福島顕二郎の長沙日語教師録2
2009/10/01
国慶節
本日、国慶節。
中国での友人から、以前、長沙にある温泉に行かないかと誘われていたが、連絡がないため、今回は諦めて、学校に行くことに。
学校は学生の大半が故郷に帰っているため、がらんとしている。
0904クラス(入学1ヶ月)の学生と会話の勉強をする。
0904クラスのクラス長の劉さんと陳建東君と始めた。
まだ、1ヶ月なのだが、積極的で熱心である。
会話をするために、色々な習った言葉を考えながらしゃべる姿はとてもいい。
分からない言葉は、中国語で陳くんに説明してもらい、日本語の間違いを直していく。
午前中はあっという間に終わり、昼食を部屋で作ることにする。
学校の外へ、買い物に行くといつもよりも静かで、人もまばらである。
国慶節でみんな帰ってしまったからであろうか。
昼食を食べながら、テレビをみんなで見ていると、国慶節のパレードが行われていた。
軍隊の行進から始まり、各省のパレード行進へと続くとてもたくさんの人が参加をしている。10時から始まり13時までのパレード。夜になるとパーティーが開かれ、催しがあるらしい。夜が楽しみである。
夜は学校にいるご君とようさんと一緒にご飯を作って食べることに。
ご君は私より1歳年下の学生で、以前は会社に勤めていたことがあり、中国の風習について、とても詳しい。
今日初めてご君は魚料理を作る決心をしたらしく、買い物を済ませ、部屋の下で待っていた。
本当に初めてらしく、電話で友達に聞きながら料理をしている。
全部で4品。ご君が1人で作った。魚料理もしっかりと作れており、とてもおいしい。
夜のパレードをみんなでテレビを見ながら、食事をし、お酒を飲む。ご君はお酒が強く、ビールを次々と空けていく。今日は白酒も一緒に飲むのでお酒のまわりが早い。
楽しい飲み会になり、みんなとの国慶節の乾杯は続く。
2009/10/02
学生の故郷へ
朝の長沙駅へ学生たちと向かう。
初めての中国の列車である。
学生から席が取れなかったといわれており、立っていくことを覚悟して駅へ。
駅は入るために厳重な持ち物チェックと身体検査。まるで、空港のようだ。
駅構内は列車の乗り場へはすぐ行けず、ロビーで列車が入ってくるのを待ってからゲートが開いて、いざ、乗り場へ。
みんな小走りに乗り場へ行く。列車への入り口は我先にと入っていく。
なかなか入れず、指定された号車とは別の号車に乗り込む。
中は思ったほどは混雑しておらず、空席の場所を探して、何とか座ることができた。
列車の旅はおよそ2時間半の旅。
日本では比較的長い旅だが、中国では近い方らしい。
向かう先は衡陽。長沙から南へ行った場所である。有名な観光地は衡山。中国でも有名な山である。
今回は衡陽出身である胡燿才くんの誕生日祝いの旅である。
陳超くん、すう楊くんと王坤さんでお祝いをする。
衡陽に降り立ち、胡くんと王さんが迎えに来てくれた。駅の近くにホテルを取ってあるとのことで、みんなで一緒に行くことに。
ホテルは良いところで、部屋にカラオケ、マージャン台、寝室が2部屋、パソコン完備だった。広く、きれいなホテルに大満足。
少し休憩をしてから、みんなで西洋公園に行くことに。
公園は池があり、アトラクションがあり、出店もでていた。公園だが入場料を取っていた。
みんなで歩きながら、わいわいと楽しい。出店で買う焼き栗はなかなか美味しい。
2時間ほど遊んだ後、ホテルへ帰り、夕食にすることに。
夕食は、胡くんの家族、親戚が約20名集まって始まった。夕食は豪華で食べきれないほど。料理も大変美味しかった。
今回は20才の記念の誕生日らしい。このときに一緒にいられてとても良かったと思う。
呼んでくれた学生たちに感謝感謝。
2009/10/03
中秋の満月
昼食を食べた後で衡陽を出発して長沙へ。
列車内は少々の混み具合。座席もあり、ゆったり。中国の風景を楽しみ、風がここちよく頬にあたる。
列車内での中国語の勉強で体の名称を教えてもらうが、なかなか覚えられない。学生の笑い声の中で何度も復唱する。
1度では覚えられないが、何度も口に出すことで少しづつ体に覚えさせていく。
長沙に着き、今回の旅行の無事を喜ぶ。
夜になり、ご君が月見をしないかと誘ってくれた。学校のグラウンドに行き、少々バスケットをして遊ぶ。
そこに、親子2人が遊びに来た。
母親にボールを渡し、少し休憩。すると母親から日本語で話しかけられた。
学校の隣の長沙大学で昔、日本語を習い、卒業後に広東の日本企業で働いていたそうだ。もう、7年ほど日本語を使っていなかったらしいが、とても上手である。
月見を一緒にしないかと誘い、ビールを飲みながらお月見を楽しむ。日本と変わらない月を眺め、学生たちと故郷の話をする。
日本でも眺めているであろう、家族の事を思いながら、家族の幸せに乾杯。
2009/10/04
張家界への旅 (1)
朝の目覚めが悪い。今日は張家界へ行く日だ。
興奮してか何回も夜中に目が覚めた。
以前の先生方が行かれ、日記に書いてある文章を読んで、とても素晴らしいところであろうと想像して寝られない。
朝6時に学生が部屋に迎えに来た。準備は昨日のうちにしているのですぐに出発。
まず、市岡先生のホテルへ行き、合流して朝のタクシーに揺られ長沙駅へ。
朝の7時だが、駅には迎えの人がたくさん。
まだ出発ロビーには人が少ないが、出発時間の8時25分になると、人がぎゅうぎゅう詰めになり混雑しだした。
予定の時間より30分遅れるとのアナウンスがあり、学生と中国語の勉強をすることに。昨日覚えた体の名称の復習。学生の口元を見つめながら発音するが自分でも分かる下手な発音である。
出発時間が迫り改札口に人が殺到。中国人は気が早いのか入り口にはすぐに行列ができる。
改札が開くと一斉にホームへと走り出していった。
汽車は遅れたが、何事もなく出発でき、汽車内は少し混雑するぐらいで、私たちの座席ではゆっくりすることができた。
本日の私たちの旅行者は、市岡先生、王坤さん、卿亜麗さん、楊珊珊さん、私の5人旅。
予約した座席がばらばらになる席だったので、みんな一緒に座れるように学生が先に座っている人にお願いをして、座席を替わってもらう。
かなり強引で、しぶしぶ替わってもらったが「大丈夫。中国の人はやさしいから」といわれた。
汽車の旅は6時間。勉強をしながら話をし、勉強の合間に休憩。休憩中は中国の辛めの漬け物を食べる。カモの足や首、大根など調味料(もちろん唐辛子入り)につけられた漬け物を食べる。最近、辛さに慣れてきて次々に手がでる。
6時間の長旅ではあったが、学生の話を聞いたり、写真を撮ったりとても楽しい。
午後3時過ぎに張家界に着き、卿亜麗さんの友人に市内を少し案内してもらう。
市内から観光名所の武陵までバスで約40分、1人10元の移動。
武陵に着き、タクシーでホテルへ行くが、運転手の女性がいまいちホテルの場所が分からず、案内の人と電話でやりとり(案内人は張家界市内を案内してくれた人、市内で別れた)
夕食後、王さんと楊さんと街に散歩へ。
お土産屋をはしごして、これがほしいと物色しながら夜の街を楽しむ。
部屋に帰るが、先生と卿さんがいない。
少ししてから先生達が帰ってきた。ビールを買いに行っていたらしい。
祝福のビールで乾杯。
2009/10/05
張家界の旅 (2)
静かな街。まだ、明けきらない空の下で部屋の扉を誰かがノックをする。
朝5時半 早すぎると思いつつ扉を開けると、卿さんが笑顔で起こしに来てくれた。
すぐに身支度をし、朝食をみんなで食べる。菓子パンを昨日かっていたので、簡単にすませて出発。
ホテルから観光地の武陵源までタクシーで10分ととても近い。
大きい門をくぐり、入場券を買う。購入後、入り口で指紋を取り登録を済ませ、中へ
バスで頂上近くまで行くのだが、ツアー客と一般客で行列ができている。まだ、朝の7時半である。
バスで20分ぐらい登っていき、ロープウェーのある場所へ。
ここでも長蛇の列。ここで1時間の待ち。渋滞階段でのあまりの時間のかかりかたにうんざり。
やっとで乗るロープウェーの景色は最高。下に絶景、左右に山の断崖を楽しむ。短い時間の空中散歩。
頂上からバスで少しずつ下へ、観光ポイントを変えていく。どこの景色の素晴らしく、地上から突き出た山、切り立つ絶壁、彼方に見える山々に感動。
下に行くにつれて山が近く迫ってくるポイントが多く、大きくそびえる山から圧倒的な威圧感を受ける。昔の人々が自然に対して畏怖と敬服をすることが分かる様な気がする。文明が栄えても自然の大きさには今でも敵わないものである。
この場所は、天子山と呼ばれ、世界遺産へ登録されている。雄大な時間と自然を目の当たりにすることができる。
観光の途中で旅行に来ていた学生たちと一緒に行動させてもらった。地元の人にガイドをしてもらっていたので、一緒について行くことでスムーズに観光することができた。
最後のビューポイントは367mのエレベーター。落ちていくエレベーターからそびえる山を上から下へ眺めていく。
最後まで山に囲まれた、この張家界を満喫できた。
2009/10/06
張家界さようなら
朝のホテル前は騒がしい。
昨日の疲れが取れぬまま、車のサイレンがなる中、窓を開ける。朝の新鮮で少し冷たい風を受け、外を眺める。
張家界へ行く人がバスやタクシーに乗り、客引きのタクシーが次々と通りながらサイレンを鳴らしていた。
今日の帰りの列車予定は昼の1時、3時、5時。
1時、3時は座席指定なし。5時は座席が有るが長沙に帰り着くのは夜中の12時になってしまう。
市岡先生と相談をして、早く帰るために座席なしで立ってでも1時の列車に乗ることに。
ホテルからタクシー駅まで約1時間、距離で40キロぐらい、80元で乗せてもらった。中国のタクシーは本当に安い。
