最新情報の足跡2007

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

第12回『外国人による日本語スピーチコンテスト』開催
2007/01/23

鹿児島で世界を語ろう
『第12回外国人による日本語スピーチコンテスト』

1月20日午後1時半より鹿児島市の県民交流センターにおいて開催されました。

今回から主催が鹿児島市日中友好協会から鹿児島県国際交流協会に替わりました。

最優秀賞は「心の障害」という題で流暢な日本語で聴衆を惹きつけた韓国から来た鹿児島国際大学生チョン トンヨプさんが選ばれました。

優秀賞には長田中2年のゾウインさん(中国・大連)。

南日本新聞社賞はパキスタンからの鹿児島大学生ハフィズ ウル レーマンさん「いじめ問題」。

県国際交流協会賞はスージンユウ(中国)鹿児島大学 テーマは「日本人の和のこころ」。

なお、当日の様子など写真も含めて、詳しくは別サイトで紹介します。 

交易部新年会と義烏ツアー説明会
2007/02/25

2007年2月13日(火)

朝日通りの中華『美華園』において、協会交易部の新年会と3月10日に出発する交易部主催の中国商業施設視察ツアーの説明会が行われました。

当日は旅行参加者(交易部以外)を含め30名の協会関係者が,ちょっと遅い新年を祝い和やかな歓談と美味しい中華料理にしばし時を忘れ楽しんでいました。

テーブルの一つでは協会が薦めている中国長沙市の日本語学校の体験者とこれから行く赴任者との交歓会や、現在中国の都市で教師活動を続けておられる方。

又、新たに別な都市に赴任をされようとしておられる方、近い未来(来年)に行く予定のご夫婦、そして、北京の大学から留学をを終えて帰って来たばかりの人など、左右の足を中国と日本にまたがった真の日中人が卓を囲んで、時折、中国語が飛び交いながら話が弾んでいました。

もちろん、他の卓も中国から鹿児島大学に来ている留学生が各テーブルに混じり、どの卓も日中というキーワードでピンポンの玉が飛び交ってました。

今年度第4回目の「理事会」が開催されました。
2007/02/25

第4回 理事会

平成19年2月21日(水)
場所:福祉プラザ・・・5F小会議室
開始:14時~16時

議事録 (出席者)

海江田・赤塚・竹下・大石・田代・入来院・藤崎・塩田・山崎・李・青山・佐多
天達・濱野・

1) 会長挨拶

・ 全国の日中友好協会会長が中国から招待された。政府より日中関係を良くしたいと要請があった。今年は長沙市との友好都市盟約が25周年。 

・塩田さんの挨拶(南日本新聞社):中国に関心があり、日中友好に尽力していきたい。中国の大学で日本語を教えたい。 

2)協議 
 ア:平成18年度 事業報告(事務局)
   会計報告:2月21日(現在)濱野
   「損益計算書」を収支計算書に変える。   
   会 長:「黄興の碑」建設を進めたい。今年に建立する(長沙市友好25周年)

学生部:事業報告の訂正(学生部:山崎)

学生部の組織図及び収支決算書・・・課題。
   
女性部:日中友好の集い・・報告(天達・青山)

収支報告書・参照。 

【大会について】

・ もっと、早い時点で理事同士の意思疎通ができれば、素晴らしい大会ができるはず。
・大連とのコミュニケーション不足があった。
・今回の反省を生かしていきたい。

交易部:事業報告(赤塚)
中国視察旅行(義烏)経過状況

ウ:総会にむけて

・5月12日(土)平成19年度総会・講演会・懇親会
・ 第1候補:ジェイドガーデンホテル第2候補:ニューステーション鹿児島
・ 時間短縮のため、来賓挨拶は懇親会にして頂く。
・ 講演会等で新規会員の入会をはかる→次回の理事会で検討する。

エ:中国広州太極拳グループの対応
   3月28日~29日

オ:日中友好芸能の集い
     ・ 全体の枚数の半分を協会で見ることが困難ではないか?
・理事の人たちでもうちょっと協力してほしい。
・ 半強制的に来てもらうのはどうか?
・ チャリティーなのか収支なのか、重点を置く
線引きをしたほうがいい。
・なるべく、継続できるように検討したい。

