最新情報の足跡2008

JAPAN-CHINA FRIENDSHIP ASSOCIATION OF KAGOSHIMA CITY

祁立標(チリビョ)写真展《美麗的桜島、美麗的鹿児島》中町ベルクにて開催
2008/01/30

2月1日より29日まで1ヶ月間

鹿児島市の繁華街山形屋デパート横のアーケード《中町ベルク》にて、上海出身のアマチュア写真家祁立標さんの個人写真展が開かれています。

外国人の眼に映る鹿児島の風景などを独特の感性とカメラアングルでとらえた美しい写真41枚をゆっくりとご覧ください。

鹿児島県、市日中友好協会ならびにWe Love天文館の後援で今月いっぱいの開催です。天文館に来られた時、ぜひベルク通りに立寄ってご鑑賞ください。

春節に招かれて
2008/02/08

今年も鹿児島大学中国留学生春節の宴が2月6日(三十晩上)に構内食堂で開宴された。

中国からの留学生の代表は1年交代になっている。自治組織である学友会の会長は留学生たちの投票できまるという。

本年、2008年の学友会会長に選ばれたのは孟憲晨くん。かっこいい大学院生である。

さっそく5月には私たち協会とのジョイントで春の1日バスツアーを計画実施する。

今夜は学生に人気者の孟くんのリードで愉しい春節の一夜が繰り広げられた。

春節は私たちにとって春には卒業していく留学生たちとの寂しい送別の夜でもある。

大学研究員や交流研修員が帰ります。
2008/03/26

2008年3月23日(日)美華園

1年間の研修を終えて2人の中国人朋友が帰国します。

張東晨さんはODA交換生最後の客員教授として安徽理工大学から1年間、鹿児島大学で鉱石学の研究をされました。

鹿児島の風土を愛し、積極的に県内各地を観光し当協会の催事やツアーにもよく参加されました。背が高く、いつも笑顔を絶やさない温和なプロフェッサーです。

楊暁帆さんは長沙外国語大学から鹿児島市と長沙市の交換研修員で市国際交流課で研修されました。

昨年10月に行った黄興先生南洲墓地参詣の碑除幕式において黄興先生が参詣の際に詠じた詩を吟じてもらいました。

歓送の宴では海江田会長の漢詩朗詠や楊先生の黄興の詩朗詠に続き、張先生の日本で覚えた日本の歌《千の風に乗って》など余興で盛り上がりました。

美華園社長・陳金和氏も途中から参加され、鹿児島市と長沙市との25年前の友好都市盟約成立時の秘話などを話されました。

最後は陳社長のお得意のハーモニカの演奏で宴は終りました。

宴会当夜の模様や2日前に行った阿久根長島の美しい海岸風景を写真で紹介します。

訃報:中村義さん78歳 死去=東京学芸大名誉教授、歴史学専攻/東京
2008/05/01

中村義さん78歳(なかむら・ただし=東京学芸大名誉教授、歴史学専攻)19日、出血性胃かいようのため死去。葬儀は24日午前10時半、練馬区高野台3の10の3の東高野会館。喪主は妻宏子(ひろこ)さん。

昨夜(4月30日)事務局長から中村義先生がなくなられたとの訃報の電話が入った。

今朝、早速、ネットを開いて検索すると、上記の毎日新聞の記事コピーを見つけました。

実は昨年11月10日、東京のご自宅に黄興のお話をお伺いにお邪魔して4ヶ月余りしか経っていないのでお会いしたときの会話、お顔の様子などが昨日の事のように浮かんできます。

「私が脚を悪くして駅(高井戸)まで迎えに行けませんので」

と書いて戴いたペン書きの地図を頼りにご自宅まで歩いた時の道がベッドについてから目に浮かんでいました。

「下手な地図でわかりましたか?」

「お寺の中からの細い近道など注意書き付きでたどって来るのが楽しかったです。宝探しの地図みたいでした」

お会いした先生は喉が痛そうで

「もうだんだんよくなりました。もう少しです。元気になったら協会でお建てになった『黄興の碑』を紹介して廻りましょう」

と咳をしながら、やはり時々苦しそうに話されました。

「今日は、家内が留守で構えずに申し訳ありません」

昼過ぎに伺うと連絡してありましたので出前の『上寿司』と果物を奥様が準備して行かれたようで、先生がお茶を入れられたりで、ゆっくりお話を伺う時間が取れなかったのが今はとても残念に思います。