駅につき、切符を買うが1時の列車は55元、5時の列車は28元と値段が違う。日本での列車は料金が決まっているが、中国では変動制なのだろうか。
列車が到着。中に乗り込むが満員で入り口の近くに陣取る。しかし、次の駅に着くと別の人に場所を取られ、場所が無くなりみんなバラバラに。長沙駅に着く3時間前から列車の中は人が肌と肌が触れあうほどの混みよう。もちろん、座ることは許されず、立ちっぱなし。市岡先生は座席を確保でき、座ることができた。もちろんその座席も6人掛けが8人座る事態なのだが・・・。
こんなに混んだ列車に乗ったのは初めてだ。帰りにここまで混むとは予想だにしなかった。
長沙駅に着く頃には疲労困憊。最後のバスに乗り、学校へ到着。
みんなありがとう。良い体験と旅行が出来たよ。準備をしてくれた卿さん、旅行を引っ張ってくれた楊さん、王さん本当にありがとう。
2009/10/7
休日を楽しむ
最近、長沙の気候がとてもいい。朝は寒くない。そして、昼は半袖でも十分。
今日は天気が良いので、旅行中にたまった洗濯物を一気にかたづけることにする。
しかし、良い天気。青い空からさんさんと降り注ぐ太陽。心地よい風と良い具合にマッチしている。
朝7時から洗濯機はフル稼働。たくさんの洗濯の合間に布団を干そうと屋上へ。
屋上には前の永谷先生が花をいっぱい植えていたそうだが、今ではがらんとしている。しかし、日の光を浴び、風になびく洗濯物を見ながら、幸せを感じる。
私も何か植えたいな。道具をそろえたいがどこに行けばいいのか全く見当も付かない。
休みが終わったら、学生と一緒に買い物に行こうと考えている。
屋上でそんなことを考えていると、後ろから急に名前を呼ばれた。
市岡聖子先生が居るではないか。
急な訪問にびっくり。
誰もいないと思って、1人の世界に浸っていたところだっただけに、驚きが2倍3倍にもなった。
どうも、市岡聖子先生の体調が悪くなったらしい。
私も少し風邪気味ではあったが、なんとか持ち直したみたいだが、大丈夫であろうか。
旅行の後だけに心配である。ゆっくりと休まれて、元気になられるといいのだが。
今日は1日家にいるつもりである。旅行の日記を書くことと、体を休める上でも重要な1日でもある。
あさってから、また学校が始まる。
学生も何人か帰ってきている。明日は学校に行くつもりだ。
2009/10/8
久しぶりにみんなとの食事
夕方、携帯がなる。
故郷から帰ってきた陳君からの電話。
「今日の夜、男でご飯を作りますよ。いいですか。」
特に予定がなかったので、食材を買ってきてもらうことにした。
電話を切り、少しすると部屋のとびらをノックする音。
立っていたのは市岡先生。
私のために小説を持ってきてくださった。
時代小説「桜田御用屋敷」小松 重男著
初めて聞く名前の作者。
時代小説は小さい頃から読んでいたため、ありがたくい頂くことに。
私のお気に入りは剣客商売。
単行本を一気に読んだ記憶がある。父の影響か母の影響かは忘れてしまったが本を読むことは好きである。
市岡先生も同じように藤沢周平が好きだそうだ。
今日は男だらけだが夕食を一緒に食べないかと市岡先生を誘う。
男だけに戸惑っているようすなので、買い物に行く途中で出会った女の子を誘うことに。
校門を出るとすぐに故郷から帰ってきた徐さんに出会い。夕食を一緒に食べる約束をする。
買い物を済ませ、みんなで食事の準備。
市岡先生はきんぴらゴボウを作ってくださった。
男の子は魚料理。魚を蒸した料理だ。長沙では魚は焼いた後、調味料で煮るのが一般的だが、果たしてどういう物が出来るか。
準備をしていると、続々と学生達が集まってきた。
最初は、男の子だけだったのが、女の子の方が多くなり全部で13人の大所帯。
準備の終盤に黄先生が突然の訪問。
魚をまるまる1匹持ってきてくれた。
今日はたくさんの食材が有るため明日の夕食に作ってもらう事に。
魚の下準備をすませた黄先生も一緒に、大人数だったが楽しい食事はいつものこと。
男の子の作る料理もおいしい。ご君は料理を作るときは、中国のコックそのもので、なんだか頼もしく、おもしろかった。
2009/10/9
学校が始まる
8日間の休みが終わり、今日から授業である。
学生の顔を見ることは久しぶり。みんな元気そうなので、一安心。
故郷に帰った学生がほとんどで、学校は久しぶり。
家族と久しぶりの再会ではなかっただろうか。学生の中には、何ヶ月も家に帰っていない人もいることを考えると、勉強をするために学校へ来ている学生は、色々なことを考えていることだろうと思う。私も少しでは有るが、役に立つことが出来たらと考えている。
授業が終わり、陳君に銀行に一緒に行って銀行カードを作ってもらう。
銀行は中国銀行を選択。中国銀行は中国で一番大きな銀行だからだ。どこの街に行ってもある銀行を選択した。両替をするにしても、中国銀行しかしてくれないことも選択した一つの理由でもある。
銀行は学校から歩いて10分ぐらいのところにある。銀行は日本と違い行員との会話は窓ガラス越しである。四角い小さい窓から書類の受け渡しをする。もちろん行員の態度は日本には比べものにならないのだが。そこは中国である。
カードは陳君の名義で作ってもらうことにした。色々と手続きが有るかと思ったが、意外とスムーズにカードを作ることができた。これで、中国で日本円を両替する手間が無くなった。
中国には他にも長沙銀行、工商銀行や農業銀行、建設銀行などある。口座を作った銀行以外からお金を下ろす手数料は2元らしい。高いのか安いのかは判断が付きにくい。カード作成には15元で作ることが出来た。
家に帰り、市岡先生との最後の夕食の準備をすることに。
黄先生も学生と一緒になって、昨日下準備をした魚を調理し始める。
市岡先生も学生に好評だったエビチリを作ると張り切っている。
市岡先生は日本の味が出せないといっておられたが、私は先生の作る料理は、日本で食べていたものに近く、とても美味しい物だと思っているのだが。
夕食は0804クラスの生徒が中心。13人も部屋にはいると一杯。イスは14個有るがテーブルに料理が並ぶと座る場所は限られてくる。
中国での料理の品数は食事の参加者数マイナス2,3品である。13人であれば10品が必要であり、料理を作る人は大変だと思う。私は、監督、会場作り、配膳、片付けを担当。学生達も進んで色々としてくれるので、忙しい中でも楽しい夕食になった。
明日で市岡先生が長沙をたってしまうことはとても寂しいことだ。
今日の中国語勉強。
友達に会えて良かった。
能見到友達 好高興
友達に会いました。良かったですね。
我見到友達 好高興。
2009/10/10
旅立ちの日
今日は土曜日。先日のゴールデンウィークの振り替えで木曜日の授業をする。
0802クラスでの会話授業。
今日は黄先生が0802クラスの学生を誘って、市岡先生の最後の昼食をごちそうしてくれることになっていた。
授業が終わって、劉さんとヨウさん、黄先生と買出しへ。
今日は今まで一番多い14人の料理をつくるので買い物をする品目も多い。
外の道路は人でいっぱい。引き車に乗せられた野菜、八百屋、肉屋、魚屋には人が次々と出入りをしている。昼食前の道路に出たのは初めてだったので、人の多さにびっくり。
家に帰り、昼食準備に取り掛かる。
これが最後の食事になるので私も食事の手伝いをすることに。
市岡先生は4時の飛行機で出発するらしい。午前中の授業が終わり、生徒たちがぞくぞくと集まってくる。部屋がどんどん狭くなってくる。
今日は中華料理オンリー。黄先生と学生の共同作業により料理が作られていく。
黄先生が部屋から炊飯器を持ってきた。てっきり、ご飯が足りないので、また炊くのかと思い準備をすると、学生から「別の料理を作るのですよ」と教えられた。一体どんな料理を作るのか見当もつかない。
食事が始まり、炊飯器は中国式水炊きに変化していた。魚、野菜が豊富に入り、無くなると野菜を入れていく。スープも魚のダシがよく出ていておいしい。学生たちがスープをすべて飲んでしまい水炊きは全てなくなってしまった。
先生とこうして2週間一緒に料理を作ったり、食べたり、旅行に行ったことはとても楽しいことだった。旅行では、いろいろな思い出を共有し、写真には写らない体験もした。
先生は、朗らかで、元気で、優しい女性だと思う。私も似たような性格なので、一緒に行動することにとても安心感があった。私の父親と同じくらいの年齢ではあるが、山を歩くその元気な姿は印象的である。
私から何かできることは、今はまだ無いかもしれない。しかし、このように出会えたことは何かの縁だと思う。ぜひ、一度鹿児島へ遊びにこられることがあれば、できることはさせていただきたいと思う。短い時間を濃く出来た、市岡先生との出会いに感謝。
2009/10/11
51広場から中国の発展をのぞく。
日本からの太陽が去り、長沙の街に秋風が吹き始める。朝晩の気温が下がり始め、昼は薄い長袖がちょうど良い。
休日の朝を布団にくるまり、なかなか動き出さない体を、少しずつ動かす。
天気は曇り。長沙での太陽の光は弱い。やらなければならないことはたくさんあるのだが。
やっと起き出し、朝食を取る。昨日残った物でチャーハンを作るが、我ながら絶品。ご飯と中国の味付けが食欲をそそる。ご飯の味に長沙の濃い目の味と辛みがベストマッチしている。
午前は掃除、洗濯に余念がない。特に炊事場はこの何日かで汚れてしまった。毎日、みんなが作る料理でがんばった炊事場を丁寧に拭き上げていく。きれいになっていく部屋を見るのはすがすがしい。今日も又お願いしますと一礼後フロアーへ。
最近の食事会で相当数のビール瓶が増えたな。部屋の一角に並べられたビール瓶を眺めながら、最近の食事を想い出す。そういえば、今日は0902クラスの学生が昼食を作ってくれることになっていた。慌てて、着替えをすませ、部屋の片付けを急ピッチで進める。