機関紙『東方友誼』第三号発刊
2007/02/25

『東方友誼』第三号が発行されました。 各ページの詳細は下のURLからご覧になれます。 

交易部主催:第一回義烏商業視察旅行催行
2007/03/16

鹿児島市日中友好協会交易部中国商城視察旅行

平成19年3月10日(土)~13日(火)

赤塚晴彦交易部会長を団長に一行14名それに長沙市の学校経営者1人(日本語通訳を兼ねて参加)、計15名は3月11日午後から13日の午前中の3日間、今、中国でもっともホットな市場中国浙江省義烏市の「義烏商城」を訪れた。

日用雑貨を中心に製造工場を含めると5000軒近い卸小売店がひしめく幾つかの巨大マーケットにはアジア、中近東、アフリカからの商人たちが連日大挙、押しかける。

【義烏市の概要】義烏市は、浙江省金華市の二級市で、人口66万人、従来より同市は、人口に比べ貧小な土地のため、浙江省一の“貧困県”に甘んじていた。 しかし、改革開放後、下述のように軽工業品を中心とする卸売り産業の勃興に伴い同市は、発展を遂げ1988年に県から市に昇格し、現在の域内生産額116億元を誇る近隣でも有力市に成長した。

義烏の経済成長を牽引してきたのが、この小商品城の存在である。 形成の経緯は、貧困県に甘んじていた同県が1980年代初頭に地域の産業化の一環として、「興商建市」(商業により市を産業化する)をスロ-ガンに近隣の国有企業の在庫品を集め、卸売り市場小商品城を設立したことにある。

当時は、改革開放後まもない時期で物資も不足していたので、爆発的な売り上げを計上することとなる。 その後も、商品品目を増やすと同時に敷地面積の拡大に努め現在では50万平米に2万6千ブ-ス(品目別内訳:服装7000ブ-ス、靴下2000ブ-ス、生活小物関係14000ブ-ス等)が軒を並べ、取り扱い商品28種類の約8万点、取引額192.5億人民元の大市場に至っている。

また卸売り業で資本を蓄積し、大きくなった企業群は、独立してブ-スからでていく事例が生じ始めたため、地元県政府は小商品城の周辺部に品目毎に専業街(専門市場)を設置している。

この専門街は、現在では服装、工芸品、アクセサリ-、 化粧品、印刷包装、玩具、文房具、日用品、靴下、ファスナ-等10以上にのぼり、上述の商品城とあわせると市の中心部全体が卸売り市場化している。 これらの市場に従事する人口は7万人にものぼり、市の一大産業になっている。

商品ジャンルとアイテム数の多さ、規模の大きさは世界一といっても過言ではない。 多品種、小ロットでしかも安い価格で」仕入れが可能なので義烏の問屋市場はとても魅力的といえる。

三つの市場と色々な問屋街。

①中国小商品城。
②賓王市場。
③国際商貿城。
④問屋街。

義烏市には、現在1日平均30万人のバイヤ-が同地を訪れているという。ここ2~3年は海外との経済交流も盛んになっている。 輸出額は、香港、韓国、中東、日本、南アフリカ、米国等122カ国地域を対象に80億人民元にのぼり、それ以外に南アフリカ、ナイジェリア、ウクライナ、韓国、タイなど海外6カ所に中国小商品城の分城が形成されているという。

義烏ガイド:1日1万円チャーター料金上海浦東⇔義烏:850元所要4時間ほどかかります。 杭州空港⇔義烏:350元所要1.5時間ほどかかります・ホテル料金ホテルは4ッ星でツイン通常650元>。