お話を全部録音させていた戴こうとMDレコーダーは持参していたのですが、お話がされるのが難儀そうだったので失礼かと思って出しませんでした。今、思えば、思い出にとっておけばよかった。と思うことです。

「もう道も分かったから大石さんが上京されたらこんどはゆっくりお話をさせてもらいましょう。わたしも元気になったら南洲公園墓地の黄興の碑を見に行きたいです。」と話されました。

12月4日に戴いた次のメールが最後のメールになりました。

テープの件、いろいろお心遣いを頂きまして有難うございます。 MDは当方のラジカセでは再生できません。また、添付は、これまでに頂いた添付は開けたのですが、今回は・・・・次の添付ファイルは、安全でないためメールからのアクセスが削除されました・・・・という、メッセージが出て開けませんでした。

北京大学の陳さんの論文だけを、恐れ入りますがお送りいただければ幸いです。

また、本日はお心づくしの薩摩のご銘茶をお送り頂きまして、ありがとうございました。 これからの寒い季節、美味しいお茶を楽しませていただきます。

くれぐれもご自愛ください。

中村 義

こころよりご冥福をお祈りいたします。

鹿児島市日中友好協会平成20年度通常総会開催
2008/05/22

去る五月10日、鹿児島市日中友好協会の平成20年度の総会(23回)が開かれました。

 日時     平成20年5月10日(土)10:00
 場所     ジェイドガーデンパレス
 出席者総数  83名(交易部 11名)
 講演     鹿児島県中国帰国者自立指導員
         杉元基一郎 先生
 演目     「戦中・戦後の中国在住体験を通し日中友好を願う」

第2部 懇親会  12:40~14:40 (飛天の間)
    祝宴   ●太極拳(薩摩すこやか会) 
          増満育代社中
         ●日本舞踊 芳堂流社中
         ●日本舞踊 舞泉流社中
         ●楊名時太極拳演舞
         ●歌謡 天達美代子 篤姫ほか
             (キングレコード)

今回は当協会の交易部との同時開催になりました。

交易部では6月7日に第二回目の「中国商業施設を訪れる研修ツアー」の説明会も同時開催されました。

写真説明:壇上の女性は今年、友好都市・長沙市からの交流員です。1年間鹿児島市国際交流課で研修します。左の男性は県の国際交流課に来られた徐成研修員さん。

中国四川大地震・街頭募金活動展開
2008/05/22

今月12日午後2時30分に起きた中国・四川省の大地震は今日で10日目を迎える。

死者の数は4万人を超えた。まだまだ増える。最終的には倍近く、いや,それ以上になるかもしれない。

発生から4日が経った17日、私たち鹿児島市日中友好協会では協会学生部と中国人留学生学友会25名、総勢40名で鹿児島市の繁華街で街頭募金を行った。
 天文館の電車通り入口付近と山形屋入口の中町ベルクの2ヶ所にそれぞれ20名づつ、募金箱15個での街頭活動を展開、マスコミ各社の取材もあり、終日くりひろげられた。