11時半、学生が食材を買って部屋へやってきた。今回初めて料理を作ってくれる学生達だ。みんな学校にきて、半年がたつ学生達。
重慶から来ている周琴さんがスープを作ってくれた。重慶本場のスープ。魚に酢菜、にんにく、しょうが、ネギを入れた少し酸っぱい料理。重慶は四川料理の本場で辛い料理かと思っていたが、この様な料理も有ることに、様々な料理のある中国らしさを感じる。
午後は学生を誘って、51広場へ買い物に行くことに。めっきり寒くなった事を口実に秋服を買いに街へ。中国の街で買い物をするのは初めてなので少々緊張。
休日であり、歩行者専用道路は人、人、人。
店も割引セールをしているところが多く、どの店も人でごった返していた。人混みをかき分け、中へ入り、目当ての洋服を物色するが、いいものに出会わない。
何軒かはしごして、若者の店や年配向けの店まで出入りを繰り返す。
日本でも良く目にする店も多く、長沙の都会ぶりを堪能。
やっと見つけた1着を購入。(159元)なかなかの値段だと思うのだが思い切って買ってみる。中国に来て金銭感覚が少し変わってきていることを感じる。
人混みに酔いながら、連なる色々な店を覗き見る。屋台も数多く出ており、歩きながら食べ物を食べる人をよく見かける。食べ物の匂いに誘われ、ちらりと中を見てみると串焼きらしきもの、焼きそばに似たものなど様々。
中国が発展している証拠にこの街は賑やかである。人の熱気と街の喧噪。帰りのバスを待つ人々の顔には疲れをみじんも感じさせない強さがあった。
2009/10/12
授業が3つ
今日から授業の時間割が変わった。
0902クラス(半年、日本語の勉強)の会話の授業が1週間に1回から3回になった。
そのため、今日は1日に3コマの授業をすることになった。
0902クラス、0804クラス、0802クラスの3つである。
授業で使うノートに様々な単語をかき集める。
0802クラスは敬語を中心にした授業に入っている。少しずつであるがビジネス単語も教えられるように準備をした。
0804クラスは動詞を0902クラスは名詞の単語を準備する。それぞれ例文を作りと単語の説明に時間を使う。
0902クラスの教科書の進みが良くない。もう少し、スピードをあげて授業を進めなければ。
しかし、改めて1日に3つの授業をすることの大変さが分かる。学生時代は席に座っているだけだったので、先生達のことはよく分からなかったためだ。
今、学生時代の恩師へ感謝をするばかりである。
2009/10/14
西村ご夫妻を迎える
今日は毛先生が日本でお世話になった、お父さんとお母さんが学校に訪れた。
西村ご夫妻である。毛先生は大学時代に日本に留学しており、そこで、色々とお世話になったらしい。毛先生の結婚式にも出席しており、長沙に来るのは2度目。
お父様は明るく、とても楽しい人であり、お母様は中国語を日本で勉強しているので、単語を良く知っていらっしゃる。
授業で0802クラスの会話に参加してもらった。学生の自己紹介を聞いて、お二人ともたいそう感心していらした。
学生から今日の夕食を一緒に食べませんかと提案があり、お二人とも快諾していただいた。
夕方に学生達に買い物に行ってもらい、中国料理をごちそうすることに。
5時半ごろ、私の部屋は学生と毛先生、西村ご夫妻でいっぱいに。
学生の作る料理をおいしいといっていただき、学生も満足そう。
ご飯を食べた後、みんなで湘江を散歩する。
夜は最近、寒くなってきていたが、今日は風も無く過ごしやすい。
散歩途中にダンスをしている人たちを見ながら、色々な話を学生と西村ご夫妻とする。
社交ダンスをしている学生は、西村さんにダンスを教わっていた。西村さんも社交ダンスを趣味にしていらっしゃるらしい。
隣では一緒に見ていた子どもに学生が話しかけている。子どもといっても赤ちゃんである。
「首を横にふりなさい」と中国語でいうと、赤ちゃんは首を横に振る。赤ちゃんでも中国語を分かるのに、私たちはどうして、他の国の語学が上達しないのか不思議である。
湘江の散歩は約2時間。帰りに学生達は、明日の朝、西村さんと湘江を散歩する約束をしていた。朝のさわやかな湘江はとても気持ちの良いことだろう。
2009/10/15
BBQ
午前中で授業が終わり、午後から西村夫妻と毛先生、0802クラスの生徒と烈士公園へ。
昨日の夕食のお礼に烈士公園でバーベキューをすることになったらしい。
西村さんたちも中国でのバーベキューは初めてだったらしい。
中国でのバーベキューに興味津々。
食材は烈士公園に行く前のお昼の内に、食べるように切ってあり、後は火をおこして食べるだけである。
学生達は楽しそうである。西村さん達も食べたことのない食材をいくつも食べた。
中国での食材で日本に無い物は多いが、西村さんのお気に入りは唐辛子。私は辛くて食べられない、生の唐辛子を焼いた物を良く食べていらした。
烈士公園に着いて明るかった太陽が沈み、夕闇が包み込む中、煙と肉や野菜の良い匂いが食欲をそそり、最後の締めにみんなで焼きとうもろこしを食べて、バーベキューをしめる。
夜の烈士公園は昼とは違う顔を覗かせる。
外灯が薄暗く灯り、街の夜景をきれいに見せる。公園内は散歩をする人がたくさん。
残念なのは、長沙の街では星があまり見えないことである。都会なのでしょうがないのだが、夜になると星を見たくなる私は田舎ものである。
烈士公園には入り口に提灯で作られた天安門と通り道があり、夜の公園を美しい光で映し出してくれる。何度見ての良い物である。
今日のバーベキューで残った食材を使って、明日の昼ご飯を毛先生が作ってくれる事になった。とても、楽しみである。
2009/10/16
学生達と共に
1コマ終わり、生徒から今日の昼ご飯の足りない食材を買いに行ってくれと頼まれ、街へ。
中国語は未だに、早くて聴き取れないが手振りと拙い中国語でなんとか買い物を済ます。
部屋に帰り、部屋の片付けをすませた後で、午前中の授業を終えたみんなが集まった。
学生も手伝って、毛先生の料理もどんどんできあがっていく。
さすがは、主婦業をしているのでとてもおいしい。
ご飯にとうもろこしをいれて出来た料理もまたおいしかった。
昼食が終わり、別の学生と岳禄山へ山登りに行く。
岳禄山行きのバス乗り場が分からず、転々とバス停を移動する。学校近くにはバス停が4つあり、最初は湘江沿いのバス停へ。結局は、街を通るバスに乗り込み岳禄山へ(インターネットバー前のバス停 106系統)
岳禄山麓の大学は今日も大学生が大勢いた。岳禄山へ向かう途中、見知らぬ人から「抱きしめてもらっても良いですか」と声を掛けられる。
大学生のチャレンジ企画らしい。あまりの恥ずかしさにその場を走って逃げる。学生達は「そんなに急いで逃げなくても良いですよ」と笑われてしまう。
岳禄山は3回目。岳禄山の入り口は2つある。両方とも制覇しているので、気楽に山登りをすることが出来た。初めて登った時は、どこまで登れば頂上に着くのだろうかと思っていたのだが、今日はあっという間にたどり着いてしまった。
学生と会話の練習をしながら、山を登り、きれいな空気を吸い、山を登れば登るほど元気をもらうような感じがした。
学校に帰ってきたのは夜8時前。学生から感謝の気持ちとして晩ご飯をごちそうになる。
私の方こそ学生達に感謝したい。
2009/10/17
土曜日の午後は中国語。
朝から良い天気なので、洗濯、掃除をする。
最近、音楽を聴くようになったので音楽を聞きながら日記を書く。
午後から教室へ行ってみた。学生が何人か勉強をしている。
最近、私は中国語の日記を書いている。もちろん、簡単な文章で中国の小学生レベルの文章である。
学生にこの日記を見せるのは少し恥ずかしいが、勇気を振り絞ってお願いをすることにした。方さんがこころよく引き受けてくれた。
訂正箇所はたくさんある。日記は辞書を引きながら書くため、文法はめちゃくちゃ。
学生の指摘を元に書き直し、発音練習をする。
あいかわらず発音が下手で学生から笑われてしまうのだがしょうがない。
諦め半分に、声を出していけば何とかなるだろうと思っているのだが。
日記を元に会話の練習に移る。
会話は文章を自分で考えなければならないので難しい。それに、学生の質問も早すぎて、聞き取ることも簡単ではない。
約3時間があっという間。覚えの悪い大人学生につきあってくれた、方さんありがとう。
2009/10/18
毛先生宅を初訪問
今日は朝から天気が悪い。少しの雨で気温もぐっと下がった感じである。窓を開けていると寒さが皮膚に張り付いてくる。
今日は段さんにお願いをして中国語を教えてもらうことになっている。
朝の教室で段さんは待っていた。教室には休みにもかかわらず何人かの学生が勉強をしていた。本当に勉強熱心である。
使うテキストは「みんなの日本語」の中国解説書にすることにした。
これから、週末は段さんに家庭教師をしてもらうことになった。
簡単な挨拶から自己紹介までの練習。
本当に語学を覚えることは簡単ではない。使わなければ、どんどん忘れていくことがよく分かる。
午後から、陳くんに電話を掛けると午前は西村ご夫妻と岳禄山に行って、午後から長沙の街を観光するらしいので、一緒に観光することにした。
一緒に行っている、りかさんに迎えに来てもらってバスで定王台へ。
定王台は大きな書店があり、学生もよく行く場所である。
定王台の近くに行き、西村ご夫妻と合流するが雨が強くなってきたので途中で引き返す。
西村ご夫妻の泊まっているホテルの近くに喫茶店が有るのでそこでコーヒーを飲むことにした。
バスに乗り10分後、毛先生から陳くんに電話があり、「観光が済んだのなら家に来てください」ということで目的地を変更して先生の家に行くことに。先生の家はホテルの近くにある。
先生の家で晩ご飯の準備。今日は餃子を作るらしい。
中身は作ってもらい、学生達と皮に包む作業をする。餃子作りはおもしろい。
