

自分でも家族について書き、改めて、家族の支援で中国に来られたことに感謝の気持ちで一杯になった。

生徒たちの作文は様々。

家族構成や今までの過去の事など生徒を知る上でとても参考になった。

一人の生徒が時間内に書き終わらず、

「夜までには出来るので宿題にさせて下さい」とのこと。

夜出来る作文を楽しみに授業終了。

夜、学校に行くと生徒は笑顔で作文を提出。

字の間違いや文章の間違いが少なく良い作文だった。

しかし、1つの間違いを発見。

{私は初めて父に感動されました}

{感動されました}、ではなく{感動しました}ではないのですか。
または、{感動させられました}だと思いますよ。

しかし、生徒は納得せず{泣かされました}とかありますよと反論。

辞書を開いて見てみるが、文法について詳しく勉強していない私には難解。

文法的に合っている気がするので、そのままで良いのかもしれないが、文章としてとてももやもやするものが残る。

別の何人かの生徒に聞いてみるが、答えは同じで意味が通じている。やはり、私が間違っているのだろうか。

文法の先生に聞くことにして、今日は宿題にさせてもらう。

(後日、先生に聞くと文法的に正しいがあまり使わず、感動しましたと使うとの事で生徒を納得させる)

2009/09/17

授業について

朝、朝食を買うために学校の外へ。

長沙での朝食は肉まんじゅうかうどんが多いらしいが、私はとても肉まんじゅうが好きである。

中からしみ出す肉汁とふわっとしたまんじゅうがとても合う。

学校の校門をでると、すぐに見えるお店で朝食は買える。

豆乳と合わせて朝食を済ませ、いざ、授業へ。

今日の授業は0802クラス。

比較的全員が日本語を話すことができるため、会話練習を中心にやっていこうと思っている。

教科書(みんなの日本語)の練習問題と音読の練習をしたあと、会話の設定を行い生徒同士での会話を行うことに。

初めて行う会話練習でどうやっていこうかと悩んでいたが、少しの時間を与えただけで、生徒は場面を作っていく。

少々の冗談も入りつつ、とっさに言葉が出てくるところは、以前の先生たちの教えが今も生きているからだと思える。

生徒たちは会話をしたがっているということをひしひしと感じ、これからは授業にたくさん取り入れていきたいと思っている。

2009/09/18

黄先生と食事

朝、ドアをたたく音にびっくりして寝ぼけまなこで扉を開く。

0804クラスの生徒、周金玉くんが立っていた。

「先生、黄先生と魚を持ってきました」

慌てて、身支度をして部屋へ迎え入れる。

今日は黄先生に昼食を作ってもらう約束をしていたのだ。

黄先生はさっさと調理場へ入り、魚の内臓を取り出し、塩を魚の表面と中にすり込んでいく。

どうやら、昼食の下準備らしい。

魚はまだ生きたままで、新鮮。

準備が終わるとすぐに学校へ。

どのように調理するのか、昼食が楽しみだ。

授業が終わり、周くんと昼食の材料を買いに外へ。

野菜と肉を買い出しに行き、黄先生の待つ校庭へ急ぐ。

時間より少し遅くなり、黄先生を待たせてしまったが部屋に入り調理が始まると手伝いに来ていた生徒たちにテキパキと指示を出し始めた。

黄先生は生徒たちにとってお母さん的な存在である。

頼りになり、その存在感はとてもすごい。

私も今日は長沙の母の味を覚えるべくメモ帳片手に一緒に調理場へ入る。

まずは、今朝持ってきた魚を使ったスープを作る。

ショウガと一緒に煮込むこと50分。

魚のダシで水が白くなったら塩で味付け。

下準備をした魚は油で表面が焼けたら、合わせ調味料で煮込む。

合わせ調味料はショウガ、ニンニク、唐辛子のみじん切りに塩と醤油、水を合わせた物である。

他の生徒たちも1品ずつ料理を作り、食卓へ。

ビールで乾杯をし、料理に箸を付ける。

長沙料理なので辛いと思っていたが、辛さもほどよくとてもおいしい。

スープも味が良くでていて、絶品だ。

ビールと共に、箸も進み、ご機嫌な昼食になった。

最後にみんなで写真を一枚。

黄先生も快く写真に応じてくださった。

先生には朝早くから、忙しい中、食事を作ってくださり、大変感謝。

また、料理の説明をしていただき、ありがとうございます。