詳しい紹介は法人部交易部会 サイトからどうぞ

 
烏ツアーを企画した小屋交易部事務局次長より感想文が届きました。
2007/03/27

3/10 から3/14にかけて、日中友好協会交易部の中国義鳥視察ツアーが開催されました。

参加者は、鹿児島から参加した13名に加え、上海で2名が加わり、合計15名の参加者となりました。

まず初日は、上海浦東空港到着後ホテルにチェックインし、黄浦江クルーズ等の市内観光を行いました。

二日目は、観光地に立ち寄りながら義鳥へ移動。

そして、三日目、義鳥市場の視察に入ります。

現地では中国の貿易会社の方が二名、加わりました。

義鳥市場は中国最大というだけあって、本当にでかいです。

中国人はもとより、世界中のバイヤーたちが安い商品を求めて集まって来ます。

この市場には大きな建物が何棟もあって一日急いで回っても、少ししか見られなかったというのが本音でした。

義鳥市場をすべて見て回るには、最低でも一週間は必要かなと思われます。

一般的に義鳥の商品品質は、日本ではあまり評価されていません。
これは、中国人貿易会社の方も認めていました。
義鳥の商品は粗悪なものが多いため、日本人にとっては商品を選ぶ厳しい目が必要になってきます。

現在の中国製品のレベルは珠玉混石の状態です。
日本のように均一化していないのがいまの中国です。
ただ義鳥市場は世界を相手にやっているからこそ、どうしようもない商品がある一方で、これはイケルと思われるような素晴らしい商品とあるのも確か。

中国製品は良くないといったイメージがありますが、日々技術アップしているのも確かです。

日本の場合も同じく、高度成長時代の前までは日本製品といえば粗悪品と模倣品の集まりでした。

現在の中国が、当時の日本のようです。

四日目は観光兼移動日、そして五日目の朝早く、上海を経ちました。

外貨準備高で昨年、日本を抜いて世界最大の1兆ドル(約117兆円)を積み上げた中国。

世界に誇る日本車も販売台数では、2位の中国に抜かれています。

日本が車大国と思ってたら、あっという間に抜かれてしまいました。

これからの日本のビジネスは、いかに中国とうまく付き合うかがカギです。

中国のすごさを見せつけられた感のある今回の視察ツアーでした。

19年度(22回)鹿児島市日中友好協会通常総会・懇親会開催
2007/05/16

2007年5月12日(土)

鹿児島市上荒田・ジェイドガーデン・パレスにて

第22回(平成19年度)通常総会&懇親会が開催されました。

今年は、日中国交正常化35周年の年に当たります。また、鹿児島市と長沙市との友好都市盟約25周年の記念すべき年でもあります。

この記念すべき年に中国の温家宝首相が来日されました。日中首脳会談の結果、戦略的互恵関係の強化方針が打ち出され、要人往来や経済対話を加速させる必要性が確認されました。

当協会の平成19年度事業も下記詳細(略)の計画に沿って実施していく予定です。

温家宝首相の「氷を溶かす旅」の結果次第では、民間レベルの交流が予想以上に活発化することも予想されます。

学生部は、中国留学生への支援事業をますます充実させつつあります。女性部も市民の関心を受けるようになってまいりました。

一昨年発足した交易部の活動も徐々に本格化してまいりました。

当協会としてはこれらの活動がより円滑に運営されるよう支援します。総会のあと、恒例の記念講演がありました。

講演演目《新しい西郷像を語る》

講師   高柳 毅
     元 南日本新聞社論説委員 編集委員
     現 鹿児島市立西郷南洲顕彰館館長
     現 西郷南洲顕彰会常務理事

懇親会

赤塚晴彦副会長による アコーディオン演奏
揚名時太極拳 演舞
大正琴 五月会 演奏
舞泉流家元 舞泉律観・律洋 舞
田郷流家元 田郷若緑   舞
キングレコード 天達美代子 歌
芳瞠流 芳瞠芳梅社中   舞

懇親会の出席者  88名(内中国人大学留学生8名)
総会出席者    95名

写真は会長挨拶・高柳先生の講演・懇親会会場

当日のスナップ写真を以下で写真集として開示しています。

春天1日バス旅行(開聞岳登山~知覧武家屋敷巡り)
2007/05/24

5月20日(日)快晴。

朝:鹿児島大学図書館前を出発。am7:35(予定より35分遅れ)