初めはきれいに包めないが、やって行くにつれてじょうずになっていくことが分かる。
食べるより作る方がいいかも。
中国の餃子は水餃子が主流。今日ももちろん水餃子にしてもらう。
タレもお手製でとても美味しく、自分で餃子も作ったのでとても美味しかった。
ご飯の後の話も盛り上がり、毛先生の家での夜がいい思い出になった。
2009/10/19
自分の日本語
朝から授業だ。
0902クラスではオタク女性を宅女と呼ぶことを初めて知った。中国の学生達は本当にアニメについてよく知っている。
授業では体に関連する擬態語や体の部位についての勉強をする。頭の先から足までこんなにたくさんの体の名前があることに驚きだが、それを覚えている自分にもびっくりする。これから、中国語でこれらの部位を覚えないといけないと思うと、大丈夫かと思ってしまう。
0804クラスは30人くらいが出席、人数が多い方が良い。
授業が終わってから、周亜江さんを誘って卓球をする。
王さんも参加して、3人で話をしながら卓球をする。みんなと練習をすることで少しずつうまくなってきていることが感じられる。
卓球をしていたら、ご君から電話があり、今日は私の部屋で晩ご飯を作るそうだ。
学生達はご飯を一緒に食べたり、遊びに行ったりしていてとても仲が良いと思う。
今日はこの前、誕生日会をしたメンバーでご飯を作る。
私は、机で作文の添削に追われる。
大体添削が終わった頃に食事ができあがり、みんなで食べる。
食事の後に、誕生日会の写真や張家界の写真をみて、話が盛り上がり、とても楽しい晩になった。
2009/10/20
西村さんの授業
午後、授業に行くと、携帯の時間がずれている。しかも日にちまで。直し方が分からないのでそのままする。あとで、学生に聞いてみることにしよう。
授業には西村夫妻も来ていたので、いろいろ話をしてもらう。しかし、0804クラスはシャイな人が多いのか、質問が出ない。せっかくのチャンスなのでもっと色々話をしてもらいたかった。
授業が終わってから、周金玉くんから話しかけられた。
最近、寮をでて、友達とルームシェアをしているらしい。「部屋に招待したいから時間はいつがありますか。」木曜日は何も無いので約束をすることにした。
「そのときは犬料理を作りますよ。」期待しておこう。いったい、どんな料理を作ってくれるのか。
校舎の入り口には卓球台が置いてある。0902クラスの周琴さんと宇さんがいた。少し一緒にすると、バトミントンの方が好きだから外で一緒にやりましょうといわれた。外は少し雨が上がったところだった。長沙大学の正門近くにバトミントン場があり、コートが2面ある。久しぶりにバトミントンをする。やっぱり、楽しい。外は寒かったがやる内に暑くなったので、上着を脱ぎ、無心に羽を追う。
5時半になり、男の子達が晩ご飯を食べに行くので一緒に行くことに。
校門のすぐ横には食堂が3つある。今日は正面から見て左側のお店へ。
味はあまり良くない。学生はなんか漢方薬の味がするなどといっている。確かにあまり美味しくない、今度からはこの店に入るのはよそう。この場所で一番美味しいのは一番右のお店だと思う。今度からはそこに行こう。
2009/10/21
日本人として考える
朝から0802クラスの作文の授業。テーマを短いものにしたので1限で終了。後の時間はビジネスマナーにすることにした。
「みんなの日本語」も明日で終わり、みんなもビジネスマナーについて興味があるようだ。明日するはずだった、電話の受け方を授業することにした。
改めて、ビジネスマナーをすることで、自分もマナーについて一から勉強し直しである。みんなと勉強することで、もう一度新入社員の頃を想い出し、そのころに戻ったようである。
0902クラスの授業では、色々な熟語やことわざを教えてほしいと言われ、辞書を引き直す。今まで、あやふやだった言葉があり、辞書を片手に意味をもう一度復習をする。
本当に授業をすることで、いままで何となく使っていた言葉や単語についてもう一度考えることが多くなってきた。日本人であるので、間違うことが出来ない緊張感の中で授業の準備をする。
自分の勉強にもつながるので、あらためて、今の環境にいられることが良かったと思っている。
2009/10/22
目標に向かって
今日で0802クラスは「みんなの日本語」が終わった。
全部で50課。みんなは全部を使うことができるか心配であるが、勉強してきたことは確かである。
みんなに何も言えないで過ぎていく時間がわたしを不安にさせる。誰かがみんなをほめてくれなければ自信がなくなる。
行き先を変えられる時間を抜け出して、遠いところで今思っている、やりたいことをやってほしい。
今、目を閉じて、自分の中にある心に聞いてみる。みんなの気持ちが分かっているので、みんなの膨らむ思いが成功する時を私は求めている。
約2年間、日本語について習ってきた、あとは、1級試験に合格し目標とするところにたどり着いてほしい。
ビジネスマナーについて基本的な挨拶、姿勢、表情や言葉使いなどについて授業をする。
期待していた通り、学生はとてもまじめに授業を受けてくれる。
ビジネスマナーの全ては、今、生活しているものの一部であり日頃からの行いがマナーには出ると思う。
すぐには変えることは出来ないと思うが、少しづつでもみんなの意識を変えることが出来るならば、私はうれしい。
2009/10/23
うれしい知らせ
午前中の授業を済ませ、昼からメールのチェックをする。
そこには、うれしい知らせが舞い込んできていた。
大石先生からのメール。
11月の長沙への訪中が決まった連絡だった。長沙で行われるジャパンウィークへの参加のためである。一緒に両親も来ることになったこともとてもうれしい。
両親に会うのは3ヶ月ぶりになる。メールのやり取りをしているが、長沙を紹介出来ることも、うれしい原因の一つである。
11月が待ち遠しい。
午後になり、ご君が部屋に訪れた。
今から、友人の結婚式に参加するために故郷にかえるそうだ。
故郷はレイ陽。列車で3時間かかるところだ。たどり着くのは11時頃。どうしようか迷ったが、中国の結婚式に、参加出来るという魅力にとりつかれ、行くことにした。
列車のチケットは学校の近くのホテルで買い、七時に学校を出発。(チケットは41元+手数料)
8時40分に長沙駅を出発して、レイ陽をめざす。列車の中は人が多く、座席無しで立ったまま3時間を過ごす。
レイ陽着が11時過ぎ、結婚する友人を紹介してくれるということでタクシーに乗り、待ち合わせの場所へ。
前に一緒にお酒を飲んだ、りさんがいた。年上だそうだが、明るくて、みんなの盛り上げ役だ。とても良い性格だと思う。
日本のするめとキュウリが出てきて、わさび醤油で食べた。わさびの入れすぎで、むせてしょうがなかったが、まあ、なんとかビールで流し込む。
ここでも時間と言うことでさっさと引き上げ、ご君の家の近くにある屋台で夜食を食べる。
ビールと夜食でお腹いっぱいになり、今日はご君の家に泊まらせてもらうことに。
家は団地のようだが部屋の中は普通のフローリングと寝室が3部屋。
お母さんは、やさしそうな感じで夜遅くなった私たちを迎えてくれた。
2009/10/24
レイ陽の街をゆく
朝は8時からおき、ご君のお母さんが作ってくれた煮麺を食べて、レイ陽を観光することに。
まずは、家の近くの広場へ。レイ陽では一番大きい広場らしい。広場には紙を発明した蔡倫の銅像が建っている。このレイ陽の街から紙が生まれたのだ。
蔡倫記念館に行ってみる。蔡倫記念公園の門をくぐると目の前にすぐ、蔡倫の銅像があり蔡倫の人物紹介がしてある。
西暦100年ごろの人で後漢時代の宦官で製紙法を集大成したそうだ。公園内には昔使われていた道具も残っており、展示されていた。
驚くべき事にこの記念公園の全ての物はレイ陽の人々の寄付によって造られたそうだ。レイ陽の一番の観光スポットに、今はなっているらしい。
蔡倫記念公園内にある記念館は工事中。
普段は入場料が20元かかるところを無料で中に入って見ることが出来た。蔡倫記念館では、蔡倫の歴史、紙の作り方、紙の歴史、現在までの世界への伝播の仕方、紙の種類などが紹介されていた。
現在使っている紙がこの街から生まれたと思うと感慨深い物である。
記念館をでて、今度は別の場所に連れて行ってもらう。次の場所も銅像が建っている。
銅像は神農帝で「神農創レイ」と書かれている。
「レイ」は日本語にない漢字なのでここでは書けないが、意味は「農業で使うときの鋤(すき)」である。神農がこの場所で鋤を発明したことから、この街の名前は「レイ陽」となったらしいと、ご君に解説してもらった。銅像の前で記念撮影をしてから、次の場所へ移動。
烈士陵圓と書かれた門をくぐるとそこは緑豊かな公園。
ご君はここで小学生の時は遊んでいたらしい。今は、ご婦人方や子ども、老人がダンスや散歩、ゲートボールを楽しんでいる。
烈士公園と同じで白い塔が建てられており、お墓も造られていた。
中国の人々は、烈士を良く尊敬をしている。
門から一直線のところに塔とお墓があり、途中に階段を造ってある。
階段を上るとき人間は自然と頭が下を向く。それによって、塔とお墓に敬意を表すことが出来るとご君が説明してくれた。
なるほど、まっすぐ造らない意味があることに気づかされた。
昼食はご君の友達と一緒にとり、友達をつれて駅に明日の帰りの切符を買いに行く。
昨日は夜だったので駅の全体が見えなかったが、今日は見ることが出来た。今まで行った都市の中では小さいほうだ。
無事に切符を購入し、杜甫公園に行く。公園前の広場には三国志に出てくる張飛の銅像がある。張飛がこのレイ陽の街の治安を安定させるために視察にきたとのことだ。三国志が大好きな私にとってはとてもうれしいものだ。こうやって、ゆかりのある土地にいることで、心が弾む。