今度、料理を作るときは今日教わった魚料理を作ろうと思います。

上手に出来たら、黄先生にも食べてもらいたいと思っています。

2009/09/19

中国語の勉強は果てしなく

先日、生徒から「先生は中国語を誰から習いますか。」と質問され、「まだ、決めていないですよ」と答えると「じゃあ、私が教えます」と先生になってもらうことに。

休日の教室で勉強することになった。

教室には午前中何人かの生徒がおり、その中でスタート。

他の生徒も教えてくれ、まずは、ピンインの発音の仕方。

日本でも、勉強してきたが何回か間違いを指摘される。

次に、数字の発音。

1~100まで数字を言うが4と10の発音はかなりあいまい。

冷や汗もので、何とか言い終えると生徒から拍手。

少々、照れくさい。

挨拶ととっさの一言の練習をすると知らない言葉が飛びだし、何度聞いても覚えられず宿題へ。

本当に単語を覚えることは困難極まりない。

範先生も日本に留学していた頃は、単語を覚えて忘れるの繰り返しで日本語をマスターされていったという話を想い出す。

これから、生徒たちと中国語の勉強を週末だけでもしていくが、果てしなく続いていくことだろう。

夜は生徒たちと湘江へ散歩をする事になった。

散歩の途中に長沙日語学校で教師をしていらした市岡先生から、生徒に電話がかかってきた。

今度のゴールデンウィークに市岡先生の奥様が長沙に来られるらしい。

湖南省のもっとも有名な観光名所である張家界へ行くそうである。

私はまだ行ったことがないので、生徒に行ってみたいと話をしていたところだった。

一緒に同行させていただけないかとお願いをすると、快く承諾していただき、別の生徒に旅行の手配をしてもらうことになった。

市岡先生と奥様と話が出来、また、張家界に行くチャンスがもらえたことにとても感謝をしたい。

市岡先生、ありがとうございます。

来月が待ち遠しくなった。

2009/09/20

旅行の計画

長沙は久しぶりの雨

長沙に来たときに降ってから、ここ半月は無かった雨が勢いよく落ちてくる。

最近、暑い日が続いたので、これで夏が終わり冬へと向かうのであろうか。

生徒(卿亜麗さん)と教室で、市岡先生と話した旅行の話を聞くことに。

卿さんには市岡先生から電話が入っており、話はスムーズに進む。

張家界へは10月4日から6日までの3日間の予定。

列車で行き、市岡先生の奥様と私と生徒3人の計5人の旅行になるそうだ。

張家界へは、卿さんも行ったことがないそうで、今回の旅行を楽しみにしているそうだ。

私は写真でしか見たことがないので、実際に見る雄大な自然は感動的だろうと思う。

列車で3時間ぐらいだそうだが、近くにいても中々行くことが出来ないところなので、今回生徒にガイドをしてもらえるなんて、とても幸運だ。

卿さんから昼食を誘われたが、別の学生と一緒に作る事になっていたので、夕食を卿さんたちと食べることに。

本日は、学生の作る中華料理を、昼も夜も食べることが出来た。

メインは魚料理。

最近、川魚への抵抗感もなく、魚の細い骨もきれいに取りながら食べることが出来る。

少しのスパイスである辛さと醤油の香り、魚のほくほくとした食感が食欲をそそり、ご飯と一緒にとてもおいしく頂いた。

2009/09/22

長沙駅へ

午後の授業が終わり周金玉くんから長沙駅に遊びに行かないかと誘われた。

今日は長沙駅の改装が終わり、記念式典があるらしい。

踊りや音楽のコンサートが有るらしいですよとの言葉に乗り、一緒に行くことに。

陳建東くんも一緒に、まずは、腹ごしらえ。

学校近くに出来た福建省の料理屋へ入り、ラーメンを食べる。

あんがアーモンド主体で、甘く、辛さがほとんど無い料理。

少し物足りないため、置いてある辛い調味料をかけて食べた。

最近、辛みに慣れてきたのだろうか。

お腹を満たして、早速出発することに。

店をでて、少し歩くと、前にクラスメイトがいた。

陳君が早速声をかけ、「一緒に行かないか」と誘うが、断られてしまう。

失意のうちにバス停で待っていると、後ろにさっきのクラスメイトがいるではないか。

男三人の小旅行に、2つのバラが咲く。

長沙駅へはバスで30分ぐらい。(168系統)