市民から寄せられた義援金の総額は67万円に達し、集まったお金は学友会~福岡総領事~大使館を経て中国四川の被害地に確実に届けられる。

当日の活動の様子はカメラマンの祁立標氏の画像をごらんください。

遠く離れた長沙市で日本語教師をしている渥美栄さんから長沙の状況を日記で伝えてきましたので紹介します。・・・・・以下。

今回の地震、中国では5.12大地震と呼ばれている。

国道317号線がなんとか開通して、遠回りだが、その道を通って物資が運ばれ始めた。

志願したトラックの運転手たちが、無償で配達しているとのこと。

ここ長沙でも、バス、タクシーが黄色いリボンをつけて、地震の犠牲者に哀悼の意をあらわしている。

市内の烈士公園には、大勢の人が集まって、被災者の奇跡の生還を祈っている。有効救援期間は3日と言われているのに、はや5日目になる。

4人の子供をかばってなくなった先生は、TANG先生と言い、湖南の人。遺体が今湖南に運ばれている。

死者は3万人近くに。詳細が判明すれば、五万人になるとも言われている。

大勢の人が肉親を失い、家を失い、大勢の子どもが独りになった。

そしてまだまだこれから、チフス、コレラ発生の恐れも心配されている上、ダム決壊の恐れもあるとか。

願わくば、被害の拡大が少なくあって欲しいと・・・・

2008春天留学生と行く1日バスツアー・宮崎日南紀行
2008/05/27

2008・5・18(日)

朝7時半、鹿児島大学図書館前を出発しました。

今回の参加者は中国人留学生 45名、日本人大学生 6名、協会会員6名(世話人)、小学生2人の計59名。

年々、人気のバスツアーになりました。今回は留学生関係を鹿児島大学留学生学友会に1本化、今年の会長の孟クン(人文社会科・修士)にすべて任せました。例年、参加者が混乱して悩んでいましたが、今年は彼の活躍ですべて上手く進みました。

協会の学生部は児玉新会長の活躍で今までの中で一番多い日本人学生の参加で、交流ツアーとしてはバランスが理想的でした。

バスの中では孟くんと日本人学生との絶妙のコンビでプロの南国交通バスガイドをまじえ、結構長い時間の車中を楽しく盛り上げていました。

絶好の天候に恵まれ、ちなみに翌日は大雨でした。愉しい1日バスツアーをすることが出来ました。

参加者が未だ多かったそうで、出来れば参加希望者は全部,行けるような企画が出来ればというのが協会企画部の理想です。

縁があって鹿児島に留学中の中国人の学生、研修員、そして出来れば、鹿児島の市民になっている中国人ファミリィ、また、故郷中国を離れ日本の鹿児島に夢を抱きながら、いろんな理由から鹿児島市民や同胞の中国人ともあまり接していない帰国子女、その家族・・・など、中国に関っている多くの人に広く、呼びかけて1日楽しく過ごすバスツアーを企画してみたいと思っています。

中国好きな協会会員にも、その時はもっと参加してもらおうと思っています。

何時、実現するかは賛同者の声次第でしょうか。

愉しかったバスツアーのスナップ写真は以下のサイトからお入りください。

1日春バスツアー 宮崎・日南の旅2008

平山郁夫会長の後任に加藤紘一氏決定
2008/07/06

日中友好協会では7月3日、都内のホテルで総会を開き、平山郁夫会長の退任に伴う後任会長に自民党の加藤紘一(元幹事長)を決定した、加藤氏は「日中関係は学生時代からのライフワーク。原点に返り、両国の政治対話を強化したい」と記者団に述べた。

協会名誉顧問の野中広務(元官房長官)は「平山氏に名誉顧問を頼まれたので平山氏と共に協会を去りたい」と辞任した。

日中友好協会は政治、経済、文化の有識者を中心に1950年に設立された。

中国報道と中国新聞による今回の新就任を掲載してみる。

加藤紘一氏が日中友好協会の新会長に

日本の日中友好協会は3日、東京で総会を開き、加藤紘一・元内閣官房長官(元自民党幹事長)を新会長に選任した。

16年間会長を務めた平山郁夫氏は名誉会長に就任した。 

新華社のウェブサイト「新華網」が伝えた。

総会後の親睦会で加藤氏は「日本国民の中で日中友好を推進し、すばらしいアジアを築くために、日中関係を障害のない良好な関係にするために努力する」と述べた。

中国の崔天凱駐日大使は「今年5月に胡錦涛主席の訪日が成功し、双方は第4の重要な政治文書を発表して、両国関係の長期的な発展における指導的原則を確立し、両国関係の将来の発展の計画を立てた。

中日関係はすでに、さらに高い段階の発展に向けた確固たる基盤を備え、新たな歴史の出発点に立っている。今日の良好な中日関係の局面は得難く、日中友好協会の功績は不朽だ」と述べた。