杜甫公園は川の中にある小島である。公園には橋を渡っていく。中は少しのアトラクションと緑の小道、川のせせらぎを聞きながら休憩をする場所ととても良い場所である。夏になると暑さを逃れるため、町の人が大勢おとずれるらしい。
公園で休憩した後、明日結婚式をする友人の家にいく。公園から歩いて10分のところにあり、家に入ると何人かの友人達が集まっていた。
中国の結婚式は前日、当日で友人や親戚が集まって食事を取ることになっているらしい。外に簡易のイスとテーブルが並べられ、みんなで食事をする。全部で50から60人ぐらい集まっているだろうか。
明日は新郎が新婦を家まで迎えに行って、新居に新婦の親戚を招待することになっているらしい。明日が楽しみである。
2009/10/25
結婚式当日
朝はゆっくり起きて、結婚式に行く準備をする。
服装は普段着。家の近くの商店で祝儀袋を買い、祝儀は100元でいいというのでご君に渡す。中国では普通、祝儀の金額は500元くらいだそうだ。
タクシーに乗り昨日行った新郎の家に行く。10時ごろ到着したが新郎は新婦を迎えに行っており、いなかったので、部屋を少し見せてもらうことにした。部屋は飾り付けをしてあり、新郎新婦の結婚用の写真が何枚も飾られていた。
飾りには{喜喜}をたくさん使っており、中国ではめでたいときに用いる字で赤い紙や金色の紙を切って作られていた。
11頃新婦が新居に到着。新婦はウエディングドレスで親戚と共に新居の中に入っていく。新婦の親戚が到着して部屋にぞろぞろ入ってきたのでいったん外に出ることに。今から、新郎側の招待が始まる。
友人もだんだん集まってきて、外はにぎやかになってきた。結婚式の用意は新居の近くの人たちも手伝ってくれており、中国の暖かい場面を見ることが出来た。
昨日の晩ご飯を食べた場所で、昨日と同じように宴会が始まった。新婦の親戚が一番のお客様なのでそちらの接待が終わってから、新郎新婦が外へ出てきた。
新婦はチャイナドレスに着替え、新郎は白酒をみんなの席を回りながら乾杯を繰り返していた。
みんなで100人くらいはいるだろうか。料理人を頼んでいるらしく、料理がいくつもテーブルに並んでいく。この宴会は今晩まで続くそうだ。
ビールを飲みながら、中国の結婚式を見られて良かったなと改めて思った。
帰りの列車の時間があったので、宴会の途中であったが帰ることになった。
時間は少しギリギリ。駅にいく前にご君の家に荷物を取りにいき、タクシーを飛ばして駅に行く。
帰りの切符は座席があるので楽に帰ることが出来た。人もそこまでいないため混雑が少なかった。列車内にはレイ陽に行くときに見た乗客が何人もいた。目的が一緒らしく、行く時間と帰る時間が同じとは驚いた。
長沙が近くなった時、黄先生から電話があり、今日の晩ご飯を部屋で作って待っているとのうれしい連絡があった。部屋に帰ると5人の学生と先生が料理を作って待っていた。みんなで食事をとり、楽しい夕食。
3時間の長旅であったが、最後までありがたいこと続きである。
レイ陽は歴史があり、街は発展しつつあるため、工事が多かったが、緑豊かな街であった。この街で見たり、経験したことは私に中国の違う一面を見せてくれたと思う。
2009/10/27
授業について
夜の教室で中国語の勉強。
テキストをどんどん進み。色々な単語を教えてもらう。
学生から「しっかり勉強してくださいね」と言われ、素直に返事をすると「よし」といわれ、なんだかおかしい状況だなと思う。
学生と授業について話をする。
「会話の例文を先生が作ってきてください。」とお願いされた。
「みんなの日本語」の会話だけでは物足りないらしい。
早速、部屋に帰って考えてみる。例文はもちろん勉強している課で使われている文法を使う。
会話場面の設定から会話内容まで作ることは楽しい。
学生に喜んでもらえるような会話文を作れたかどうか、明日学生に見せて感想を聞いてみよう。
2009/10/28
履歴書の書き方について
朝食を学生と買いに行く。
やっぱり、朝食は肉まんじゅうで決まり。
一気に食べると,おなかがすぐに一杯になる。
美味しいし、3個1元で安いので一気に食べてしまった。
作文の授業を0802クラスで行う。
今日は履歴書の書き方を教える。
中国では履歴書はパソコンで全てを作ることを初めて知った。
日本ではパソコンで作ることがないので、学生達は何で手書きなのか不思議そうである。
手書きの方が書いた人の人となりがよく分かることを説明し、見本の履歴書に書いていく。
名前、住所、連絡先、学歴、職歴、趣味、特技、志望動機、その他、書くことは慣れていない学生は悪戦苦闘。
特に、志望動機はどのように書いて良いか分からないらしい。
自分のPRになるので重要だと言うことを説明するがうまく伝わらないようなので、次回会話の授業で改めて説明することに。
2009/10/29
ビリヤード場にて
午前の授業が終わり、黄先生から今日の晩ご飯を作るから冷凍庫に入れてある魚を出しておくようにと言われ、早速部屋に帰り、魚を解凍する準備をする。
今日は0802クラスの学生が手伝って、料理を作ってくれるらしい。
少し長めの昼休みをとって、みんなが来るのを待つ。
午後5時頃にみんなが集まり、料理が始まった。
今日の食事には、ようさんの家庭教師をしている子どもも一緒に食べることに。
今、小学生でカンフーを習っているそうだが、元気が良い。
最初は静かにしていたが、慣れるにしたがってその凶暴性を発揮してくれた。
全世界の子ども達はみんな同じような行動パターンである。私も昔はこんなにきかん坊であったのだろう。
魚料理はいつものように美味しい。醤油の加減が良いのか、魚との相性がとても良いと思う。
お腹いっぱいになり、少し休憩をしている間に、学生が後片付けをしてくれた。
食事の後、みんなでビリヤードをしに行くことになった。
学校の近くに学生が見つけて、この間も行ってきたばかりである。
今日の主役は陳くんである。彼は小学校、中学校の頃、良くやっていたらしくとても上手である。
玉を突く角度やスピード、強さが分かっているらしい。(たまに強く突きすぎて玉が場外へいくがご愛嬌)
約1時間ほどの対戦で4対2と圧倒的に負けてしまった。
悔しいので次回のリベンジを誓って、練習をしなければと思いながら帰宅する。
2009/10/30
週末の夜
夕方、陳君から電話がある。「陳明さん達と今からカラオケに行くので行きませんか?」
カラオケだけでは行きたくはなかったが、ローラースケート場にも行くそうなので行ってみることにした。
彼らはもうバスに乗り、先に行っており、私は1人でカラオケのある51広場まで行かないといけない。バス停に向かい143系のバスを探す。前に51広場に行ったとき確かこのバスであったと思う。
バスに乗り込み、夕方のラッシュの車内で押されながら、何とか平和堂のあるバス停で下りることが出来た。
後は簡単である、バス停の真向かいにあるカラオケ店に行くだけである。(真向かいと言っても地下道を通らなければいけないのだが)
カラオケは4人。他の部屋に0902クラスの学生も何人か来ている。
カラオケの2時間無料券を学生が持っていたので、ローラースケート場に行く前にみんなでカラオケをしているらしい。
日本の歌を2曲歌った後、もっと歌いたかったが、時間が来たので終了してしまった。
歌を歌うと気分が良い。ストレス発散にはちょうど良いと思う。
陳明さんにマネージャーを紹介してもらう。彼の奥さんは日本人で今日本にいるらしい。しかし、彼の知っている単語は「こんにちは」と「どういたしまして」だけ。奥さんは、相当中国語が堪能なのだろう。
カラオケ店は{a go go} 店を出て、バスに乗り、ローラースケート場をめざす。学生について行くが、下りたバス停で迷子になる。目的地とは反対の方向へ行っていたらしくもう一度バス停に戻ってくる。途中で道行く人に道を尋ねながら進んでいく。
ローラースケート場は湖南省の体育館の近く。この体育館は、コンサートや大きな大会が行われるところらしい。上には大きな観覧車があり、10分10元かかるらしい。
夜のライトアップがされ、とてもきれいである。
ローラースケート場は一種のディスコの様な場所で若者がたくさん集まっていた。週末でもあり、人で混雑している。日本にはこのような場所はないなと思いつつ、スケート靴を借りる。
ローラースケートをするのは初めてである。小さい頃スケートを1回だけしたことがあるが、全くの初心者と同じである。滑り出すまで、おそるおそる足を踏み出すが、思ったようにいかず尻もちをつく。
転ぶ恐怖心から腰が引けて、バランスが崩れる。足捌きもわからず、何度もこけてしまう。
いつの間にか汗だく、呼吸は荒くなり、筋肉が緊張していることが分かる。
少し休憩をして、みんなのスケーティングを観察する。腰を少し落とし、力を抜いてリラックスしながら軽く足を行きたい方向に向けていた。
同じようにゆっくりとしたスピードでスケートをする。顔を上げてゆっくりすれば良いではないか。何度か滑るうちに少しずつ慣れてきて、他の人と一緒に滑ることが出来るようになった。
ローラースケートがこんなに楽しく、こんなにハードな物だとは思わなかった。かなりの体力と汗だくになりながら滑るスポーツであることに初めて気づかされた。
帰り道はほどよい疲れとスポーツをした後の興奮で時間があっという間に過ぎていくようだった。
2009/11/03
土曜日
朝から昨日の筋肉痛が出る。やっぱり、少しやりすぎたかなと反省する。
今朝から寒さが1段と厳しくなってきた。
今日は休日なので午前中は部屋の掃除をすることにした。
台所から風呂場、トイレまで水で流し、ブラシでゴミをきれいに流していく。
一緒に靴も洗うことにした。約2ヶ月ぶりに靴を洗う。先日、新しい靴を買っているので少し置きっぱなしにしていたのだが。新しく買ったばかりのブラシ(学校の近くの雑貨屋で見つけた 1元で購入)で洗っていく。