駅へ着くが、始まるまで30分前。

時間を潰すために、ケンタッキーのお店へ。

中はとても清潔で日本とそう変わらず、商品も日本と同じものが揃っていた。

ただし、ポテトに着いてきた、ケチャップが違う。内容を見ると、辛み成分が入っているではないか。さすがは長沙だけあって、こんなところにも辛さを求めているのだ。

30分たつが、一向に始まる様子がない。

駅には、旅行に行く人や待ち合わせをしている人、様々な人が入り乱れる、いつもの長沙駅。

「今日は無いみたいですね・・・」

2009/09/21

ショック

今日の授業で生徒から「今度の日曜日は授業が有りますね」と言われた。

何のことだか。日曜日は休みのはずだが。

私は市岡先生の奥様と生徒たちと一緒に土曜日と日曜日は岳陽に行くつもりである。

岳陽には洞庭湖という観光名所があり、とても風景がきれいなところだそうだ。

もともと、10月7日と8日に行くと勘違いをしていた私は、急遽スケジュールを変えて9月26日と27日に変更していたのに。

すぐに、劉先生に確認すると結果は同じ。

今度の日曜日とゴールデンウィークの7日を入れ替えて授業をすることになっていた。

7日水曜日は授業が2つ有るので変更は不可能。

何とか行きたかったが、また、今度の計画にすることにした。

せっかくのチャンスであったが、仕方がない。

冬休みは時間があるそうなので、そのときの楽しみに取っておく事にしよう。

2009/09/23

黄先生と食事

午前中の授業、1コマの休憩中に黄先生と学生に呼び止められる。

「部屋の鍵を貸して」

黄先生が昼食の料理を作ってくれるらしい。

突然の申し込みにびっくりしたが、とてもうれしく思い、鍵を渡す。

しかし、昨日洗ったベッドのシーツが干しっぱなしだったことに気づき、「失敗したな~」今朝、たたんでおけばよかったと心の中で思いながら次の授業を行う。

午前の授業が終わり、毛先生とようさんの3人で部屋へ向かう。

いつか、毛先生も時間があれば、料理を作ってくれるとの事。

いつになるか分からないが、楽しみである。

部屋に入ると、良い匂いが立ちこめていた。

今回も魚料理メインで野菜炒めがたくさん。

魚は中ぐらいの大きさだが、私も何回も中国の魚を食べてきたので、早速おいしいところを頂くことに。

中国の魚は小骨が多い。

しかし、腹の近くには骨が少なく、味がしみていておいしいのである。

野菜料理も新鮮な物を使い、前日の物を中国の人は使いたがらない。

大体の日本人も同じであろうが、私は冷蔵庫に入っていると、つい使ってしまう。

料理はおいしく、とても大満足。

少し残った分は今日の夕食に・・・。

黄先生ありがとうございました。

2009/09/24

夜の教室でアニメについて

午後の教室で入れ替わり入ってくる人たちと話をし、孫湘南さんと周洋さんに晩ご飯の食事を作ってもらうことに。

食事を学生と作って、夕食を食べた後、教室へ。

0802クラスを覗くと、初めて見る学生を発見。

早速、話をしてみると色々な話が出てきた。

学校に入ってまだ1ヶ月もたたず、間もないといっていたが、日本語がすらすらと出てくる。

学校に入る前に、日本料理店でアルバイトをしており、そこの店長に教えてもらったそうだ。

しかし、アルバイトをしていた期間は3ヶ月。

そんなに短い期間で話が出来るぐらい上達するものだろうか。

彼女は、日本のアニメが大好きで家にあるインターネットでよくみているらしい。

日本の事についても大変興味を持っており、色々な情報を持っていた。

今の日本の首相は誰か、この間、日本で選挙があり見ていたなどである。

日本のアニメは本当にみんなから愛されている。

インターネットカフェに行けばたくさんの人がアニメを見ているし、売店などで日本のアニメのグッズがよく売られていた。

少し前までは、日本のアニメは外国に受け入れられないものであると思っていたが、生徒から「日本のアニメはすごいですよね、どうやったらそんなことが考えられるのか。日本に行って、アニメを作っているところを見てみたい。」などアニメ話はつきない。