中国人留学生37名、日本人学生9名、協会世話人5名、合計51名で1台の小型面包車と50名乗り大型バスで開聞山麓をめざしました。

今回は人気コースだったのか計画発表と同時に参加者が殺到?し、この前の時のように、国際大学への呼びかけが出来なかった。

全体を仕切ったのは鹿児島市日中友好協会学生部と鹿児島大学中国留学生学友会(会長:宿金語)である。

開聞岳は登り時間2時間30分、下り2時間といわれ、思いのほか(高さの割りに時間がかかる)タフな山と言われている。学生達の服装は軽装でとても登山スタイルとはいえないが、若さにまかせて皆すいすいと駆け上がっていく。

子供をまじえ10名程が途中で断念したが37名?程が山頂に立ち、ブルースカイに包まれた360度の大パノラマを満喫したことだろう。

生憎、少しもやがかっていたが、遥か彼方に屋久島・宮之浦岳を望むことが出来た。「中国大陸看不見!」と岩の上で誰かが叫んだ(様な気がした。)

最初の計画では下山後、長崎鼻に行き弁当を食べるつもりでしたが時間が無くなったので武家屋敷に向かった。

午後6時楽しい思い出を載せたバスは出発地の大学図書館前に無事、戻って来ました。(大家、辛苦了!!)

愉しい写真の数々は下のサイトから写真集として見ることが出来ます。協会専属写真家・祁立標さんの撮影です。

KICS2007年国際交流探訪バスツアーがありました。
2007/06/26

今年の国際交流探訪は6月というちょっと心配な時期に開催されました。

心配したとおり雨の確率80%と予想されましたが予想に反して快晴とまでは言わないまでも涼しい曇り空に恵まれ??愉しい一日を過ごしました。

今回は参加者が殺到?したそうで初めて外国人の数が日本人参加者をはるかに越え、約倍の数になりました。

内訳は 参加総数162名 日本人46名 外国人(21ケ国)92名 スタッフ25名 日本人20名 外国人 名 

内訳:中国23、インドネシア15、フィリピン13、韓国6、パングラディシュ5、ミヤンマー5、マレーシア5、タイ3、インド2、タンザニア4、アメリカ5、豪州2、シンガポール、ブラジル、カナダ、英国、ドイツ、ペルー、ベトナム、ケニアそれぞれ1、

時間割:9:00 鹿児島市役所出発 10:30霧島神宮 12:30上野原縄文の森 

昼食のあと体験コースごとに分かれる(1人1コース) A 縄文工芸体験 B 縄文の森オリエンテーリング  C 黒酢工場見学     

15:20 全員で霧島九面太鼓『和奏』鑑賞と体験16:20 霧島市 出発 17:30  市役所到着      

協力:霧島市、霧島九面太鼓保存会 鹿児島市 国際ソロプチミスト鹿児島  鹿児島県通訳ガイド協会 鹿児島市日中友好協会 KICS個人会員主催  鹿児島市国際交流市民の会

アルバムは以下よりごらんください。

協会交易部総会&懇親会開催
2007/07/08

2007年7月7日(土)サンロイヤルホテルに於いて第3回鹿児島市日中友好協会総会が開催されました。

おりしも梅雨の終わりの豪雨のなか、昼頃はあの13年前の八六水害の再来を思わせる天候でしたが、夕方には嘘のように空が明るくなり無事、総会が開催され、続いて行われた懇親会では会員のたのしい交流が展開されました。

2月に行われた『義烏視察ツアー』の思い出話に花が咲き和気藹々のうちに散会となりました。

恒例の特別講演では鹿児島相互信用金庫 外為課副部長 村田秀博氏による『鹿児島県特産品の中国輸出等について』があり会員は熱心に聞き入っていました。

2007年度の事業計画は以下の通り。

計画概要

日本経済が長く低迷する中、隣国中国は急速な経済発展を遂げつつあります。

多くの企業が中国ビジネスに参入しそして確実に収益を上げており、貿易パートナーとしての中国のウエイトは一層拡大する方向にあります。

今年4月、中国の温家宝首相は安倍首相と会談し06年10月の両国首脳会談で合意した日中の戦略的互恵関係の具体的な内容を確認した他、日中ハイレベル経済対話を行うことなどで一致しました。