午後からは中国語の勉強を教室でしてもらう。週末は段さんにお願いをしている。
今日は大学内が車でいっぱい。隣の長沙大学で試験をしているらしく、外には受験生が参考書を熱心に読んでいた。学生に何の試験か聞いてみるが知らないらしい。
約2時間の勉強が終わり、部屋に帰る。ご君から、故郷に帰っていた楊さんが今日帰ってきて、お父さんの作った料理を持ってきてくれるので夕食を一緒に食べましょうと電話が来た。
今日は周金玉くんのお姉さんも長沙へ来て、一緒に夕食を食べる約束をしていたので周くんに連絡してみることに。
お姉さんはまだ到着していない。長沙に着くのは夜8時頃なのでまた今度にしましょうということになった。
楊さんが学校に着いたのは6時半。みんなで楊さんのお父さんの作った料理を食べる。
辛い料理であったが魚や肉などとてもおいしいものばかりであった。
2009/11/01
今日で2ヶ月
中国に来て早2ヶ月。色々なところに行き、様々な体験をした。学生との交流も多くなり、毎日があっという間に過ぎていく。1日1日を大切に過ごしていきたい物である。
今日は朝からバトミントンをするために食堂の上にある体育館に行く。
相変わらず、人が多かった。ここに来るのも約1ヶ月ぶりである。
範先生が来ており、劉先生も来ていた。
空いているコートを見つけ、すぐに一緒にしてくれる人を見つけられた。ラッキーである。いつもは、他の人がすぐに入ってしまうのでなかなか出来ないのである。
劉先生ともバトミントンを出来たので、今日は来て良かった。
午後から中国語の勉強をする。簡単な中国語での会話はすることが出来てきているらしいが、自分ではどこまで上達しているのかさっぱり分からない。少しは中国語を聞くことが出来ていることは感じるのだが。
夕食は、故郷から帰ってくる方さんがお土産を持ってくるそうなので、0804クラスの学生達と一緒に作って食べることにした。
方さんのお土産は、家で作っているカリフラワーを今朝、方さんが採ってきてくれた。それとお母さんが作ってくれた、ホットケーキのような物と米を団子のように丸めて固くしたお菓子だった。
どれも美味しく、方さんがカリフラワーを炒めて料理してくれた。
他の学生も料理をしてくれて、今日はいつもよりお腹が一杯になった。
こんなに毎日学生達に囲まれてとてもうれしいことである。
2009/11/02
再会を誓い
今日の昼、授業が終わり部屋に帰る途中、ご君に出会った。
ご君はあまり元気がなさそうだった。
どうしたのかと聞いてみると、今日の夜広州に行くことになったと言うではないか。あまりに突然の事なので耳を疑った。
寮に入り詳しく聞いてみると、広州に用事があり、ついでに仕事を探しに行くそうだ。もしかしたら、学校には戻ってこないかもしれないが、試験の日は帰ってくるかもしれない。
だから、午前中は準備をしていたそうだ。
しかし、今日の夜とはかなり急である。
みんなこうして学校を卒業していくのだろうか。
少し寂しい気がしたが、ご君は今からまた自分の道を見つけに行くことだろう。
長沙に来てから、初めて外へ誘ってくれたのはご君だった。この2ヶ月は本当に良く色々な話や遊びをした物だ。
それだけに、こんなに急とは思わなかった。
また、試験の時は帰ってくるかもしれないし、私が広州に遊びに行くときは必ず連絡をすると約束して別れた。
また、ご君とは再会をすることができるだろう。
2009/11/3
学校から51広場まで
湘江を散歩しながら学生達と授業をすることに。
天気が良いので、川辺を歩くのはとても気持ちが良い。
柳の下で、みんなで日本語の勉強。
みんな今何がしたいか、将来はどんなことがしたいなど、柳の下で話をしている。
「先生は今何がほしいですか」と聞かれたので、最近、空気の乾燥で唇が荒れていたのでリップクリームがほしいと答えると「それじゃ、51広場に買いに行きましょう」と提案がある。
51広場まで40分かかるのだが、歩いていくことに。
51広場に着くまでに少し疲れてしまったが、念願のリップクリームを買う事ができた。
4元と超安い。元々6元と店の主人は言ったのだが、2元もまけてもらった。もちろん、値段交渉は学生にしてもらったのだが。
店は様々なお店がたち並ぶ市場のようなところにある。(但し、雑貨中心)
他の店を物色した後、流感が今はやっており、人が多いので早めに市場から外へ出ることにした。
市場から出るとすぐ隣に太平街がある。
古い街並みを眺めながら、歩行界へ行く。目的は晩ご飯の火鍋を食べるためだ。
火鍋は前に一度食べた事があるが今回は別のお店を紹介された。
店の作りや食べ方は一緒で、辛くない鍋と辛い鍋が出てきた。
最近は辛い物が好きになったので、辛い物をたくさん食べる。
とても美味しく、みんなで楽しく完食。
帰りは少し寒くなった外を歩いて行くが、火鍋で熱くなった体を冷ましながらの散歩だったので気持ちがよかった。
2009/11/4
航空券の手配
朝からお腹の調子が良くない。
昨日食べた辛い物のせいだろうか。
授業中も痛いので、劉先生にお願いをして薬をもらう。
液体タイプの薬でかなりのにがみがある。これならきっと効果があるだろう。
午前の授業が終わり、部屋に帰るとだいぶ調子が良くなってきた。
午後になり、長沙市役所の劉さんから「24日の長沙から上海までの帰りのチケットの手配が出来ました」との電話があった。
手続きは知り合いの旅行会社に頼んで、電子チケットで購入するらしい。
明日お金を振り込むと半額の値段で航空チケットが手にはいるらしい。
すぐ買う手続きをしてもらい、明日、お金とチケット代わりの領収書を渡すことになった。
チケットは400元。
明日、早速銀行へ行ってお金を下ろさねば・・・。
2009/11/5
携帯電話を購入へ
午前の授業が終わり、陳くんと一緒に銀行に行き、ご飯を食べて、インターネットバーへいく。
旅行会社の人とチケットの交換をするとき、陳くんに通訳をしてもらうためだ。受け渡し場所の指定や時間などを旅行会社の人と陳くんに話をしてもらい、時間まではインターネットバーで新しい携帯電話を探すことに。
今持っている携帯電話は古くて、液晶の接続が悪いために、電話が良く切れたり、主電源が切れたりするので思い切って買い換えることにした。
インターネットでの方が安く手に入ると思い陳くんと一緒に探すことに。
もちろん、値段は一番安い物を選ぶ。
色々迷いながら、画面を行ったり来たり。
陳くんに電話が入り、旅行会社の人がバス停の近くで待っているらしい。
早速、バス停へ行きチケットをもらう。道ばたで大金を渡すのは少し抵抗があるが、なんとかチケット購入成功。
携帯を探しにインターネットバーへ戻る。
安いので150~200元ぐらい。運賃が10元かかるらしい。
迷ったが150元の携帯を買うことに決めた。
早速、販売者と購入相談をする。
インターネットチャットを使って、販売契約をする。銀行からすぐに引き落としが出来、売買契約が簡単に行うことが出来た。
しかし、契約交渉をすることは今の私では出来ない。陳くんに全部頼んで交渉をしてもらった。
2,3日で届くらしいの楽しみに待っておこう。
2009/11/7
上海ガイド
上海の李さんからメールが届いていたので、早速電話をかけてみた。
11月24日に上海を両親と観光するときにガイドをお願いすることにした。
大石さんから話をしていただいていたので、交渉はスムーズに出来た。
大石さんの友人で日本語もとても上手である。私に中国語も教えてくださると約束していただけたので、今後が楽しみだ。
電話で少し話しただけだが、とても楽しい方であると印象を受けた。
上海に行くのがとても楽しみである。
学生がバトミントンをしないかと誘ってきたのでみんなでバトミントンをすることにした。
羽が見えなくなるまで夢中でして、とても良い気分だ。
バトミントンをしたときに、陳君が怪我をしてしまった。サンダルでやったので親指から血が出ており夕食を食べに行くこともできない。
今日は焼きそばが食べたかったので、少し歩いたところにある面料理屋にいき、持ち帰って、男子寮でみんなと一緒にたべることにした。
焼きそばはなかなか良い味である。7元と少し高めではあるが、それなりの味だと思う
2009/11/8
履歴書作り
朝から陳くんが履歴書を作りたいと行っていたので、一緒にインターネットバーへ行くことにした。
履歴書は毛先生からデータをもらっているので、それに打ち込んでいく作業だ。
細かいところにアドバイスをしながら進めていく。
志望動機や自己PRは少し手こずったが、陳くんの日本語力がかなりあるので他の学生よりもスムーズに進めることが出来た。
履歴書の作成が終わり、今度は日本の会社を探すことに。
陳くんが履歴書を作成している間にいくつかのホームページを検索しておいた。
日本の会社を紹介しているホームページがあったので、陳くんに紹介して、ホームに記入して会員になってもらう。
自分の履歴書を公開して、いくつかの会社を探すサイトである。
1つ気に入った会社があったので、直接メールを送って反応を確かめてみることにした。
こうしていると、自分も就職活動をしているようでなんだか学生に戻った気分である。
夕方までかかって、履歴書と会社へのアプローチが終わった。
長い一日になったものである。
2009/11/9
模擬試験
黄先生に頼まれごとをされた。
学校に溜まっている新聞紙をリサイクル屋に持っていく仕事だ。
授業に来た朱文さんと陳くん、たんさんと一緒に行くことになった。
リサイクルショップは学校の近くにある。みんなで段ボールを抱えて、学校の外へ行く。
全部で10kgぐらいを10元で引き取ってくれた。
この10元を使って、夕食の材料を買いにスーパーへ行った。