私は、少ししか分からないため、生徒から教えてもらうばかりである。

年が近いが、少々ジェネレーションギャップを感じる。

2009/09/25

市岡先生の奥様とご対面

朝、学校へ行くと、職員室に奥様が座っていらっしゃった。

「おはようございます。」

日本人の声に懐かしさを感じる。

昨日、長沙に着き、今日は学校の見学をするらしい。

まず、私のクラスで生徒たちの様子と教室を見ることに。

0804クラスの授業。

まず、市岡先生の奥様に自己紹介をしていただくことに。

伊豆からお越しで、お名前が市岡聖子(いちおか きよこ)さん

聖子さんには息子さん2人と娘さん1人の計3人いらっしゃるそうだ。

息子さんも娘さんも私よりも年齢が上で、生徒たちは孫みたいなものだ。

0804クラスで、市岡先生から授業を教えてもらったのは半分くらい。

聖子さんに質問を生徒たちにしてもらう。

日本の標準語を話し、ゆっくりとした雰囲気にしばし、聞き惚れる。

学生たちは次々と質問をしていくが、時間が無くなり、残念。

全員に色々な質問をしてもらいたかった。

午後から今度行く張家界の列車の切符を買いに学校の近くのホテルへ。

ホテルで列車の切符が買えることに驚きである。

聖子さんに私の日本語が中国人に似てきていると指摘され、たいそう驚いた。

自分では変わっていないと思っていたので、なおさら、ショックでもある。

夕方、聖子さんの洋服を買いに、8人の生徒たちと金満地へ

金満地は学校から歩いて、20分ぐらいのところにあり、地下に店がたくさんあるところだ。

店の内容は、若い女性の洋服が多くあり、小物や食事が出来るところなどがある。

私は、初めて行ったので少々興奮ぎみ。

いろんな店を眺める、ウインドショッピングを楽しむ。

聖子さんのほしい商品は見つからなかったことは大変残念であったが、みんなで歩きながらのおしゃべりは楽しいものであった。

2009/09/26

長沙郊外へ

朝から良い天気に恵まれ、今日は暑くなりそうだ。

お昼前から学生と、以前学校でクラスメイトであった学生を訪ねに長沙郊外へと行く。

バスは168系統。

長沙駅前を通りすぎ、街からどんどんと離れていく。

バスから降り立った場所は何もない広い道路。

バス停で待っていると、彼女が迎えに来てくれた。

彼女(王さん)の住む場所は土地開発を行っているところ。

今はまだ小さな団地だが、ゆくゆくは大きな街になるそうだ。

学校を卒業した後で、姉の経営するスーパーで働いている。

団地に人影はまばらで、商店や飲食店がぽつりぽつりと店をだしていた。

団地内に入るといきなり花火が打ち上がった。

ものすごい音にびっくりしていると「新しいお店がオープンしたんですよ」と教えてくれた。

中国では新しく店がオープンすると、爆竹や花火でオープンを知らせる習慣があるらしい。

日本で行ったら、えらいことだ。

しかし、間近で花火の音を聞くことが無かったので、打ち上がるたびに驚いてばかりだった。一緒に行った学生も耳を塞いで、急ぎ足で建物内へ。

彼女の働くスーパーを見学して、近くにオープンビリヤード場があるので、そこに入って遊ぶことに。

ビリヤードは久しぶり。年に何回かしかやらないので上手では無いのだが、学生の手前なんとか良いところをみせたい。

しっかりと玉を打つことは出来るが、なかなかポケットに入らない。

横で見ていた子どもと仲良くなり、一緒にすることに。

子どもと遊ぶのはおもしろい。わがままだが、表情や表現が自由でこちらも楽しくなる。

言葉は分からないが、雰囲気や表情で意志の疎通が出来、チームを組んでの試合では勝利を勝ち取った。

ビリヤード場をあとにして、昼食をとり、近くの公園へ。