これからますます、国をあげての相互経済発展がなされるものと期待されているところです。

平成19年度は、会員様が実務として中国ビジネスを行いそして利潤をあげていく、そうなるための支援強化を行っていきたいと思います。

当会が会員様のビジネスパートナーとしての役割ができたら幸いに思います。

これまでの経緯を踏まえ今年度事業推進の基本方針は、
① 会員様への中国ビジネスの支援活動をはかる。 
② 当交易部と志を同じくする団体との連携を深める。
③ 日中の優秀なコンサルティング会社を選定し、会員参加の講演会、検討会を開催する。
④ 県、市の日中友好協会の国際交流事業にも積極的に協力する。

当会と会員様が、ますます共栄できるよう活動するとともに、会員様の意見・提言・要望を積極的に汲み上げ、随時行動に移していきたいと思います。

具体的方針

① 会員様への中国ビジネス支援(アドバイス、紹介など)   
・中国市場視察の継続 (視察団の企画など)
・中国企業との交流
② 関連団体との連携を深める。
・  日中交易に関する講演会の開催
  ・学生部と協力し中国企業との商談を円滑に図るた   めの通訳者の育成に取り組む。
 
実施する予定事業

○ 第1回義烏視察結果研修会 参加11名           19年 4月25日(水)
○ 鹿児島市日中友好協会19年総会・懇親会(ジェイ   ドガーデン)19年 5月12日(日)
○ 学生部(留学生)イベント(バスツアー)へ協力       19年 5月20日(日)
○ 総会準備事務局会議                    19年 6月30日(土)
○ 交易部会総会&講演会・懇親会 (サンロイヤルホ   テル)    19年 7月 7日(土)
○ 総会関連事項事務局会議                  19年 7月 14日(土)
○ 日中関係経済講演会(アジアビジネス予定)         19年 9月 予定
○ 視察会議                         19年 9月 予定
○ 視察説明会                        19年 9月 予定
○ 関連団体との連絡会議(結果次第で回を重ねる)       19年10月 予定
○ 第2回義烏市視察                     19年10月 予定
○ 在鹿中国人(留学生含む)との意見交換会・親     睦会 19年11月 予定

範例・長沙長科日語学院長 初来鹿
2007/07/26

範例氏は4年前より当協会からの日本語教師を受入れてくださり鹿児島市と長沙市の民間交流に多大な貢献をしておられます。 

この度、鹿児島市と長沙市との友好都市盟約締結25周年にあたり、両市の交流がさらに促進されることを願い、鹿児島市日中友好協会では、当市の卓越した美容技術者グループ(ヘアデザイナー、ネールアーティスト、メークアップアーティスト等総勢10名)による貴市との最新ファッション交流を企画しました。

最近の中国における女性の美容意識高まりに貢献したいと願うものです。 上記企画に関しまして長沙市側の受入れ準備から開催までのすべての業務を《長沙長科日語校長 範例氏》に委託することにしました。

氏は協会との今回のイベントの下準備のために来鹿しました。 これまで教育文化、交易経済、芸能スポーツの交流に加えて今後は服飾美容等ファッションの交流も鹿児島市日中友好協会は進めて参ります。

写真は左:鹿児島市国際交流課を訪問。
   中:赤塚学園の理事長を訪ねる。
   右:観光地指宿にて砂蒸し体験。

中国人留学生と行く夏天1日バス旅行
2007/08/29

8月26日(日)快晴。

参加者:中国人留学生43名、日本人7名、パキスタン1人、ミャンマー1人合計52名

企画 :鹿児島市日中友好協会 企画部

主宰:市日中学生部・鹿児島大学中国留学生学友会

1台の小型面包車と50名乗り大型バスで熊本~阿蘇をめざしました。

熊本城は現在、築城400年ということでいろいろなイベントが行われています。

協会主催としては初めての県外ツアーということで申込が殺到しました。

そろそろ夏も峠を越すだろうと予想していましたが残暑の厳しさは例年に無いものでした。

それでも中国人の学生さんたちにとって日本の城を初めて見る人が多く、クーラーの余り効かない城の中を熱心に観覧していました。

ふと、武漢の「黄鶴楼」に登った時のことを思い出しました。

縁あって鹿児島市に留学・滞在している中国人の皆さんが、気の置けない自分達同志と中国好きの協会メンバーとのコラボレーションによるハイキングを実施し始めてから今年で3年目になります。