今日の夕食は、前日、黄先生が持ってきてくれた魚を調理する。
材料は全て整った。あとは、夕食を待つだけである。
今日、0802クラスは日本語検定1級試験の模擬テストである。
どのような結果が出るか分からないが、みんなの報告を待つだけである。
結果は試験の合格ライン280点を越えたのは2人だけだった。
試験では今まで見たこともない単語が多かったらしい。
しかし、模擬試験では合格ラインに到達できる人が半分ぐらい、いるのではないかと思っていたが、私の考えは少し甘かったようである。
みんなのちからをもう少し考え直して見なければならないだろう。
2009/11/11
独身の日
今日は11月11日。
中国では独身の日らしい。光棍節と呼ばれている。1が4つも並んだ日だからか。
独り者の私にはぴったりな日である。学生からはおめでとうと言われるので、ありがとうというと笑われた。
授業中にそんなことを教えてもらっていると、空が急に暗くなり、夕方のように薄暗くなった。
急に雨が降り出し、学生達は寮の窓を閉めに帰った。
昨日までの暖かい日は終わりを告げ、これからは寒い日が来る事だろう。
授業が終わり、独身の男たちでインターネットバーへ行くことにした。今日は独身同士で遊ぶのが良いことらしい。
陳くんの履歴書ができあがり、会社に応募を1社することが出来た。
インターネットを使った応募だがうまくいくだろうか。
2009/11/12
長沙に冬到来
朝から外が暗い。
雨である。
気温も昨日よりももっと寒くなった。
先生や生徒の話によるとこれから暖かい日はもう来ないらしい。
午前の授業が終わり、学生達と歩行街へ冬物の洋服を見に行く。
寒くて、平日でもある人が休日の3分の1ぐらいしかいなかった。
店はもちろん冬物のバーゲン中。
デザインがあまり良くなく、なかなか良い物が見つけることが出来ない。
これは良いと思っても値段が高い物で私には手が出ない。
高い物は400~600元ぐらい。
安い物は100~300元。もちろん、質があまり良くない。
結局、見つけることが出来ず、手ぶらで帰ることになった。
明日からは日本から持ってきた、冬服を着よう。
今日から0902クラスで、学生達に単語の発音を教えることになった。
400ページある単語帳を月~金曜日の午後4時から読む練習をする。1日40ページを読むことになった。
練習方法は私が読んだ後に、学生達が3回繰り返して読むというものだ。
単語だけを読むことは、イントネーションの使い方が難しい。
いくつかの発音が途中で分からなくなった。
私の発音がおかしくなってしまったのだろうか。
発音の勉強をすることの難しさを改めて感じた瞬間だった。
2009/11/14
バトミントン
朝、バトミントンをするために体育館へ。
最近は時間がなく、あまりできなかったが今日は久しぶりに行くことが出来た。
今日もとても寒いので、人はそんなに多くない。いつもと違いすぐにコートにはいることが出来た。まずは近くにいたおばさんと一緒にするために声を掛ける。
おばさんと言ってもかなり上手。ここの体育館に来る人は毎日のようにバトミントンをする人が多いので、このおばさんももれずにそうである。
前なら、ほとんど相手にならなかっただろうが、今は対等に戦えるようになっている。但し練習だけだが。
私のバトミントンの先生が声を掛けてきた。本当の練習の始まりである。
この練習はまさに鬼の特訓とでも表現しようか。右へ左へ前へ後ろと走り回される。
私の身のこなしがだいぶうまくなったので、先生と一緒に試合をすることになった。
練習を見ていた人が試合をしようと声を掛けてきたみたいだ。
結果は負け。
少しの差だと思うが、私のサーブミスや簡単なスマッシュミスが目立つ。まだまだ、練習しなければ試合にならないと感じた。
先生に助けてもらっていたのに申し訳ない。
11時頃、教室にいくとうさんと趙さんがいたので、天気が良いので外でバトミントンをする。
趙さんは結構うまい。小さい頃に良くバトミントンをしていたらしい。
ラリーがたくさん出来るのでとても楽しい。負けず嫌いの性格なのでもちろん本気だ。
朝の疲れを忘れて、試合形式の遊びはお昼まで続いた。
2009/11/15
髪を切りに
今日も朝からバトミントン。
足の小指から血が出ていた。
靴が合わないのか小指がすれている。
終わってから、男子寮へ行く。
今日はみんなで髪を切りに行く約束をしていた。
学校から大通りまで歩いていき、通りの近くにある理髪店にいった。
私は髪が天然パーマなので、髪をストレートにすることにした。
約1時間で完成。
髪が7:3に分けられ、少し子どもっぽくなってしまった。
ニット帽を持っていたのでかぶってしまいたかったが、学生達にそのままで良いですよと止められてしまった。
今日は天気予報で雪になると言っていたが、雪にならずみぞれ交じりの雨だ。
昨日はあんなに天気が良かったのに、この変わり様が長沙らしいのではないか。
夜、学校に帰り、生徒達に髪を切った姿を見せる。
先生良いですよと言ってくれるがまことに恥ずかしい。
自分であまり似合っていないと思うので、良いと言われてもますます気分が落ち込んでしまう。
明日から授業だが、恥ずかしくて出来ないかもしれない。
2009/11/16
1級問題
今日は1日授業。
昼休みに、1級指導の先生(張先生)と文法の説明について話し合う。
1級試験に出るような、文章問題を解答し、間違っている文章の語句を正しい語句に作り直す。
1級試験はなかなか難しい。
答えは分かるが、なぜ、これが答えなのか説明することができない。
先生も辞書で意味は調べているが、説明になると難しいらしい。
先生は湖南大学の院生で日本語の文法を勉強しているらしい。
途中で張さんのスピーチコンテストの原稿が出来たので、範先生、劉先生、毛先生、私で模擬発表をすることになった。
発音の違うところを範先生や劉先生が指摘する。
文章自体は特に悪くない。感情をこめたスピーチになっていて、とても良かったと思う。
当日までに練習をして、素晴らしい発表になると良いのだが。
当日は、毛先生や私の両親とスピーチコンテストを見に行く予定にしている。
2009/11/18
ようこそ長沙へ
今日は大石さんと両親が長沙に来る。
大石さんとのメールのやり取りで大体の長沙での日程を掴んでいるが、両親についてはまだ、決めかねている。
どこか、旅行に連れて行きたいが時間があまりなさそうである。
朝から落ち着かない。
3ヶ月ぶりに両親に顔を合わすのだが、どのように変わっているのだろうか。
鹿児島の様子も気になるところだし、家族についても変化があったらしい。
到着は夜の8時頃になるそうで、午後から部屋の片付けと両親の滞在準備に追われる。
滞在場所については色々と悩んだが、結局、いま私が住んでいるところに一緒に泊まってもらうことにした。
布団が足りないので、男子寮に余っている布団を借りることにした。
両親の空港への迎えは範先生に行ってもらうことになっているので、大丈夫であろうし、大石さんも付いているので長沙に来ることには安心をしている。
夜になり、待ち合わせの正門に行ってみるがなかなか来ない。
30分が過ぎ一度部屋に帰ってみる。
中国では国内線が遅れることが多いので、たぶんそうだろうと思っていた。
劉先生から電話があり、「範先生とご両親が学校で待っていますよ。」と連絡を受け、急いで外へ走っていく。
校庭の前に範先生の車があり、近づくと見慣れた両親の顔を発見。
両親は疲れた様子もなく、元気そうである。
荷物を取り出すと、大きなスーツケースが3つと大荷物である。
範先生には部屋まで荷物を持ってきていただき、大変有り難かった。
部屋で両親との久しぶりの対面。まずは、母親との抱擁の後、父親との固い握手。
「元気そうだな。」と父の声を聞き、一安心。
一通り、部屋を案内して、今後の日程について打ち合わせ。
今日は夜が一段と寒くなっているので、早めに就寝することにした。
中国長沙で両親と一緒に寝ることは、これから先まず無いことであろう。
明日からの学校がとても楽しみだ。
2009/11/19
日中友好授業
父の朝は早い。
毎日規則正しい生活を心がけているので、今日も時間通りに起床していた。
朝の1コマから両親には授業に参加してもらうことにしていた。
学生達の「おはようございます」の声に両親は繰り返し答え、教室へと向かう。
0802クラスの授業では、両親に自己紹介をしてもらい、私の家族についての話をしてもらった。みんなは興味津々といった表情で両親の話を聞いている。
父は教師をしているので、鹿児島でしている授業の話をしたりして、みんなの反応を確かめている。
母は、仕事の話や家でのこと、自分の趣味などについて語ってくれた。
1時間半はあっという間に過ぎ、次の授業に行くことに、0804クラスを覗くとなんと大石さんが来て居るではないか。
早速、挨拶と両親についてのお礼を述べ、両親と共に教室の中に。
この時間は大石さんと一緒に来ていた、永留先生が日本での音楽の授業をしてくださることになっており、0902クラスと合同で50人ぐらいの学生が集まっていた。
部屋を埋め尽くす学生の前に永留先生が教壇へ立つ。
柔らかい声で少し自己紹介をされ、小学生の音楽授業が始まった。
私が小学生だった頃の懐かしい音楽が流れ、先生が歌い出す。
先ほどの柔らかい声とは別人の声のようにはっきりと、しっかりとした声が教室に響く。
音楽の先生らしい丁寧に音譜に乗せた声が中国の空気を日本に変えていった。
1年生から6年生までの曲はどれも知った曲なので、私も一緒に歌い、幼い頃に戻ったような気分であった。
後で分かったことだが、母も歌っていたらしく、学生から「お母さんは歌が上手ですね」とほめられた。
昔から歌うことが好きだった母なので、うれしく思った。