崔大使は加藤氏の会長就任と平山氏の名誉会長就任を祝福。16年間の会長時代に平山氏が中日友好に果たした貢献を高く評価し、新たな役職でも引き続き中日友好事業に関心を寄せ、支持するよう求めた。

また「日中友好協会が加藤新会長の指導の下でさらに発展していくことを希望する」と述べた。(編集NA) 

「人民網日本語版」2008年7月4日

中国新聞社は3日、自由民主党の加藤紘一氏が同日、日中友好協会の会長に就任したと伝えた。

加藤紘一氏は山形県第3選挙区選出の衆議院議員で当選12回。これまで防衛庁長官、内閣官房長官、自由民主党幹事長を歴任した。

政界入り前は、1964年に東京大学を卒業し、外務省に入省。在台北大使館、在ワシントン大使館勤務などを経て、1964年から69年までは香港総領事館副領事を務めた。

69年から71年までは外務省アジア局中国課次席事務官。同年12月に退官し、72年12月には衆議院議員に初当選した。

中国新聞社によると、加藤氏は就任直後の祝賀会で、日中友好関係の発展のために、最大限の努力をすると述べた(写真)。

画家で前会長の平山郁夫氏は、同協会の名誉会長になった。

●URLから一言抜粋。

同協会は日中友好にかかわる有力7団体の一つ。日中関係が冷え込んだ小泉政権時代の06年には、7団体のトップが訪中し胡錦濤国家主席と会談するなど、日中関係の改善に努めた。

加藤氏の会長就任で、7団体のうち、河野洋平衆院議長(日本国際貿易促進協会)▽野田毅元自治相(日中協会)▽高村正彦外相(日中友好議員連盟)▽林義郎元蔵相(日中友好会館)と5団体のトップを政治家や政治家OBが占めることになる。

祁立標写真展開催、今日から1週間
2008/07/10

日中友好協会関連の皆様へ

大石けいじより。

梅雨明けと同時に35度以上の酷暑がかごしまを襲っています。

来月8日からは愈愈、北京オリンピックの開幕です。時差がほとんどないのでゴールデンタイムにリアルタイムで競技が愉しめるのがいいですね。

ご当地はというと、まもなくかごしまの風物詩『六月灯』も始まります、僕の住む天文館界隈も15,16日の夜は輝国神社は若い男女で埋め尽くされます。

女性は浴衣を着るとどうして,皆、美人に変身するのでしょう。・・と六月灯が来るたび思います。

さて、2月に中町ベルクで1ヶ月、趣味の写真展を開いた

上海の男性写真家・祁立標さんの「第2次(回)照片(写真)展」を山形屋3階(3号館通路画廊)で開催中です。

期日は7月9日(水)~15日(火)午後4時まで の1週間です。タイトルは「美しいかごしま」です。

場所が分かりにくいかも知れませんが、山形屋2号館3階を奥に歩いていくと3号館への廊下があります。その廊下「ブリlッジジロード」が会場です。

35枚の写真を展示してあります。お暇をみて、是非、ご鑑賞いただければ幸いです。

第2回 交易部義烏市場訪問
2008/07/24

義烏市場における商談について

貿易は、自社で1コンテナに仕立てられるかが肝要である。それが出来ないと商売としてなかなか成り立たない。しかし、貿易ビギナーは最初から1コンテナ数百万円のリスクを背負う事は難しい。

そこで手っ取り早く買付けの世界に足を踏み込めるのが、10万点以上の小商品が取り扱われ、活気あふれる日用品雑貨卸市場の街「義烏」である。

ここの最大の特徴は、小ロット(数量)・多品種・低価格で商品仕入れが可能なことだ。

一般的なパターンは、地元の貿易仲介業者兼通訳と市場内を回り、興味あるブースで商談買付けを行う。値引き交渉は中国人通訳を介して粘り強く行い、外国人価格を排除出来れば最高である。

まとまった数量を購入する場合は市場で商品を見つけた後、近隣に生産工場があれば直接出向くのが得策である。

買付けした様々な商品は貿易業者の倉庫に集められ、混載コンテナに仕立てられ日本に輸出される。代金決済は義烏では、1ブースで1コンテナ分の商品を買うことはまずないのでL/C(信用状)はほとんど使われない。