公園で昼休みをしているおじさんに学生が声をかけ、話が弾む。

日本人だというと、日本語を教えてほしいとお願いされ、どんな言葉が教えてほしいかと尋ねると身振りや学生に中国語で説明をし始めた。

話を聞いても分からず、学生もなんと説明していいか分からない様子。

単語を拾い集めるとなんと{納棺師}だった。

どうしてまた、そんな言葉を知りたかったのだろうか。不思議である。

色々な話をして、あっという間に時間は過ぎていく。

この町は、まだ開発途中だが、今からどんどん大きくなっていくのだろう。

2009/09/27

柿木さんに出会う

本日は日曜日だが、ゴールデンウィークの振り替えで水曜日の授業をする。

授業は午前中で終わり、午後から明日の授業の準備に取りかかる。
準備を終え、夕食の時間になり、出かける準備をする。

先日から鹿児島市総務局市長室国際交流課の柿木さんと連絡を取り、今日会う約束をしていた。

柿木さんは長沙に来て、もう、1年半になる。

今年の3月頃、柿木さんが鹿児島に帰ってきていたときに、1度だけお会いしたことがあった。

私が長沙に来てからすぐに連絡を取ろうと思っていたのだが、バタバタしていたため、やっと今日会うことが出来た。

長沙で出会える数少ない日本人であり、また、同郷の鹿児島人でもあるため、とても親近感が湧く。年齢も近いこともあり、色々な話をすることが出来、本当に良かった。

柿木さんは今度のゴールデンウィークは、鹿児島に帰り仕事があるそうだ。
今回の国庚節と中秋節に中国にいられないらしく、残念がっていた。

帰ってきたら、鹿児島の事を聞いてみたいものだ。

長沙での友人が多くいるそうなので、今度、紹介していただくことに。

友人が、まだまだ、少ない私にとってはありがたいことである。

長沙で友人の輪ができることを願っている。

2009/09/28

市岡聖子先生と黄先生と学生と私

午後から授業が終わり、学校に聖子さんに来ていただき、学生と一緒に買い物に行くことになった。

今日はちらし寿司を作っていただけることになり、卵、しいたけ、のり、米、さやえんどう、千切りニンジンを仕入れ、部屋へ戻る。

部屋では、黄先生と学生が食事の下準備の真っ最中。

早速、ちらし寿司の準備に取りかかる。

学生に手伝ってもらい、薄焼き卵から。学生にも薄焼き卵を作ってもらい、とてもうまくできていた。

黄先生と学生の作る中華料理もおいしく、量もたくさん。

中華料理は作るのが難しいが、学生たちはとてもうまく作る。

それでも、黄先生の魚料理が私はやっぱり好きである。魚の選別から味付けまでとてもよく行き届いていると思う。

食べきれるか心配なほどテーブルには料理がいっぱい。私たちと学生合わせて10人のみんなで囲む夕食は格別である。

こんなにたくさんの人数では、まだ部屋で食べたことがなかったが、イス、お皿、おはし、すべてが整い食事をすることができた。

部屋で食事をできるのは10人までで、それ以上では色々と足りないものがあることが分かりよかった。

楽しい会話と雰囲気、みんなと食べる食事は私の一生の思い出となるだろう。

2009/9/29

日本の味

市岡先生と午後から待ち合わせ。

生徒たちと一緒にご飯を作ることに。

0802クラスの生徒が中心。

全部で12人。昨日よりも多い。

市岡先生には天ぷらを作ってもらうことに。

私は天ぷらが好きで実家でも、タマネギの天ぷらを作った物である。

スーパーへ買い出しに行く。

最近の食事で油と塩が無くなった。中国料理に油は必需品。大量の油で料理を作っていく。

日本料理では考えられないほどの量である。今日は業務かとおもうほどの5リットルを買った。実家では見たことがない量だ。

市岡先生の料理は学生がよく手伝ってくれて、とても良くできていた。