永留先生はベテランの教師であり、授業の進め方、途中でリコーダーで曲に合わせて演奏されるサプライズまで飛び出し、教室は大盛り上がり。
学生達も初めて聞いた曲でも、少しの練習で一緒に歌うことが出来たのには驚いた。
積極的であり、吸収の早い学生達が少々うらやましい気がした。
午後は範先生や劉先生、私たち5人の日本人が、長沙にあるアジアで1番大きいと言われるレストランに行く。
レストランと言っても門が高く、中では2組の結婚式が行われているという場所である。
店の中も広く、いくつもの角を曲がり、中の部屋へと通される。
料理の味も良く、範先生が辛さを抑えた料理を選んで注文して頂いたらしい。
この食事の時に、柿木さんの話があり、今病気で休んでいられるらしい事を聞いた。
あさってから始まるジャパンウィークが目前に迫った中での病気と聞いてみんな心配。
大石さんが是非見舞いに行かなくてはと電話をして様子を確かめる。
思った以上に熱や咳があると聞いて、大石さんはいてもたってもいられない様子である。
異国の地での病気は大変な物で、1人での寂しさは日本での生活では考えられないものであろう。
そのことが分かっていらっしゃる大石さんの優しさに心打たれた。
食事が終わってから、部屋へ戻り、少しの休憩をした後に、学校へ行き学生と両親と一緒に湘江を散歩することにした。
辺りは薄暗くなり始めており、風も少し強い。いつもの長沙である。
学生達が両親と話をしてくれるので傍でみんなの会話を聞いてみる。
両親の話すスピードが速いので、学生達が聴き取れるか、ひやひやしながらだったがちゃんと会話が出来ていたので、一安心。
約1時間と短い散歩だったが、両親に湘江を見せることが出来てとても良かった。
時間があれば、朝の湘江にも一緒に来てみたい。
今日の夜は範先生が主催の食事会と言うことで、一度学校に帰り、劉先生とレストランへ向かう。
湘江沿いに立ち並ぶレストラン街の1つ。
きれいな店内と接客態度がとても良かった。
お茶を入れる担当の方がお茶の入れ方を見せてくれた。
これが普通の入れ方ではない。
急須自体の先がとても長くなっており、お茶を淹れるとき、こぼすのではないかと思うほどである。
この先の長い急須を縦横無尽に回し、パフォーマンスの後に茶碗に注ぐのだが注ぎ方も見事である。
まさかこのような物が見られるとは感激である。
お酒も白酒をたくさんいただき、とても良い気分で家路へとついた。
2009/11/20
部屋の扉が・・・
本日から少し朝の寒さが和らいできた。
両親共にこの良い天気を歓迎している。
今日は0802クラスで授業をする。
昨日、学生達とは少し話をしていた両親なので、自己紹介をした後で早速父に日本の中学生に教える授業をしてもらうことにした。
父は40年間現場の教師として仕事をしてきた。
やはり、授業のやり方がとてもうまい。
父の授業風景は小学生の頃、すこし見せてもらって以来だったので、忘れかけていたが、前と変わらず大きな声と丁寧な口ぶりである。普段の家と違う一面を見て、そして、いつものように学生に教える姿は一生忘れないだろう。
途中で授業を見ていた大石さんが「お父さんは授業がうまいですね」と言っていただき、誇らしい気分になった。
授業が終わって、学生を誘って、両親を博物館に連れて行くことに。
博物館はこの前行ったときにとても感動したので、是非両親を連れて行きたい場所の1つである。
大学近くのバス停から烈士公園へ行き、公園内を通り抜けてから、博物館へ。
博物館では以前と同じ、パスポートの提出を求められ、時間を見てみるとなんと1時間半後に入場することになっていた。
時間が有り余るので、近くのケンタッキーで少し早めの昼食をとることにした。
長沙の街にはいくつものケンタッキーがあり、値段は中国では少し高め。
味は日本とあまり変わらないのでみんなで話をしながら、時間を潰す事に。
博物館内は以前来たときとは展示物が少し変わっていたが、有名なミイラはいつもの場所に静かに横たわっていた。
本当に動き出さんばかりの姿で、今回も時空を越えたご対面を果たした。
両親の感想を聞き忘れたが、展示物全てが歴史的遺産であり、今こうして見られることに感謝をしたい。
部屋に帰り小休憩をし、教室へ行く準備をする。明後日あるスピーチコンテストにでる張杏子さんのスピーチを両親と一緒に聞くためである。
母がリビングと寝室が繋がるドアを力強く閉めた瞬間「カチャッ」と音か聞こえた。
ビックリして振り返り、ドアを開けようと試みた。こんな事は初めてである。
しかし、開くことはなく、鍵も貰っていないのでどうしようも出来ない。
上を見てみると小窓がある。ここを開けばどうにかなるだろうと思い、イスに乗り、小窓を押すが骨折り損のくたびれもうけ。
ここに来てからのトラブルには慣れているので、学校に行くついでに劉先生に相談してみることにした。
学校では両親にはスピーチコンテストの審査員になってもらい、模擬発表をしてもらった。
初めて聞く張さんのスピーチはどのように両親の目に映ったであろうか。
話し始める前の心構えから、話す時の姿勢、話し方など様々なアドバイスがもらえてとてもよかった。
張さんも改めて欠点を見つけ出し、本大会に臨んでくれるものと信じている。
模擬発表も終わり、劉先生にドアについて相談する。学生にお願いして鍵を開けてもらうことになった。
成さんにお願いをして、部屋に来てもらう。鍵はカードを使って下から上に鍵を開けるやり方らしい。
何度してみてもなかなか出来ず、遂にギブアップ。範先生に電話をし、ドアを蹴り破っても良いか確認をした後で、成さんが映画のワンシーンのように助走をつけたかと思うとドアを一瞬のうちに「ドン」という音とともに開けてしまった。
部屋にいた学生達と両親から歓声と拍手が成さんに送られた。成さんは今日から両親より「スーパースター」と命名された。
それにしても、このトラブルも無事に解決することが出来た。もし出来なかったら、私たちは洋服もなく寝る場所もない生活を送らねばならなかっただろう。
成さんに改めて感謝したい。
夕方になり、0802クラスの学生達が部屋を訪問してくれた。
今日は学生達の中華料理を両親に振る舞ってもらう。
中国での家庭料理を学生達に作ってもらい、料理を食べながらみんなで和やかに話をする。
父と母は話し好きなので、学生達との会話を十分に楽しんだようだ。
私の小さい頃のはなしや今後の仕事についてのこと、自分の人生設計についてなど話題は様々。
学生達も真剣なまなざしで両親の話を聞いている。
元来、私は家であまり話をすることは少ない。
父、母、兄、姉がそれぞれ話をするので我が家はいつもにぎやかである。
その中で、私は聞き役に回ることが多いので、今日もそのようにしていると、学生から「今日はご両親が居るので静かでしたね」と言われた。
なんだか恥ずかしい物である。普段の家にいるような雰囲気があったからこそであろう。
私生活が学生達に垣間見られてしまい、どんな顔をすればよいか困ってしまった。
2009/11/21
今日の主役はおはら踊り
今日は昼からのジャパンウィークに向けて遅めに起き、少しの時間を使って学校から歩いて15分の開福寺へ観光に両親と行ってみることに。
案内に昨日のスーパースター成さんと欧さんにお願いをした。
開福寺は1度行ったことがあり、いい印象があったので是非両親を連れて行こうと考えていた。
入場料1人20元で寺院の中に入る。
お寺は全部で2つ。女性の大仏があり、日本にある寺院とは少し違う感じがするが、お線香の香りは同じである。
橋を渡り、左手に曲がると、入り口でもらった、線香を投げ入れる場所があり、まずそこで礼拝をする。
すぐそばの大仏を拝み、中央にある、寺院の中へ。
門をくぐり、1つの大仏を拝み、中庭を通り抜けると、奥には500体の金の仏像が並んでいた。
1通り歩き、右手にあるひときわ大きなお寺の中に。
大仏の周りを13回歩いて回ることで願いが通じると言うことで、成さん、欧さんと一緒に歩いた。
朝から良いことが出来たので、今日のジャパンウィークもうまくいくだろう。
昼前に0804クラスの叶媛さんにお願いして、会場がある歩行街へ連れて行ってもらうことに。
母は着物で行くため、タクシーを利用しなければならないからだ。
歩行街は休日のためたくさんの人が集まっていた。
両親も人の多さに目を丸くしていた。
会場は歩行街の中央。すでに人が大勢集まり、ステージではイベント前の告知がされていた。
来賓客席用のテントに運良く入り込めたので、早速、大石さんに連絡するが、なかなか繋がらない。
開会式が始まり、日本のアニメコスプレショーが続いて行われた。長沙の大学生達が作った衣装や小道具をもってステージへ。
アニメが有名なので知っているキャラクター衣装の人が現れると観衆から歓声が上がった。
続いて、日本から歌手の下川みくさんが登場し、最近の曲やアニメの曲などを披露。
そろそろ、陽が傾いてきた頃、日本と中国のダンスショーが始まった。
日本からはおはら踊りとよさこい踊りが披露され、中国からは少数民族の踊りから中国での新しいダンスなど幅広いステージになっていた。
今回おはら踊りを鹿児島女子短期大学の学生が踊っていたが、その踊りの切れや全体の統一された動きは、今まで見てきたおはら踊りとは比べものにならないくらい凄いもので鳥肌の立つ思いだった。
学生は全部で20人のステージを右から左から縦横無尽に動き回っていた。
あまりのすばらしさに声も出ない。鹿児島の魅力が伝わるとても良い交流になったのではなかろうか。
最後のステージは日本、中国の参加者全員で1つの踊りをして、このジャパンウィークの歩行街でのイベントは成功の中で幕を下ろした。本日は天気も良く、この前の寒さが嘘のようなとても過ごしやすい1日だった。このような巡り合わせに感謝したい。