中国で前金を支払い、残金は取りまとめをする仲介業者に、日本から後日TT(電信)送金する場合が多い。

最小販売ロットは、各ブース様々である。数個で売ってくれる所もあれば、百個以上とかダンボール一箱単位でしか売ってくれない場合もある。

義烏以外で商談する場合は、一商品千個単位とか一万個以上と言われる場合もあるので、それに較べればはるかに購入しやすい。しかし、小口購入は段々難しくなって来ている。

数年前は「サンプルとして買う」と言ったりしたが、日本人は一般的に数量は少ないのに品質は厳しいので、「日本人と取引しなくても、いくらでも注文はある」と言うスタンスの所も増えている。

また、義烏は主に中国人向けの中級品を扱う市場であり、検品が必要となる場合がある。中近東などのバイヤーは不良品が混じっていても、元々が低価格なので、歩留りを追及し検品はほとんどしない。

日本では全てに厳格な品質が求められる。品質は年々向上している。しかし、この市場は余剰在庫・B級品・一流企業のアンテナショップ商品などが混在していることを忘れてはならない。

見極めが大事である。

義烏市場が今後ますます発展していく魅力ある市場である事は間違いない。貿易には様々なリスクが伴うが、同市場においてもそれを一つ一つ解決し、前向きに取り組んでいくことが大切だと思う。

最後に、交易部会が今後果たせる役割としては、貿易ノウハウの習得に努め、貿易をしたい会員を多く募り、ビジネスツアーを派遣するなど商談の場を多く提供することではないだろうか。

その結果、混載便を仕立てることができ、その後交易部会員が独り立ちできればこの上ない。それがひいては、鹿児島と中国の経済交流の活発化にもつながるはずだ。

鹿児島相互信用金庫 鹿児島県産品輸出支援室長
   村田秀博

参加者体験談として、(株)鮫島産業 鮫島 恵社長の視察記を「随便随筆」に載せました。

天文館ホテル協議会 四川大地震募金贈呈式
2008/08/10

天文館ホテル協議会(会長 浜田 望)は8月8日、北京オリンピック開幕記念の日に、天文館にある12のホテルで2ヶ月間行った募金箱による募金活動の義捐金を鹿児島市日中友好協会を通して北京大使館に贈呈した。

贈呈式は天文館のタカプラ4階役員室において 天文館ホテル協議会の会長、浜田 望氏より市日中友好協会の海江田順三郎会長に手渡され、海江田氏から浜田氏に感謝状が渡された。

以下、ホテル協議会の挨拶

猛暑の日が続いております。

さて、6月・7月の2ヶ月間に渡り、当協議会では中国四川大地震の被災者の方に、義援金を12社でお送りしたいとの意見が臨時総会で決議され、募金活動に励んでまいりました。

そして来る8月8日、北京オリンピックが開催されるこの記念すべき日に、わずかでも義援金をお送りしてまだ深い悲しみと厳しい生活状況におられる被災地の方々に、元気を提供すべく鹿児島市日中友好協会に義援金を贈呈させていただきます。

8月22日、矢吹 晋氏 講演会開催。
2008/08/28

鹿児島県日中友好協会では、去る8月22日、鹿児島市のサンロイヤルホテルに於いて平成20年度総会を開催し、この中で横浜市立大学名誉教授の矢吹晋氏の「オリンピック後の中国経済」と題して記念講演が行われました。

矢吹晋氏の略歴

1938年生まれ。69歳。東大経済学部卒。

東洋経済新報社、アジア経済研究所を経て、横浜市立大学名誉教授、

中国の政治と経済、日中関係が専門で、著書に「文化大革命」「毛沢東と周恩来」

「鄧小平」(講談社)。

「激辛書評で読む中国の政治経済の虚実」(日経ビジネス)など多数。

訳書に朝河貫一「入来文書」「大化改新」「比較封建制論集」(柏書房)など。

最近BS朝日「海を渡ったサムライ・朝河貫一」を監修した。