はたしてどの程度、我々が思うほど彼らが喜んでくれているかは分かりませんが、我々に出来ることは「わずかばかりの資金」と「わずかばかりの時間」をかれらの為に費やすことで、中国人の皆さんが縁あって滞在している鹿児島での楽しかった「思い出のひとつ」にこの旅がなってくれればと願うだけです。

「中国も日本も喜びの度合いは同じ、違うのは表現方法だけ、」と今月から半年間、「長沙科技日語学院」に、俄か日本語教師で発たれた市坪隆次さんが言ってました。

「かれらに手を握られて嬉しさを表現されると疲れもとんでしまいます。」と。

今回は子供さんも6人参加しました。回を重ねて思うことは留学生同士のカップルや(若夫婦)が増えて来たことです。幸せそうなかれらを見ているとこちらの顔もゆるんできます。

・・『草千里』で昼食をとっていたら突然の雷雨、空一面に霧がかかってしまいました。運転手、事務局長の判断では「行っても何も見えないよ。」今回は諦めて、「阿蘇ファームランド」でゆっくり遊んだ方がいいとの判断で阿蘇火口巡りは断念しました。

じつは 昨日、パキスタンのハフィーズさんからメールが来てました。皆の気持ちの代弁として取り上げさせて戴きました。写真右のハンサムが地質学者ハフィーズさんです。

・・・大石さん こんにちは、

先日阿蘇山バスツアーに参加させていただき、ありがとうございました。楽しい一日でしたね。協会さんのおかげでまた友達の輪がひろげました。

火口にも行きたかったけど、天気が悪くて残念でしたね。今回私は2回目でしたが、一回目はガスの高濃度のため行けなくなって、今回また天気のためだめになった、でも皆さんといろいろ楽しい話が出来て、また阿蘇ファームランドでのいろいろ見てまわたりして本当に良い一日でした。

私は日中友好交流会の会員でもないのに大石さんの誘いで参加できて、感謝します。またこれからもよろしくお願いします。

夏日々も後わずかですが、お体に気をつけてください。

とりあえず三枚の写真をご覧ください。写真提供はもうすっかり協会イベント専門カメラマン 祁立標からです。 

写真集は下

留学生1日バスツアー2007

黄興先生南洲墓地参詣之碑除幕式
2007/09/28

高さ2m40センチの堂々とした中にも気品のある碑が完成しました。

その台座に埋め込まれた陶板には次の文章が書かれてある。

孫文と共に中国辛亥革命の代表的志士であった黄興先生は、1874年、湖南省長沙市の学者の家に生まれた。

性格は寡黙で沈着豪胆、体格も偉大で英雄の風格があり,名文家,能筆家としても有名であった。

1902年、選ばれて日本に留学し、東京の弘文学院に入学したが早くから民族主義に目ざめ「華興会」の会長に推挙されるや。孫文の「興中会」とと日本で統合を図り、1905年「中国同盟会」を結成して、清朝を打倒し、中国の民主化を目ざす革命運動の推進力となった。

1909年(明治42年)、友人の宮崎滔天の案内で鹿児島を訪れここ南洲墓地を参詣した際、次の詩を賦した。

     八千師弟甘同塚     世事維争一局棋
 
     悔鑄当年九州錯     勤皇師不撲王師

黄興先生は1916年、志半ばにして上海でその波乱に満ちた生涯を閉じ、後に故山の長沙市岳麓山に国葬を以って埋葬されたが、終生、中国の西郷南洲を自認し、南洲翁の人格と思想に傾倒した。

黄興先生の憂国の至情を追慕すると共に、その出身地、長沙市と鹿児島市との友好都市盟約終結二十五周年に当たり、両市の交流が更に深まることを切望して已まない次第である。

二○○七年(平成十九年)九月

鹿児島市日中友好協会
西郷南洲顕彰会

(注:黄興の詩の意訳)
 