天つゆも作ってもらい、久しぶりに天ぷらを食べた。

学生は天ぷらを食べたことが無かったようだが、大変喜んで「おいしい」といっていた。天ぷらは世界で受け入れられる料理だと思う。

2009/9/30

湘江に秋の花火が彩る。

今日は授業が有るが、大半の学生が故郷に帰っているため、残った学生と共に博物館へ行くことに。

博物館は中国でも有名な2100年前のミイラが安置されているところだ。

バスで烈士公園へ行き、公園内を抜けて博物館へ行く。

朝から国慶節の前日ともあって人でにぎやかだ。途中で太極拳をしている人たちに声をかけて、教えてもらうことになり、市岡先生が1人の女性に習う。

動きはゆっくりだが意外に体を使う武術だと思う。

およそ10分ぐらいの間であったが、市岡先生は中国文化に触れられた歓びを感じられた。

私は、又今度と言うことで博物館へと行く。

博物館は学校から行くと15分ぐらいでとても近くにある。

博物館は時間制限の元に行列ができていた。

中にはいるのも、身分証明書の提示が必要だが、閲覧は無料。

館内に入るまで30分の時間があるので、園内にある水墨画の鑑賞をする、

近代中国の指導者の肖像画から始まり、中国の有名な風景画などが並ぶ。

1つ1つを学生に解説してもらいながら、時間はあっという間に。

博物館内に入るために空港の税関並みに身体検査をする。

ゲートをくぐり、1階フロアーへ。

1階は墓の歴史と出土品の展示がされていた。

2100年前にもうこんな物が使われていたのかと、感動しながら鑑賞する。

歴史が好きな私にとっては全てが興味の対象。

市岡先生と学生は私が半分も見ないうちに全てを見てしまった。

遅すぎるので、別行動へ。

(みなさん、ご迷惑をおかけいたしました。)

出土品は器、服、武器、祭器、一緒に埋められていた人形、植物の種など保存状態が良かったこともあり、形が良い物がたくさんあった。

2100年前と言えば紀元前180年くらい。中国では漢の時代に入ったころ。利蒼は長沙の国王であった。

遺跡は利蒼、息子、皇后の3つで有り、学校の近くにある。近いところに有るので是非行ってみたい。

2階にミイラは安置されてある。ミイラは皇后の遺体である。発見された当時、保存状態が良く、今よりももっと生きている人間に近かったそうだ。

歴史的な物なので特別で感慨深い。私はミイラを見ることが生まれて初めてである。2100年たって、日の光を浴びた皇后はどう感じているのだろう。

私たちには、計り知れない時間を旅してきている、このミイラが今こうして私たちの目に映ることに不思議な感じを受ける。

博物館に運び込まれた遺跡は皇后が埋葬そうされた棺桶があり、高さは2階から3階まである。3階はそれを見るためにある。

1通り見て回り、中国の歴史の深みを感じられ、とても良かった。今までにない歴史を知る上で大変勉強になった。

夕方からみんなで湘江へ。

明日の国慶節を祝うため、花火でお祝いをするらしい。

8時からなので、みんなで料理を作って食べた後、湘江へ向かう。

湘江は人で一杯。車の渋滞がひどい。交差点の混雑を横目に川の方へ。

たどり着くとすぐに花火が始まる。新聞の予定では8時半だったが8時からのスタートだったみたいだ。

打ち上がる花火はどれも、すばらしい。間をおくことなく次々に打ち上げられる。

日本の花火は少しの間があるが、中国の花火は大きい花火から小さい花火までバラエティに富んでいる。

国の誕生を喜ぶように打ち上がっては消えていく。中国の人々の国を愛する気持ちが伝わるようだ。

約40分ほどの花火であったが、川に映る花火に少しだけ日本を想い出した。今いる異国の地でこんなにすばらしい花火が見られることに感謝、感謝。

未来への道2