何千と言う多くの私学校の青年たちが師と仰ぐ西郷南洲と同じ墓地に眠っている。

明治維新後の日本の政治や社会はまだ混沌として収まらず、あたかも目まぐるしく変わる囲碁の局面のようであったと思われる。

それにしても悔やまれてならないのは明治十年、九州に西南の事変が起こりそれが失敗したことだ。

もともと天皇を尊敬する勤皇の志の篤い西郷南洲の薩摩士族たちは最初から天皇に反抗して、その軍隊を打ち負かそうと言う考えなどなったはずだから。

朗詠は長沙外国語学校教師  楊暁帆さん

詳しい内容は以下サイトより。

日本国鹿児島市と中国長沙市友好都市盟約25周年記念式典に参加して
2007/11/02

日本国鹿児島市と中国長沙市友好都市盟約25周年記念式典に参加して

2007年10月26日、《鹿児島市・長沙市友好都市25周年を祝う式典》と祝賀会が開催され、鹿児島市から森博幸市長ら代表団や市民交流グループ160名が参加した。

会場となった長沙市国際映像コンベンションセンターには、これまで交流に関わった両市の関係者らが多数出席し、今後、さらに親密な友好関係が促進されることを誓った。

中国では改革開放が始まり、市民生活の中にも対外交・友好都市交流が浸透し始めた1982年、この年の10月30日、鹿児島市と長沙市は正式に友好都市盟約を締結した。 

記念式典で出席者に配布された写真集には、当時の鹿児島市長山之口安秀氏と長沙市熊清泉氏が、友好都市締結を祝う乾杯の写真を掲載していた。

その後、25年間で鹿児島市から計155回、のべ2657人が長沙市を訪問、長沙市からは計119回、のべ937人が鹿児島市を訪れ、両市は人材育成、経済協力、文化交流などですばらしい成果を挙げたと記されていた。

前座では、長沙市の少年少女の踊りや歌が、一方鹿児島市からは、大正琴の演奏、日本舞踊などが披露された。

舞台では小学生と思われる男の子が、可愛らしい笑顔とよく通る声で出演者を紹介し見事な司会であった。

式典に入り、先ず、長沙市副市長から両国の主な出席者の紹介があり、譚仲池長沙市長・森博幸鹿児島市長が挨拶、次に、赤崎義則長沙市名誉市民が挨拶した。

その後、初回の鹿児島・長沙友好使者10人に「友好の使者」として表彰状が授与され、鹿児島市日中友好協会会長海江田順三郎氏ら10名に記念の盾が贈られた。

海江田順三郎氏は、

 「友好の使者に選ばれましたことを大変光栄に存じます。鹿児島市日中友好協会は、長鹿両市の盟約25周年記念事業として、『黄興先生南洲墓地参詣の碑 』を鹿児島市の南洲公園に建立しました。」

また、長沙市第一病院張莉氏は、

「人生の幸運に恵まれて、鹿児島を訪れ鹿児島で培った友情は心に深く刻まれている。研修を終えて帰国し、今は仕事で成功を収め、長沙と鹿児島の友情は永遠に続く」と喜びを表した。

終わりに、両市長2008~2012年の交流協議書にサインを交わし、祝賀会では、鹿児島市日中友好協会会長海江田順三郎氏が、長沙市譚仲池市長へ《黄興先生南洲墓地参詣の碑》の額入り写真を贈呈した。

今回、私は初めて友好訪問団に加わり一行と行動を共にした。中国長沙市は、湖南省の省都で人口600万人を超える大都市として栄え、目覚しい経済発展を続けている。

鹿児島市はこれまでナポリ市、パース市、マイアミ市とそれぞれ姉妹盟約を、長沙市と友好都市盟約を締結し各分野で交流を続けている。

中でも長沙市とは、気候風土が似通っていて、同じアジアの文化圏にある安心感からか、他の姉妹都市に比べ草の根の交流が定着していることを肌で感じた。

また、ごく最近習い始めた中国語で、片言ながら会話を交わす機会に恵まれたことは、何にも代えがたい貴重な体験であったと感謝している。

以上

鹿児島市日中友好協会 菊池 俊一

企画部より

写真3枚目は突然、海江田会長を訪ねて黄興先生の孫娘さんがホテルを訪れ懐旧談に花が咲いたそうです。その時のお話や、25周年大会の画像など写真集(別サイト)でご紹介します。 大石

おはら祭に遠方より友来る。{学生部バザーの結果は??)
2007/11/08

3日に行われた鹿児島市恒例の秋祭り「おはら祭」に長沙市からふたりの友人(かって鹿児島市に交流員として来ていた)がやってきました。

今年が友好都市盟約25周年ということで例年より多くの長沙人が来鹿しました。

鄭旗さんは現在長沙市旅遊局で主任として活躍しています。女性の袁静さんは同じく市役所の外事弁公室の副所長として活躍しています。

2日、3日とも1時間にも満たない再会でしたが楽しい時を過ごせました。

又、昨年から始まった「照国表参道」でのバザー出店

鹿児島大学留学生と協会学生部による模擬店も全員チヤイナドレスを身に纏い元気な声で客寄せに励んでいました。今年の売上は??苦戦とのことでしたが。

第13回『外国人による日本語スピーチコンテスト』開催
2008/01/18

今年も鹿児島県国際交流協会主催による『外国人による日本語スピーチコンテスト』が開催されました。

1月6日の予選会で残った10名の出場者により、14日(成人の日)に本選が行われました。

本選に残った10名の出場者の内訳は中国人4名・韓国人2名・マレーシア・タイ・アメリカ・インドネシア各1名。男性2名、女性8名で女性上位の大会でしたが成績の方も女性軍の元気さが目立った大会でした。

最優秀賞に輝いたのは韓国から志学館大学に在籍中のパクジョンヘさんです。

テーマは『韓国の足は日本の何?』という題で手や足イラストを示しながら、流暢な日本語で、ユーモアを交えながら観客の共感を得て、問題なしの最優秀賞でした。

2008交易部新年会と長沙経済視察説明会
2008/01/24

1月19日(土)サンロイヤルホテル

鹿児島市日中友好協会交易部の平成20年の新年会が開催された。

長沙市と鹿児島市とは、1982年10月に友好都市盟約を締結して以来、両市の交流協議に基づき、毎年訪問団を相互派遣し、友好を深めてきた。

鹿児島市は、長沙市より研修生・農業実習生の受入れを行ったり、「青少年の翼」事業により,鹿児島の高校生を平成11年から毎年長沙市へ派遣するなど、長い間文化・技術交流を推進している。

また、昨年9月には、当協会の永年の念願であった、長沙市出身で鹿児島に縁がある黄興先生の「南洲墓地参詣之碑」除幕式が執り行われた。

10月には長沙市にて前述の「鹿児島市・長沙市友好都市締結25周年記念式典」が開催された。

その中で前長沙市長・譚仲池氏より、「長沙市はすでに中国中部地域において政治、経済、文化、科学、教育、商業貿易の中心となっており、ここ5年で急速に経済の高成長を遂げている」こと、また今後ますます両市の活発な経済交流の実現を目指したい、というメッセージを海江田会長がいただいた。

そのような経緯を踏まえて、鹿児島市日中友好協会交易部は、鹿児島の企業と長沙の企業の橋渡しとしてなんらかの役割を担えないだろうか、と今後の計画を検討中である。

具体的には、長沙、鹿児島、双方が地元の企業案内を作成し、そしてそれぞれの市政府のホームページにそれらを掲載して、お互いがいつでも閲覧できるようにする。

また実際に長沙経済視察団を結成し、現地の状況を把握する、などの案が浮上している。

今回の新年会・説明会では交易部理事メンバーにより調べておいた長沙市の経済状況、進出している日本企業の現況などを事務局より説明することにした。

説明会では、最初に海江田協会会長の挨拶と25周年大会に参加した際、長沙市で受けた感想などを会員に説明した。

次に、事務局の説明がり、そのあと、数名の会員による、長沙での実交易体験談や鹿児島における対中国交易のエキスパートである村田秀博氏によるお話などがあった。

出来れば今年上半期に長沙市を経済交流訪問の実現に向けて準備、検討をしていくことで説明会を終った。

そのあと、会員26名で座敷テーブルを移動しあって団欒、会食が続いた。

昨年春の《義烏視察旅行》のメンバーの思い出話などにも花が咲き、当会交易部も少しづつ親しみと、まとまりが出てきたように感じた。